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21.アイリスの懐妊

 春はお茶会のシーズンだ。大きなお茶会は庭園にいくつものテーブルを並べたくさんの人を招待するし、小さなお茶会はしょっちゅう開かれていて、花々が咲き誇る庭の一角に備えられたガゼボの下に貴婦人や令嬢達が着飾って集まり、噂話に花を咲かせながら楽しい笑い声を響かせる。


 シェーンメア王女も学院時代の学友であるエミリーナ・トラステア侯爵令嬢とバネッサ・ミリマム伯爵令嬢と3人でお茶を楽しんでいた。


「そう言えばお聞きになりまして?」

 噂好きのバネッサが切り出した。

「この間のパーティで又あったそうですわ。婚約破棄騒動が。今度はシエステリア子爵令息がモラディ准男爵令嬢を公衆の面前で辱めたのですって」

「ええ、存じておりますわ。全くエセルスト侯爵令息がその件で北の地に幽閉されたのに、まだ愚かな行為を行う者が居るのですね。呆れてしまうわ」

 エミリーナが扇で口元を隠してやれやれという風に首を振った。


「エセルスト侯爵令息と言えば、婚約破棄された相手のちょっと地味なお方・・・確かトリニティ・アーガード伯爵令嬢でしたかしら。傷物になってしまったと言うのに、すぐに大公家からお声が・・・」


 しまったという顔をしてバネッサは口を閉じた。シェーンメア王女が昔からレオンハルトを思い慕っていたのは友人なら誰もが知っている話だ。王女の機嫌を損ねてしまったかも知れないと、バネッサは青くなって頭を下げた。


「申し訳ありません。私、つい・・・」

 エミリーナも隣で眉尻を下げながら王女の顔色を窺った。シェーンメアは鼻からゆっくり息を吐き出すと、目線を庭の方へ向けた。


「もしあなた方がとても気に入った宝石があって、それを買いたいと思ったの。でも残念ながらその宝石はすでに買い手が決まっていて相手を探して交渉したけれど、どれ程お金を積んでも譲らないと言うのよ。その場合、あなた達ならどうする?」

「それは・・・」

 ちらっとバネッサの方を見ながらエミリーナが答えた。


「仕方がないので諦めますわ」

「諦める・・・」

 シェーンメアは暗い瞳を細めてにっこりと微笑んだ。


「私達高位貴族に諦めるという言葉はありません。戦争も同じでしょう?例え相手を殺してでも欲しい国は手に入れる。どんな手段を使っても欲しいモノは手に入れるのです。だってその宝石に一番似合うのは私だけなのですから」


 遠くを見つめる王女の目にはもはや美しい風景も花々も目に入っていないようで、2人の令嬢は怖じ気づいたように互いに顔を見合わせた。







 トリニティの様子がおかしいと感じてから半月、相変わらずレオンハルトは悩み続けていた。あの次の日、包帯が取れてトリニティの手の甲の傷がどうなったか確認しようと彼女の手を取ったら、怯えたように手を引っ込められてしまった。あまりのショックにその日の夜は布団に潜ったまま全く寝付けなかった。


 ジャンはと言えば、元々の無表情に無愛想まで加わって、いつも氷点下の目で俺をじっと見ている。別に睨んでいる訳ではないから不敬には当たらないし、「何かあったのか」と尋ねても「私は元々こんな目と顔でございます」と丁寧に答えるから叱るわけにもいかない。あいつも勝手知ったるで、ギリギリのラインを狙っているに違いない。扱いにくい奴だ。しかもせっかくデートの下見もした事だし、出先で指輪も渡したいから休みを取ろうとしても、ジャンの奴が明らかに仕事量を増やして俺が身動き出来ないようにしている。一体何なんだ。


 トリニティびいきのあいつがあんなに怒っているという事は、間違いなく俺がトリニティに何かをしてしまったと言う事なんだろうが、全く身に覚えがない。分からないからどう対処していいかも分からない。


「ええい!グタグタ考えて居ても仕方ない。やっぱり指輪を渡してトリニティに何があったのか聞こう!」


 勢い勇んで部屋を出たが、今の時間トリニティは講義の真っ最中だ。手の怪我も治ったので、以前と同じように朝から夕方までずっと勉強していた。お茶の時間もここ最近は勉強に充てているようだ。


「はあ、でもせっかく出て来たのだから顔だけでも見てこよう」


 トリニティが講義を受けている部屋の入り口からそっと中を覗くと、今日は経済学の授業だったようで相変わらず難しい顔をして講師の言葉をノートに書き込んでいる。


“ 一生懸命な顔もかわいいな ”


 微笑んでからそっとその場を離れた。


 ふと気配を感じて顔を上げたトリニティは、レオンハルトの後ろ姿に気が付いた。


“ レオン様・・・ ”


 その背中が何となく寂しげに見えて、以前心配して怪我の様子を見ようとした彼の手から、思わず自分の手を引いてしまった事を思い出した。


“ どうしてあんな事をしてしまったのかしら・・・ ”


