12.初顔合わせ
翌日、トリニティは予定されていた通り、王太子妃に会う為に王宮へ向かった。王太子妃に直接会うのは初めてだ。勿論トリニティにとって王族を遠くから見る事はあっても、直接会って話をするなど、今までは夢の様な話だった。
“ 大公妃になるというのは、こういう事なのね ”
レオンハルトと結婚すれば、王族が親族となる。確かに失礼の無いように厳しい教育がなされるのは当然だろう。
“ 王太子妃様は王太子殿下の3つ下だから今年21歳になられるのよね。でもご結婚されてから3年経つのにまだお子様が生まれなくて立場がお弱いと聞いたわ。そんな大変な状況なのに私なんかの教育係を引き受けて下さるなんて、お優しい方なのね ”
今日は初めての顔合わせなので庭でお茶を楽しみながら気軽に話をしましょうと言われており(とても気軽な気分ではなかったが)トリニティは衛兵に連れられて花々が咲き誇る庭園へと向かった。
明るいの日差しの中咲き誇るつるバラが絡むガゼボの中で、黄色いドレスの女性がたくさんの侍女や衛兵に囲まれて座っている。トリニティは側まで歩いて行って淑女の礼を取った。
「お初にお目に掛かります。アーガード伯爵家が娘、トリニティ・アーガードでございます。王太子妃殿下におかれましてはお忙しいところ私の為にお時間を作って下さり、心より御礼申し上げます」
「固くならなくてもいいのよ。どうぞお座りになって、トリニティ嬢」
顔を上げて王太子妃の斜め前に座る。直ぐに侍女が温かい紅茶を差し出した。初めて間近で見るアイリス王太子妃はミルクティー色の腰まである長い髪と栗色の瞳のそれは愛らしい女性だった。
“ まるでマロンケーキみたいな甘くて美味しそう・・・いえ、可愛らしい方だわ ”
女性のトリニティも直ぐに虜になった。3年も子供が出来ないせいで周りから色々言われても、王太子が王太子妃に一切文句を言わせないように睨みをきかせているという噂も納得出来る。
「私も貴方に会いたかったの。あの石より固い堅物のレオンハルト様がとうとうご結婚をお決めになったのですもの。一体どんな麗しい令嬢があの石頭の剣豪の心を溶かしたのか、今王宮はその話題で持ち切りなのよ」
何だかとんでもない噂が広がっているようで、トリニティはものすごく恥ずかしかった。拝謁が終わったら直ぐに帰ろうと心に決めた。
「今日は大公家でパーティ等を開いた場合のホスト役をどのように務めるかのレクチャーをしようと思って居たのだけど・・・」
アイリスは身体をトリニティの方に向けると、少し身体を傾けて顔を近づけた。
「でもやっぱり先に知りたいわ。レオンハルト様とどうやって知り合ったの?あの方パーティに出るのも前大公の名代で仕方なくという感じだったし、暇さえあれば騎士団でいつも訓練に明け暮れて、王家の皆様も本当に心配されていたの。噂ではそれはもう熱烈にレオンハルト様がトリニティ嬢を口説かれたとか。どんな情熱的な告白をされたのか、是非お聞かせ願いたいわ!」
聞いているトリニティは気が遠くなりそうだった。
“ 嘘です嘘です。そんなの全くのデタラメです! ”
顔に出すのは貴族令嬢らしからぬ行為なので何とか耐えたが、心の中では泣きそうだった。まさか出会いは婚約破棄の現場を目撃されていた時とは言えない。しかも情熱的な告白どころか、一週間以上経った今でもまだ一度もお会いした事がないなんて絶対に言えない。
トリニティが黙ったまま固まっているので、アイリスは更に追い打ちを掛ける。
「私、嫁いでから王宮には同じ年頃の友人もいないし、こんなお話しが出来るのもトリニティ嬢だけなの。ね?私達もうお友達でしょう?絶対誰にも言わないわ。キース殿下にも秘密にしておきますから。ね?」
くりくりのマロン色の瞳に上目使いで見られると、余りの可愛さに心臓を撃ち抜かれてしまう。
“ 無理だわ。この方のお願いを断るなんて、絶対に無理・・・ ”
とにかく何か言わねばと思い、声を絞り出した。
「ふ・・・」
「ふ?」
「普通・・・なんです」
「普通?普通って?」
「普通にある日突然釣書が届いて、お断りしたら家が潰れるかもと大騒ぎになっている内にお迎えが来て、攫われるように大公家へ行く事になったのです」
一気に話すとアイリスはびっくりしたようにその美しい眉をひそめた。
「まさか、レオンハルト様が大公家の威信を笠に着て無理矢理?」
「あ、い、いえ、違います。起こった事はそのままなのですが、大公様はちゃんと(告白どころか一度もお話ししていないけれど)私の事をお認め下さって、勉強の機会も与えて下さり(本当にお話しした事が無いから分からないけれど、多分)私の事をとても気に掛けて下さっています」
「ふうん?そうなの?」
少々納得がいかないような顔で、アイリスは肩の上の自分の髪を後ろへ流した。
「分かったわ。じゃあこれからお二人の熱々のエピソードをここに来る度に聞かせてね。それじゃあ授業を始めましょう」
その頃レオンハルトはアーガード伯爵家を訪れていた。大公閣下という高貴な方を屋敷に招いた事のないアーガード家では(普通はこちらから伺わなければならない)ただの客間に通していいのか、しかし他にお通し出来る場所はないしと当主のアルタスが朝から大騒ぎをし、それを妻のセシルが「あなたはちょっと落ち着いて下さい!」とたしなめながら、とにかく最高級の茶葉とお菓子を用意した。
