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帝國ロストヰデア  作者: 聖木霞
Ⅲ 鳴雷月編
62/76

Act.59

<Act.59 6/6(日) 14:17>


【仄宮秋流】


 ――――走る。

 どこへ向かえば良いのかもわからず、それでもただ足を止めることだけは許されないとばかりに、唯。

「(クソッ、例の術式とやらは、一体……ッ!)」

 まるで在処が分からなかった。茅野を探す時に校舎内はくまなく見て回ったのだ、少なくとも一瞥して違和感くらいは感じ取れるはず――――しかし、そんな教室は一つもなかった。

 普通の教室ではなく、特別教室に在るのか? いやそれとも、いっそ私が見落としていただけで廊下に在ったのやもしれない。あの犬モドキとの交戦に気を取られていて、見落としていた可能性も多分にある。

 しかしそのどれも説得力に欠ける――――そして、何よりも時間に欠ける。


『僕らの“儀式”はもう終わりに近づいている。だからもう、今更止めたところでどうしようもないのさ』

 八榛キオの声が脳内で反響する。それは迫る刻限を知らせると同時に、どうしようもなく私を苛立たせた。


 あの無表情が気に障った。上手く言葉に落とし込むことのできない苛立ちが正常な思考を奪い、ついには足を絡めとって人通りのない校舎脇に縫い留めてしまう。

 茅野――――茅野夏目。結局探し出すことも叶わず、その上彼女を犠牲にする術式の進行を援けてしまったのだからやるせない。意図しないことだったとはいえ、こればかりは弁明のしようがない。

 だが、だからこそどうにかせねばならない。どうにかせねばならないにも関わらず、そのための手がかりがまるで一向に見えてこない。

「……ッ、」

 衝動的に懐に手を突っ込み、入れっ放しにしていたスマホを手に取る。コールするのは、あの憎々しいまでに気障な吸血鬼。


 Trrrrrr


 焦燥が胸を焦がす。早く出ろ早く出ろと念じれば念じるほど、心臓をがんじ絡めにされたように息が苦しくなる。


 Trrrrrr

 Pi!


 やっと出た――――無限にも思えたコール音ののち、私は堰を切ったように、


「――――手伝えッ!」

『分かった。俺はどうすればいい?』


 詳しい理由を求めることもない。無駄に頭の回るアイツのことだ、大方のことは理解しているのかもしれないし、していないのかもしれない――――それでも彼は「時間がない」という事実だけを端的に汲み取り、率直に「何をすれば良いか」だけを求めてきた。

 その反応と切り替えの早さに詰めていた息を吐きながら、必要なことだけを手短に話す。即ちこの学校を覆い、何かしらを遂げようとしている術式の存在を。

「それを見つけて、破壊しろ。ああ、いや……やっぱなしだ。見つけたら一回連絡を寄越せ、茅野がそこにいる可能性がある」

『分かった。俺は一度屋上に行こう、高いところからの方が広範囲を確認できる。他にお前が確認できていない場所は?』

 ない、と言いかけてやめる。ちょっと待て、五階のある二つの場所だけ、直接確認することのできていない場所がなかったか?


『プールも技術室も、きっちり施錠されていたよ』

 五階だけは、私と八榛は手分けをして確認をした。だから私は音楽室と美術室の確認をしていて、――――残る二つの場所に鍵がかかっているということを、直接確認はしていない。そしてプールに至っては、中を覗くということさえしていないのだ。

 もし、八榛キオの発言が嘘だったとすれば?

 私の思考から「プール」という選択肢を消し去り、場所を押し隠すための仕込みをあそこで行っていたとすれば。


「――――ッ、ハルト、私はプールに行ってみる。八榛の仕掛けたミスリードだった可能性があるし、屋上もそもそも立入不可で確認さえできてねェ。……頼む」

 一瞬息を呑むような気配がした後彼は、

『成し遂げてみせよう。それがお前の頼みなら』

 何故かそう、どこか嬉しそうな声を残して通話を切った。

 スマホを懐に滑り込ませる。扇子を握り締めて、焦燥を振り切るように私はその場を駆けだした。床を蹴り、反比例して冷え切る空気を突っ切り、足を絡め取るような踊り場の影を踏み台にして階段を駆け上がる。

 そしてあっという間に五階、プール入口の前に辿り着く。

 意を決してノブに手をかけ、力を込める。――――果たしてそれは、阻むことなくゆるりと回った。

「……ッ、」

 やはりあれは嘘だった。となれば、ここが術式の本当の場所――――儀式の行われる“祭祀場”であるのはほぼ確実とみて間違いない。でなければ、犯人である八榛キオがわざわざ嘘を吐く理由がない。

 ハルトを使う必要はなかった。だがあの会話がなければ私はこの事実に気付けていなかっただろうし、無駄ではなかったと思う。

 静かに引き戸を開く。更衣室に染み付いた塩素の臭いに気をやる余裕もなく、女子更衣室を抜けて静かにプールの方へと向かう。

 僅かにちゃぷ、ちゃぷ、という漣の音が聞こえる。例年、うちの高校のプール開きは六月の下旬だ。六月の頭も頭、始まったばかりの今日にプールが水で満たされているはずなど本来はありえない。

