15.本当の心
どうしてあの方はいつも遠慮がちに遠くから私を見ているのかしら。どうして近寄って一言お心を伝えて下さらないのかしら。
私は・・・。
屋敷を出て、明るい午後の日差しが降り注ぐ道を森へ向かって走る。
私は知りたい。あなたの瞳が何を映しているのか。あなたの本当の心が何処に在るのか。私の事を本当はどう思っているのか。
森の中、時折聞こえてくる鳥のさえずりを聞きながら木漏れ日が差す道を行く。幼い頃の遊び場、大好きな場所、精霊の森。
ここでプリンテュクスと出会った。精霊が会わせてくれた大切な思い出の中に生きる友達と・・・。
もう一度会わせてくれるだろうか。私が今一番会いたい人に。私を信じて待つという言葉を贈ってくれた、あの人に・・・。
木々の隙間から差し込む冬の終わりを告げる日差しの中、その人はまるで光に祝福されているようにたたずんでいた。真っ白な馬と対になるように黒髪が風に優しく揺れ、木漏れ日に目を細めている。その姿はまるでこの森に何百年も前から生きているとされる精霊が具象化したように幻想的に、そして神々しくトリニティの目に映った。
ふと何かの気配に気付いて顔を上げたレオンハルトは、少し離れた場所でじっとこちらを見つめて立つトリニティを驚いたように見つめた。
「トリニティ、どうして・・・」
「私は・・・あなたの本当の心が知りたいです。私の事を本当はどう思っているのか。私があなたのお側に居てもいいのか。私は本当の事が知りたいです」
彼女の言葉に彼はゆっくりとトリニティに近付いた。その手を取ろうとしたが、ためらって遠慮がちに指先だけを握りしめた。
「俺にとってあなたは大切な人だ。大切すぎて触れる事もためらわれる程に・・・。ただ遠くからあなたを見守っているだけでいいと思って居たのに、欲を出して触れられる距離に居たいと思ってしまった。あなたに嫌われるかも知れないと分かっていて・・・。俺は武骨者で無配慮でこれからもあなたに呆れられるような事が一杯あるかもしれない。それでも・・・俺の側に居てくれますか?」
ああ、この人は・・・。
つながれた手のぬくもりと言葉は、彼の誠実さを物語っている。この人を知ろうとしなかったのは私の方かもしれない。世間で言われているように、この人が余りにも完璧すぎて近寄りがたい人だと勝手に思い込んで距離を作っていた。この人はこんなにも、ひたむきで真っ直ぐで、そして可愛らしい人だったのに・・・。
「私は周りの人にいつも華やかさがないとか、地味とか言われます。そんな私があなたの横に居てもいいのかと・・・」
「地味?誰がそんな事を?さっきそこに立っていたあなたは余りにも美しくて、森の妖精が目の前に降り立ったのだと思ってびっくりしたのに。物事の本質を見抜けないような腐った目しか持たない奴らなど放って置けばいい。あなたはいつだって俺にとっての太陽なんだから」
レオンハルトの言葉にトリニティは感謝で胸が一杯になった。カールロイにずっと蔑まれ、自信を失っていた私にそんな温かい言葉を掛けて下さるなんて。
あなたこそ、あなたの存在全てが、私にとって光です。大公様。
トリニティは微笑んでレオンハルトの手を握り返すと、背の高い彼を見上げた。
「お側に居ます。あなたが望んで下さるのなら。これからもずっと」
そうして彼等はアーガード家の屋敷に戻って成り行きを説明し、このまま大公家に帰ると伝えた。両親はホッとしたように微笑んでくれたが、ルイは“ もう二度とこんな事がないようにしてね、義兄さま ”と言わんばかりの顔でレオンハルトを見ていて、彼は少し気まずそうだった。
大公家に戻ってからのトリニティは休んでいた間の勉強の遅れを取り戻さなければならない為、益々忙しそうだったが、レオンハルトが俺と共に過ごす時間が減るとばかりに「無理は絶対にさせるな」と教師陣に圧力を掛けたので、少し余裕を持って過ごせるようになった。
朝昼晩の食事時だけでなく、トリニティが自室や蔵書室で勉強していると、レオンハルトが仕事中にも関わらず直ぐ抜け出して彼女に会いに行こうとするので、辟易した家令がレオンハルトの執務室に机を持ち込み、そこで勉強して頂けますようにとトリニティに願い出た。
トリニティが来てからずっと元いた騎士団に入り浸っていたレオンハルトが、人が変わったようにトリニティと共に居て幸せそうにニヤニヤしているのを、屋敷の使用人達は皆微笑ましく眺めている。
