Act.50
<Act.50 6/6(日) 11:00>
【二宮灰】
扶桑くんの言うまま離れたら、次の瞬間にはその彼の首が断たれていた。
何を言っているのだろうかと思うだろうが僕も何を言っているのかわからない。正直言ってわかりたくなかった。
「な、……ん、」
切断面は滑稽なほどに生々しい。まるで理科室の模型のように綺麗な断面を晒すそこからは、つい一瞬前まで彼の体内を巡っていた新鮮な血液が流れ出し、灰色のコンクリートを真っ赤に染めていく。さながら、絵画の中の曇り空に、間違えて赤い絵の具をぶちまけてしまったかのような。
あまりにも突然なことにリアリティが失せていく。しかし失せゆくそれを引き留めるかのように、首より下、とっくに力を喪った体のあちこちに残る侵蝕のあとが目に焼き付いて離れなかった。
先ほどの悪魔なんかのほうが、まだ未知ながら分析できるだけマシだった。扶桑くんの突然の奇行――最早蛮行とすら言って構わない――に、僕の思考はまるで回転を止め、しかし体のほうは如実に拒否反応を示し始める。
「(どうすれば――――いや、もうどうにもしようが――――う)」
胃酸がせりあがってくるなんとも形容し難い不快感に口元を覆う。顔から血の気が引くのが自分でも手に取るように感じられ、耐えかねて喉元の液体を吐き出しそうになった――――その時だった。
――――周囲の魔力が渦巻く。彼の遺体を中心として、誰に指向性を与えられたわけでもなく急速に、まるでごく小規模の竜巻でも発生したかのような流れを以て我先にと競うように扶桑くんの体の中へと入りこんでいく。
そして気付いた。その渦の中心にわずかながらに、しかし確かに存在するのは太陽の気配――――僕の本家が祖にして源と仰ぐ月読命、その姉神・天照大神のそれであると。それが伴う周囲の魔力も、今までここに立ち込めていたような人を害する瘴気、いわば“陰”のものに対して、目の前のこれは明確な“陽”。加護を与え守り導く日の光のようなもの。
取り巻く魔力の量に比べれば、本当に取るに足らないレベルではある。注意を傾けていなければ気付いていなかったかもしれない程度には薄い。しかしこの場で問題であるのは、特に縁のものがあるわけでもないこの地においてそれがある人物を起点として唐突に現れたということであって――――ありていにいえば、扶桑くんといういち人物が大神の加護を受けているという事実そのものだった。
天照大神の加護を受けている。仔細は省略するが、それはひいてはこの国家――――大日本帝国の根幹にして中枢、皇族の一たる鳳凰院の血族であるという可能性すら示唆する。
「(扶桑くんが、いやそんな素振りは見えなかったし、もしそうであるとするならば死神の存在を――――龍凰院のことを知らないわけがない)」
しかしそれならば、ますますもってこの事象は奇っ怪に過ぎる。混乱する思考をまとめようと必死に回転させていれば、徐々に彼の体に流れ込む魔力が落ち着きを見せてきた。
――――ゲームよろしく光るでもなく、ただただ静かに彼の傷が塞がっていく。手足に刻まれた火傷が癒え、元の綺麗な肌色に戻り、言うまでもなく綺麗すっぱり斬られた首も胴体とつながり、傷跡など元からなかったかのように癒着を果たす。
時間を巻き戻すよう、とも違う。現に地面に溢れた血液はそのままだ。それに肉体の損傷を元に戻しただけでは普通は生き返らない。
彼が――――この光景が異様だったのは、“扶桑朧という人間の肉体が死を迎えたのに、魂が一向に黄泉へと下る気配を見せない”ことだった。普通の生命存在であれば、その魂は肉体という『楔』を喪った瞬間にそこから抜け出し、静かに黄泉比良坂を下っていくものだ。それがこの世の摂理というもの。
だが彼の魂だけは違った。まるで肉体が『檻』であるかのように、死してなおそこから抜け出せない――――魔力という膜で覆われた鳥籠に囚われているかのような、そんなイメージさえ想起させた。
留められた魂は、活動可能な肉体を再び得ることで本来ならばあり得ない二度目の生を獲得する。治癒が終わり、――――扶桑くんはやがて「ぱちり」と目を開けた。
「よっこいしょ、と。やれやれ、まさかこんなところで一回リセットかけなきゃいけなくなるたァ、人生何があるかわかりゃしねーな。……お兄さん?」
