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帝國ロストヰデア  作者: 聖木霞
Ⅲ 鳴雷月編
51/76

Act.48

<Act.48 6/6(日) 10:31>


【扶桑朧】


 これが死神の力か、と素直に感嘆した。

 辺りを静かに、されど確実に侵し往く「死」の空気。抗うことを止め一時でも足を止めてしまえば即座に凍り付き、そして開いた奈落の穴に引きずり込まれてしまいそうにも思える冷酷な空気。何度も何度も経験した死の間際の忌々しいニオイが、この空間にはこれでもかと立ち込めている。

 範囲こそ限定すれど対象を限定することはなく展開されるこの領域は確かに地獄らしく、これ以上なく死者の世界といった風情だった。生あるものであれば必ず死は訪れる。それは世界の始まりから不変の原理で、逆に言えば該当しないということは普遍から外れているという証左で――――この新宿という魔境にいる限り無限のコンティニューが許される俺ですら、その条件を外してしまえば普通に死ぬ。だからこそその無差別さは原初の摂理ともいうべきものだった。

 しかしそれだけではない。死神とは斯く在るべきものかと思わせるのは、八榛灰、必死に戦う俺の後ろで神経を尖らせているこの男の問答無用さもだった。

 俺と彼は初対面だ。ただの利害が一致した末の共闘戦線だ。だが目的が同じであるからには背中を預けるのは当然で、俺が彼に「死神」の片鱗を見たのは『仲間であるはずの俺さえ巻き込むことを厭わない』その考え方にだった。

 気弱に見える。優柔不断に見える。八榛灰という人間は俺なんかよりよっぽどきっと善性だ。それでも彼は「戦う者」で、「死神」だった。目的を達するために――――「死」を守るためにならば味方の俺さえも、自分さえも消費を厭わずに刃を振るえる人間だ。それはきっと彼の本音ではあろうが、性分ではない。

 大義のために弱い性格を押し殺して彼は戦っている。俺のような自分勝手が先行するような人間には、それがとても尊く思えたのだ。

 だから。


「何度死のうと、俺はここを通すわけにはいかねえ」

 提げた処刑剣を突きつける。ただの塵芥と馬鹿にしてくるこのフザけた異形を、俺は彼の世に送り返すと決めたのだ。


 これは賭けである。即ち俺の命が先に潰えるか、それとも彼の結界が完成するかのデッドレース。俺が中途でこの異形に倒されるか、ひたひたと体を侵す厳寒に膝をつけば負け。されど彼の結界が完成するまで持ち堪えれば勝ち。

 彼がどんな能力を使うかなどわからない。だがこんなろくでもない場面で取り出す手段だ、ならばこそそれに相応しく上々にぶっ飛んでいて、ろくでもないはずであるのは明白だった。

「――――“ジェーン・グレイの処刑斧”ッ!!」

 左手を振り上げる。紫色の霧と冷気が鬩ぎ合う宙空にふっと現れた巨大な斧は、ひゅんひゅんと回転を描いて開いた俺の掌の中へと収まり、――――構える。

 処刑剣と処刑斧。それらは共に人の首を落とすものとして使われてきた忌まわしき武器、その概念の具現といえるものたちだ。罪ありきとされてきた者たちの首を貴賤貧富の区別なく刈り取ってきたそれらは、今この場に在ってただ一人の男を守るために振るわれる。

 俺は拷問屋であると同時に処刑人である。では処刑人とは何か。正義に則りその罪を断つ終末の運び屋である。では正義とは何か。

 それは大勢でも一般論でもない。自らが信ずるものであり、俺は俺の信ずるものを――――守りたいものをこそ正義とする。その下に振るわれる全ての道具は、俺にとって何よりの力となる。

 ――――亡者の群れが押し寄せる。彼らもある意味では罪の重みに嘆き耐えかねるもの。彼らの罪は『彼らの罪』ではなく、その背後、巨体を以てこちらを威圧する此の世ならざる彼の世の異形のものであり、ソレを裁くのであればその罪も全てを裁かなければならない。

 本来ならばそれを還すのは背後の男の仕事であり、彼らならばもっと穏便な方法もあったことだろう。だが生憎俺は生者専門の処刑人で、であるならばこういった手荒い方法しかとれないのは仕方のないことと割り切る。

「らああああああぁああッ!!」

 気合の声を共に両手の刃物を振り群れを薙ぎ払う。一体一体自体は大したことがないが、しかしいかんせん面倒なのがいくら切っても途切れることがないこと、まるで切りごたえがなくていつもと微妙に勝手が異なることだった。

 切っても殴ってもまるで暖簾を相手にしているかのよう。しかしいかに暖簾でも何枚も集まれば津波と錯覚するほどにはなる。

「ッ、オラァッ!!」

 剣で一度に三体を切り裂き、左手の斧を躊躇いなく振り回し投擲する。くるくると空を裂いて豪速で飛来するそれは何体もの亡者を薙ぎ倒し、――――その隙に。

「“バートリの鋼鉄処女アイアンメイデン”ッ!」

 ドンッ!!