いつもの大きな大公家の馬車から伯爵家の屋敷の前に降り立ったレオンハルトは、ここがトリニティが育った家か・・・と感慨深く屋敷を見上げ、その後アーガード伯爵夫妻の恭しい歓迎を受けた。
「この度はこちらからご挨拶に伺わなければならない所、わざわざ足をお運び頂き恐縮にございます」
「いえ。これからご夫妻の息子となる身、こちらからお訪ねするのが道理です。どうか面を上げてください」
大公閣下のこの一言で、アーガード夫妻は完全に浮き足立った。
“ 息子!大公閣下が息子! ”
“ トリニティ、あなた大出世よ!でもこの方、余りにもお美しすぎて浮気しないか心配だわ。こういう方はどんなに振り払っても女性がわんさか寄ってくるものよ ”
応接室に通されたレオンハルトは、紅茶を一口飲んでから夫妻に笑顔を向けた。
「この間は何の前触れもなく釣書をお送りし申し訳ありません。又、こちらの事情によりトリニティ嬢をまるで攫うように我が家へお招きしたのも申し訳なく思っております。今は忙しくて戻れませんが、少し落ち着けば里帰りも出来るようになるでしょう。彼女の事は私が責任を持ってお預かりいたしますので、どうかご安心下さい」
それを聞いてアルタスとセシルは安心したように顔を見合わせた。その後レオンハルトが用意していた婚姻に関する書類に互いに署名をし、晴れてグレゴーニュ大公家とアーガード伯爵家の婚約が調った。
“ これで大公家と姻戚に!まだ結婚した訳じゃないけど! ”
アトラスは感無量だった。
「大公様、ありがとうございます。私はこんなに嬉しい事はありません」
目に涙をにじませながらアルタスが言った。
「伯爵。私の事はどうかレオンとお呼び下さい。もうあなたの息子ですから」
“ 大公様を愛称呼び!いかん、神々しくて卒倒しそうだ! ”
“ まあ、何ていい子なの。でもやっぱり心配だわ。こんな可愛い人を他の女性が放って置くわけないものっ! ”
夫妻の心は千々に乱れる。
そうこうする内にドアがノックされ息子のルイが入室して来た。彼も丁寧に紳士の礼を取ると、自己紹介と婚約の祝福を述べた。
柔らかくウェーブする茶色の髪と赤茶色のつぶらな瞳が小さい頃のトリニティに似ていて、レオンハルトも思わず破顔する。それを見たルイもにっこり微笑み、レオンハルトに一歩近付いた。
「もう姉さまとの婚約も調った事ですし、これからは義兄さまとお呼びしても宜しいですか?」
「もちろんだよ、ルイ。君も座りなさい。家族で話をしよう」
ルイは頷くと、レオンハルトの直ぐ隣に腰掛けた。それを見てアーガード夫妻はびっくりした。レオンハルトの隣は客用の席で、普通ならルイは他の空いている席に座らなければならない。しかしそれをレオンハルトの前で注意するのも憚られた。そんな両親の様子を知っていながら見て見ぬ振りをすると、ルイはレオンハルトの瞳をじっと見上げ微笑んだ。
「義兄さま。姉さまの事、好きですか?」
「す・・・」
いきなり核心を突いた質問にレオンハルトは動揺し、心臓が激しく動揺した。全身の熱が顔に集中し、真っ赤になる。
“ はい、鼻血 ”
プリンテュクスが素早く後ろから用意していた少し厚手のハンカチをレオンハルトの鼻に当てたので惨事は免れた。
“ まあまあまあ!好きって言葉だけであんなに真っ赤になって鼻血まで出すなんて、トリニティの事、好きなのね。大好きなのね! ”
セシルは自分の事の様に嬉しかった。どうやらこの純情そうな男が浮気をするかもなんて杞憂だったようだ。ハンカチを顔に押し当てたまま赤くなっているレオンハルトが答えないので、ルイは更に続けた。
「ご存じでしょうが、姉さまの以前の婚約者は、それは酷い男でした」
息子の言葉に夫妻は更に動揺した。新しい婚約者に前の婚約者の話なんて絶対タブーだ。もうアトラスは頭を抱えるしかない。それでもこの姉思いの弟が何を言いたいのか分かる気がした。
「姉にドレスの一着も宝石の一つも送ること無く、いつも姉を見下して酷い言葉を掛け、卒業記念パーティでさえエスコートを拒否して他の女性にドレスを送り、ファーストダンスをその女性と踊ったんです。僕は二度と姉にそんな思いをして欲しくありません。義兄さまは姉さまを大切にしてして下さいますか?自分より地位が下だと見下したりはしませんか?」
「ルイ・・・」
レオンハルトはハンカチを後ろに控えている侍従に渡すと、その小さな手を握りしめた。
「君の姉君はとても素晴らしい人だ。勤勉で努力家で一度決めた事を迷う事なくやり遂げる強い意志を持っている。何より彼女は自分以外の人間やもっと立場の弱い者に対しても思いやりを示す事が出来る。それは彼女の持って生まれた素晴らしい特質なんだ。私はそんな彼女を尊敬しているし、二度と泣かせるつもりはない。彼女が望むなら、クローゼットに入りきらない程のドレスを送り、体中を宝石で埋め尽くしてもいい。だがそんな事よりも、私はこれから先ずっと彼女と共に在り、側で彼女を守り続けて行きたいと思って居る。例え明日王国が滅びようと、彼女を手放すつもりはない。これで君の不安の答えになったかな?ルイ」
勿論ルイの瞳と唇は嬉しそうに弧を描いた。




