24.プリンテュクスの決意
アイリスの質問攻めが一段落ついたので、トリニティはアイリスの体調を尋ねた。時々つわりがあるようだが調子はすこぶる良くて、一週間後の結婚式にも参加が出来るようだ。
「ただ一つ、困った事があるの」
「どうされたのですか?」
「もう食欲がありすぎて。これ以上食べると生んだ後に体重を減らすのに苦労するってお医者様に止められてるのだけど、やめられないのよ」
「それは困りましたね」
冗談交じりにそんな会話をしていると、侍従がやって来て頭を下げた。
「アーガード伯爵令嬢。グレゴーニュ大公様がそろそろお帰りになるとの事で、別室でお待ちになっておられます」
「あら、もうそんな時間なのね。ごめんなさい、トリニティ。忙しい時に引き留めてしまったわ」
「いえ、久しぶりに息抜きになって楽しかったです。ではアイリス様、これにて失礼させて頂きます」
「ええ。一週間後を楽しみにしているわ」
侍従について去って行くトリニティの背中を見送りながら、アイリスはふと呟いた。
「それにしても今の人・・・。王太子様の侍従にあんな人が居たかしら」
迎えに来た侍従に付いて城の中を歩く。人通りもなく随分城の奥の方まで行くようだ。こんな所まで来た事がないトリニティは少し不安を覚えた。レオンハルトならもっと城の入り口付近で待っていると思っていたのだ。
まだ奥へ行くのか確認しようとした時、前を歩く侍従が立ち止まってある部屋のドアを開いた。
「どうぞ。こちらでございます」
ホッとして礼を言ってから部屋の中へ入った。
「レオン様?」
そんなに広くはない部屋の中にはレオンハルトの姿はなく、トリニティは戸惑ったように部屋の中へ入って行った。すると足下に5cmくらいの赤い玉がいくつかコロコロと転がってきたので不思議に思ってふと足下を見た。その瞬間、玉から急に白い煙が吹き出した。
“ え・・・? ”
あっという間に白煙は周りを包み込み、何も見えなくなる。後ろに居た護衛達が慌てて部屋に飛び込んだが、辺り一面を覆う白煙に何も見えなかった。
「トリニティ様!ご無事ですか?トリニティ様!」
自分を呼ぶルートの声を聞いたのを最後に、トリニティの意識は闇へと滑り込んだ。
王太子と共にトリニティを迎えに行ったレオンハルトは、アイリスから自分の名でトリニティを呼びに来た侍従が居たと聞いて愕然とした。レオンハルトは当然自らトリニティを迎えに行くつもりだったので、誰かにそんな頼み事をした覚えはない。まさかと思って直ぐに城中を探させたがトリニティの姿は何処にもなく、城の奥にある部屋から、彼女の護衛だけが薬を嗅がされた状態で倒れているのが見付かった。
まさか、攫われたというのか?トリニティが・・・いや、そんな事より彼女は無事なのか?もしや命を・・・。
息さえ出来ないように真っ青になっているレオンハルトの肩を、キースはぎゅっと握りしめた。
「大丈夫だ。すでに王都中に兵を派遣して探させている。必ず見つかる。だから・・・」
「見つかる?見つからなかったら?あの人に何かあったら・・・俺は・・・」
一瞬目の前が真っ暗になってよろめいたレオンハルトを、キースが両腕で受け止めた。その瞬間ゾッとする気配を感じてキースは目を見開いた。
目の前の男からまるで黒い炎のような覇気が立ち上っている。およそ人とは思えないその威圧感に思わず手を放した。すうと身体を起こした彼の瞳から発する鋭い光に、心臓が縮み上がるような恐怖を感じる。
これが近衛の精鋭達をも震え上がらせる、魔獣と言われる所以か・・・。
凍り付くような表情のまま部屋を出て行くレオンハルトをキースは必死に呼び止めた。
「レオン、戻るんだ。レオンハルト!」
もう人間ではなくなってしまったような強い気を発する男を、王太子でさえもう止める事は出来なかった。
これはマズいぞ。あんな魔獣を放ってしまったら、王都に血の雨が降る。
「す、すぐに王軍の1個師団を編成するんだ。奴を止めねば!」
「レオンハルト様は近衛の精鋭1,500人をたった一人で打ち倒されたのですよ。こちらに甚大な被害が出ます」
アイリスが王太子を落ち着かせるように冷静に述べた。
