Act.66
<Act.66 7/17(土) 19:21>
【仄宮秋流】
「――――というわけで、今回の依頼についてだ」
夕飯時。ハルトの作った夏野菜カレーをもりもりと食べながら、私はそう口火を切った。
昨日の夜受けた依頼にも関わらず共有がこうして遅れたのは、せっかくのまるまるオフの土曜日ということで私が先んじて動いていたためと、ハルトはハルトでとある人物と会う約束が入っていたためだった。それに今回の仕事は、切った張ったがメインというより情報収集のほうがメインとなるから、無理にハルトを同行させる必要はないと判断した、というのもある。
閑話休題。彼のお手製ドレッシングをかけたレタスを食み、嚥下してから私は続きを口にする。
「依頼者は鈴谷抹巴及び、熊野静桐。まァ熊野はよくわかってなかったみたいだし、実際の依頼者は鈴谷といっていい。内容は『熊野静桐を追う人間の正体と目的をつかむこと』、だ」
「共に明石高校の教師でありつつも、鈴谷は明石機関の機関員も兼ねる、だったか。その熊野という女性もなかなか変わり種だな、扶桑や飛龍の関係者でもあるんだろう? こちら側の人間を三人も周りに侍らせておいて、当人だけはまるで何の関係もない一般人とは」
ハルトの言葉に一瞬だけ間を置き、私は「いや」と反駁する。
「そうとも限んねェ。確かに飛龍や扶桑の野郎、そして鈴谷に比べたら熊野は“薄い”が――――それはアイツらが規格外に『属性過多』なだけで、熊野だって異常の切れ端くらいは持ってる」
汚さないようにと避けていた書類を取り出し、ハルトに手渡す。彼は一度スプーンを置き、昼間私が受け取りに行っていたものに目を通し始める。
「遥からか、――――『鈴谷抹巴と熊野静桐は、ともに重巡洋艦「鈴谷」「熊野」を魔術化した家系』……だと?」
彼の整った顔立ちが薄く驚きの様相を呈する。ああ、と相槌を挟みつつ、書類に書いてあることをまとめる。
鈴谷抹巴の実家である鈴谷家と、熊野静桐の実家である熊野家は、それぞれ最上型重巡洋艦「鈴谷」と「熊野」を魔術化した家系である。つまり彼らの血には飛龍、そして案の定扶桑と同じく魔術が流れており、彼らの魂にはかつての戦場で散っていった鋼鉄の船が刻まれているのだ。
その力は凄まじい。過日、銃を持った数十人を、息さえ荒らげることなくたった一人完封して見せた天災ともいうべき飛龍のあの力を――――私はまだ、はっきりと覚えている。
だがそれだけの力を継承するのがどれだけ大変なことか、詳しく知らずとも予想はつく。結果、扶桑・鈴谷・熊野の三家は世代を経るにつれて魔術を急速に劣化させていき、静桐に至ってはそういう家系であったということさえ知らないという。
一通り目を通したらしいハルトが眉根を寄せて書類を置き、一度口を開きかけてから「いや」と言い直して、曰く。
「彼らがそういう人間であるということは――――まあ、驚きはしたが、その程度だな。ようは飛龍の劣化品ということに過ぎない。問題は鈴谷のこの――――”呪術”についてだ」
やはりそこに目を付けたか。当然といえば当然だ、禁術だの呪術だの、この現代においてそのような物々しい単語が並べば気にならないわけはない。
私が手にしていたフォークをひらりと翻し、「ざく」と音を立てながらレタスを貫くも、ハルトはそれに一瞥すら寄越さず書類を見つめ続ける。
「鈴谷家の人間は魔力の耐性が低いにも関わらず、重巡『鈴谷』をその身に宿した結果、闘争本能の激化と暴発を招いた。それを抑えるために呪術を血に注ぎ込み、意図的に別の人格を生み出すことによって封じ込めることに成功、抹巴もそれを継承している……というのは」
「そうだ。アレはアレで、思っていたよりも爆弾だったってワケだ。狙われてるのは鈴谷ではなく熊野とはいえ、今のアイツは子を守る獣の親くらいピリピリしてて、ほんの少しの火の粉だけで爆発しかねない。しかも禁術、少なくともナメてかかってどうこうなる相手とも思えねェし……最悪の場合も考えて、足の踏み場は慎重に選ぶ必要があるってワケだ」
