25.愛の為の戦い
暗闇の中に落ちていた意識が少しずつ戻って来るようにトリニティは目を覚ました。なめした皮の匂いが充満した部屋だ。手を動かそうとしたが、両手は身体の前で縛られていて、両足も同様に自由を奪われていた。まだ意識がぼうっとしているのは、きっとあの赤い玉から出た薬を吸い込んだからだろう。自分が何故こんな目に遭っているのか分からず、ただ恐怖だけが心を支配する。
そんな中聞こえて来た靴音は重く床に響き、トリニティにある人物を思い起こさせた。ああ、そう。以前も彼女はこの抑圧的な足音を響かせて近付いてきた。自分の気に入らない者は誰でも傷つけ踏みつけていいと思っているあの人。
赤い宝石が見事な花々となって散りばめられた華麗な赤いドレスの女は、以前と同じように虫けらを見るような目でトリニティを見下ろした。
「だから何度も言ったでしょう?身の程をわきまえなさいと。やっぱり虫けらにはいくら言い聞かせても無駄なのね」
シェーンメアは赤い唇を歪めてニヤリと笑うと、恍惚とした目でトリニティの瞳を覗き見た。
「ねえ、どうして今日なのだと思う?」
問いかけの意味が分からず、トリニティは黙ったまま王女の目を見返した。
「一週間後の結婚式の方が幸せの絶頂でしょう?その日に人生の最後を迎えた方が絶望を感じるかと思ったけど・・・。でも嫌だったの。あなたが彼の為のウェディングドレスを着るなんて」
トリニティの瞳をのぞき込む濃い青の瞳は、まるで無垢な子供のように見開かれている。
ああ、この人は人を殺す事にさえ何の罪悪も感じないのだ。只自分にとって不都合な物を取り除くだけだと思っている。こんな人に何を言っても無駄だろう。そうは思っても言わずにはいられなかった。
「王女殿下。例え私を排除したとしても、レオン様の心はあなたの物にはなりません。それどころか益々離れて行くわ。レオン様は・・・」
ー バシッ!! ー
部屋の中に頬を叩く音が響いた。シェーンメアは左頬が真っ赤に腫れ上がったトリニティを目を見開いてにらみ据えた。
「お前如きがレオンの名を呼ぶでないわ!」
そう叫んだ後、シェーンメアはトリニティの指にはめられている紫の宝石の付いた指輪を見て、それを奪おうと手を掴んだ。
「渡しなさい!お前などにそれをはめる価値はないわ!」
だがトリニティは手を握りしめ、必死に抵抗した。彼女の手から指輪を守るように両手の指を膝の上に押さえつけ、王女を睨み上げる。
「例え指を全て切られても、この指輪だけは絶対に渡さない!」
それはトリニティの宣戦布告だった。例え命を奪われても私はレオン様を諦めない。奪えるものなら奪ってみるがいい。人を愛する心を、あなたのその傲慢な性根が消せるものかどうかを。
炎のように燃え立つその紅い瞳を憎しみの目で見返していたが、シェーンメアは急に冷めたような顔をして立ち上がった。
「まあいいわ。私には何の価値もないもの。そんな指輪なんか」
彼女は2、3歩離れると、もう一度トリニティを振り返った。
「そうね。死ぬのに何も持たずに行くのは寂しいもの。その指輪を抱いて眠ればいいわ。ここはね。私のお店になるの。王女が全面支援をして出す店よ。その店の下に誰かが埋まっていたとしても誰も疑わないし、掘り返す事もない。安心して静かに眠れるわ。ねえ、トリニティ。死んでもレオンの婚約者の座を守りたいの?滑稽ね」
「滑稽なのはあなたの方よ、シェーンメア。地位や名誉があればどんな罪も裁かれないとでも?例え私が死んでもあなたの罪は必ずレオン様が暴く。あなたとレオン様が結ばれる日など、決して来ないわ」
燃えるような憎しみを込めて女達は互いに睨め付け合った。
