Act.68
<Act.68 7/18(日) 17:00>
【仄宮秋流】
「飛龍に呼ばれたのは構いやしねェが――――なんだってお前までいるんだよ、扶桑。聞いてねェぞ」
「そりゃセンパイが言ってないのがわりい。俺ぁしらねーっての」
「どうしてお前らは顔を突き合わすなりそんなに険悪なんだよ……」
「まあ、浅からぬ因縁という奴でね。こればかりは躾のしようがない」
新宿港、そのコンテナ場――――以前飛龍組にまつわるあれやこれやに巻き込まれた因縁の場所に、私とハルトは再び訪れていた。ほかでもない、飛龍伊織その人による招聘で。
しかしあの時には決していなかった男、そう忌々しきは扶桑朧その人までいるがゆえの私のリアクションである。どうしてこう、先月に続きコイツとの縁を切ることができない事態にばかりなっていくのか。出会い頭に即抜刀しないだけマシだと飛龍には思ってもらいたい。そしてその思いは扶桑も同様だったらしく、奴は子供が拗ねるようにそっぽを向いている。
「で、何の用だよ……こっちだって暇じゃねェんだ。手短に話せよ、飛龍」
ざん、ざん、という密やかな波の音が夕暮れの中に響く。脳裏には過日ここで繰り広げられた蹂躙がよぎるが、しかし目の前の男はその時の彼ではない。
彼は、飛龍は以前の黒いスーツを纏ってはいなかった。飛龍組組長・飛龍伊織として現れた彼は、夜闇の中に融けながらも異彩を放つ黒いスーツを纏い、血の赤のようなネクタイを着こなしていたが――――今はただ、普段教壇の上に見る彼の姿そのものだ。
若干ヨレたシャツ、ぼさぼさに伸びっ放しの茶髪、そして脇に控えさせているのが黒服ではなく扶桑であるというところからして、彼は今「明石機関」の人間としてここに立っている、ということを見て取る。
「あー、驚かないで聞いてほしいんだが……」
そして私が理解したことを彼は前提とした上で、なおも歯切れ悪そうに口火を切った。
「実は、――――熊野が皇族に狙われてる。そしてそれを守って鈴谷も独走してる。だからお前らには、二人を守ってほしいんだ。
今日呼び出したのは、それを依頼したかったからだ」
熊野が狙われている。
鈴谷が独走している。
そこまでは私たちの今の認識と合致している――――だが、しかし、皇族だと?
それではまるで、先ほど姐御が言っていた“噂”が“真実”であるかのような、
「それが仮に本当だったとして、どうして貴様たちが知る? 明石機関の末端でしかない貴様たちが、この国の中枢である皇族の動向と思惑を何故知っているんだ」
絶句する私に代わり、ハルトがそう冷静な面持ちで問いかける。
「皇族がこの治外法権下の新宿にくるにあたって、俺たちに護衛を依頼した――――否、命令したんだよ。この新宿という土地の中にいる限り、殺されようが犯されようが市軍の法じゃ裁けない。だからこの土地に精通してなおかつ実力のある人間、ってことで護衛役兼監視役として任命されたのが俺と、扶桑と、そして鈴谷。けど鈴谷はここにはいない、熊野を守るために命令を破り、姿を晦ましてる」
「それにしたっておかしいだろうが。つまりお前らは熊野を追う側だろ? なのに何故それを妨げるような真似をする――――鈴谷のこと言えねェだろうがよ」
「熊野センパイを追ってる奴と、俺らが護衛してるのは違う奴だよ。獅凰院と鳳凰院――――例え成績が悪かろうとそれくらいは知ってンだろ、帝国臣民なら」
ああ、もちろん知っている。大日本帝国の臣民であるならば、まず真っ先に叩き込まれるであろう常識のことだ。
そもそもこの国は、皇族――――皇の裔たちを頂点に据え、その指揮下に市軍・陸軍・海軍・空軍を擁している。
政治は専ら皇族とそれに従う閣僚たちによって行われているが、その皇族も御三家と言われるように三つあるのだ。
