8.突然届いた釣書
トリニティを乗せた馬車の後ろ姿が見えなくなるまで、ずっとレオンハルトは立ち尽くしていた。
“ あーあ、何て顔してるんだろうね、この男は。寂しいなら無理なんかしなきゃいいのに ”
彼の斜め後ろに立ったジャンは思った。いや、それはジャンの姿をしているがジャンではなかった。先ほどプリンテュクスを森へ帰した時、後ろを振り返らず森の中へ消えていったのは、もはやプリンテュクスではなかった。プリンテュクスが身体の中から抜けた、ただの鹿だ。その時プリンテュクスは直ぐ近くに居たジャンに乗り移っていた。これから先の事を考えれば、彼が一番動きやすいと思ったからだ。
“ 心配しなくていいよ、リニ。これからもボクが君を見守ってあげるから。仕方が無いからこの男にも君の事を教えてやろうかな。ボクもまあまあこのヘタレ大公子の事を気に入ってるしね ”
それから9年間、ボクはあの時誓った通りずっと君を見守ってきた。そして今日、やっとこの日を迎えたんだ。
パーティを終えて自室に戻ってきたレオンハルトに「お疲れ様でした」とプリンテュクスは声を掛けた。彼はいつもより更に憮然とした表情で侍従に上着を渡す。
「パーティは無事に済みましたか?」
「あんな小物が騒いだ程度、何の影響もない。それよりリニ・・・トリニティは?」
「かなり泣いておられましたが、馬車を降りた時は少しスッキリとされた様に見受けられました。あんなクズの事はさっさと忘れて、新しい幸せを掴んで頂きたいものです」
「そうだな・・・」
「そうだな?」
プリンテュクスは主の言葉を反復すると、背の高いレオンハルトの顔を下からのぞき込んだ。
「まるで人ごとでございますね。トリニティ様を他の誰かが幸せにすればいいとお考えで?宜しいですか?トリニティ様はあのクズ令息のせいで公衆の面前で婚約破棄をされ、その経歴に傷を付けられたのですよ。これから新たに婚約者を探そうにも一度そんな傷を付けられてしまっては、ろくでもない相手しか釣書が届かない可能性が『大!』なのです、宜しいのですか?若い女好きの変態ヒヒじじいとか、子だくさんの後妻や最悪爵位目当ての金しか取り柄のない平民の商人でも!」
「それは・・・良くないが、俺だって10歳も年上だし・・・」
「年上が何ですか!王太子殿下に子供が出来ないのを理由にずっと婚約を拒んできたのは、トリニティ様の事がずっと気になっていたからでしょう。何ですか、目の上のたんこぶ過ぎるクズ婚約者が消えたこのチャンスを生かさないなんて『完璧閣下』の名が廃れますよ。貴方様は『この国のほとんど全ての女をその瞳で射殺せる男』と称されているのです。自信を持って下さい!」
「なんだ、その殺人鬼のようなあだ名は」
「誤魔化さないで下さい。トリニティ様を好きなんですか?好きじゃないんですか?結婚したいのですか?したくないんですか?どっちなんです!!」
悪魔のような形相で睨み上げられ、レオンハルトは観念したように俯いた。
「す・・・好きだ。結婚したい」
蚊の鳴くような声で答えたレオンハルトは、顔だけでなく耳まで真っ赤だった。
「了解しました。そうおっしゃって下さると思って、すでにアーガード家に釣書は送ってございます。明日の朝にでも届くでしょう」
「い・・・い・・・」
「いつの間に?でございますか?全ては想定内でございます。さっ、私は明日旅立たれる大旦那様方の支度をして参りますので、閣下も早くお休み下さい」
そう言ってさっさと去って行く侍従の背中を見ながら、レオンハルトは「はぁっ」と小さくため息を付いた。
「セシルセシルセシル────ッッ!!」
朝トリニティが目を覚ますと、何だか1階が騒がしい。全くお父様ったらいつもお母様にべったりなんだから。いくらお母様の事が大好きでも、朝っぱらからあんな大声でお母様を呼ばなくても・・・。
昨夜パーティ会場で婚約破棄の一件を聞いて、慌てて戻って来た父と母に今までの全ての出来事を話した。
