26.救出
“ あーあ。やってるな、こりゃ ”
ならず者達の本拠地である酒場にジャンが到着すると、すでにあちこちに男達が倒れてうめき声を上げている。どうやら少しは理性が残っていたらしい。良かった。全員血祭りにあげてなくて・・・。
累々と男達が転がっている中を進んでいくと、トリニティの名を叫びながら悪漢をなぎ倒している男の背中が見えた。ジャンは思いきり息を吸うと、今まで出した事のないような大声を張り上げた。
「閣下!レオンハルト・グレゴーニュ大公閣下!!」
ビクッと身体を揺らして立ち止まると、ゆっくりとレオンハルトは振り返った。魔物のような形相で。
“ うーん。本当に我を忘れて魔神化してるよ ”
これは側に寄らない方が良さそうだ。
「トリニティ様を発見しました!」
見開いた目に、やっと人間らしい光が戻った。
「どこだ?」
「セリア地区です。ご案内いたします」
私兵と共に馬に乗って走り出したジャンはプリンテュクスの気配を感じた。どうやら戻って来たらしい。直ぐに向かうべき場所がセリア地区のどこか把握できた。
「敵は近い。飛ばすぞ!」
憎しみの目でトリニティを見ていたシェーンメアは、ふと思い出したようにもう一度トリニティの側まで歩み寄った。そう。私がわざわざ生かしてこの女をここへ連れて来させたのは、どうしてもこの女から聞きたい言葉があるからなのよ。お前の愛など何の力も持たないのだと思い知らせてやるわ。
「ねえ、トリニティ。もう諦めてはどう?一言レオンの事は何とも思っていない。ただ大公妃になりたかっただけだ。そう言えば助けてあげてもいいのよ。あなただって命は惜しいでしょう?命を賭けて守らなきゃならないプライド等ないでしょう」
プライド・・・。この人の行動は全て自分のプライドを守る為のものなのか・・・。
ただ自分の自尊心を満たす為だけに、この人はレオン様を縛り付けて自分のものにしようとしている。それがどれだけ独善的でも、それがこの人の正義なのだ。
「あなたはただ、美しい自分の隣に立つのはレオン様しかいないと信じているのね。それがあなたの必然なのね」
「ええ、そうよ。だからあなたのような平凡な女にはレオンは似合わないの。理解した?」
このまま王女に身の程知らずだったと謝って彼を諦めると言えば、命は助かるかも知れない。そして何もかも忘れて何事もなかったように生きていけばいい。でも・・・・。
そう考えただけで、ずっと堪えていた涙が溢れてくる。
私には無理だ。生きている限り忘れる事なんて出来ない。あの人の事を・・・。共に過ごした優しいひとときを。彼が与えてくれた、たくさんの言葉と光のような時間を。私は・・・。
溢れる涙を拭う事もせず、トリニティは俯いたまま小さく微笑んだ。
「嫌です」
「何ですって?」
顔を上げて目の前で自分を蔑む人間を見つめる。
「私はレオン様を諦めない。ずっとずっとあの方を思い続ける。私を殺せても、あなたにはこの心を奪う事は出来ないわ」
唇を小刻みに震わせると、シェーンメアは瞳を細めた。
「そう、分かったわ」
つかつかと入り口付近に居るならず者の男に近付くと、その男が握っている短剣を鞘から引き抜いた。
「ドレスが汚れるから始末は他人に任せようと思っていたけど、駄目ね。私に・・・この私に逆らうような不要なモノは、私自身が手を下すべきなのよ」
短剣を持って近付いてくる女は、もはや人とは形容できない形相をしていた。それでもトリニティは目を逸らさず唇を噛みしめ恐怖を堪えた。
鈍く光る切っ先が目の前に迫る。
「消えろ!目障りな虫め・・・!!」
急にドアの外から人の争う声や音が響いてきて、シェーンメアは思わず手を止め後ろを振り返った。ドアの付近に居たならず者2人も何事かと思いドアを開けた。その瞬間まるで爆発でも起こったように2人の男達は部屋の中へ投げ飛ばされた。入り口には怒りに燃えた目のレオンハルトが剣を持って立っていた。
「リニ!」
トリニティの前にしゃがんでいたシェーンメアは驚きの余り短剣を落とし、よろめくように立ち上がった。トリニティの側に駆け寄ったレオンハルトは、赤く腫れ上がったトリニティの頬に手をやって「何と言う事を・・・」と呟いた。
「シェーンメアァッ!!」
怒りの咆哮が室内に響き渡ると、彼女は両手を震わせながら首を振った。
「ちが・・・違うのよ、レオン。これは・・・私は何も知らないわ。何も」
近付こうとしたシェーンメアを兵達が両脇から押さえつけ跪かせた。その間にレオンハルトはトリニティの縄を切り、彼女を抱き上げた。
「何をするの、お前達!無礼であろう。私は王女であるぞ!」
叫ぶシェーンメアにレオンハルトは侮蔑の目を向けた。
「もはやお前はこの国の王女ではない。恥を知るがいい」
「違うのよ、レオン。違うの。誤解なのよ。私は何もしていない。何も知らないの。ねえ、あなたは私の従兄弟でしょう?ずっと私を愛してくれてたじゃない。そうでしょう?」