 ということは、術式はプールの中だろうか――――そう、別のことに思考を巡らせていたから、目に飛び込んできた情景を理解するのにいくらかかかった。


「――――あら? どうして秋流さんが、ここに?」

 誰より美しく着物に袖を通す麗人。微妙に調子を狂わされる愛すべき隣人。

 どうしてここにいるのか――――神無月巡に対し、問い質したいのは私の方だった。


 混乱する。あまりにも目の前の情景がそぐわない。なんだって私の高校のプールサイドに、いつも通り唇に紅を引いた和装の女性がいるのか――――いなければならないのか。

 人間、特異な状況に特異な状況が加わると、フリーズするのではなく逆に脳が回転するものだ。認めたくないと叫ぶ感情に反し、理性はどこまでも冷静に冷徹に、目の前の状況を分析していく。

 『僕らの“儀式”』という言葉。

 八榛キオが私を見逃した理由。

 神無月巡がこの祭祀場にいる必然性。

 『着物の女性』をハルトが見かけたという事実。


 “神無月巡がこの事態を引き起こしたもう一人の首謀者である”という一つの仮定を、それら全てが見事なまでに立証してしまうのだ。


「アンタが――――この術式を」

 絞り出すように、確かめなければならないことを問う。心の中では否定を願いながら、しかし頭はその願望をこそ冷静に否定し――――

「ええ、そう。正確には、私たち、というべきでしょうけれど」

「ッ、」

 声も、決して否定することはなかった。

 いつものように柔和に微笑む彼女は、けれど私がどうしてこの場にいるのか、全て理解しているのだろう。だってこの時この場に辿り着くことができるのは、全ての真相を知る者だけに限られるから。

「歓迎する――――とは、いえないわ。お店ではないもの。もう少しで儀式は完成し、――――そして“聖杯”が完成するのだから」


 “聖杯”。


 あらゆる願いを叶え、あらゆる望みを全うする万能の願望機。

 私の心臓を成し、ハルトの心臓を成すもの。

 唯一として無二とない、世界創生にして原始原初の点。

 それを――――完成させる、とこの女は言った。

 あり得るはずがない。それは原則“此の世にたった一つのもの”だ。だからこそシャルラハロートをはじめとする吸血鬼一族がその血と力の全てを挙げて守護し、また無限に追い求める者が生じる。

 その力は完全に死んだ一人の人間を、条件付きとはいえ完全に蘇生させるほどのものだ。生と死、此の世で最も超えることの叶わぬ壁をあっさりと超え、維持し続けるなどという最大級の炉心が、そう易々と複製できるはずがないのだ。

 私のその疑念を見抜いたか、彼女はくすりと笑みを深めて「ええ」と頷いた。

「もちろん、本物の“聖杯”になど及ばないわ。貴女と、ベルンハルトさんが二人で持つ正真正銘の“聖杯”、世界の核たる最大炉心。でも、それに似たものなら作ることができる」

 私たちは、間もなく完成するそれを“偽典聖杯ぎてんせいはい”と呼んでいます。

 その言葉が、やけに遠く聞こえた。グラウンドのほうから聞こえる喧騒と歓声が反響して、その中に混じることができていればとあり得ない結末を夢想しかける。

 “聖杯”、“偽典聖杯”――――いずれも、目の前の人間から発せられているとは思えないほど浮世離れした言葉だ。神無月巡は、呉服屋の店長で、和服を着こなす淑やかな大和撫子で、慎ましやかな日常に生きる隣人で、――――これ以上なく、“普通”の人だった。そのはずだった。

 だがそれは幻想であったと今この瞬間に理解した。

 だから。

「どうして、……そんなものを創ろうと思った」

 脳裏を覆う夢想を振り払い、腑抜けそうになる心を叱咤して踏ん張る。

 まずは、経緯をつまびらかにしないことには進めない。

「……いつだったかに話したわよね。私、夫がいるの。けれど事情で会えないって」

 記憶を遡れば、それは四月のこと。街中で出会った彼女と、立ち話の折にそんな会話をしたのを覚えている。

「事情、というのはね――――夫は、植物状態なの。魔術師だったけれど、術式の構築に失敗して、その魂に傷を受けてしまった」

 だから、それが癒えない限り永遠に目覚めることはない。

 魂の傷を癒す方法など無いに等しい。魂とはようは、その人間を構成する最も大事な要素群だ。核、と言っても良い。それに損傷を受けるなど、滅多な術では早々起こらない。

「――――それとこれと、どう関係があるんだよ?」

 だがそうだ、彼女の夫が目覚めないことと、明石高校全体を巻き込んだ術式を構築することとは、まるで関連性がない。それは悲しいが、悲しいだけの話なのだ。

 怪訝さを視線に込めて彼女を見つめれば、巡さんはその微笑みに一縷の悲哀を溶かし込んで告げる。

「だから私は、夫が協力していた『魔王軍』の列に加わって、その代役を務める代わりに、ある術を見つけてきたの」

 それはね。


「なんでも願いを叶えてくれる“聖杯”、それを創る術。――――代償は、多くの人間の命と一人の人間の全て」

 嗚呼、これで繋がってしまった。そして、彼女が表世界ふつうの人間なのではなく、裏世界いじょうの人間であるということが確定してしまった。


 魔術師なんてろくでもない。たった一人の魂を癒すために大勢の人間を犠牲にするなんざ、まともであるわけがない。

 普通の彼女を信じる私は、無残に踏み躙られた。――――そして、最後の激闘が幕を開ける。

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