Act.51
<Act.51 6/6(日) 12:00>
【仄宮秋流】
「――――結局、茅野は見つからずじまい。か」
「手詰まりかな……」
校舎一階、ロッカー前。玄関口となっているここは外の喧騒とは裏腹にしんと静まり返っており、人気の無さをうかがわせた。
四階での一戦ののち、私と八榛はその後も二回交戦した。それぞれ三階の生物室前廊下と、二階の西階段前。出現したのは変化なく、あのぐずぐずになりかけた犬モドキ。しかしそのいずれにおいても斬り伏せてすぐ死体は消滅してまい、私たちは結局アレがなんなのか全くもって掴めずにいた。
明石高校全体に渦巻く得体の知れない気配の元凶――――だったにしては、あまりにもちゃちすぎる。私の一閃でねじ伏せられる程度の雑魚が原因だったならば、この感覚の奥底にこびりつくような、いつまでもいつまでも視界の端にちらついて離れない羽虫のようなうざったさはとっくに消えていて良い頃だ。
そして肝心の茅野捜索も、校舎全体を周り終えてしまったことで見事手詰まり。これ以上探せるところといえば、それこそ草の根を掻きわけることくらいしかできないわけだ。本当に彼女は登校しているのかと疑いたくなるような――――
何かが、ひっかかりかけた。思考を反芻し、論理がなぞった道筋を再度振り返ろうとしたところで、「おいお前ら」という聞き慣れた声が背後から上がった。
「! なんだ、飛龍かよ」
「なんだとはなんだ、仮にも担任だぞお前……」
まるで気付いていなかったことに内心冷や汗をかきつつ振り返れば、そこにいたのは紫煙の匂いを微かに漂わせた長身。普段の私服とは違いうちの学年のジャージを着ているそれは、私と八榛を見、「何してんだこんなところで」と言葉を続ける。
「茅野を探してる。登校してるんだろ?」
「……それがなあ」
歯切れの悪い言葉に、私と八榛の視線が向く。彼はがしがしと乱暴に頭を掻くと、渋い顔をして続けた。
「俺も不審に思って親御さんに電話してみたんだがなぁ。どうにも、『今朝がたきちんと家を出ていった』と答えるばかりで。どうしようかと思ってたところだったんだよ……お前らは? 競技をサボったことについてはまたあとで小言を言うとして、だ。茅野を心配する気持ちも分かる、何か変わったことはなかったか?」
茅野はきちんと登校している。登校するために家を出ている。であるというのに一度も会えていない――――この事実を気に留めつつ、逡巡する。即ち「あの犬モドキと遭遇したことをこの担任に伝えて良いものか」と。
結論はすぐに出た。この男は明石高校数学教師で、2-Cの担任で、そして同時に飛龍組の組長――――いわばこの街の裏側に深く食い込む人間であり、どちらかといえばその裏側の秩序を守る方に立つ人間にカテゴライズされる。
彼はきっと、この新宿という混沌の街が搔き乱されることを望まない。勢力図が書き換わることを望まない。表側であるべきこの場に、裏側が侵食することを望まない。そうであるならば、きっと彼は協力者になりえるだろうと思った。
「……、」
ちらりと八榛の方を見る。彼もまた私の方を見ており、「どうするんだ」と視線で問いかけてきていた。それに対して一つ頷きを返し、私は実はと話し始めた。
不気味な魔物に遭遇したという話をし終えると、彼は首を捻ったままに「おかしいな」と呟きを零した。
「……私らが見たのは幻だとでも言いてェのか?」
「違う違う、そうじゃない。お前らがそういうくだらない冗談を言うようなタイプじゃないってのは知ってるよ。そうじゃなくて。俺も一応、見回りとして校舎全体は回ったんだ。交戦したのが何時頃か、覚えてるか?」
思い返す。最初の交戦、四階で遭遇したのが確か――――十時半頃だったような。
そう伝えれば、彼は眉を顰めながら「おかしい、おかしいぞ」と思考をまとめているかのような顔をする。
「機関の上から連絡を受けて校舎の見回りをして、その頃までには俺はそこを通ったんだ。時計を見ながらだったから間違いない。その上、十一時までにはお前らが言う犬モドキ? とかいうのと遭遇したって場所は全て通って、特に異状がないことを確認した」
つまり。
「あの犬モドキは、私たちが通りかかった時に発生した……ということ、か?」
「そうとしか考えられない。ちょくちょく用事で生徒や鈴谷が見回りで校舎内には入ってるが、そんな話は聞かなかったしな。第一何も知らない生徒が見てたらもっと騒ぎになってるはずだ」
一瞬だけちらり、とその視線が八榛の方に向き、
「外では特に変わったこともなく体育祭が続いてる。なんか術的なトラップでも踏み抜いたんじゃねえか仄宮お前?」
「ンなわけ。つーか今日は元々ここが変なんだよ。わかんねェのかこの感覚」
ぱちくりと瞳を瞬かせたところからして、彼にはまるでわかっていないらしい。確かに明確に異変というには変化があまりに薄すぎるし、……いやしかしもしかしてこれ、気付いているのは私だけか?