むくり、と起き上がった彼は、何事もなかったかのような顔で調子を確かめるように首を振り、けろっとした様子で僕を見やる。
こんなことが日常茶飯事であるかのような素振り。それに対して僕は、我慢していることができなかった。
「どうしたんスか……って、ぉわッ!?」
「君はねッ!」
開けていた距離を詰め、彼の胸倉を掴みあげる。しかしながら言いたいことがあまりに多すぎて、困惑する彼を前に言葉に詰まってしまう。
困惑している。そう――――彼は本気で困惑している。僕が何故激昂しているのか、本当にわかっていないのだ。丸みを帯びた稚気と、あれだけのことを躊躇いもなくやらかす一種の狂気を同時に宿す黒瞳を間近に見、僕はそれを理解してしまった。
けれど何も言わずに引き下がることは、僕にはできなかった。
「――――そんなことしたら、痛いだろうッ!?」
「……はぃ?」
まさか彼もそんなことを言われるとは思っていなかったらしく、ぽかん、という顔をした。そりゃそうだ、僕だって思ってなかった。
だが僕の口は止まらなかった。そのまま勢いで、感じたことをただただぶちまける。
「君が例え天照の加護を持つ人間だとしても、それで生き返れることができたとしても――――それでも、痛いものは痛いだろうッ!? 何を考えてるんだ、君はッ!!」
「いや、これはお兄さん、俺だって予想外っつーか、ぶっちゃけ文字通り不本意……」
「知っているよッ!! さっきのは君が望んだ戦いではなく半ば巻き込まれたようなもので、こうなることを織り込んだ上で臨んだわけでもないということくらいはッ!
……でも、それでもだね扶桑くん」
一呼吸置く。僕の剣幕にただならぬものを感じたか、彼も今までの軽い笑みはどこへやら、呆気にとられたような顔で僕を待った。
「……それでも、命は一つなんだ。だからもっと大切にしてほしい。痛みを感じる君の心も魂も、そのたった一つっきりなのだから」
「……、」
命だけではない。喜怒を感じる魂も、哀楽を抱える心も、同様に一つなのだ。それは『扶桑朧』という個人であれ『二宮灰』という個人であれ同じこと。
命は生き返れても、きっと彼はその度に消耗していく。魂を。心を。死という生きている限りで何よりも辛く苦しい苦痛を何度も何度も超えれば、必然的にそれらは削れていってしまう。
あの冷たく苦しくそして寂しい氷の掌が彼の命を握り潰していく度に、取り返しのつかない摩耗がその魂を――――心を苛むことだろう。そうしてきっと最期には欠片も残さず、楽しかった思い出も悲しかった思い出も同様に、全てが砂と化して崩れ落ちてしまうことだろう。
思い返す。脳裏に過るのは僕が死神になった春の夜――――目の前で、ある一人の少女を喪った分岐点の夜。僕はあの時キオと喧嘩をして、顔を合わせたくなくて、深夜だというのに外をほっつき歩いていた。
そうして出会ってしまったのだ。わずかに霞がかる街並の中、先ほどの悪魔に比べればちゃちなものではあるが、一般人からすれば十分に脅威となりうる怪物と。
人気のない夜。路地裏から延びる細く禍々しい影。その奥に潜む本体と思しき巨体が朧月に陰り、暗きの中に赤光の如く輝く眼が僕をひたと見据えていた。
視線が合った――――それが運の尽きだった。影は何も知らない僕の足を捕え、有無を言わさず路地裏へと引きずり込んだ。街も寝静まった夜分、喉から零れ落ちる悲鳴は誰にも届かず、翌朝には僕は無残な死体となって見つかる――――そのはずだった。
銀色の光が迸り、僕の足を掴んでいたそれを両断し、更には僕の傍を通り過ぎその本体へと弛まぬ速度でひた走る姿があった。
『逃げて』
過ぎ去り際、耳に残った声はまだ幼かった。慌てて振り返り際見えた背中はその声に違わず小さく華奢なもので――――しかし「やることがある」「やるべきことである」と言わんばかりに、迷いのない足取りをしていた。
姿はその体躯にはどう見ても似合わぬ大きな大きな鎌を苦も無く振り回し、怯えという言葉など無縁とばかりに勢いよく怪物を叩き斬る。僕はその光景を、逃げることも忘れてただただ呆然と見ていた。
間抜けな僕の視線に気づいたのか、少女はふっと振り返った。まだ中学生にもなっていないような幼いばかりの顔がにこりと微笑み――――されど次の瞬間には、その胸を先の影が貫いていた。