一つ目が、鳳凰院。皇族御三家の主家にして、代々皇帝の座を預かる天照大御神の系譜である。皇帝は病床に伏せており、代理としてその一人息子である皇太子がほぼ全権を担っていると聞いている。
二つ目が、獅凰院。素戔嗚尊の血を受け継ぎ、鳳凰院の近侍とも言うべき補佐役を代々務めるが、現在当主は不在であり分家の者が代理を務めているらしい。
三つめが、龍凰院。月読尊の血脈と使命を連綿と引き継いでいる、とのことだが詳細は明らかになっていない。表舞台に立つのは専ら他二家であり、龍凰院家の者はほとんどマスコミには載らないからである。
そしてそのそれぞれに一つずつ分家が存在し、この国ではその分家までを「皇族」と定義している。直系、つまり御三家のみを括るとどうしても絶対数が少なくなってしまい、皇統の継承に支障をきたす場合があるから、だそうだ。
「――――俺たちが護衛してンのは鳳凰院。熊野センパイを追ってるのは獅凰院、それも分家の飯綱家。そこんとこ間違えてもらっちゃ困る」
間違うも何も、まずもってその皇族連中の目的が明らかになっていない状態で警戒しないほうがあり得ない。
いやだがしかし、これで姐御が教えてくれた情報と、遥が流してくれた噂がしっかりと証明されてしまい――――その上で私の妄想が現実のものになってしまったのだ。
実に頭が痛い。やはりあんな依頼引き受けなきゃよかったと思いつつも、しかし一度引き受けたからにはキリの良いところまでやらねば赤字になってしまう。
「……お前らに依頼されずとも、先に鈴谷本人から『熊野を狙う人間の正体と目的を暴く』ことを依頼されてる。そのへんについてお前らが提示できる情報は?」
「ということは、引き受けてくれるってことでいいんだな?」
ち、やはりそううまくはいかないか。
引き出せるだけ引き出して、厄介なことは抱えずに済ませようと思ったが――――その程度の小手先、この飛龍伊織という人間には通じないようだった。
内心で歯噛みしつつも、しかし予想の範囲内だ。この男は甘くない。次に発する言葉は予定通りで、ゆえに滑らかに口から流れていく。
「アイツらにも言ったがな――――守る、なんてことは断言できない。相手は皇族、つまり体制側の人間だ。ここがいかに治外法権下だったとしても、お上を敵に回すだけの得をお前たちが提示できるとは微塵も思わねェ。よしんばできてもリスクがでかすぎる」
「リスクに気を取られて大口依頼を逃すたァ、ビジネスやってるとは思えねェなァ仄宮。今までさんざ斬り合いしてきたオマエが、今更命惜しさに怖気づくのかよ」
間髪入れずに扶桑が茶々を入れてくる。しかし私はそれをあしらうように、
「安い挑発にゃ乗らねェよ、金があったところでそれを使う人間が居なきゃ腐るだけだ。だからそんな依頼なら私は蹴るぞ――――依頼内容の変更でもしねェ限りはな」
逆説。『リスクに見合うくらいの依頼内容にさえなれば』、引き受けてやる。そういう魂胆だった。
鈴谷から依頼を受けた際にはまだ相手が皇族だということが確定していなかったが、確定した今となれば私のあの時の判断が間違っていなかったことを確信できる。
この国における皇族という勢力は、それほどまでに強い。発言一つで軍隊をまるまる動かすことさえ可能な連中だ、そうなればいかな治外法権であっても舌先三寸で潰されることは容易に想像できる。それが一個人であればなおさらであり、だからこそ不用意な断言は危険だった。
私の示唆に、目を細めた扶桑が飛龍になにやら耳打ちする。それを受けた彼も扶桑に対して耳打ちし、それらを何回か繰り返した挙句、……話がまとまったらしい二人の視線が再びこちらを向いた。