思わず手で頭を押さえる。参った。機関の上から連絡されて見回ったとはいえ、きっと彼は、彼及び彼の同輩である鈴谷抹巴はこの事態の深刻さに気付いてはいない。気付けてはいない。どうやら命令を下した側は分かっているようだが、それでも実働部隊として動く彼らがいまいち状況を把握していないことには協力のしようがない。
はぁ、どうしたものか。先月の一件以来、飛龍伊織はアテになるとどこかで期待していた自分がいたらしい。その思惑は外れらしいと知り、思った以上に落胆しているのもまた私だった。
「……なんか期待外れって顔だな」
「そりゃな。つーかお前も明石機関だったのかよ。道理であの扶桑とつるんでると思った」
「扶桑にだけやたらと刺々しいよな、お前……扶桑は大学の後輩、鈴谷は幼馴染だからなぁ。どいつもこいつも腹に逸物抱えてるもん同士、自然と仲良くなったっつーか」
『腹に逸物』の括りの中に熊野――――熊野静桐が入っていないことに無言で首を傾げれば、彼は悟ったか「ああ」と唇を緩め、
「アイツは一般人だよ。紛れもなくな。艦の名前を冠してはいるが、まだ多少なりとそういう要素が残ってる扶桑・鈴谷両家にもまして熊野の家はそういうのとは無縁だ。現代になってまで旧世紀の軍艦の力を継承なんざしてる俺の家の方が、よっぽど外れてるし希少だってことだよ」
そう彼はのたまい、そういうものかと思う。彼らにしてみれば、不意に紛れ込んできた熊野静桐という一見異物にも思える要素は、ろくでなしの中の唯一の平和、“表”の象徴なのだろう。裏の世界と色濃くつながる私たちのような人種からみれば、彼らのように血腥いことを何も知らず、ただ光溢れる明日だけを見据えて生きていくことの許された幸福な人間たちのことは、凄く輝いて見えるのだった。
「(だからといって、別に羨ましいわけでもなんでもねェけど)」
彼らにとっては、羨ましいのだろう。きっと。
そう結論づけたところで、不意にポケットの中に突っ込んでいた携帯が着信を知らせて振動した。「校内に持ち込むなよ」という飛龍の小言を手であしらいつつ出れば、
『秋流』
案の定ハルトだった。私の携帯にかけてくるような奴なんてたかが知れている。
「ンだよ、こっちは取り込み中だってのに」
『競技をサボって何が取り込み中だ何が。……でだ。今どこにいる? そろそろ飯の時間だぞ』
もうそんな時間だったか。確かに競技中とはまた違ったざわめきが遠く聞こえた。じき校舎の玄関であるここも人で溢るだろうし、そろそろ腹が減りつつあったのも事実だった。
飛龍にちらりと目をやれば、彼も一つ頷き、
「お前らも飯に行ってこい。色々あるのは分かるが、流石にぶっ通しだと倒れるぞ」
『ほらな』
飛龍の声は聞こえていたらしい。なんとなくムカつくと思いつつも「わかったよ、玄関で待ってる」と伝えて通話を切って八榛のほうを振り返れば、彼は彼で電話中だった。
その八榛もおそらくは家族とだろう、一言二言会話を交わし、すぐに通話を切ってこちらを見た。
「……悪い、兄からだ。俺も一回、救護室に寄ってから兄貴に会ってくる」
件の兄からだったらしい。そうなるといよいよ私もハルトと合流せざるを得ない。八榛に「ああ」と頷きを返せば彼はさっさと靴を履き替え外に出て行ってしまい、後には私と飛龍が残されるのみとなった。
「んじゃあ、俺も行くぜ。一応この話は上に報告しておく。午後は出ろよ!」
「ちょっと待った飛龍」
「ん?」
踵を返しかけた飛龍に、そういえばとまだやることが残っていたと思い返す。手で「そのまま」と示しつつ彼の背中に近寄り、
ぐいっ
「んなあッ!? なんだよ仄宮ッ!?」
「さあな」
「さあなってお前、人の髪引っ張っといてそりゃあねえだろー」
腹いせにこのとぼけた担任の髪を引っ張っておくことを、私は忘れてはいなかった。
体育祭も中盤。事態のほうも、いよいよ転換を迎えつつあることを私はまだ知らなかった。