 空中に現れた超質量――――聖母マリアの笑みを象ったそれは、慈愛の笑みを振り撒き零しながら迫らんとする亡者を押し潰して目の前に落下した。それは両手とびらをぱかりと開けて棘だらけの腹腔を惜しげもなく見せ、俺はその背に手を押し付け、

「奥の手だ――――食い尽くせッ!」

 轟――――と風が舞い上がる。霧と冷気を共々に巻き込み、次々と襲い来る亡者全てを吸い込まんと魔力の渦がざわめきを立てる。

 この鋼鉄処女は、いわば「相手を取り込み内部の針でもって刺し殺す」という拷問器具の概念の結晶である。それは内包し抱き潰すものを以てこそ完成する幻想であり、完璧たりえるためにはそれを他に強制する効力すら発現する。それがこの吸引であるが、そうはいってもしょせんこれは俺の魔術によって現界させたもの。ベースが人の身である以上その力もたかが知れているから普段は大して使わないが、しかしこの局面において相手は人間ではなく幽霊のようなもの――――地面にも、そして此の世にも『踏ん張る』力を持たない曖昧な存在が相手である以上、俺の力が負ける道理はなかった。

「ォ――――ァァ――――」

 聖母の微笑みは嘆きも呻きも全てを諸共に際限なく吸い込んでいく。俺が魔力を注ぎ込めば注ぎ込むほど、その速度は速まりに速まり――――されど、己の限界を悟る。

「ッ、――――砕き潰せッ!」


 バンッ!!!!


 号令と共に勢いよく扉が閉じる。凝縮された亡者たちが蠢きざわめき、逃げ出そうともがくのを鋼鉄越しに感じる。しかしその扉をこじ開ける前に彼らは内部の針によって刺し貫かれ、撃を受けて消えていった。

 これで大半の亡者たちを消し去った。随分と密度の下がった地面を一瞥し、一つ溜息を吐いた時だった。

 ざわ――――と、魔力が蠢く。脈打つ。地面に無数の穴が開き、そこから覗くのは身の毛もよだつほど恐ろしい色を湛えた地獄の底。這い出して来るのは先ほど相当な魔力を費やして霧散させた亡者たちの群れだが、彼らは今度は個々としてではなく、竜の目の前に収束して一つへとまとまっていく。

『小賢しい――――厚顔なりや』

 再び竜の胸元の気色悪い人面が言葉を零す。収束した亡者たちは最早最低限の人の姿すら保ってはおらず、粘性のある漆黒を煮詰めたような汚泥となって空中に渦巻いた。

 地面に開いた無数の穴は閉じ、そのかわりにより恐ろしいものが現れた。さながら冥府の砂を拾い集め、三途の川の濁った流れの一掬いに融かして掻き回したかのような、濃厚で逃れ得ぬ死の臭いを放つ巨大な球状の物体。

 いよいよ、マズい。あれは、死神でもなんでもない一介の拷問屋の俺でさえ、ともすれば地に足を縫い付けられてしまいそうなほどの拒絶感を覚えるほどには『ヤバい』代物だった。何がヤバいといえば、その邪悪さは「死」の概念の一端さえ纏っているように感じられるし、その上生者をあちらの世界へと引きずり込んでしまおうという怨念に満ち満ちている。

 俺たち生者が「死」を忌むべきものとして遠ざけるように、死者からしても「生」は嫌い排斥すべきものであるというのは容易に予想がつく。正反対で混じることのない陰陽の関係だからこそ、その二つが同居した際の反発はすさまじい。この渦が放つ魔力は、根本からして異なる概念同士がぶつかりあい跳ね退けあって放つ余波のようなものだった。


「――――“リッサの鉄の柩”ッ!!」

 ドンッ!!

 盾として呼び出したのは鈍く銀色に光る鋼鉄製の柩。本来は人を閉じ込め圧迫を与えるための道具で、俺のこれは中に収める人のサイズによって収縮可能な仕様にしてある。それを最大まで拡大し、二メートルほどの巨大な柩へと変貌させた上で召喚し、処刑剣さえも足元に突き刺して――――構える。

 僅かな血臭の混じった金臭さを鼻腔に感じ、しかしすぐさまそれを押しやるように濃厚な彼の世の空気がこの場を席巻する。渦巻いては波が引き、押し寄せる津波の気配を柩越しに感じて――――着弾。



 轟ッ!!!!