わけもわからず走り出していた。転びまろび、足をもつれさせながらも崩れ落ちる彼女の体を受け止めようと。僕の手が彼女の体にかかり、徐々に抜け落ちるその体重を腕に感じる頃には影も怪物もとっくに形を喪い、残るのは狼狽する僕と今にも死に逝こうとしている少女のみだった。
僕にできることはなにもなかった。それでも何かしたかった。それ以上に力が欲しかった。大事なものを守れるだけの力を。
生来臆病だった。気は弱くて、優柔不断で、図体はでかい割にいつも手足を縮こまらせて生きていた。そんな僕にも大事な弟がいた。護りたいものが在った。なりたいものがあった。
それこそこの名も知れぬ少女が見せた背中こそ、僕が憧れていたものだった。
扶桑くんが見せてくれたあの背中こそ、僕がなりたいものだった。
力というのはある種理解しやすくするために砕いた僕の言葉であって、ようは僕は、弟を、大事だと思ったものを堂々と守れるような背中になりたかっただけなのだ。
目の前の少女一人すら守ることができなかった。命が零れ落ちるその姿をまざまざと見せつけられた。そのか弱い身体に空いたたった一つの風穴から、魂が抜け出ていくことを成す術なく見ているしかできなかった。
それはもう嫌だった。だから僕は、名も姓も――――その血の宿命すら知らなかった僕は、彼女に涙でぐしゃぐしゃになりながら懇願した。
君の力をくれ、と。
そうして僕は死神になった。この国の根幹をなす皇族御三家、生命の輪廻の守護をこそ司る龍凰院一族にまつろう者となった。彼女の遺品である大鎌を受け継ぎ、そうして虚無感の海の中から見上げた靄に霞む月の光は、今でも僕の中に残光として漂っている。
「だから僕は、僕はもう目の前で誰も喪いたくないんだ。喪われようとしてるものなら誰だって助けたいし、それは君だって例外じゃない……でも、自分から命を粗末にするような人はどうやったって助けられないんだ」
誰しも死ぬのは怖い。だから足掻いて足掻いて足掻く。それが結果的に僕が割って入るだけの猶予を生むかもしれない。
でも生き返るからと無碍に扱ってしまっては、きっといつか、取り返しのつかないことになる――――そんな予感、否、最早確信と言って良い何かが僕の中には在った。
「……そんな泣きそうな顔しないでくださいよ。俺が悪かったッスから」
「扶桑、くん」
「ここまでお人好しな奴初めて見ましたよ。ええ、センパイたちもああみえて結構ドライな方だったんスね、やっぱ。『生き返れるからってホイホイ死ぬな』なんて、誰も今まで行って来やしませんでした。そりゃそうだ、利用できるモンならなんでも利用しなきゃ」
でも、お節介ッスねえ。そういいながらも、彼は根負けしたという苦笑を口の端に浮かべる。
「確かにあれはまァ、さーせんっした。やりすぎでした……これからはなるだけ死なないように――――天照の加護があるからって、進んで死ににいかないようには気を付けますよ。なるべく。痛覚もリセットされるから痛ェのは本当だし……でももう半分くらい性分ですし、どうしてもそれ以外方法がないってなったら俺ァやります。だから保証はできません」
努力はするが、あくまでそれはそれ、やらなければ道がないというのならばやる。実行する。今回のように――――黒瞳は、はっきりとそう物語っていた。
「ああ……、それでいい。進んで死のうとしないなら、それでいい」
掴みあげていた胸倉を緩めれば、僕はほう、と息を吐いた。彼はそんな僕の顔をまじまじと眺め、
「あの二宮灰がこんな奴だったたァねェ……やっぱ芸能人、変わりモン揃いなんスかねェ」
二宮灰。それは僕の芸名だ。
うん? あれ、僕、二宮灰って名乗ったっけ?
そう思ったのが顔に出ていたのか、彼は「とんとん」と自分の頭を軽く指で叩き、
「帽子。そりゃあ毎日テレビや雑誌で見てるようなイケメンが間近にくりゃ、誰だって気付くでしょ」
思わぬ言葉に青くなって慌てて周りを見渡す。駐車場の中には帽子と思しき姿は影も見当たらず、そして僕はまた頭を抱える羽目になるのだった。
とうとう50話です! いつもお読みいただきありがとうございます!
ようやくやっと六月編も折り返しに来たかな? と思います。多分。
今後ともよろしくお願いいたします!




