Act.65
<Act.65 7/16(金) 18:00>
【仄宮秋流】
遥に呼ばれ、わざわざ私への客人がいるという奥の間への襖を開ければ、――――そこにはここ数日見かけなかった、鈴谷抹巴と熊野静桐が並んで座っていた。
「……なんでアンタらが……」
言葉が漏れる。だがそれへの返答はなく、鈴谷は無表情、熊野は疲れたように笑うだけだった。どちらも普段通りではない、明らかに憔悴している――――そんな様子だった。
とりあえず立ちっぱなしというわけにもいかない。あらかじめ用意してあった(おそらく遥だろう)座布団の上に静かに腰を下ろし、彼らに真正面から向き合う。
そして、口火を切る。
「――――それで? アンタたちがご入用なのは、請負人の仄宮秋流……そういうことで、いいんだな」
最初にして最大の確認事項。質すべくもない事項ではあるが、このラインだけは明確にしておく必要があった。
それは彼らのため。そしてほかでもない、生徒としてか、請負人としてか、どちらの態度をとれば良いのか定めなければいけない私のためだった。
「ああ……そうだ。請負人のお前に対して、俺たちは用がある」
鈴谷が答える。彼に表情が足りないのは普通のことだが、それにしても今日はいちだんと差す影の色が濃いように思えた。元々白い肌は、その下の血管さえ浮いてしまいそうなほどに不健康に灰色がかって見える。
なるほど、本当に彼らは私になんらかの依頼をするために来たらしい。おそらくは遥経由だろう、私も彼らに対する認識を「教師」のものから「客」のものへと切り替える。学校で取り繕っているなけなしの敬語さえも取り払い、完全に対等な立場としての話を開始する。
「そうか。ならまずは内容を聞こう。アンタらは私に何を頼みたい」
問いを投げかければ、その言葉は空を漂った後に畳へと落ちて消えた。残るのは居心地の悪い沈黙と、答えあぐねるというような表情の大人二人。
そんなにも言い難い事態なのかと眉を顰めそうになりつつも、同時に日常の中の彼らの印象とあまりに異なったリアクションに、私は正直戸惑いを隠すことができなかった。彼らを「客」として扱うとはいえ、それでもそれぞれに対する今までの印象の蓄積というのは早々覆せるものではない。特にいつもはきはきと話し、宿題を忘れた生徒に対して容赦のない攻撃(出席簿)を加える熊野がこんなにも暗い顔をしていると、どうにも調子が狂いそうになる。
襖を隔てて少し離れたところで、いつも通りに働いている夏目や遥、凛太の声が聞こえる。それらが遠ざかり、束の間完全な黙が降りた、その時だった。
「仄宮」
鈴谷の声に自然と卓の上を滑らせていた視線をついと上げれば、その黒曜石のような瞳と正面からかち合う。
「静桐が何者かに狙われている。彼女の護衛の助力を、お前に依頼したい」
何者か。曖昧模糊として明瞭でない言い方でありながらも、しかしそこには無碍にできない深刻さが重く横たわっていた。
熊野静桐などというあまりにも普通過ぎる一般人が、請負人などという不審極まりない人間に助力を乞わねばならないような存在に――――狙われている。依頼の異様さはその事実がこれ以上なく裏付けていて、しかしいまいち明確でない頼み方にすぐには首肯しかねた。
ゆえに。
「それだけじゃハイそうですかとは請け負えねェよ。こっちだって遊びで請負人なんてロクでもねェ仕事してるわけじゃねェんだ、狙われてるっていうからには相手の検討くらいついてンだろうな」
沈黙。
意を決したように切り出してきた鈴谷はまたそれっきり黙ってしまったし、熊野は熊野で微妙に状況の飲み込めていないような顔をしている。
「……いやいやいや、本気かよアンタら。何から狙われてるのかもわかんねェ状況で請け負うにゃ、こっちとしてもリスクが高すぎる。それならそうだ、明石機関にでも頼ったらどうだよ。飛龍も扶桑もいるし、何よりテメェの身内じゃなかったか? 鈴谷」
