Act.55
<Act.55 6/6(日) 14:00>
【仄宮秋流】
「――――そういうことだったか。ったく、本当に悪魔なんてモンが出てくるとはな……」
「?」
「気にすんな、こっちの話だ」
嘆息を零せば二宮が扶桑に投げられた帽子の隙間からこちらに視線を送ってきたが、私はその視線を振り払うように手を振った。
校舎裏。二宮と扶桑が正体不明の陣を発見し、“悪魔”と交戦した場所へと私たちは来ていた。それまでの間にお互いの情報は共有してある。昼頃ハルトたちと話していた際に引き合いに出された“悪魔”が、まさか本当に関わっていたとは。
「おそらく、私が交戦したほうがトリガー。だからあえて不完全に召喚されていた」
「そして、僕らが交戦したほうは、術式を守るために犯人が設置したガーディアン、と考えるのが妥当か」
「悪魔なんてロクでもねェモンを本当に召喚するような奴がいるたァ、流石に夢にも思わなかったがな……」
思わず本音を漏らせば、二宮は自身が口にした「犯人」という言葉に一瞬沈鬱そうな表情を見せたが、しかしそれもすぐぱっと消えてしまった。
切り替えるように彼は先陣を切って駐車場の隅、木の植えられているところへとつかつかと歩み寄り、なるほど確かに彼らが掘り返したであろう場所を見下ろした。
「ここにあったあの陣は、悪魔召喚のための陣だったのか、――――それとも術式自体の陣だったのか」
「分析は扶桑に投げてンだろ? 確か」
「ああ、彼に、正確には彼のバックにいる明石機関に。僕はそういうことはとんと不得意だから」
そういって浮かべた申し訳なさげな笑みを見、私は改めて「コイツは向いてないな」と思った。
何に向いていないかといえばとことん荒事に。その柔らかさ、穏やかさは平時では長所だろうが、裏社会、血と砂埃の舞う場においていちいち心を痛めていては身がもたない。しかしそれを理解できないほど無知でもないようなのが窺い知れた。
聡明、なれどひたすらに愚直。テレビの中での二宮灰ではなく、今目の前にいる人間「八榛灰」はそういった印象だった。
Trrrrrrrr
「あ?」「あ」
鳴ったのは、二宮のスマホだった。彼は少し慌てた様子で懐から端末を取り出し、通話を始める。
「扶桑くん? ……あぁ、うん。……解析が終わったんだって? ……あぁ、ありがとう。……うん、うん、……ありがとう、助かった」
思ったより通話自体は短かった。彼はスマホを懐にしまいこみ、改めて私へと向き直る。
「扶桑くんからだ。明石機関の方で行っていた解析が終わったらしい。――――僕と彼が見つけた陣について」
「内容は」
「うん。あれは悪魔を呼び出すための陣であると同時に、一つの術式を織り成すうちの一つの陣である、らしい」
悪魔の召喚陣であり、一つの大きな術式を構成するパーツとなる陣――――つまりは、一つの完成した術式の形を持ちながらも、それを全く別の陣を稼働させるための一パーツとして扱っている?
考えれば考えるほど、気の遠くなるような話だった。一言でいえばモザイクアートの魔術版というわけだが、その難易度がそんなものの比ではないことは、そういったものに多かれ少なかれ触れる人間ならば嫌でもわかることだ。
魔術とは、魔力を己が欲望に叶う形に運用するための術である。当然それは物体の創造だけでなく変換、付与、応用と発想次第で様々な形を取り得る。術式というのはいわば機械でいうプログラムのようなもので、もっぱら魔術運用のプロセスの簡略化に使われる。魔力というエネルギーを『通電』させることで、あらかじめプログラムした通りの現象を引き起こすのだ。
しかし機械と異なるのは、その動力源となる魔力が電力と違い非常に不安定だという部分だ。科学によって突き詰められ解明され開発された電力とは異なり、魔力は『元々この世界に在るもの』である。それが何でできているのかを調べるどころか、シビアかつ危険な条件が揃わなければ視認さえできないというシロモノな上、扱う人間の素養――身体、精神、感情、環境、およそあらゆるモノ――によってその有り様は大きく変化する。
ゆえに、『複数の術式を組み合わせて一つの術式とする』などという芸当は、そもそもの難易度が馬鹿げている上にあまりにもリスクが高すぎた。少し加減が狂っただけで、あるいは少し苛ついていたというだけで不具合を生じさせかねないモノを何個も何個も重ねて作る。その不具合が多少周囲が焦げる程度で済めば良い。悪くて四肢のどれかが吹き飛ぶ、最悪街一つが吹き飛ぶなんてことも――――全く無いとはいいきれなかった。
この陣はさながら、泥でできた砂上の楼閣のようだった。悪魔召喚なんてものを実現させ、その上あの扶桑とそれが褒めるこの男を苦戦させたくらいだから、一つ一つはきっと精緻だ。芸術といっても差し支えなかろう。
ただ、それでも泥は泥。全体像が掴めたとは言い難いが――――その楼閣自体は醜悪だろう。
正当な手段でなく魔術などというろくでもない手段で実現させる願いなど、歪で醜くないわけがない。
「――――で? その陣が一部になってるもっと大きい、根本的な完成形の術式のほうは」
「こっちはあくまで推測、だそうだけれど……この学校の敷地全体を“囲い込む”、そういうモノらしい」