 脚に力を込め、全身全霊を以てして吹き飛びそうになる柩を押さえつける。柩の後ろに通したベルトを爪が掌に食い込まんばかりに握り締め、吹き荒ぶ暴風のようなそれに立ち向かう。

 ここで俺がその力を緩めれば、その瞬間に柩も俺も、そして背後の彼も諸共に死の概念へと飲み込まれる。元々淡いに立つ死神の彼はどうなるかわからないが、少なくともそうなれば俺は普通に死ぬ。「死」という概念はたった一端であっても人の生を刈り取るには十分すぎ、そうなればいくら蘇生がきく俺であっても彼の世の直行便に乗せられてそのままお陀仏だろう。

 であるからには、きっとここが正念場。俺にはこの怨念と死の塊を防ぐことはできても、斬り払うことはできない。ゆえに打開策は必然的に後ろの彼頼みになるわけで、つまるところ俺の体力切れが早いか彼の技の完成が早いかの二択だった。

「(頼む――――なるべく早く……、俺だってもうあと三分ともたねえ……ッ!)」

 歯を食いしばる。柩の背後にいてさえ僅かに届く真っ黒な力が、まるで熱線であるかの如く俺の手足を焼いていくのにも必死に耐える。耳朶を伝って這い寄るように、忍び寄るように囁きかける死者の呼び声を奥歯で噛み砕き、最早嗅ぎ慣れたせいで麻痺しつつある嗅覚が死臭を捉えては、それを振り払うように雄叫びをあげた。

「雄ぉおおぉおおおおおおおぉぉおおおお――――――――ッ!!!!!」

 全身を浸し、侵すほどに濃い魔力――――否、瘴気の塊の勢いは留まることを知らなかった。今この時も彼の世と此の世を繋ぎ続け、そうすることで禍々しい力を供給をし続けているのかもしれない。

 全くもって恐れ入る。ちっぽけな人間には少しだって真似できない所業で、しかしそれは偉業などではなく間違いなく蛮行だった。この世の摂理を無視し、神代の時代に分かたれた二つの世界を無理矢理につなぐなどという行為は、下手をすればこの世界そのものの存続すら危うくさせかねない。

 俺は怒っている。そんなことをするこの異形に対して、そしてこんなものを呼び出すに至ったきっかけを作ったこの騒動の主犯に対して。俺の大切なものがいる世界を壊しかねない蛮行に及んだ馬鹿者に、お灸を据えてやらねば気が済まない。

「(とはいえ――――)」

 柩の端々に亀裂が生まれ始める。流石の圧力に自慢の鋼鉄製も限界を迎えつつあったし、それは俺自身もだった。徐々に突っ張る膝が震え始め、柩を抑えつける掌もいよいよ感覚がなくなってきた。

 時間切れが迫る。張っていた気が疲労と緊張で少しずつ綻び、それはすぐさま伝播して手足の緩みを生む。手足の至るところにつけられた火傷は皮膚だけでなく内部組織までも侵しつつあり、その激痛は脳味噌に直接杭を穿たれた時並の苦痛を以て俺の思考をぐちゃぐちゃに掻き混ぜた。

「(ああ――――だが――――なんだ。それがどうした)」

 杭など穿たれ慣れているし、なんなら火傷だって仄宮との戦闘で何度だって負っている。死んでさえいなければ、死んでだって俺はなんだってできるのだ。

「ァ――――ァァ――――ァァァァ」

「うる、せ……ッ! 蘇生もできねえ雑魚が、喧しく喚くんじゃねえ……ッ!!」

 弛みかけた手足にもう一度力を込め、喉奥から声を搾りだす。柩がまるでガラスのように罅割れていくが、そんなもの知ったことではない。

 必要なのは信じ、踏み止まり、終末と見紛うかのような猛攻を押し留めること。


「――――ッ、ぉおおぉおおおおおぁぁぁああああああぁあぁああああッッッッ!!!!!!」

 最後の雄叫び。正真正銘全身全霊、扶桑朧という全生命を賭した最後の力。俺が体力の最後の一滴まで搾りだしたのに比例したか呼応したか、押し潰さんとする力もより一層激しく増して、柩の扉が砕かれ、塵となり、底板が露出してそして――――



 ひゅう


「整ったよ。ありがとう」



 ――――――――待ちに待って望んで臨んだ声が、暴風の中で静かに響いた。

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