「仄宮、お前のいうことはもっともだ。だから内容を引き下げよう。俺たちとしては、鈴谷と熊野が無事でいてくれればそれでいい――――例えこのまま会えなくなったとしても」
黒瞳が暮れの色に染まっては海の波を映し返す。そこに落とし込まれたのは、郷愁にも似た思い――――過日の思い出を懐かしむような痛切な色は、しかし翻って強い決意を示す。
「けど多分、鈴谷の奴は熊野のことで暴走寸前だ。アレの心を保っているのは熊野だけで、そのタガが外れた時に止められるだろう俺たちは傍にいることができない。俺たちまであいつと同じようにしてしまったら、それこそ皇族の足取りを知る者がいなくなっちまう」
だから同じようにはなれない、と。飛龍伊織はその驚異的なまでに強靭な理性で以て、走り出そうとする己の足を地面に縫い留めていた。
それはおそらくどこまでも正しい。現状を鑑みれば、命令違反を犯している鈴谷抹巴に対し明石機関が何らかの処断を下す可能性は高い。そこに加えて皇族という強大な勢力の一端が伸びている中で、たった一つの情報でも逃せば致命的な状況に陥ることは想像に難くない。
彼らの手で食い止めるには――――鈴谷抹巴と熊野静桐、双方を守るには、彼らを狙う側に立ち少しでも多くの情報を掴み、そして請負人という第三者に全てを託すしかないのだということを、私は否が応にも悟ってしまった。
彼らの立場では、明石機関というくびきに囚われている彼らでは、決してできないことなのだ。
「だから、仄宮。二人を守ってくれとは言わない。だからせめて、彼らへの橋渡しをしてほしい。必要な情報の一切を渡す。――――そして、可能なら。鈴谷が暴走した時には、止めてやってくれ」
あいつは、昔から口下手な奴なんだ。気持ちが爆発しそうになると、決まって暴れだしちまう。
そういって飛龍が小さく零した笑みは、過去を振り返るように嬉しそうで。されど戻らぬあの日を理解しているように、切なく空へと融け、消える。
「……もちろん、金ナシでなんて言わねーよ。俺らもイイ大人だしな、出せるだけは出す。金も情報も。糸目はつけねえ。今回ばかりは、オマエラがウザイなんて言ってらんねェ」
がしがしと頭を掻く扶桑は扶桑で、瞳の色はいつもの幼さがなりを潜め、ぶっきらぼうな影が奥底の憂いを押し隠すように帳を降ろす。
乱暴な言葉には、どうしても包みきれない慕わしさが滲んでいた。彼らの学生時代を私は知らないが――――しかし、粗雑で蛮骨で危ういこの男は、本心から『センパイたち』を思っているのだということだけは見て取れた。
まるで私が引き受けることを前提としているような話しぶりに一つ嘆息を零し、やってられないと頭を振る。
「――――分かった、分かったよ。鈴谷たちへの橋渡し役になってやる。ただ後者については断言できねェし、手に負えないとなったら最悪殺す。そうなっても金はもらう。そのことだけは、理解しとけよ」
交渉はまとまった。その後私たちは、彼らの持っている情報の一切をもらい、日が完全に沈む頃に解散と相成った。
自分でも甘いとは思う。彼らからの依頼を受けることは、正直余計なリスクを背負いこんで首を絞める結果になることだろう。だがそれでも引き受けたのは、普段教壇の上にいる彼らの教師でも機関員でも組長でもなんでもない顔を見てしまったからなような気がした。
「放っておけなかったんだろう? 秋流。彼らのことを」
見透かしたように淡く微笑むハルトに「馬鹿言え」と返しつつも、しかし否定しきれない自分がいることにも気づいていた。
長い長い一日が終わる――――この時は確かにそう思えた。しかし現実は考えていたよりも甘くはなく、私たちが相対すべき“敵”も、そう長くは待ってくれないのだ――――。




