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帝國ロストヰデア  作者: 聖木霞
Ⅲ 鳴雷月編
50/76

Act.47

<Act.47 6/6(日) 10:23>


【二宮灰】


 眼下にはまるで地獄の釜のような赤黒い犬首の大口。

 振り切るは地獄の名を冠せられし大鎌。

 軌跡より氷龍が顕れ、それは周囲の汚染された大気を巻き込んで氷結させていく。

 それはさながら浄化。「死」というものが本来持つ神聖さでもって、この異形によって歪められた「世界のかたち」が正されていく。それはこの異形そのものに対してさえも例外ではなく――――


「――――爆ぜよッ!!」


 頭から口の中に飛び込んだ龍は、噛み砕かれるその直前に僕の号令を受けて爆散した。一面に張られたガラスを一斉に叩き割ったかのように耳朶を劈く破砕音と、粉々になってその口腔内を襲ったであろう氷片に、僕ごと丸呑みしようとしていた犬首は絶叫を上げる。

『WoooooooooAAAAAAAaaaaaaAAAOOOooooooooッッッッッッ!!!!』

「ッ、犬は犬だな……ッ!」

 僕はといえば、龍が口の中に入った瞬間その尾を踏んで再び中空に逃れていた。この異形に一杯喰わせることは成功したが、最早衝撃波じみた咆哮を諸に浴びることとになり体が再びバランスを失いかける。悪魔がそんな隙を逃すわけもなく、鷲首がこちらを睨み忌々しい襲撃者を啄まんとその嘴が迫り――――

「人間は宙を飛べないと思ったか? 真似事なら、いくらでもできるさ」

 足元に意識をやる。たった一瞬、それだけで十分だ。あの時より十二分に体に馴染んだ死神の力を操るのに寸暇と要らない。そして名を呼ばう、

六重(むつのえ)菟鉢羅地獄うばらじごくッ!!」

 蹴る。されど足は空を切ることはなく、足の下に現れた透き通るような蒼色の蓮の花に受け止められ更に宙に逃れ身を捻る。

 眼下によぎる蓮の花、それが鷲首の嘴に突かれた瞬間――――爆散。


 リインッ!!


『GYAOaッ……!?』

 花弁の一つ一つが氷の欠片となって飛び散り、鷲首を激しく叩く。足場として使った蓮花をすかさず妨害に転用し、更にはダメージソースとして利用する。我ながら素晴らしい回避方法だと思った、その時だった。

『驕慢なりや』

 声が響く。荘厳でありながらどこか耳朶を引っ掻き回すかのような不快さを伴う声が紡がれた途端、途轍もない量の魔力が渦巻く気配がし――――そしてそれが、他でもない僕へと向けられるのを直感して、背筋が凍る。悪魔とは、地獄の底とはこれほどのものであるかと実感する。

 勘違いしてはいけない。僕ら死神は、あくまで此の世と彼の世の境目をこちら側から守る門番であって、彼の世の存在ではない。正確には此の世の存在とも言い切れないが、しかし少なくとも彼の世の存在に染まり切っているわけではないし、例え僕らであっても命ある限り彼の世に深入りすることは不可能である。そうすればたちまち彼の世の摂理に絡めとられ、冥府の神が定めた通りに輪廻への道を辿る以外ない。

 ゆえに僕らは、彼の世の存在のことを深くは知らない。知ってはならない。彼の世と此の世は相互不理解を貫き通さねばならない。ゆえにこそ彼らの行動一つ一つに対して、僕らは土壇場で対応しなければならなかった。

 圧縮された魔力は、さながら紫色の砲弾と化して僕へと飛来する。僕は相も変わらず滞空中――――であるならば。

「蓮花よッ……!」

 鎌を構える。先ほどよりも大きめの蓮花を作り出し、それを足場に真正面から受け止めてみせる。

 弾くことも考えた。逸らすことも可能だった。しかしここはあくまで学校、日常空間の中に現れた異質な空間であり、この戦闘区域から少しでも離れればそこには一般人がいる領域だ。むやみやたらに振り撒いていては流れ弾で殺しかねないし、かといって地面にぶちあてては僕の援護をしてくれている扶桑君の邪魔になりかねない。

 であるならば――――正面から破る。それ以外に僕にできる対処法はなかった。

三重みつのえ鞍听陀地獄あただじごく――――頼む、耐えてくれッ……!」

 冷気がふわりと漂い、速やかに大鎌へとまとわりついてそれを覆う。迫るのが在るだけで他者を穢す魔力であるというのであれば、静かなる「死」という浄化を以て対抗すれば良い。


 轟ッ!