必死に追い縋るシェーンメアに、レオンハルトは最後の言葉を投げた。
「愛しているのはトリニティだけだ。お前の事を思った事など僅少もない」
そのままレオンハルトはトリニティを抱いて店の中を歩き出した。
「レオン様、レオン様、レオン様!」
必死に張っていた虚勢の糸が切れたように、トリニティはレオンハルトの首に抱きついて泣き始めた。
「トリニティ、怖かっただろう。すまない。俺がもう少し早く迎えに行っていたら」
トリニティは首を振ると、レオンハルトを見上げた。
「大丈夫です。私、守り抜きました。レオン様への思いを。絶対に譲らなかった。どんなに脅されても私は・・・」
「トリニティ、ありがとう。良く頑張ったな」
「レオン様こそお怪我はありませんか?」
「俺に傷を負わせる者はこの王都には居ない」
「良かった」
外に出ると、ジャンが手配した馬車が止まっている。すぐに侍従が馬車のドアを開け、レオンハルトはトリニティを馬車に乗せ自分も乗り込んだ。
心配そうにトリニティの頬に手をやる。
「叩かれた時に唇を切ったのだな。すぐに手当を・・・」
侍従に応急処置用の医療具が入った箱を持って来させようと上げた手を、トリニティがそっと押さえて彼の言葉を遮った。
「レオン様。一つ聞きたい事があります」
「?どうした?」
「先ほど部屋の中に飛び込んできたレオン様は私の事を『リニ』と呼びました。その名を知っているのは家族と9年前にお会いしたあの方だけです。レオン様は何故私をリニと呼んだのですか?」
「それ・・・は」
自分が一番隠したかった過去、絶対にトリニティだけには知られたくなかった事実が露見しそうになって、レオンハルトの頭の中は真っ白になった。
どうしよう。そうしたらいいんだ?誤解される。絶対される。ずっと私を追い回していたんですね?気持ち悪い、なんて言われたら・・・。
「違うんだ、トリニティ。俺はトリニティの幸せを願っていただけで、決して付け回したりは・・・」
「やっぱり・・・やっぱりレオ様だったのですね?9年前、私とプリンテュクスを助けてくれた、レオ様だったのですね?」
「あ、あのトリニティ・・・」
もう一度言い訳しようとした言葉は、トリニティが抱きついてきた事で遮断した。
「ずっとずっと会いたかった。私をずっと見守って下さっていたのですね。私が前の婚約者に酷い目に遭っていた事も知っていて、だからあのパーティの日、私を心配して馬車を出してくれた。お義父様とお義母様に私の事をちゃんと話して下さったのも、ずっと私を見守っていてくれたからなんですね」
「トリニティ、ごめん。ちゃんと話すべきだったけど、君はもう忘れているだろうし、今更恩を売るようで」
「忘れるはずはありません。ただレオ様には事情があるようでしたし、最後に会った日、もう会ってはいけないのだろうと思って居たんです。もう会えないのに、あの楽しかった日々に縋るのが怖くて思い出さないようにしていました。それにあの頃のレオン様は髪が長くて今とは印象も違っていたし、似ているとは思ったけど、違う人だと自分に言い聞かせていました。でもやっと会えた。大好きなレオ様が大好きなレオン様で本当に良かった。私、凄く嬉しいです」
「本当に?良かった。ずっと心配していたんだ。トリニティに嫌われるんじゃないかって」
ホッとしてレオンハルトはトリニティを抱きしめた。
「嫌いになんかなりません。それにやっと愛してるって言って下さったでしょ?」
「え?俺、言ってなかったか?」
驚いてトリニティを放すと顔を見つめた。
「はい。一度も。だから少し不安だったんですよ。勿論信じていましたけど」
「そうか。それは悪かった。これからは何回でも何十回でもトリニティが飽きるまで言おう」
トリニティはふわっと花が咲くように笑うと、レオンハルトの首に抱きつき耳元で囁いた。
「じゃあ早速言って下さい。レオン様」
勿論彼は鼻血を堪えてトリニティを抱きしめ返すと、彼女の耳にそっと返した。
「愛している、トリニティ」
馬車のドアの前に立っていたプリンテュクスはやっとホッとした様に肩を落とすと、御者に屋敷へ戻るよう合図を出した。そして自分が乗ってきた馬に跨がると護衛隊長のルートに後を任せ、自分も馬車を追って走り出した。
夕刻の少し冷たくなった風が頬に心地いい。こんな感覚は人間の身体でないと味わえないものだ。そう思うと先ほどジャンの身体から出ていた時、本当に消えそうになったあの感覚を思い出しゾッとする。それはこの世界から自分の存在が消えてしまう恐怖ではなく、トリニティを助けられなかったらという恐れからだった。
でもやっと無事に彼女をレオンハルトの元へ帰す事が出来た。もう彼女を脅かす者が誰も居なくなったと信じたい。でもそうなると、もうボクはここに居る必要はなくなるんだ。
前を走る馬車の後方を見つめ、プリンテュクスは少し胸の奥が痛くなるのを感じながら小さく微笑んだ。