母は「こんなにも長い間耐えていたなんて。何も知らなくてごめんなさいね」と言って涙ながらに抱きしめてくれ、いつも温厚な父でさえ「エセルスト侯爵には目玉が飛び出るほどの違約金を請求してやる!」と黒い炎を出して怒り狂っていた。そして寝ぼけ眼をこすっていた弟は「大丈夫だよ、姉さま。これから出来うる限りの罠を仕掛けて、僕が成人するまでには侯爵家を没落に追い込んであげるからね」と怖い事を言ってにっこり微笑んだ。
まだ胸が少し痛いが、もう大丈夫。いつか伯爵家を継ぐ可愛い弟の為、お父様お母様の為、領民の為にも元気を出して頑張らなくては。
専属侍女のロザリーに着替えを手伝ってもらって階下に降り、両親が居るであろう家族用のリビングに顔を出した。
「お父様、お母様、お早うござ・・・」
朝の挨拶をしようとしたが、父と母がものすごい形相で振り返ったので、びっくりして言葉が止まってしまった。いつも冷静沈着な執事のサムソンも固まったように大口を開けている。
「み、みんなどうしたの?何か・・・」
「と、トリニティ、大変だ」
大変?昨日の婚約破棄騒動以上に大変な事なんてあるのかしら。
「た、た、た、大公家から・・・釣書が届いた!」
「釣書?それは誰に?」
「リニに決まっているだろう?迎えをよこすから直ぐに大公家へ来て欲しいそうだ」
いや、どう考えてもおかしい。大公様とは話をした事もないし、第一婚約破棄された昨日の今日でそんなに早く釣書が届くのも手際が良すぎる。
「あの、まさかとは思いますが、お相手をお間違えでは。宛名は合っています?」
「ちゃんとトリニティ・アーガード伯爵令嬢と書いてある」
もしかして昨夜の私が余りにも可哀想だったから同情してこんな物を送って下さったのかしら。でも同情で大公様がご結婚なんて有り得ないわね。それに婚約破棄された傷物の伯爵令嬢とあの完璧すぎる大公様なんて横に並ぶのもおこがましすぎるわ。
「あなた!いくら何でもトリニティに大公妃なんて荷が重すぎます!この子が又不幸になるのを見過ごす事なんて出来ないわぁ!」
母が叫ぶ。
「無理だぁぁぁっ!大公閣下は王太子に次いで第2王位継承者だ。断ったりしたら我が家が潰れかねんー!」
父はパニックになっている。
「お父様お母様、落ち着いて下さい。きっと何かの間違いです。お相手の名前が私によく似た名の公爵令嬢とか。きっとそうですわ。とにかく大公家に確認を取って・・・」
トリニティが話している間に、開いているドアの向こうから慌てた様子でハウスメイドの一人が飛び込んできた。
「た、大変です!」
また?これ以上大変な事ってあるの?
「大公家から迎えの馬車が来ておりますぅー!」
“ え・・・・・・ ”
全員一斉に真っ白になっていると、眠そうにあくびをしながら弟のルイが部屋に入ってきた。
「なんだぁ、そんなに早く会いたいなんて、大公様、リニ姉さまの事が大好きなんだね」
そんな事あるわけないと思ったが、その言葉で覚醒したのは母のセシルだった。
「と、とにかく大公閣下を待たせる訳にはいきません。リニ、すぐ大公家に行く用意をなさい。必要な荷物は後で届けさせます」
母の力強い言葉に、父もやっと自分を取り戻した。
「そうだな。とにかく直接会って事の真偽を確かめて来なさい。なに、もし間違いだった等と言ったら、今度は大公家に迷惑料を払ってもらう」
多分気弱なお父様にそんな事は出来ないだろうと誰もが思った。エセルスト侯爵家との事業提携においても格下だからと不利な条件を押しつけられないよう、裏で計らったのは母のセシルだった。
嘘でしょ?どうしてこんな事になったの?もしかして悪夢?昨日の悪夢が続いているの?
そんな事を思っている間に、まるで嵐のような速度で一番上等な服に着替えさせられ、トリニティは専属侍女のロザリーと共に大公家から迎えに来た馬車に乗り込んだ。