「ぐッ……!」

 圧縮された魔力が、さながら砲弾の如く僕の鎌を打ち据える。びりびりという物理的な衝撃が手を伝わって蓮花を踏み締める足に直撃し、しかしそれとは別にただただひたすらに僕を打ち据える魔力の波に膝が砕かれそうだった。

 そもそも母体が人間ではないからして、扱えるだけの魔力の総量が並外れているということを身をもって知らされるようだった。僕ら人間が必死に搔き集めてやっとの魔力を、コイツらはたった一つの動作だけで容易に集め、圧縮しぶつけてくるのだ。

 素体からして不利。これらとまともにりあうのはやはり愚の骨頂。必要なのは真正面から向かい合う蛮勇ではなく、その傲慢の隙を衝くための機転だった。

「ッ、らあぁああああああッ!!」

 気合を入れて勢いだけで砲弾を叩き斬る。それで動きを止めることなく、勢いをそのままに口から血を垂れ流していた犬首の根本を狙って鎌を振り抜くが――――

 ガィィンッ!!

「ッ、ちぃっ……!」

 鱗が、硬い。突き立てた鎌はその竜鱗に阻まれ、振り下ろしたその勢いがままに自分の腕の跳ね返り顔を歪める。

 飛び退くようにしてその体を蹴り、身を翻らせて地上へと戻る。死霊の相手をずっとしていてくれた扶桑君が僕の方を振り向き、手にある黒剣で薙ぎ払いながら「お兄さん!」と声を上げた。

「どうにかなりそうッスか」

「正直なところ、少し厳しいね……素体が違えば地力も違う、一気に勝負を決めたいところだが」

 言葉を切る。ついでに寄ってきた死霊を叩き斬って、これから僕がやろうとしていることについて一瞬思考を巡らす。

 まさしく一撃必殺。その言葉に相応しいだけの力を発揮できることは折り紙付きであるが、しかしその発動にはある種の危険が伴う。一つ目は“溜め”に時間が必要なこと、そして二つ目は扶桑君を巻き込むリスクがあることだった。

 だがそのリスクを詳細に説明していられる時間はない――――何故なら痺れを切らしたと思しき異形が、また新たな攻撃に打って出ようとしているからだった。

『小癪なりや――――』

 竜の胸元、人面の前の空間に亀裂が走る。それが開かれ、奥に覗くのは見慣れた、されど馴染んではならない地獄の釜の底。深入りを禁じられた漆黒の闇の色、それが口を開け、更にはそこに揺蕩い渦巻く魔力を――――人に害成す瘴気を撒き散らし始めた。

 この一帯の魔力の密度が加速度的に上昇していくのが感じられる。肌が粟立つようなその異様さは今までとは比にならないもので、これはいよいよ悠長なことをしていられないと気を引き締め、一言。

「扶桑君、――――寒いのは平気か?」

 対し僕の意図を察したらしい扶桑君は、

「……少しなら。護りは任せてください」

 微妙な顔で頷きを返してきた。本来は苦手なのだろう、それなら本当に速攻で沈めねばならない――――彼のためにも。

 大鎌の柄をダンッと地面に叩きつけ、叫ぶ。


「――――一重ひとえ鞍部陀地獄あぶだじごくッ!!」

 そして、世界に冷気が満ちる。汚染され毒々しい色を持ちつつあった大気が瞬く間に白み、異形の放つ纏わりつくようなプレッシャーをまとめて凍てつかせるかのような「結界」が生まれる。


 それは「死」の具現。八層から成る極寒の大地獄、その一層目を司るは静寂の世界。生命という名の熱を徐々に奪い、死に至らしめるための白銀の領域である。

 僕は門番として、死神として地獄の力を一部引き出し、それを以て敵を殲滅する役目を担っている。ゆえにこそ成し得る彼の世の顕現。この領域内に存在する生命は遍くものがやがて四肢から凍り付き、体温を奪われ、最後には眠るように死に逝くことが確約されている。とはいえそれもしょせんは本物の「地獄」の持つ力の極小でしかなく、これを発動させたからと言ってすぐさま死に至るというわけではない。

 だがこの領域内において僕ら死神の力は強化される。「生」と「死」の狭間に生きる僕らにとって、「生」である此の世の中に限定的に展開された「死」の空間は非常に親和性が高い。普通の時であれば到底成し得ないような、この上を行く領域の実現さえも可能として見せる。

「だがいかんせんそれには時間がかかる――――扶桑君、頼むッ!」

「さァッぶ……! ――――応ともよッ!」

 大鎌を突き立て手をかざす僕の前に、扶桑君が躍り立つ。手には黒剣を下げた黒衣の彼が、戦意は満点とばかりにニィッと笑う気配が背中越しでも感じ取れた。

 眼は見開いたまま、集中する。想像する。こんな地獄の表層ではなく、更なる深淵、あの悪魔の棲まうところよりもなお深い亡者の坩堝に吹き荒ぶ凄烈なる吹雪の世界を。

 ――――戦況は流転する。地獄の存在との戦いは佳境を迎え、彼と僕の賭けが始まる。

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