プリンテュクスが去って行った後、ジャンは直ぐに行動を起こした。元々ジャンはプリンテュクスに身体や精神を乗っ取られていたわけではないのだ。ジャンはジャンとして普通に9年間生きてきた。ただジャンの思考の中にプリンテュクスという新しい思考が加わってそれが融合したような感じで、ジャンはプリンテュクスの意志も自分の意識だと思って行動してきた。だからレオンハルトへの忠誠心がプリンテュクスの行動のあちこちに表れていたのも、そこにジャン自身が存在していたからであるし、元々ジャンは出来る侍従であった。彼は柔軟にプリンテュクスという新しい思考を受け入れ、己の意志として行動していたのだ。
だから彼は自分が今何をすべきかをすでに理解していた。ジャンは直ぐに大公家所属の護衛や兵を集め、レオンハルトの行方を捜させた。どうせ行く先々でかなりの騒ぎを起こしているだろう。
案の定、王都で一大勢力を誇っているごろつき共の胴元の所へ殴り込み、100名ほどの凶漢相手に全員を血祭りに上げたらしい。どいつもこいつも人攫いや人身売買、強盗、殺人などを生業にしている奴等ばかりなので、国も大目に見てくれるだろう。見てくれたらいいけど・・・。
「見付かったぞ!」
ルートが2人の護衛と共に戻って来た。彼等は城で発見されてからしばらくして目覚め、すぐにトリニティの捜索に乗り出していた。
「次は山賊でも退治しに行ってたか?」
「いや、最初に壊滅させた組織と敵対していた王都で2番目の悪漢の集団だ。トリニティ様の名をずっと叫んで暴れ回っているらしい」
「直ぐ向かうぞ。お前達は全員を集めて追ってこい」
セリア地区へ向かったプリンテュクスは、何とか消えずに目当ての空き家の一つに辿り着いた。しかしそこにはトリニティの姿はなく、その次へ向かう。
“ トリニティ、どこに居るんだ・・・? ”
中は薄暗く、人の気配はない。ここにも居ないのか。次へ行こうとした時、フッと思考が飛びそうになった。駄目だ。油断していたらこのまま空に溶け込んで行きそうだ。
まだ駄目だ。まだ消えるわけには行かない。トリニティを見つけるまでは・・・。
意識を奮い起こしてプリンテュクスは次の空き家へと向かった。3軒目の空き家は前の2軒とは明らかに様子が違っていた。入り口から直ぐの店舗の部分には、あちこちに新しい陳列棚や椅子が用意されている。王女は店を出す準備をしていると使者が言っていたから、間違いなくトリニティはここに居るとプリンテュクスは思った。
そのまま奥へ向かうと、たくさんの人相の悪いならずもの達がたむろしていた。
“ 近衛はもう使えないから、街のごろつきを雇ったんだな ”
そのままどんどん進むと、奥の部屋から話し声が聞こえてきた。
「だから何度も言ったでしょう?身の程をわきまえなさいと。やっぱり虫けらにはいくら言い聞かせても無駄なのね」
まるで血のような紅いドレスの女が後ろを向いて立っている。その銀色の長い髪と声で、それが王女シェーンメアなのだと分かった。
「ねえ、どうして今日なのだと思う?一週間後の結婚式の方が幸せの絶頂でしょう?その日に人生の最後を迎えた方が絶望を感じるかと思ったけど・・・。でも嫌だったの。あなたが彼の為のウェディングドレスを着るなんて」
「王女殿下。例え私を排除したとしても、レオン様の心はあなたの物にはなりません。それどころか益々離れて行くわ。レオン様は・・・」
ー バシッ!! ー
“ トリニティ・・・!! ”
激しく顔を叩く音と紅く染まった頬を見て、焦げるような怒りを感じる。駄目だ。いくら助けたくても身体のないボクには何も出来ない。早くレオンハルトに知らせなくては。
口惜しい気持ちを抱きながらプリンテュクスはそこを去った。




