6.精霊の思い出
トリニティが帰ったあと屋敷の中へ戻って来たレオは、いつもは無表情な侍従が何故かニヤニヤと含み笑いを漏らしているのに気が付いた。
「なんだ」
上着を渡しながら尋ねると、彼は珍しく目を細めて微笑んだ。
「レオンハルト様。いくら偽名でも“ レオ ”はないのでは?まんまではないですか」
「・・・いい名前が浮かばなかった」
「おや、8歳の子供を前に緊張を?」
いつも仕事が早いこの男は、この短時間でしっかりトリニティの事を調べたようだ。まあ俺の護衛も兼ねているから俺に近付く人間は全て調べるのだろうが。
「8歳にしては知恵の回る子だ」
あの小さな少女はあの短い会話の中ですぐ俺に何か事情があるのを察し、その上で自分の要求を通す為の交渉をしてきた。頭の回転も速いし、礼節もわきまえている。貴族からすれば取るに足らない小さな命を守る為に、己を犠牲にして努力できる人間性も優れていると言えるだろう。
「名前を隠したのは彼女の為ですね。グレゴーニュ大公の大公子の馬車を止めたとあっては、それだけで不敬ですから」
「わざとではないが、貴族社会は何かとうるさいからな。少女の未来に傷を付ける訳にはいかん」
「おや、それだけでございますか?」
「?何の話だ」
「いえ。あんな大雨の中馬車から降りて助けられ、わざわざ野生動物の世話まで買って出るなど、今までのレオンハルト様からは考えられず、もしかしてもしかするとあの幼女に懸想しているのか?まさかのロリコン・・・」
「ちがーう!!」
とんでもない事を口にする侍従に思わずレオンハルトは叫んだ。
「何を言ってるんだ、お前は!そんな訳ないだろう、馬鹿者!!」
プンプン怒りながら去って行くレオンハルトを見ながら侍従は無表情に呟いた。
「ふむ。意外にからかいがいのある方だな」
この時仕事の出来る侍従、ジャン・クリスナーはレオンハルトの一つ下の17歳。レオンハルトに仕えだしてまだ1年に満たない彼は、いつも年の割には冷静で隙の無い主人との距離を掴み兼ねていた。今回の出来事で己の主人の人間味のある所を垣間見て少し距離を縮められそうだと思った彼だったが、この後、自分の人生が少しばかり変わってしまうのをまだ知らなかった。
暗い納屋の中でボクは目を覚ました。昼間は色んな人が居たけど、今はもう誰も居ない。別に寂しくなんか無い。だってシャメールの森の中ではいつも一人だったし、今はボクが依り代にしている子鹿が怪我をして動けないからどちらにせよボクも動けない。
こうしてじっとしていると、ずっと昔の事を思い出す。シャメールの森に遊びに来ていた女の子。彼女は身体が弱く時々しか森に来られない儚そうな少女だったが、不思議な感覚を持っていた。ボクの事は見えないけれど、ボクの存在を感じる事が出来たのだ。
彼女はいつも森の中の切り株に座ってボクに色々な事を話してくれた。アーガード家の事。家族の事。そう言えばこの頃はまだアーガード家は伯爵家になって2代目位の頃だった。幼い頃から身体の弱かった彼女は婚約者もおらず、彼女自身も己の命がそんなに長くはない事を悟っていたようだった。
その予感通り、彼女はとうとう森には来られなくなった。どうしているか気になって初めて森を出て彼女の様子を見に行った。ベッドに横たわっている彼女は、いつもより更に弱っていて顔色も悪くなっていた。じっと見ていると、やっと彼女が目を開けてうっすらと微笑んだ。
「来てくれたのね・・・精霊さん」
“ ねえ、本当に死んでしまうの? ”
問いかけたが、彼女にはボクの存在を感じる事は出来ても、声を聞く事は出来なかった。だからいつものように彼女は独り言のように話し出した。
「私ね、父さまと母さまに最後のお願いをしたの。あなたの居るあの森を守ってって。私が居なくなってもずっとずっと守って欲しいって。父さまと母さまはそれがお前の最後の願いなら必ず叶えると言ってくれたの。アーガード家が続く限り、守り続けると・・・。だからね、精霊さん。あなたも私の願いを聞いて。あなたの力で私の大切な人達を守り続けると。私の周りの人達はみんな私に優しかった。父さまも母さまも兄さまも妹も。だからみんなを守って欲しいの。みんなの未来を・・・」
“ ボクにそんな力は無いよ ”
彼女にボクの返事は聞こえない。存在を感じる事が出来ても、彼女にはボクの声は届かない。それでも彼女は言った。
「分かってる。厚かましいお願いよね。でもあなたが生きて見守ってくれているだけでいいの。私はあなたの事、友達と思っていたから・・・。私をいつも見守っていたように、私の大切な人達をお願いね」
それから時を待たずに彼女は逝ってしまった。勝手に話をして、勝手に約束して、勝手に友達だと言って・・・。