『請負人・仄宮秋流』が依頼を請け負うのは、それがあくまで金になるからだ。要するにビジネスであり、そこに主義主張信念といったものは存在しない。無論やりたくないことはやらないし、請け負ったからには私のやり方で全てやらせてもらうが、そもそもからしてリスクの高すぎる仕事は私は請け負わないことにしている。
完全に断る体勢に入りながらも、とりあえずはと鈴谷の言を待っていれば、彼は再びおずおずと口を開く。
「……明石機関に頼ることは考えた。だが静桐が最初に襲われた日の翌日、機関から別件の通達が入った……俺は今、それを無視してここにいる状態だ。そちらにかかずらっている暇も余裕も、正直ない。だから機関には頼れないし――――ここの店主から聞いて、お前に依頼しようと思った」
内心で舌打ちが漏れる。やはり遥が一枚噛んでいたらしい。知らぬところでそう安請け合いされては困る、後で一言言っておかねばと心に決めたところで、彼はようやくぽつぽつと話し始めた。
「静桐を狙っている奴の名前はわかっている……本人たちがそう名乗っていたからな。だがその理由がわからない……護衛の助力が無理なら、せめてその正体と狙いを探ることを依頼したい」
頼む、と彼は静かに頭を下げた。事態をあまりよく把握できていないらしい熊野もそれにならい、私はといえば言葉に困り渋面になるだけだった。
どうにも弱い。普段教壇の上から言葉を投げかけてくる人間が、こうも揃って頭を下げてくるという状況に、私はたじたじにならざるを得なかった。
はあ、と一つ溜息を吐く。半ば根負けしたような形で、私は確認を取ろうと呟いた。
「……依頼内容は『熊野静桐を狙う人間たちの正体と目的を探ること』。それでいいな」
「! ……ああ」
ぱ、とその顔が上がり、僅かに輝く。ありがとう、と熊野が笑むが、しかしそれを追い払うように私は手をひらひらと振り、きちんと付け足す。
「相応に金はもらうし、仮に突き止めきることができなくとも、報酬の半額はもらうからな。仲良しごっこで引き受けようってんじゃねェんだ、その点勘違いはするなよ。
――――でだ、その名前ってのは?」
釘を刺すように告げてから、彼らが聞いたという名前を問いただす。まずはそれについて遥に情報の持ち合わせがないかあたってから動こう、と思ったところで。
「彼らは飯綱天日と白夜と名乗った……獅凰院家当主名代である、と」
獅凰院家。飯綱家。
この国の根幹を成す皇族御三家、その一角を担う家とその分家――――ものの見事な大物の名前に、依頼なんて受けるんじゃなかったと私は顔を覆うのだった。
***
<7/16(金) 21:22>
【?????】
彼らは、あるタワーマンションの一室にいた。熊野静桐と、鈴谷抹巴である。
飯綱天日と白夜という二人が現れ、その場から逃げ出した夜から彼らは、七木遥が新宿内に複数所有する隠れ家のうちの一つに避難していた。遥は彼らがよく訪れる喫茶店の店主であり、新宿内でも一、二を争う凄腕の情報屋であり、その他にも金さえ積めば様々なものを仕入れてくれる調達屋でもあった。そして同時に信用できる様々な人物に対してパイプを繋ぐ仲介屋でもあり、彼らが仄宮秋流という個人に辿り着いたのはそれのおかげだった。
しかし熊野静桐はそれらのほとんど一切を知らない。彼女にとって遥は年齢不詳ながら親切にしてくれる知り合いだったし、仄宮秋流は自分の受け持つ生徒のうちの一人に過ぎなかったし、――――鈴谷抹巴は同じく教師の頼れる先輩であり、愛する人でしかなかった。
それがたった一夜を境にして激変した。その様変わりの仕方はあまりにも目まぐるしく、一介の教師に過ぎなかった彼女にとっては眩暈を通り越して今にも倒れ込んでしまいそうなほどの衝撃だった。
