Act.60
<Act.60 6/6(日) 14:37>
【仄宮秋流】
陣。
術式。
“偽典聖杯”。
魂を傷付けた夫。
その眠りを嘆く妻。
犠牲にされる者と、犠牲を強いる者。
世界は厳しい。いっそ無情なまでに残酷で、流転し常に移ろい逝くのが理だ。生あれば必ず死は訪れる――――だがそれに抗おうとした大馬鹿者を見るのは、私は二回目だった。
一回目は、持つものが規格外すぎた。その結果として私は今この場に立っている。その私が――――抗う者によって蘇った私が、今度は抗う者を止めることになるとは、いかにも皮肉がきいている。クソッタレと内心で唾を吐く。
いつもと同じように淑やかな麗人は、いつもとは異なって憂いの顔をしていた。その差異が、場所とあいまって私の目には余計違和感として強く映る。
「だからって、」
言葉が落ちる。無駄だと知りながら、
「誰かを犠牲にすることが、許されるとでも思ってンのかよ……?」
「思っているとでも思って? その問いかけは何にもならないこと、わかっているでしょう。秋流さん――――貴女こそ、わざわざここにきたのは何故?」
お前は下の校庭にいるべきで、ここにいるべき者ではない。それは、私が裏世界側であることを否定し、表世界側であるべきだという押しつけ――――否、彼女の思い込みだった。
だから、こう返した。
「茅野夏目を取り戻しに来た――――つもりだったんだがな。今もう一つ増えた。アンタの企みを破壊する」
それも目的だ。
私は扇子でつい、と彼女の顔を差した。巡さんの表情がにわかに強張る。
「全ての元凶、その陣はこれだろ。道理でわからなかったわけだ。今日この日、体育祭の間なら基本的に校舎には人はいない。その上あのザル警備だ、少し人のいないタイミングを見計らえば侵入自体は容易。プールの鍵は……まァ、八榛が共犯だったんだ。アイツが盗むなり合鍵を作るなりすればいいだけだろうさ。
それでもって八榛は、茅野をダシにして私を連れ回し校舎に散在する術式のトリガーを引かせつつ、プールという選択肢を早々に排除してみせた。見事なモンだ」
彼女らにとっては、二宮灰と扶桑朧は大層なイレギュラーだろう。彼らがまさか術式の在処を掘り当て、防衛までも起動させてしまったなどと――――
――――?
そこまで考えを進めたところで、違和感が脳裏を掠めた――――気がした。
だがその正体を突き止めようとしたところで、巡さんの腕がふいと動き、指先がプールの中を差したのに視線を取られる。
「彼女はあの中よ。取り戻せるなら、やってご覧なさい。私は邪魔をしないわ」
あの中。
指先は依然として並々と水を張られさざめき立つプールを差している。怪訝に眉を顰め、水中を探るように凝視すれば、ほどなくして気付いた。
茅野は、そのプールの中に沈められていた。頭側をこちら、プールの入口側へと向け、仰向けに。しかしその体は不思議と沈むこともなく、揺れる波に攫われてあらぬ方向へと漂っていくこともなく、ただただ水中に“静止”し続けていた。
異常だった。その上彼女は、自分の意思があるようにも見えない。周囲、波間に僅かに煌いて見えるのは繭にも似た何かで、それもまた水など存在しないかのように静止したまま茅野を包み込んでいる。
繭の中だけ凍っているかのようにその場に留まって、しかしそれでいて彼女のショートカットが流されてゆらゆらと無軌道を描くのは、なんともそぐわない光景だった。
「行かないのかしら、秋流さん?」
「……、」
押し黙ったのには理由があった。私の感覚が告げている、あの繭は魔力の塊で、それこそ今この身のうちにある“聖杯”の片割れをも超える量を持っているのだと。
それが徐々に収縮している――――正確には、その全てが茅野夏目という一個人の肉体の中に流れ込んでいる。その中に私が仮に飛び込んだとして無事でいられる可能性は、考え得る限りとてつもなく低い。
