一番星
鼓動が高鳴る。
静かだった世界が、一瞬で姿を変え、煩いくらいに音が支配する。
全身の血が沸騰するような感覚に頭が真っ白に塗りつぶされていく中、しかし、それでもただ瞳は彼女を映し続けた。
宇宙を思わせる紫がかった黒髪、天王星のような透き通った水色の瞳、月よりも淡く優しく光る白い肌。
暗くて良くは見えないはずなのに、僕の目には彼女はとても輝いて見えて、まるで冬の空に浮かぶシリウスのようにも感じられる。
中学から男子校だったから、あまり多くの女性と関りがあったわけじゃない。
だけど、もはや確信的なまでに思ってしまった。
世界で一番、綺麗なのは彼女だって。
そして、同時に気づいた。これが僕の初恋だということに。
「あの、東堂さん?どうかされました?もしかして、体調でも悪かったり」
その心配げな声に意識を引き戻される。
僕は、ずっと合わせてしまっていたらしい視線に、自分で驚き目を逸らせた。
「い、いえ。大丈夫です!健康そのものです!!」
「あ、はい。それは、よかったです?」
思った以上に大きな声を出してしまったからだろう。
兎沢さんが一瞬驚いた後、不思議そうな声を出した。
何をやっているんだろうか、僕は。ほんとに嫌になる。
「すいません。大きな声を出してしまって」
「いえ、別にそれはいいんですが」
今まで以上に何を話していいのかわからない。彼女が何を言えば喜ぶのか、笑ってくれるのかまるでわからないから。
たぶん、星を教えるという理由が無ければ、逃げてしまっていたかもしれない。
「……………………星を見ましょうか」
しばらく悩んだあげく、僕が出せた答えは結局それだった。
本当に、しょうもない人間だなと自嘲のような笑みすら漏れてしまう。
「本当に大丈夫ですか?何か、様子がおかしいような気がしますけど」
「心配かけてすいません。もう大丈夫です」
彼女は星を知りたがっている。それに、僕にできることもそれだけだ。
なら、それをしよう。出来る限りの力で。他のことを全部忘れ去って。
「そうですか?」
「はい」
「なら、よろしくお願いします」
「はい。こちらこそ」
そして、それからの僕は毎日、自分の知っていることを彼女に話していった。
丁寧に、わかりやすく、興味を覚えて貰えるように。
自分の想いに蓋をして、諦めながら。
★★★★★★
あれから二週間ほどが経ち、だいぶお互いがお互いの存在に慣れてきた頃、位置だけでは覚えづらいこともあって僕は星座にまつわることも噛み砕きながら説明するようになっていた。
「なるほど、星座にもいろいろと物語があるんですね」
「はい。元々は、農耕などに関係して、時間や季節の移り変わりを見るためのものだったみたいなんですが、やがてそれに様々な物語が乗せられていったみたいです。ある意味、昔の娯楽だったのかもしれないですね」
「娯楽ですか、確かに、そう言われるとそんな気がしてきます。最初は、実利のために生み出されたものが広まり、知られ、そしてやがて親しまれていく。電話とか、インターネットとかもそうですもんね」
「ははっ。なんか、哲学的ですね」
「…………忘れてください。少し恥ずかしいことを言いました」
明かりを消している今は顔色は見えない。だけど、彼女の顔が真っ赤になっていることが手に取るようにわかるような、そんな恥ずかし気な声が聞こえてくる。
「いえ、本当にその通りだと思いますよ。何もないところに、想いを乗せて、それを次の人に渡して、紡いでいく。人の歴史は、そんなものだと思いますから」
「ふふっ。東堂さんは詩的ですね」
「あー、確かに改めて言われると恥ずかしいですね。お互い忘れましょう」
話していて思ったが、彼女は、得た情報を自分の内でゆっくりと考え、馴染ませていくタイプだ。
それに、引っかかるようなことがあっても、気を遣ってあまり聞いてこないので、それをできる限りくみ取れるようにしてあげる必要もあった。
まぁ、自分が聡いというよりも、ある意味似たような性格だからこそ気づけたようなものだろう。
「でも、東堂さんの説明は本当にわかりやすいですね。聞いていてすごく楽しいです」
「そう言って貰えてよかったです。なかなか、人に説明する機会も無いので、ちょっと不安だったんです」
「そうなんですか?ご友人も多そうなのに」
「……それは、買い被りですよ。僕は、友達が少ないですから。はは、たぶん暗いし、面白くないからでしょうね」
チクリとした胸の痛みを誤魔化しながら、若干、おどけるようにしてそう言う。
そして、そのまま説明を続けようとした時、彼女に似つかわしくないほどの強い言葉が響いた。
「そんなことありません!東堂さんは、優しくて、落ち着きがあって、話しているとどこか心穏やかになれるような、そんな素晴らしい人です」
僕は、彼女にそう言って貰えるような、そんなすごい人間ではない。
「それに、私のために、たくさんの時間をかけてくれているのも知っています。聞きたいと思って言い出せないことを察して、気にかけてくれていることも」
少しでも彼女と一緒にいたい、好かれたいという卑しい願望からくる行動だ。
「私なんかに時間をかけさせているのが勿体ないくらい、素敵な方で。だから、私は、東堂さんに本当に感謝しているんです」
それは、いつも僕が彼女に対して思っていることだ。
最近では、一緒にいるだけで、今まで持てなかった自信が不思議と湧いてきて、こんな僕でも、何か掴めるような気さえしてくる。
「貴方といると、ずっと足踏みしていた私も、先に進めるような、そんな気がするんです。ごめんなさい。こんなこと言ってもわけがわからないですよね」
自嘲するような、笑み。
何度も、鏡越しに見せられた、自分の顔で見慣れたはずのそれは、だけど、今はどうしても受け入れがたかった。耐えられないと思ってしまった。
「…………そんなことない。僕も、一緒だったから」
「え?」
そよ風でもかき消されてしまうような弱々しい声。
でもそれは、静かな夜の中では十分すぎるほどの大きさだったようだ。
「ずっと、自分を信じられなかった。いろいろなことを諦めて、足を止めて、分かったようなふりをしてた。内心、何かをしなきゃと強く思っていたのに」
驚いたように開かれた瞳は、やっぱりそれでも綺麗だと思った。
「でも、君に会ううちに……いや、君のおかげで、だんだんと思うようになったんだ。僕でも、何か掴めるかもしれない、何か、出来るかもしれないって」
蓋をしていたはずの想いが、まるで太陽のように燃え滾り、噴き出ていく。
「感謝しているのは僕の方なんだ。たぶん、それは救いとでも呼ぶべきようなことだったから」
彼女に出逢えて、よかったと心から思う。
僕の知る言葉じゃ表しきれないほどに、強く、深く。
「だから、本当に、ありがとう」
そして僕の目は、ただただ彼女のことだけを映し続けた。
星空を見るのさえ勿体ないというように、自然と。
なかなか、もどかしく、暗い感じの話なんですが、意外に書いてる側は楽しいです(笑)