それでもボクは彼女と盟約を結んだ。彼女・・・友達の願い通り、彼女の大切な人達をずっとずっと見守ってきた。
命を落としかけていた子鹿の中に逃れた時、鹿の死と同時に己の死も覚悟した。なのに鹿は助けられ、ボクも消滅を免れた。
ああ、初めて死を感じたせいで少々感傷的になっていたようだ。ボクを助けた彼女の血を受け継ぐアーガード家の末裔の少女、リニ・・・。彼女に又会えるのかな。会いたい・・・な・・・。
ゆっくりと夜が更けていく。物音一つしなかった中で、納屋の扉が開いて小さな明かりと共に誰かが入って来た。先ほどボクの看病をしてくれた若い男だ。確かリニがレオ様と呼んでいた。彼は納屋の奥に寝ているボクの側に静かに近付いてくると、しゃがんで明かりを掲げボクの様子を見た。
「いい子だ。すぐに良くなるからな、頑張るんだぞ」
そう言葉を掛けつつ、彼はボクの頭を優しくなでた。
「明日から毎日彼女が来て看病してくれるそうだ。良かったな」
微笑んだ彼は再び立ち上がって納屋を出て行った。
なんだ。あの男、どうやら良い人間のようだ。嫌な奴ならリニに近付くのを徹底的に邪魔してやるつもりだったのに・・・。とは言っても鹿の姿のボクに何が出来る訳でもないだろうけど。とにかく明日もリニが来てくれる。嬉しいな。早く、会いたいな・・・。
子鹿が眠りにつくのと同時にボクの意識も静かに沈んでいった。
レオンハルトとの約束通り、それから毎日トリニティは別荘を訪れた。鹿の包帯を交換するのは馬の世話をし慣れている馬丁がやってくれるので、トリニティは主に鹿の餌係だ。あと納屋の清掃はレオも一緒にやってくれた。
お茶の時間にはマルサが香り高い紅茶や滅多に食べられないような高級そうなお菓子を持って来てくれ、庭の片隅でレオと共に味わった。トリニティは鹿にプリンテュクスという名前を付けた。いつか野生に戻すのなら名前は付けない方がいいと馬丁のハンスに言われたが、すでにトリニティは子鹿に強い愛情を感じていた。
2週間が経つ頃、当初足を引きずっていた子鹿もすっかり完治し、庭でトリニティと遊ぶようになった。顔をなめたり常に彼女の側から離れない様子は、鹿と言うより犬のようだと別荘で働く者達は皆驚いた。
「普通、野生の動物は人間にゃ懐かないんだがなぁ。プリンはすっかり嬢ちゃんの犬だな」
笑顔でトリニティとプリンテュクスを見ているマルサやトリニティの侍女の隣でハンスが呟いた。そんな様子を別荘の2階の窓からレオンハルトは見ていたが、暗い表情でため息を付いた。
「プリンテュクスをどうするか、悩んでおられるのですか?」
ジャンが後ろから声を掛けた。
「いくらトリニティが望んでもアーガード家で鹿を飼うなど許してはもらえまい。どこか餌の豊富な森に帰すのが一番だが・・・」
「トリニティ様が納得されないかもと?」
「いや、あの子は聡い子だ。言い聞かせれば我が儘を押し通す事はない。だが、だからこそ心に傷を残すだろう」
「トリニティ様の事を心配されて居るのですね」
そう言った後、ジャンは横を向いてぽつりと呟いた。
「やっぱロリコン・・・」
「だから違うわぁっ!!」
叫んだレオンハルトに微笑みかけた後、ジャンは同情深く主を見上げた。
「それでも、そろそろ話さなければなりません。大公様からも早く戻るよう催促が来ております」
「実務がたまっているのだろう。仕事嫌いの父上が頭をかきむしって叫んでいる姿が目に浮かぶ」
「もうご身分を明かされては?鹿を手放した後、側に居て慰めてあげれば良いのです」
「それこそロリコンだろう。何より彼女にはすでに婚約者も居る。10歳も年上の男が周りをうろつくべきじゃない」
とはいえ、レオンハルト自身もここでの日々が終わってしまう事に、一抹の寂しさを感じない訳ではなかった。この2週間はレオンハルトにとっても自分を取り巻く様々な煩わしい事情を一時でも忘れられた心安まる日々だった。毎日行っていた剣の鍛錬でさえ、トリニティが来る前に全て終わらせていた程だ。
「そう言えば近衛師団の方からも、是非力を貸して欲しいと何度も申し入れが来ております」
「いきなり副団長など、皆が納得するまい」
「では実力で黙らせれば良いのです。全員と総当たり戦で試合をしてみれば?」
「1,500人とか?面倒だな」
「あなた様なら一日もあれば充分でしょう。どうせいつか大公家を継ぐまでの話でしょうし」
そう言いつつジャンも窓から下の様子を見つめ、瞳を陰らせた。
「でも今はトリニティ様ですね」
「ああ、そうだな」
庭でプリンテュクスと遊んでいたトリニティは 屋敷の出入り口からレオが出て来た事に気付くと、急いで駆け寄った。