鈴谷が熊野を溺愛しているのは、あの二人に関わったことのある人間ならばいやというほど知っている。だからこそ過敏な状態になっているであろう鈴谷を相手にするにあたり、ふるまい方にも気をつけねばこちらが痛手を受けかねない。
暴れる依頼人を取り押さえるなんていうのは真っ平御免だ。もともと知り合いだというだけでも嫌なのに、うっかり手元が狂って殺してしまえば報酬どころの話ではなくなってしまう。
「ほとほと面倒だな。それで? 例の飯綱と名乗る双子のことは?」
「資料の通りだ。特段語ることはねェ、周知の通り、『この国の皇族の末端で』『現在当主不在の獅凰院家の代理を務めてる』双子ってだけさ」
「つまり、何も掴めていないのと同義と。さしもの遥でも、この国を取り仕切る一族の情報網に入り込むのは一朝一夕では成しえないということか」
「一応、情報収集は続けてくれるらしいけどな。あとは自分たちの足で追うしかねェってこった。ったく、熊野がいつもぶらさげてる勾玉なんぞに、一体何の価値があるってンだか」
脳裏に閃くのは、いつも教壇で冴え冴えとした笑みを浮かべる熊野静桐の姿。チョークの粉がつくのが嫌だからと現国の教師にも関わらず白衣を纏うその胸には、アクセサリーにしては風変わりな碧色の勾玉がいつもかけられていた。
飯綱双子は熊野静桐に対し、「八尺瓊勾玉を寄越せ」と要求したらしい。勾玉と言われれば彼女がさげているそれしか思い当りはなく、さりとて一介の教師が持っているものが神話に登場するような遺宝であるはずがない。
噂程度だが、「八尺瓊勾玉」同じく名を連ねる「天叢雲剣」、「八咫鏡」の三種の神器は、この国の皇族の直系にのみ受け継がれるものだという。……いやまさか熊野がそのうちの一角を担っていて、本当に継承しているだなんてことは――――。
ここまで思考を巡らし、すぐにやめた。情報がまるで出揃っていない段階で色々考えたところで、それは最早妄想に等しい。まさか本当に彼女が皇族なわけないし、そうだとしたら何故教師などやっているという話だ。
思考を打ち切ると同時、勢いよくカレーの最後の一口を含み、嚥下してご馳走様でしたと二人分の空の皿をもって流しに下げる。机の上を拭き始めたハルトを見、水を流してぼんやりして、数秒。
「……そういや」
ん、とハルトが無言で視線を上げる。それと交わって、私は何の気なしにつぶやいた。
「遥が『皇太子が新宿に来てるらしい』なんつってたけど、流石にそれとは関係、ねェよな……」
***
<7/18(日) 14:22>
夜はぎらつくネオン街も、昼間のこの時間は強烈な太陽光に遮られて大人しい。それもそうだ、この街の主人たちは夜の蝶、昼の光は行燈に比べればさぞ眩しかろう。
しかしかといって、話ができるのもこの時間だけだったから行かないというわけにはいかなかった。新宿不夜城の最奥、妓楼街の主たる月夕の君のおわす蘭玉楼前にて。
「――――ま、人のお喋り口にゃ戸は立てられねェのが世の習いだ。それが酒も入った女も侍るじゃなおさら。滑る滑るよく回る口は、巡り巡って私らの飯になる。有難く使わせてもらわなきゃなァ」
「忙しい時に呼び出されるぼくの身にも、なってほしいものですけどねぇ……」
げんなりという顔を隠そうともしない水蓮に対し、「そう邪険にすんなよ」と唇を歪めれば、彼女は「はあ」とあからさまに大きく肩を落として見せた。
「で、何の御用ですかぁお二人とも? 女漁りとかならもう少し遅い時間に来ていただけるとぉ」
そう言いながら、水蓮の狐目が私の背後のハルトに向けられた。ハルトはハルトで満更でもなさそうな声色で、
「そうしたいのはやまやまだが、生憎と今日はお目付け役がいるものでね。また今度窺うよ」
「阿呆抜かすな、仕事だ仕事。……でだ、今仕事の一環である双子を探してる。年は確か……中坊くらいとか言ってたな。恐ろしいくらいにそっくりな男の双子なんだと。知らねェか」
