13.王女 シェーンメア
講義が終わると、再びトリニティとアイリスはお茶とお菓子を楽しみながらおしゃべりを始めた。アイリスは4歳年上だが、彼女のあどけない雰囲気にそんなに年の差を感じる事も無く、彼女の言うように良い友人として仲良くやっていけそうだとトリニティは思った。
そのおしゃべりの最中、ふとトリニティは肌寒さを感じた。春とは言え午後の日差しが傾くと、まだ少し寒さが残っているようだ。トリニティは自分の肩に掛けているショールを外してアイリスの肩に掛けようとしたが、アイリスはそれを手で制した。
「いいえ、大丈夫よ」
「でもアイリス様、肩がお寒そうですわ」
すると彼女は少し自嘲気味に笑った。
「子供が出来ない王太子妃など、そんなに心配して貰う価値などないもの」
言ってしまってからアイリスはハッとしたように口を閉じた。王太子妃として他人に弱音を吐くような行動は慎むべきだ。だがアイリスもトリニティに親しみを感じていたのだろう。又、王家に嫁いだ我が身と大公家へ嫁ぐ事になるトリニティとを重ねていたのかもしれない。
思わず漏れてしまった王太子妃の本音を聞いて、トリニティは気まずそうにしているアイリスを同情深く見つめた。どんなに耳を塞いでも口さがない噂は聞こえてくるものだ。きっと彼女は3年間ずっとそんな噂話に悩まされてきたのだろう。
3年という月日は長いわ。私だって3年間、カールロイの行動や色々な所から入ってくる噂話に疲れ果てていたもの。勿論その前から彼からの手紙はほとんど来なくなっていたし、月に一度のお茶会も急に用が入ったからと言ってすっぽかれていたのに、学院に入るまで彼の事を信じ切っていた私もかなり鈍かったわね。
トリニティは小さくため息を付くと立ち上がり、アイリスの側にしゃがみ込むとその手を握った。
「アイリス様。私の家の領地の中にシャメールという名の小さな森があります。そこには精霊が息づいていて、ずっと昔からアーガード家を守っていると言われています。私は精霊を見る事も感じる事も出来ませんが、確かにあの森へ行くと、辛い事があっても少しずつ心が癒やされるような気がするんです。私の家には精霊にお願いがあるとき唱えるおまじないがあって、その中の一つに子宝に恵まれるおまじないがあります。私の母も跡取りの息子が出来なくて悩んでいた時にこのおまじないを唱えて、私の6歳も下の弟を授かったんですよ。本当に気休めにしかならないかもしれませんが、そのおまじないを唱えさせて頂いても宜しいでしょうか」
微笑んで頷くアイリスのお腹にそっと手を当てると、トリニティは目を閉じた。
精霊さん精霊さん
赤ちゃんを連れてきて 遠い国から連れてきて
遠い国から来たならば 母さまの所へ行きましょう
赤ちゃん赤ちゃん出ておいで
父さまと母さまが待ってるよ
あなたに会えるのを みんなが待ってるよ
自分を見下ろす宝石のような瞳に涙がにじむのを見上げながら、トリニティは静かに微笑んだ。
アイリス王太子妃との拝謁が終わり、トリニティは王宮の中を急ぎ足で歩いていた。アイリスに聞いた王宮内で持ち切りの根も葉もない噂が恥ずかしかったので、なるべく誰にも会わない内に戻りたかったのだ。
顔を伏せながら誰かの横を通り過ぎた時「お待ちなさい」と冷たい声がして、トリニティは驚いて立ち止まった。振り返ると、濃紺の豪華なドレスに身を包んだ女性がじっと自分を見つめて立っている。銀色の真っ直ぐな長い髪とバラの花びらのような魅力的な唇。ドレスと同じ濃い青の瞳が何故かとても冷たくトリニティを射貫いていた。
それがこの国の王女シェーンメアだと気付くのに時間は掛からなかった。慌ててカーテシーをし、挨拶を述べる。その間も王女は顎を上げ、トリニティを見下したように見ていた。
「この私に挨拶もなく通り過ぎようだなんて、大公家と婚約の話が出ただけで随分と人は尊大になるものね」
厳しい非難の言葉にトリニティは自分の考えのなさを恥じた。誰に会うか分からないこの場所で注意を怠っていた。
「も、申し訳ありません」
顔を上げずに俯いたまま壁際に控えていると、靴音を響かせて王女が近付いて来た。
「顔を上げて、私を見て」
「え?は、はい」
近くで見ると、その美しさは更に際立って見える。銀糸の輝く髪は、まるで月の雫を集めたように輝いている。その白い肌の中に浮かぶ海のように深い青の瞳は見る者を魅了し、バラの唇から出た言の葉は人を惑わせるだろう。
さすがレオンハルトのいとこ姫だけはあるとトリニティは思った。アイリスが妖精なら彼女は女神とも言えるだろう。確か年齢はトリニティの2つ上の19歳だったはずだ。
王女は自分の美しさにトリニティが圧倒されているのを見て取ると、まるで相手を値踏みするように目を細めた。
「あなた、本当に大公家があなたを望んで婚姻を申し入れたとでも思っているの?本気でそう思っているのだとしたら、随分とおめでたい人ね」
一瞬で心の中に大きな棘が刺さったように感じて、トリニティは小さく唇を震わせた。
「あなたもご存じよね、私とレオンの事。私が幼い頃からずっとレオンは私の側に居てくれたし、成人してからはお互い心を寄せ合う関係なの。今も昔もこれから先もずうっとね」
確かにレオンハルトとシェーンメア王女との間に、そんな噂がある事は知っていた。今までお茶会に参加した事のない彼も王女の開いたお茶会には必ず顔を出すとか、時には王女の居室に足繁く通っているとか・・・。だが王宮は根拠のない噂がいつも囁かれている場所だ。レオンハルトの両親に会ってそんな噂は皆が面白おかしく言っている空言だと思えたし、もし本当に王女の言う通りならば、何の障害もない彼等はとうの昔に結ばれているはずだ。
だがレオンハルトと一度も話をした事のないトリニティは、反論する言葉を持っていなかった。
「それにあなた、まだ実際には彼と婚約さえ結んでいないのでしょう?それなのにアイリスお義姉様にまで手間を掛けさせるなんて、随分傲慢なのね」
トリニティは何も言えず、震える手を握りしめて只じっとその場に立ち尽くすしか出来なかった。そんな彼女の俯いた顔をのぞき込むと、王女はその美しいバラ色の唇を歪めて笑った。
「大公家から婚約を打診された位でいい気にならないでね。私とレオンの間に、あなたのような粗末な女が割り込める隙はないの。立場をわきまえなさい」
ドレスを翻して去って行くその背中を見る事も出来ず、トリニティは力が抜けたように俯いたまま唇を噛みしめた。
生気が抜けたようになって、トリニティは大公家の馬車に乗って帰路についた。王女の言葉が頭をグルグルと駆け巡る度、胸の中がぐちゃぐちゃになるほど苦しくなる。この一週間の間、必死に努力してきた全てが崩れ去って、地面に転がっている何の価値もない石ころになってしまった気がした。毎日緊張が続く、そんな慣れない生活の中でも頑張っていたその気概の糸が一気に切れてしまい、何もかもが空しく感じられる。
心の空虚を埋める手段が分からなくて、もう二度と簡単に泣いたりしないと思って居たのに、瞳からぽろぽろと留めなく涙がこぼれた。
もう駄目・・・私、耐えられない。
そう思った瞬間、トリニティは馬車の窓を開けて叫んで居た。
「お願い、アーガード伯爵家へ向かって!」