何よりも静桐に衝撃をもたらしたのは、自分がまるでこの街の――――自分の周りの人々のことを理解していなかったという事実だった。無理もないことだと理性では理解しているし、実際彼らがどういった存在なのか、静桐自身も未だに把握しきれないでいる。抹巴も、遥も、仄宮も、そしておそらくは自身が慕い慕われる飛龍や扶桑に至るまで、彼らはもう一つの面を見せる必要がないと判断したからこそ隠していたことは理解できるし――――こういう事態にならない限り、それは自分が死ぬまで続いていただろうことは容易に予想できる。
夕方に見た仄宮秋流、あれはおよそ『熊野静桐の生徒』ではなかった。最初はそういう風にも見えた。だが彼女が「求めるものは生徒か、請負人か」という問いを発し、それに抹巴が後者を答えた時から、あの鋭く細められたレンズの下の瞳には何か得体の知れない恐ろしさが漂っていた。静桐の言葉に最低限の敬語で返しつつ、苦い顔をしていた年相応の彼女ではなく――――全く根本から別種の「仄宮秋流」という人物が居るように、静桐には思えたのだ。
抹巴に対しても同じ。あの夜彼女の手を引っ張って駆けていく彼の横顔は、いつもの彼と同じようには見えなかった。しかしそれでも、彼らが『隠したい』と願っていたことに対し、どこかに『ずるい』という気持ちが在ることは静桐も否定することはできなかった。好きな人ならばすべてが知りたい。そう願うことは決して罪ではない、だが抹巴自身は決して見せたくはなくて懸命に隠そうとしていたことを、意図していない形でとはいえ知る形になってしまった――――それに対する『後ろめたさ』も、同様に。
そういった感情と混乱が渦巻いて、静桐は今にも全てを投げ出してしまいたかった。だが考えることを放棄せず、気絶に身を任せてしまわないのは、ただただ今は彼女の身を案じ、どうすればこの状況から抜け出すことができるか必死に思考を巡らせている彼がいるからに他ならない。
「……先輩」
呼ばう。見つめる彼の背中は普段に輪をかけて細く、折れそうなほどに憔悴しているように静桐には思えた。
ふ、と窓際の背中が頼りなげに揺れ、振り向く。あまり眠れていないのだろう目元には薄らと隅があるが、それでも光沢を放つ黒瞳には自分よりも静桐を案じているのが見て取れた。
静桐が腕を広げれば、抹巴は吸い寄せられるように彼女を抱き寄せ、僅かに体を弛緩させる。依然強張ったままのそれをほぐすようにと彼女が背を撫でさすれば、彼はふと言葉を零した。
「すまない、静桐……俺がもう少し、どうにかできれば」
「そんなに気に病まないで、貴方のせいじゃないんだから……。それより、訊きたいことがあるの」
静桐の言葉に、抹巴は彼女の腕の中で小さく震えた。まるで犯してしまった過ちを咎められるのを、おそれる子供のように。
そんな彼に対し、彼女はあくまでも凪のような調べで続きを紡ぐ。
「あたしがどうして狙われてるのか、それは分からない。だからそれは尋ねないわ。ただ、一つだけ。――――貴方のことを教えてほしいの」
貴方がどういう人間なのか。
貴方のまるごとを教えてと願うのは、あたしの我儘かしら。
まるで祈るような沈黙が、仄かに薄暗さを伴う室内に降り積もる。そして言葉が発せられる前に、より強く彼は静桐を抱き締め。
「……すまない……」
絞り出すように押し出された言葉が、沈黙の上に重なる。それは溶けることなく、「いいの」と答えるしかできなかった静桐の胸の内に、澱のように積もり、凝っていく。
しかしそれを彼女もまた認めようとはしなかった。彼だって辛いのだ、だからそんな余裕がなくとも仕方ない――――そんな言葉で、自らを誤魔化すようにして。
夜は更けていく。そしてそれと同時に、彼らを追い込まんとしている蜘蛛の糸が徐々に輪を狭めていくことを、二人はまだ知る由もなかったのだ。