単純な総量の問題だ。“聖杯”によって維持させられているこの体は、つまり“聖杯”が生み出す魔力によって維持させられているといっても過言ではない。そんな私が、自分が持つよりも途方もなく大きな魔力の中に飛び込めば、きっと圧で押し潰されてしまう。よくこれをカモフラージュできていたものだ。茅野を認識するまでまるでそれを感じることがなかったからには、認識阻害の術式をもかけられているのだろう。
かといって放置することもありえない。魔力というものに多少なりと耐性がある私とは違い、茅野夏目にはそういったものが全くない。完全に人の身に余るものを無理矢理器に詰め込まれれば、その中身がどうなるか――――考えずとも理解できるし、きっとそれが目の前の麗人の目的だ。
策を探る。案を練る。茅野夏目を救い出すための。しかし脳を回しても出てくるのは謀ともいえぬものばかりで、そして意識は自然と握り締める扇子へ向く。
――――ああなんだ、あるじゃないか。何より最適で、一番目的に叶った“武器”が。
「――――<蘭帝・飛燕招来>ッ!!」
高らかに呼ばえば雷のように光が閃き、手にした扇子が柄となり刃となる。振り抜けばそれは、私の中で高まる戦意に呼応してじりじりと焦がれるように煌きを返した。
ゆらり揺らめく水面が反射して、銀の刃に映る様は刃紋のよう。しかしそれさえも切り裂くように、私は太刀の切っ先を彼の麗人へと差し向けた。
「アンタを倒す。考えるのなんざ私らしくねェ、まずはアンタをはっ倒して、このロクでもない目論見を全部叩き割る。そったら自然と儀式も止まるさ」
「乱暴なのね、でも素直で真っ直ぐな人。私はそんな貴女が好きだったし、貴女の隣人で在ることは快い日々だった。――――でもそれとは、もうお別れね」
一瞬だけ、その笑みがいつもの朗らかなものに映った。されどそれは儚く消え、後には冷に徹した鉄の仮面だけが残る。
「起動――――空想神域」
凛として張り詰めた声が響く。それは漣を越え、空を滑り――――
――――――――鈍ッ!!
「ッぁ、なんだこれ……ッ!」
突如、私は強烈なまでの重力に襲われた。立っていることさえままならず片膝をつくが、一方彼女はまるで身軽だとでもいうように着物の袖をゆらゆらとさせている。
「重いでしょう? これは私の心象。苦悩の重さ。私が苦しんだ分だけ、貴女にかかる重みは増していく。――――顕現の壱」
滔々と、されど淡々と語る巡さんは右手を虚空に差し向ける。するとその手の中に、ちょうど飛燕と同じくらいの長さだろうか、それくらいの銀色の棒が現れた。
体が重い。まるで全身に鉛の塊をぶら下げているように、普段難なくこなす動作の一つ一つが途方もなく感じられる。つかつかと私の前に歩み寄るその姿はいっそ無防備なほどなのに、満足に相対することさえままならなかった。
棒が振り上げられる。上向けた視線の端に彼女の顔が見えたが、差し掛かる太陽を背にしているせいでその表情は見えなかった。
振り下ろされる。
玩ッ!!
「ッ、痛……!」
棒は思い切り左肩を殴打し、続けて頬を張るように横を薙いだ。そして今度は右肩。まるで金属をスクラップにするかのように無造作に振るわれるそれには、いっそ清々しいほどに技量というものがなかった。普段ならばこんな隙だらけの打撃、避けた上で反撃を叩き込むくらいのことは造作もない。
成す術もなく殴打を受けながら、それでも考える。私の動きを鈍らせているのは――――魔力。おそらくは自分の感情を火種に、魔力を爆発させて私に負荷をかけ続けている。これが本当の重力であったなら、今頃この校舎は半壊していることだろう。正体が魔力であるなら、私には抵抗できるはずだった。
外部からの衝撃ではなく、内部に集中する。私の心臓を成す正真正銘の“聖杯”の力を揺り動かし、体内で魔力を循環させる。絶え間なく駆動する輪をイメージし、その通りに魔力を乗せ、乗せ続け、――――それが、彼女の心域に触れる。
鋼ッ!!