双子、と呟くと水蓮は黙り込んで考え始めた。
私がこういう時に水蓮を頼るのは、彼女はこの妓楼街を束ねる「茨衆」の頭目として、この街のあらゆる情報を管轄する立場の人間だからである。
男に比べれば女は弱い。戦う術を知らない遊女たちは、ともすれば激昂した客に容易く縊り殺されることだって十分にあり得る。それを防ぐための抑止力として茨衆は武器を持ち、ネオンの下と影の中を行き来するわけだが、まずもってそのような事態になってからでは遅い。犯罪の片棒も担がされることのないように、この街が永遠に自治を保つことのできるように、不審な人間はこの街に無数にある目と耳によって予め監視がつけられるのだ。平安時代の女房が如く、それはもう閨のすぐ傍にまで。
そういう采配ができるからこその茨衆頭目。確かに茨衆の中で最も腕の立つ人間は彼女だろう、だがしかし同時にこの街の「政治」を担うこともできるから、彼女はその地位に在り続けている。そんな彼女の依頼を度々受けるのは、こういう時に彼女の情報網を活用できるように日頃から恩を売っておく――――まあとどのつまり、持ちつ持たれつを維持するためなのだった。
少しして、彼女は「あ!」とぱっと顔を上げた。何か思い出したらしい。
「実はですねぇ――――歌舞伎町の外れも外れのほうに、それっぽい双子の鼠が閉鎖された楼に住み着いた、という噂が茨衆の中にありましてぇ。お探しの二人かはわかりませんけどぉ」
「珍しいな、お前がそれを野放しにしたままなんて。どこから来たかもわかんねェ野鼠なんて、今までなら即刻叩きだしてただろうに」
「正確には歌舞伎町内ではないんですよぉ……だから茨衆が独断で動くのも、それはそれで明石機関にこちらを糾弾する大義名分を与えてしまいそうでぇ。かといって放置しておくと何があるかわからない、でもぼくたちも今人手が絶賛不足中……というわけで秋流、駆除をお願いできませんかぁ?」
突拍子もない依頼の話に私は一度瞳を瞬かせ、一拍遅れて「はぁ?」と声を漏らした。彼女の言い分は分かる、治外法権たる新宿の裏社会の治安維持に邁進する明石機関と、歌舞伎町内の政治を行う茨衆は常に犬猿の仲だ。軽率に動いてつつかれる隙を作りたくないという気持ちは分かるが、いやしかしさりとて私も今一つ依頼を受けている身だ。それもそれなりに面倒くさそうな案件、もう一つを気軽に受けて良いものか。
逡巡する私に、水蓮のじぃぃぃという視線が突き刺さる。迷っているとハルトが私の耳元に顔を近づけ、
「件の双子か確かめるという意味でも、受けていいんじゃないか? 優先度は低くなるが、という条件付きで」
「簡単に言うけどよ……」
……だがまあ、確かに双子なんてそうそうあるものでもない。手がかりがあるならばそれに当たっていくというのは常套手段だったから、それでついでに小銭が稼げると思えば悪い話ではない……か。
ハルトの考えを容れ、私は一つ頷く。
「……わったよ、ただしこっちにも優先度ってものがある。手に余ると判断した場合や、こっちにかかずらってる暇はないと判断したら後に回す。これについては了承してもらう」
「それで構いませんよぉ。やっていただけた場合はいつも通り報酬はお支払いしますぅ。あ、あとこちらは別件なんですけどぉ」
まだあんのかよ、と眉を顰める私に対し、水蓮はごく自然な動作で距離を詰める。
その息が僅かに私の耳に触れそうな距離で、彼女はともすれば雑踏に消えてしまいそうなほどの細やかな声で囁く。
「狐呑様が、貴女がたをお待ちですぅ」
語尾が甘ったるく掻き消え、ふっと視線を上げればそこには――――既に水蓮の姿はなかった。
その存在そのものが白昼夢だったかのように、耳元に残る微かな温度さえも風に攫われて消える。――――姐御が待っている? そのことに小さな疑問を覚えつつ、私たちは蘭玉楼の中に足を踏み入れるのだった。