煮え切らない、そしてあまり明確ではない言い方だ。ただ二宮は二宮で考えをまとめているのか、少し間を置いてから、
「物理的な結界、というよりは魔力的な結界だ。この学校には独特の魔力の流れがある。それは多分、明石機関の本部が下にあるだからなんだろうが……その流れを意図的な方向へと変更する――――そういう術式だ」
『囲い込む』と表現したのはそういう理由か、と納得する反面、さらりと暴露された衝撃の新事実に私は半ば呆れ返り、
「アイツらの本拠地、よりによってここの下かよ……」
「? 仄宮さん、知らなかったのか? あんなに扶桑くんと仲が良さそうだったのに」
「あんなのと仲がいいとか死んでも御免被る。しかしまァ、道理で飛龍が気付いてなかったわけだ」
むしろ扶桑が気付けたのが異常と言える。明石機関員である彼らは、学校で教員として勤めているのに加え機関員としての仕事も果たしているのだろう。であればこの敷地内に滞在する時間も必然的に長くなるだろうし、そうなればただでさえ感じ取るのが難しい魔力の流れの異変に気づけないくらいに鈍感になってしまうのも、まあ理解できなくはない。繰り返し言うが、扶桑が気付けたのはアイツの感覚が馬鹿みたいに図抜けていただけだ。
まあ、アレは実際馬鹿だが。
「流れを変えて、それを元手に術式を動かしてるってワケか……同じように隠されてるのをいちいち掘り返すのも面倒くせェ、大元の陣があるはずだ。それを探すぞ」
「その必要はないよ」
突如聞こえた声に、振り向く。
駐車場の入口に佇んでいたのは、相も変わらず茫洋とした表情の八榛キオだった。
「キオッ! どうしてお前、」
「どうしてかって? 僕らの“儀式”はもう終わりに近づいている。だからもう、今更止めたところでどうしようもないのさ」
儀式。
その言葉で、彼がこの事態を引き起こした犯人だということが判明した。
確定して、しまった。
ちらりと二宮の顔を窺う。考えた通り、彼の顔色はお世辞にも良いとは言えなかった。当然だ。ろくでもない泥の楼閣の主が自身の弟だなどと、信じたくはなかろう。
だが現実だった。どうしようもないくらいに――――現実は非情で、これ以上ないくらいに冷酷だった。
「仄宮、君も俺に付き合ってくれてありがとう。君のおかげで俺は『悲願』を果たせる。そのための歯車になってくれたこと、心から礼を言うよ」
「ありがとうとか礼を言うとか、上から目線で大層な物言いじゃねェか……なァオイ、八榛キオ。お前は一体、何を企んでる?」
沸々と滾る。何食わぬ顔で私に片棒を担がせた彼にも、――――そして何ら疑うことなく茶番を演じさせられた自分自身にも。
悪魔を召喚するくらいだ。少なくともあんな生半可な犬モドキを退けることができるくらいには、彼自身の戦闘能力もきっとあることだろう。しかし考えの足りなかった私は要らぬことまでアイツに喋ってしまった。
きっと腹の中では嗤っていたことだろう。しかしそれより何より、私の怒りの中心は他にあった。
「お前がッ! 『茅野を探したい』って言ったあのお前の言葉は、――――気持ちも、嘘だったのかよッ!」
「――――――――嘘さ。だって、茅野を攫ったのは俺たちだもの」
攫った人間が探したいなんて、冗談にすらなりやしない。
だからあれは、君を巻き込むための方便だったんだ。
ごめんね。
「……ッ、」
――――滾るような感情が、一転して冷え固まっていく。氷柱を突き刺すように、向けられた言葉が徐々に熱を奪い、沸騰した頭ごと無理矢理冷却して凍えさせていく。
どこまでも彼の態度は、嘘だった。全ては私を巻き込み、引き金を引かせるための騙し事。
ふと、脳裏に化学室の壁を眺めていた彼の姿が蘇った。壁などではない、その遥か向こうにある兄の姿を見るような、あの茫洋とした眼差しを。
あの時吐露した彼の兄への思いは? ――――あれも、嘘だったというのだろうか。
それではあまりに――――隣の男が、報われない。
歯を砕けんばかりに噛み締める。唇の隙間から、抜刀と共に太刀の名前を結ぼうと開きかけたその時。
仄宮さん、と俯いた男の唇から零れ落ちた。
「君は、この術式の大元を破壊してくれ。――――僕は、キオと向き合わなきゃならない」
静かだった。しかし確固たる思いの秘められた言葉だった。
柔弱だと思った。だが上げられたその面は、堅固たる決意のものだった。
私の中の怒りが鎮まっていく。その熱量をかわりに受け取ったかのように、二宮――――否、八榛灰の瞳の中で瞋恚が燃え盛っていく。
「弟の馬鹿を止めるのも、弟と一緒に謝るのも、兄貴の役目だから。……ここで逃げたら、扶桑くんにも怒られそうだしね」
そう言って少し笑ってみせたのは、先ほどまでの彼だった。扶桑が怒るような理由がどこにあるのかは、私にはわからない――――だが、どうやら悪い影響ではないらしい、ということは見て取れた。
飛燕を取り出そうと構えたのを解き、「任せた」とだけ彼に残して私はすぐに駆け出す。
八榛キオの脇を通り過ぎるが、彼は私を止めることも、何も言うことはない。
最早お前に口で伝えることは何もないと言わんばかりに。しかし、すれ違いざまに交錯したその視線の中には――――朱い焔の色が、揺らめいたような気がした。