 酷く傷ついたような表情をしたレオンハルトの事を思い出す度、胸が痛む。他に愛する人が居るのに、あの人は私に優しい。私が居心地よくここで過ごせるようにいつも気遣ってくれて、無理をしていないか心配もしてくれる。

 彼は本当にいい人で人間的にも優れた人だ。そんな人が本当に愛する人と結ばれなくて苦しんでいるのに、私ったら自分の気持ちばかり優先して・・・。

 そうよ。そろそろ立ち直らなきゃ。レオン様の妻として、あの方が幸せになるように協力するのが私の役目。


「・・・様、トリニティ様!」

「は、は、はい!」

 考え事をしていたトリニティは、講師の女性に呼ばれて慌てて返事をした。


「聞いてました?ここ、重要ですよ」

「す、済みません。もう一度お願いします・・・」

 小さな声で謝ると、慌ててノートに目を戻した。






 そんな中、ローゼンバイン王国にとって素晴らしいニュースが届いた。王太子妃アイリスがとうとう懐妊したのだ。トリニティも長い間アイリスが子供の出来ない事で悩んでいたのを知っていたので、この知らせに心が躍った。


“ 良かった、アイリス様。本当に良かった ”


 トリニティとの仲が理由も分からずまだギクシャクしている状態ではあったが、王宮に行って祝いを述べるのは大公家としての義務だ。レオンハルトも従兄弟である王太子がその事で長年心労を抱えていたのも知っている。心の底から祝福をしてやりたかった。


 懐妊の公表の次の日には王宮の広間で王太子と王太子妃の謁見が行われ、そこに諸侯が集い祝いの言葉を述べる事になっているので、レオンハルトはトリニティと共に参加する事にした。


 しかし王宮にその旨を伝えると、2人には個人的に会いたいので他の貴族達との謁見が始まる前に来て欲しいと連絡が来た。それで謁見が始まる1時間前に彼等は王宮を訪れた。案内の事務官に連れられて王太子達が待つ部屋に入ると、満面の笑顔を浮かべた王太子と少し泣きそうな笑顔のアイリスが居た。


 レオンハルトとトリニティは彼等の前に歩み出て祝いの言葉を述べる。それが終わると直ぐにアイリスがトリニティに走り寄り彼女に抱きついた。


「アイリス様?」

「ありがとう、トリニティ。全てあなたのおかげよ」

 トリニティが訳の分からない顔をしていると、キース王太子がやって来てトリニティに笑顔を向けた。


「アイリスに聞いた。子供が出来るおまじないをかけてくれたんだって?」

「あれは、少しでもアイリス様の心が安らげばいいと思っただけで、大した事では・・・」

 アイリスは謙遜するトリニティの手を握りしめて首を横に振った。


「でも私、あれ以来毎日追い詰められていたような気持ちが凄く落ち着いて、ああ、その内精霊が本当に赤ちゃんを連れてきてくれるんじゃないかしらって思えるようになったの。お医者様もそんな風に心が安定したからじゃないかっておっしゃっていたわ。本当にあなたのおかげよ、トリニティ。ありがとう。この気持ちを伝えたくて今日は早くから来てもらったのよ」


「そんな、私のした事なんて。ただ心の底からアイリス様に幸せになって頂きたいと思っただけです」


 アイリスは微笑むと、もう一度トリニティを抱きしめた。そんな女性達の様子に微笑むとレオンハルトも瞳を潤ませている王太子に声を掛けた。


「おめでとう、キース。これでやっと王位継承権をお前の子供に譲れるな」

「それでも第3位だ。これからも夫婦共々私達を支えてくれ」


 夫婦共々という言葉に、トリニティはふと瞳を陰らせた。


 そうね。いずれレオン様と夫婦になってやがて子供も出来るでしょう。でも愛する人との子供ではないのだもの。王太子様の様にこんなに心の底から喜んではくれないわ、きっと・・・。


「どうしたの?トリニティ。何かあった?」

 敏感なアイリスが気付いて声を掛けた。

「いえ、何も。アイリス様。どうかお体をいたわって、元気なお子様を生んで下さいね」



 謁見を終えて帰る馬車の中でトリニティは思い切ってレオンハルトに声を掛けた。いつまでも彼の愛する人にこだわって自分を卑下し続けるのは止めよう。王太子の言うように私達はもうすぐ夫婦になるのだから。


「あの、レオン様。もし宜しければ、今日の午後一緒に外でお茶をしませんか?」

 驚いたような顔をしたレオンハルトを見て、自分から彼に声を掛けたのは随分久しぶりだったと思い出した。

「いいのか?勉強は」

「やっと少し落ち着いてきましたので。ケインズから良い茶葉が手に入ったと聞いたのです。庭のガゼボでお茶とお菓子を用意して待っていますね」


 その時微笑んだレオンハルトの表情は余りにも神々しく、それでいてなまめかしく見えて、余りの麗しさにトリニティはどうしたらいいのか分からなくて困ってしまった。


 この方にとって私は決して一番にはなれない存在だ。それなのに私はどんどん彼に惹かれていく。これ以上好きになったら辛いだけだと分かっているのに、自分を止められない。本当にレオン様を憎んでしまえれば良かったのに・・・。



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