「! なん、」
「アンタが思うより私は器用で、魔力の扱いにも慣れてンのさ。一方的にボコられるのも癪だしな」
振り下ろされた棒を飛燕で受け止める。やはり普通の鉛ではなく、彼女の神域内で生み出されたものだからか、その衝撃で断ち切れるというものではなかった。
しかしそれで生じた彼女の隙は大きい。掌を軽く握り、いつも通りには程遠くともある程度動けることを確認してから、しゃがんでいた状態から勢いよく立ち上がり――――思い切り、頭突きを叩き込む。
「~~~~ッ!?」
巡さんの体が後ろに傾ぎ、たたらを踏む。その瞬間を逃すことなく素早く足払いをかけ、綺麗にあわされた着物の衿を乱暴にひっ掴み、宙空に浮いたその体を思い切りプールサイドに叩きつける。
「かはッ……!?」
私は襟を離すことはなく、そのまま素早く馬乗りになった。息が詰まったか苦しそうな顔をしている彼女に、それでも手を緩めることはなく一、二発右手に握った柄でその頬を張る。
上下関係は覆した。ここからが本番――――と思ったところで、懐から喧しい音が鳴り響く。
Prrrrr
「あん……?」
音源は懐に突っ込んだままにしていたスマホだった。刀を傍らに突き刺し、襟を片手で締め上げ身動きをとれなくしてからその電話に出る。
否、出ようと耳元に近づけた時だった。
「けんげ、んの、……に」
喘鳴の中に小さく零れた言葉を契機に、予感が私を貫いた。寄せていたスマホをふっと離した瞬間、
飛っ!
飛っ!!
握ったスマホごと、衝撃が右手を貫く。叫びが口を衝いて出そうになるのを唇を噛んで押し殺し、私はその隙間から零すように漏らす。
「流石に……ッ、これは、痛ェな……ッ!!」
一本目は私の耳元を掠めてあらぬ方向へと飛んでいった。二本目は離した場所に寸分違いなく打ち込まれ、矢は見事に私の右手とスマホを串刺しにしていた。
衝撃に次ぎ、遅れて響くような痛みと熱さが右手を襲う。しかしそれに気を取られている場合ではないと、左手で刀を掴み取りその場から大きく飛び退きつつ第三射を疑った。目で探るが、見える範囲に飛び道具らしきものは存在しなかった。
「けほっ……。私だって、そんなに甘くはないわ。秋流さん」
姿がふらつきながらも立ち上がる。こちらを見据える瞳はある種覚悟を秘めたもので、確かに私も甘かったと認識を改めざるを得なかった。
「……そうだな、私もらしくねェ手心なんてモンを加えちまったみてェだ。本気でやろう、本気で――――な」
ズブッ!
気合で突き刺さった矢を思い切り引き抜く。心臓を引き千切るような激痛が走るが、唇を思い切り噛んで堪える。右手から滴った血が生暖かく足元を濡らした。返しのない真っ直ぐな矢だったからまだよかったが、これが普通の矢であったならばこの程度では済んではいまい。
「……ッ、」
引き抜いた矢を後ろへと放り投げる。脇に突き立てた飛燕を左手で引っこ抜き、使い物にならなくなった右手をだらりと下げて――――構える。
「こっちは利き手が使えなくなって左手縛りだ。ただまァ、アンタ相手にゃいいハンデだろ?」
にいっと口の端を吊り上げれば、巡さんの表情が強張った。その雰囲気がますます凍る。
口では調子の良いことを言ったが、実際のところはギリギリにもほどがあった。ただそれでも、私は彼女を止めねばならない。
――――そういやハルト、アイツは一体何の用だったんだ?