「そうか。しかしこのままだと悪党共がみんな血祭りに・・・いや、むしろその方が国が平和になって良いのか?しかし有無も言わさず切り捨てるというのはやはり人道的に・・・あーっ、どうしたら良いのだ!」
「王太子殿下、落ち着いて下さいませ。以前トリニティに聞いたのですが、レオンハルト様はジャンという侍従の事は一目置いておられるのだそうです。とても思慮深い方で、トリニティもいつも助けられているのだとか」
キースはレオンハルトの後ろにいつも陰の様に控えている侍従の事を思い出した。茶色い髪の無表情な目立たない男だが、常にレオンハルトの周囲に目を光らせ注意を怠った事のない、尖鋭な気配を感じさせる男だった。
「すぐに大公邸へ馬を走らせよ。この状況を伝えるのだ!」
その知らせが王宮から届いたのは、丁度プリンテュクスが全ての事務作業を終え、少し帰りの遅い主達を不安に思い、懐から懐中時計を取り出した時だった。王宮からの使者はそれは慌てた様子でトリニティが行方不明になった事、怒りに燃えた大公が剣を持ってどこかへ消えてしまい、王太子が非常に不安に駆られている事などを告げた。
「ああ、そうですか。王太子殿下が不安に。確かにそうでしょうね。今頃どこかの悪党共の組織が2、3個壊滅しているでしょう」
「あ、あの・・・」
おどおどしている使者に、プリンテュクスはギロリと光る目を向けた。
「所で今日、王女殿下はどちらに?」
「え?シェーンメア様ですか?確か新しく出す店の視察に行っておられると思いますが」
「店。それはどちらに?」
「確か・・・セリア地区と王太子殿下がおっしゃっておられました」
“ セリア地区・・・ ”
「かしこまりました。我が主の事はお任せ下さいと王太子殿下にお伝え下さい」
使者が頭を下げて帰った後、プリンテュクスは拳で側の壁を殴りつけた。ドゴッと鈍い音がして壁に穴が空き、パラパラと石膏が崩れ落ちた。殴りつけた拳に血が滲んだが、怒りの余り痛みさえ感じなかった。
ああ、やっぱりあの女はそういう女なんだ。とことん歪んでる・・・。
彼は直ぐに蔵書室へ行って王都の地図を取り出した。セリア地区は王都の中心街なので拡大した地図もある。店は潰れたり新たに入居したりで変化はあるだろうが、一番新しい地図は2年前の物だ。比較的正しいと言えるだろう。たくさんの店に店名が入っていて、それを一つずつ指で辿っていく。その中で空き家が5軒ほどあった。
離れた場所にある5軒を一つ一つ回っている時間はない。ここまでやったんだ。あの女は今度こそトリニティの命を奪うつもりに違いない。
ジャンから出れば・・・精霊の姿に戻ったら、探しに行ける。だがジャンから出た瞬間、消滅するかも知れない。元々9年前に消えるはずだった命だ。トリニティの為なら惜しくはない。でも消えてしまったら彼女を探しに行けない。今消滅するわけにはいかない。どうすればいい?
頭を抱えたプリンテュクスは9年前、トリニティが子鹿のプリンテュクスに語っていた言葉を思い出した。
「プリンテュクス。シャメールの森にはね、精霊が居るの。もう何百年も前から住んでいて、アーガード家を守ってくれているのよ。私達は病気になったり何か困った事があったらいつも精霊に祈るの。そうしたらいつも心が安らかになって、ああ、精霊が私達を守ってくれているのだなと思うの。だからね、きっとプリンテュクスに会えたのも精霊のおかげよ。私に素敵な友達を与えてくれたんだわ」
そうだ。ボクは精霊なんだ。余りにも長い間生きてきて自分が何者か分からなくなっていたけど、ボクは確かにアーガード家を守っていた精霊なんだ。
だからきっと出来る。きっと消えたりせずにトリニティの元までたどり着ける。昔みたいに大切な人が逝ってしまうのをただ何も出来ずに見ているだけなんて嫌だから。だからずっとトリニティを見守ってきた。でももう見守るだけじゃ嫌なんだ。ボクがトリニティを守ってみせる。
プリンテュクスは乱れた息を整えるように大きく息を吸って吐いた。
「ジャン、後は頼むよ。ボクは行く」
そう呟くとプリンテュクスはジャンの中から抜け出した。