「今日も締まりのない顔をされてますなぁ」
「あの剣の腕を鍛える事しか頭になかった坊ちゃま・・・いや旦那様がねぇ」
「私も夫に不満がある時は家出しようかしら」
今日も使用人達が集まると主とその婚約者の話題で持ち切りだ。中でも一番喜んだのは専属侍女のロザリーだろう。何年もの間、家族にも言えずずっと辛い思いをしているトリニティを一番近くで見ていたのは彼女だ。
「結婚式までにはお嬢様をもっと美しくしてみせるわ!」
今日もロザリーは美容の腕を磨いている。
ティーテーブルを囲んでのお茶の時間は、レオンハルトにとって一日の内で一番幸せな時間だ。勉強を頑張っているトリニティも可愛いが、目の前に居てホッとした様にお茶を飲んでいるトリニティも見ていて癒やされる。
頬杖を突いて自分の顔を嬉しそうに眺めているレオンハルトを見て、トリニティは不思議そうに首をかしげた。
「大公様、どうかなさいましたか?紅茶が冷めてしまいますよ」
「うん。いや、トリニティが可愛いから見てて飽きないなと思って」
「え・・・?」
真っ赤になって頬を押さえ、トリニティは首を振った。
「そ、そんな可愛いだなんて、た、大公様こそ、いつも凜々しくてお美しくて、それからそれから・・・」
「トリニティ、いつまで俺を大公様と呼ぶんだい?名前で呼んで欲しいんだが」
“ はあぁ、やっと言ったよ ”
後ろに控えるプリンテュクスは小さく右手の拳を握りしめた。9年間裏で色々画策してきたが、やっと少しずつ前進してきた。
言ったのはいいが、どうしていつも席が対面なんだ。そういう台詞は隣に座って手を握りながら甘く囁くべきだろう。
「そ、そ、そうですね。では次からはレオンハルト様とお名前を呼ばせて頂きます」
「そうじゃなくて、えーと、レオンと愛称を呼んで欲しい・・・」
「え?」
余りに小さい声でもごもご言っているレオンハルトの言葉が聞き取れなかったのか、トリニティが聞き返した時、執事長のケインズが入室してきて「王宮からです」と言って白い封筒を差し出した。何となくレオンハルトには手紙の内容が分かっているのか、不服そうに封を開け中の手紙を読んだ後、「全く・・・」と呟いた。
「何かあったのですか?」
自分が立ち入るべきではないと思ったが、トリニティは不安になり聞いてみた。
「叔父君・・・国王陛下が早く婚約者の顔を見せろとうるさいんだ。この間俺一人で挨拶に行ったのが不満だったようだな。どうせその内夜会とかで会うんだから、その時でいいだろうに」
そう言えばこの間実家に帰っていて大切な国王陛下との謁見をすっぽかしてしまった事を思い出し、トリニティは背筋が凍り付いた。
私ったら何て事をしてしまったのかしら。不敬にも程があるわ。もしかしてレオンハルト様にもおとがめがあるかも。どうしよう、そんな事になったら。
真っ青になって震えているトリニティに気付いて、プリンテュクスが声をかけた。
「トリニティ様、どうかご安心下さい。国王陛下は幼い頃からレオンハルト様の事を特に可愛がっておられて、可愛い甥っ子の婚約者を早く見たいだけなのです。そうですよね、レオンハルト様」
「陛下だけでなく王妃様もだがな。しかし気にしなくてもいい。トリニティがもっとこちらの生活に慣れてから連れて行くと言ってある。その辺は話の分かる方達だから、催促はしても無理強いはされないだろう」
「いいえ、そういう事なら私はもう大丈夫です。皆様のご都合が宜しければ直ぐにでもご挨拶に参りますわ」
「しかし・・・」
又王宮に行ってトリニティが泣いて実家に帰るような事になったらと思うと気が気ではない。出来ればレオンハルトはもう少し先までトリニティを王宮に連れて行きたくはなかった。
「無理はしなくていいんだぞ」
「いいえ、無理などしていません。それに・・・」
トリニティは真っ赤になって俯くと上目遣いにレオンハルトを見た。
「レオン様がずっと私を守って下さるから大丈夫です」
「レ・・・レオ、ぶふぅっ!」
“ 危ない危ない。今回は量が多そうだから2枚重ねにしてたのでちょっとタイミングがずれそうだった。トリニティの上目遣い、破壊力あるもんな ”
プリンテュクスの素早い対応により、ティータイムに鼻血の雨が舞うという惨事は免れた。




