14.実家に戻ったトリニティ
大公家に戻って来たレオンハルトは直ぐにトリニティの姿を探した。もう王宮から戻っているだろう。今日こそちゃんとトリニティと向き合うとレオンハルトは心に決めていた。今まで放って置いた事を謝って、それから正式に婚約者になれた事を話そう。共に夕食を食べて、その後も一緒に過ごそう。今まで一緒に居られなかった分、一杯2人で過ごすんだ。
そう思ったが、トリニティはまだ戻って来ていないと執事長から報告を受けた。もしや何かあったのか?と思い不安になったが、彼女の護衛をしていた護衛長のルート・ハーグリッドがレオンハルトの姿を見て急ぎ足でやって来た。彼もレオンハルトを探していたようだ。
ルートの報告によると王宮からの帰り道、急にトリニティが実家に向かうように言ってそのままアーガード家に戻ってしまったらしい。ルートはとりあえず伯爵家までの護衛を他の4人に任せ、自分だけその事を知らせに馬を走らせ大公家に戻って来たのだ。
ここでの生活がとうとう耐えられなくなって実家に戻ってしまったのだろうか。だが、たかだか一週間で彼女が今までの努力を無駄にして諦めてしまうとは考えられなかった。だとすれば・・・。
「今日、王宮で何かあったのか?」
「詳しい事は分かりかねますが、ただ一つ気になる事が」
「なんだ」
「王女殿下がトリニティ様に接触されたようです」
シェーンメアの話題にレオンハルトは思わず指先を震わせた。
“ シェーンメア王女・・・! ”
唇を噛みしめ冷たくなった指先を握りしめる。奥歯をぎゅっと噛みしめると、レオンハルトは足早に出口に向かった。
「閣下」
その歩く速さに遅れること無く後ろに付いてきた侍従が声を掛ける。無視して歩き続けるレオンハルトにプリンテュクスは諦めずに話しかけた。
「どうなさるおつもりですか?」
「決まっている。トリニティを迎えに行く」
「それはやめた方が宜しいでしょう」
はっきりと否定され、レオンハルトは思わず足を止め振り返った。
「何故止める」
「今トリニティ様はレオンハルト様に不信感を抱いておられます。そんな状態であなたが行っても素直に言い訳を聞いて下さるとは思えません。しかし本日お会いしたアーガード夫妻はレオンハルト様を信頼され心を許されておられます。きっとトリニティ様を旨く説得して下さるでしょう。今日の所は、こちらの事は気にせずゆっくりと実家で過ごすようにとだけ伝えるのが宜しいかと。それでトリニティ様はきっと元気を取り戻し、帰って来て下さるはずです」
レオンハルトはたまらないように頭をかきむしった後、小さくため息を付いた。悔しいが、侍従の言う事は間違っていない。これはずっと彼女と向き合おうとしなかった自分への罰だ。やっと結ばれた婚約を破棄されても文句は言えない。
トリニティ、許してくれ。君の両親や弟に、二度と君を泣かさないと約束したのに、俺は・・・。
実家に戻って来たトリニティは馬車から降りると、ドレスの裾を掴んで走り出した。今はもう大公家の全てから逃れたかった。家の廊下を走り抜けて家族が居るであろうリビングの扉を勢いよく開いた。夕食後のお茶を楽しんでいたであろう、両親と弟が驚いたように自分を見ている。
そのまま走ってトリニティは母の胸に抱きついた。急に泣き始めた娘にセシルは戸惑ったように夫を見つめトリニティを抱きしめた。
「どうしたの?トリニティ。何かあったの?」
問われてもトリニティは首を横に振るばかりだ。
「姉さま、もしかして大公様に何か言われたのですか?」
弟の問いにも大きく首を振った。
「違うの。私が弱いから・・・何も出来なくて、逃げてきたの」
戸惑ったように娘を見つめているアルタスに侍女がそっと来客を告げた。
玄関ホールに出てみると、いつもレオンハルトの後ろに影の様に控えている侍従が一人たたずんでいる。彼はアルタスを見ると恭しく頭を下げた。
「申し訳ありません。私どもの配慮が足りず、トリニティ様に辛い思いをさせてしまったようです」
「一体何があったのですか?」
「大公妃教育は王太子妃教育に匹敵するそれは厳しいものです。慣れない場所での暮らしと毎日の厳たる授業にきっと心がついて行かなかったのでしょう。トリニティ様を責任を持ってお預かりしたというのに誠に申し訳ありません」
プリンテュクスは深々と頭を下げた。
「そうなのですか。こちらも何もかも大公家にお任せしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いえ、全て責任は当家にあります。大公も申し訳なかったと心から反省しております。どうかトリニティ様のお話しに耳を傾け、今までの努力を労って差し上げてください」
「かしこまりました。しかし明後日は国王陛下に婚約の報告に伺うはずでは」
「それは我が主が何とかいたします。トリニティ様のお心が落ち着かれるまでは、王宮に行く必要もありません。どうか大公家の事は気にせず、ゆっくりとこちらでお過ごしになって下さいとお伝え下さい」
それから5日、トリニティは実家から一度も出ずに過ごした。両親はとにかく優しく心からいたわってくれる。この5日間、毎日レオンハルトから花束が届いた。それには必ずメッセージが付いていて、トリニティの健康を気遣った言葉や今までのトリニティの努力や苦労に対しての感謝が綴られていた。
それを読む度、彼は本当に優しい人なのだと思えた。両親からも誠意のある人だと聞いている。
ただ、大公家に戻ろうという気がどうしても起きなかった。別に勉強が嫌な訳ではない。だがあの王宮を訪れた日、シェーンメア王女が言った言葉が頭から消えなかった。もし彼女の言う通り何らかの理由があって思い合っている2人が結婚できなかったのであれば、確かに自分という存在は彼等にとって害悪でしかないだろう。そう考えると、どうしても戻る事が出来なかったのだ。
今日も午後一番に花束が届けられた。何故か侍女ではなく、いつも父がその花束を持って来てくれる。今日の花は紫のアネモネ。花言葉は『あなたを信じて待つ』だ。レオンハルトの瞳と同じ綺麗な紫はあの婚約破棄のあった夜、心配そうに私を見ていた彼を思い起こさせる。
トリニティはそっと胸に花束を抱きしめると、父に尋ねた。
「これを持って来られた方はもう帰られましたか?せめてお礼だけでも大公様にお伝え頂きたいのです」
アルタスは少し瞳を揺らせた後、少々困ったように微笑んだ。
「それを持って来られたのは大公様ご自身だよ。トリニティには言わないでくれと頼まれたが。毎日馬に乗ってお一人でお越しになられるんだ」
それを聞いてトリニティはびっくりした。そんな・・・。わざわざ大公様ご自身がお一人で?
「大公様は?もうお帰りになられたのですか?」
「もう帰られたが、いつも帰り際にシャメールの森を散歩されるそうだ。お前が小さい頃よく遊びに行っていた森だとご存知だったようだね」
トリニティはすぐさま部屋を飛び出した。




