11.駄目な男
大公家へ来てから一週間、トリニティの生活は熾烈を極めていた。ほとんど毎日ある最強の講師陣によって行われる講義。勿論予習復習も行う為、夜は遅くまで彼女の部屋には明かりが灯っていた。間違いなく学院に居た時よりも勉強量は増えているだろう。加えて大公家の中でのルールや決まり事も覚えなければならない。アーガード家でのびのびと暮らしてきたトリニティには理解できない事ばかりだった。多分ここは家族がくつろぐ為の家ではなく、一つの組織なのだ、とトリニティは思った。
一方レオンハルトは相変わらず、すでに辞めた騎士団の団長室に入り浸っていた。当然父が居なくなって大公家の当主としての仕事がたまっている。それで団長室に自分専用の机を持ち込み、そこで山のような書類を片付けていた。
「おい。何でお前は毎日毎日ここにやって来るんだ。そんな机まで持ち込んで。ここはお前の執務室じゃないんだぞ」
迷惑そうな顔で騎士団長のオーギュストが叫んだ。
「いいじゃないか、広いんだから。邪魔にはならんだろ?」
書類から目も離さずレオンハルトが答える。
「そんなに騎士団に未練があるのか?それともお前、もしかして家に帰りたくない理由でも・・・」
ギクリとして思わずペンを持つ手が震える。
「そんなものは・・・無い」
机の上の書類の整理を手伝いながら立っていたプリンテュクスは、抑えきれない程の怒りを抱えていた。この一週間、レオンハルトは一度もトリニティに会おうとはせず、あげく騎士団の寮で寝起きする始末だ。たまった書類は家令がせっせと屋敷から運んでいるからそれなりに進んでいるが、大公家の当主としてこれから先どうするつもりなんだ?
“ もう殴りたい。殴っていいよね。今ボク、ジャンの身体に入っているから充分殴れるし ”
「お前、大丈夫か?そんなんでグレゴーニュ大公が務まるのか?」
“ そうだそうだ。もっと言ってやれ、オーギュスト! ”
友の心配もよそにレオンハルトはうるさそうに片手を振った。
「いいからお前は外で訓練でもしていろ。気が散ってかなわん」
“ ここは俺の団長室なんだが・・・ ”
そう思いつつ、不満と心配を顕にしながらオーギュストは部屋を出て行った。
さて、オーギュストも出て行った事だし、そろそろ本格的にぶん殴りに行こうかな。憮然とした表情で、プリンテュクスは眉間にしわを寄せているレオンハルトを見下ろした。
「閣下」
「なんだ」
「レオンハルト様」
「・・・なんだ」
「グレゴーニュ大公」
「だからなんなんだ!」
声を荒げて自分をやっと見たレオンハルトを、プリンテュクスは鋭い目で見返した。
「あれから一週間です。その間一度もトリニティ様に会っていませんね」
レオンハルトが思わず目を泳がせた。
「一体婚約の話はどうなさるおつもりなのですか?このまま何もせず、宙ぶらりんのまま放って置くのですか?」
「そんな・・・つもりはない。だがこの間も話をしようと思って会いに行ったら、凄く難しい顔をしながら数式を解いていたので、声を掛けられず・・・」
「話をしようと思って会いに行ったけど、結局逃げて帰って来たと・・・。そういうのは結局何もしなかったのと同じです!宜しいですか?トリニティ様はまだ婚約を結んでもいない貴方の為に、あの王太子妃教育にも匹敵する厳しい教育を必死にこなしているのですよ!夜の睡眠時間を削り、昼は参考書を読みながら軽食で済ませ、力の限り努力を続けているのです。
それなのに貴方ときたら、トリニティ様と向き合おうとせず、婚約を申し込んでおいてちゃんと婚約を結ぼうとせず、彼女の頑張りを労おうともしない!今の貴方はあの侯爵家の元クズ婚約者と同じです!いーや、それ以下だ!今度こそ自分の手でトリニティ様を幸せにすると誓ったくせに実行しないなんてクズ以下ですよっ!!」
さすがのレオンハルトも余りの衝撃に真っ青になった。まさか自分が軽蔑していた男より更にクズに成り下がっていたなんて。頭を太い棍棒でぶん殴られた気分だ。余りにも自分が恥ずかしくて思わず頭を抱えた。
“ ごめん、リニ。俺は本当になってなかった。君の事を大切にしているつもりで全然出来ていなかった ”
「ちゃんと・・・する。ちゃんとトリニティに向き合って、婚約も結んで、彼女を幸せにする為に努力は惜しまない」
“ フン!さっさとそう言えばいいものを ”
プリンテュクスはやっと目が覚めた主を冷めた顔で見下ろした。
「了解いたしました。そうおっしゃって下さると思って」
「え?又?」
「はい。又もや想定内でございます。明日ですが早速アーガード伯爵家へ行き、婚約の誓約をアーガード家と正式に取り交わして頂きます。伯爵家にはすでに先触れを出しており、書類も作成済みでございます。明日トリニティ様は王太子妃様との面談がございますので、行くのはレオンハルト様のみです。その方がレオンハルト様も正直な気持ちを述べやすいだろうと思い、そのようにセッティングいたしました」
相変わらず手際がいいのは感心する。
「その後でございますが・・・」
まだあるようだ。どれだけ根回ししているんだ、こいつは。
「3日後、正式にご婚約を結ばれた事を国王陛下と王妃様にご報告して頂きます。これはトリニティ様と共に行って頂かなくてはなりませんので、全ての講義はお休みできるよう、すでに手配は済んでおります」
「そうか・・・」
いよいよトリニティと共に公式の場に出るのだな。そう考えるだけで何だかドキドキしてくる。いや、駄目だ。しっかりしなければ。陛下との謁見というだけでトリニティも緊張するだろうからしっかり俺がエスコートしないと。
「レオンハルト様」
色々考えてぼうっとしていた所を、侍従が咎めるように声を出した。
「何をボーッとしておられるので?私がトリニティ様の講義を全てキャンセルさせた意味、分かっているのですか?」
「な・・・意味、だと?何の事だ」
プリンテュクスは軽蔑したように目を細めると「はぁぁー」と大きくため息を付いた。
「デートですよ、デート。せっかく街へ出て来てそのままお帰りになるおつもりですか?久しぶりのお休みなのです。しっかりと息抜きをさせてあげて下さい」
「デ・・デート、ぶふっ」
鼻を押さえて上を向いたレオンハルトをプリンテュクスは冷たく横目で見つつ、白いハンカチを取り出した。
全くこの男は。デートって言葉だけで鼻血を出してどうするんだ。そう思いつつも、次からはもう少し厚めのハンドタオルを用意しようと考える。
「デートって、何処に行けばいいんだ?俺が知ってるのは役所と剣の練習場と後は男ばかりで行く酒場くらいだぞ?」
「ええ、そうおっしゃるだろうと思って用意しておきました。執事長の娘を覚えておられますか?」
「ああ、俺より2歳年下の・・・ペリータ?小さい頃、執事長に連れられて時々屋敷に来ていたな」
「はい。今はご結婚され、2人のお子様を立派に育てておられます。明後日はペリータ様と共に女性の喜びそうなデートコースを回り、次の日の本番に備えて想定デートをして頂きます」
「想定デート・・・。そんな事をして大丈夫なのか?ペリータは」
「ペリータ様も子育ての大変さから一日でも逃れられて『ストレス発散ー!』と喜んでおられました。子供は実家の母、つまり執事長の妻に見て貰うそうなので全く問題ありません」
「そうか・・・」




