Act.45
<Act.45 6/6(日) 10:00>
【二宮灰】
――――というわけで。
「まずは自己紹介ッスね。名前くらいは知っとかなきゃやりづらいでしょーし」
「そうだな……」
黒衣の青年と共同戦線を約束した直後。まあ当然こうなるのは予想できていたことなのだが、はて「どちら」を名乗ったものか。
あくまで『二宮灰』というのは僕の芸名に過ぎない。そちらの方が通りは良いが、しかし今の僕はあくまで「アイドル」ではなく「八榛キオの兄」としてここにいる。目の前の青年には「アイドル」としての目で見られたくはないし、であるならば、本名を名乗るのが当然な気がした。
「改めて、俺は扶桑、扶桑朧ッス。明石高校養護教諭……ま、つまりは保健室の先生スね。よろしくです。お宅は?」
「僕は……僕は八榛灰だ。弟の八榛キオがお世話になっている……かどうかはわからないが、よろしく頼む」
八榛姓の方を名乗れば、彼改め扶桑くんは目を真ん丸に見開いて「え、八榛の?」と零した。
何だろうこのリアクション、もしや僕が知らないだけで実はあの弟、彼にお世話になりっ放しとかだったら……何でお世話になってるんだ? ケガ? はなさそうだな、ぴんぴんしてるし……ハッまさか不登こ「いやぁ、あいつには俺の方こそ世話になってばっかで」え?
驚いた風に見開いたのから一転、彼は快活に笑い、頭を掻いて続けた。
「俺、保健委員会の顧問もしてるんスけど。大体のことは副委員長の八榛がやってくれてて……委員長も俺も大助かりで。デキた弟さん持ってますねえお兄さん」
「そ、そうか、それはよかった」
つい釣られて僕まで口元が綻んでしまう。ハハハと笑いながらばっしばっしとこちらの肩を親しげに叩いてくる彼のことは、特に図々しいとも馴れ馴れしいとも思わなかった。大事な弟のことを褒められて嬉しくない兄でもないし、それに単純に、この青年の人懐っこさは人見知りの僕の懐にさえも簡単に入ってきてしまうほどだった。それは多分彼になんとなく漂う高校生のような雰囲気に由来するものなのだろうが、それを「軽薄」と思わせないのはきちんと職務のことを考え、生徒のことを思いやる真面目さが滲み出ているからかもしれない。
「そっかそっかお兄さんかァ……いやー、兄ってイイっスよね。兄って。俺にも妹がいるんスよ」
妹。そういう彼のにへらという笑顔は、とても嬉しそうなものだった。見るからにその「妹」のことが大好きで、目に入れても痛くないほど溺愛していることが一瞬で見て取れる笑顔。心の底から可愛がっているのだろう――――というのが理解できて、その気持ちは痛いほど僕にもわかるものだったから、余計親しみが持てた。
「妹さんのお名前は?」
「望月、扶桑望月。まだ中学生なんスけどね、俺なんかよりよっぽどデキた妹で……っと、これ以上自慢してる暇は、あんまなさそうッスね」
続きは道すがらででも。と言った彼は、歩き始めながら一度言葉を切り、再び口を開いた。
「とりあえずのところ方針は、『この学校に巡らされている術式がどんなものか』の究明と、それがヤバいものだった場合の『破壊』、でいいスよね」
「ああ、そうだな……下手人の捕縛まで含めたいところだが、今日のこの人の多さだ。探すにも手間取るだろうし、まずは生徒や一般人の安全を確保したい」
最悪下手人を取り逃がしたとしても、最低術式の破壊さえできれば今のところの安全は確保できる。もちろん犯人をそのまま野放しにすることはできない。破壊した術式や他にもあるだろう証拠を元に探し出し、相応の処罰を下さないことには本当に安心できるとはいえないのだ。
だがその犯人を確保することに躍起になりすぎて、負傷者や被害者が出てしまっては元も子もない。優先順位の問題だった。
「ッスね。まあ俺たちだけだと掴める情報もたかが知れてるんで、ここは応援を……っと。ちょいと失礼」
そういって扶桑くんが取り出したのは彼の私物だろうスマートフォン。耳に当てているからには誰か、応援として呼べる者に電話をかけているのだろうが……良いのだろうか、他の人までも巻き込んでしまって。
今僕たちが動いているのは、正直言って僕のわがままと彼の教師としての義務感からだ。確かにここは新宿、様々な訳アリの有象無象が集まる街であって、僕も彼もアンダーグラウンドに足を突っ込んでいる人間だからそういう「ろくでもない方面」の知り合いがいるのはある意味当然だ。だがだからといって、そこまで積極的に話を広めて良いものかと言われると、僕は頷きかねる。
唯一ただひとり、「巻き込んだとて悪い顔はしなさそう、どころか面白そうだと思えば僕より乗り気になりそうな友人」の顔は思い浮かぶが、彼は彼で別の意味で僕以上の有名人だ。力量はこの上なく高いが、このような人の多い場所での助っ人には絶望的なまでに適さない御仁である。
「(考えてみると僕も友達少ないよな……本家にはあまりよく思われてないし、鬼束さんは友達ではないし……うぅ、人見知りが絶妙に辛い……)」
「――――あァ、りょーかいりょーかい。承ったよ。そんじゃな。……お兄さん、」
思考が回り回ってネガティブに入っていると、それを留めるように扶桑くんが声を上げた。どうやら通話は終わったらしい、スマートフォンをポケットに滑り込ませれば、彼は手をひらりと振ってこちらを振り向き、……そして微妙な顔をして頭を掻いた。
「ンー、なんて説明すっかな……お兄さん、明石機関って組織は知ってます?」
一応アングラでは名の通った組織なんスけど。と置けば、黒瞳が僕を見据えて、僕はと言えばこれまた微妙な顔で目を逸らさざるを得なかった。
「その……名前は知っているんだ。ただ僕、あまりそういった裏事情に詳しいわけではなくてね……何分、本家からは微妙に疎まれてる身で」
「中身まではあんまよく知んないと?」
「……そういうことになる。すまない」
「謝ることじゃねーッスよ。ならまぁ、かいつまんで話しますね」
申し訳なく思って顔を俯かせる僕に気にすることでもないと笑う扶桑くんは、明石機関とは『新宿一帯の裏社会、その秩序を守り、同時に表社会と裏社会の境界線を守ることを旨とする組織』であると告げた。情報統制、死体隠匿、その他“表沙汰になってはいけない魔術的・異能的事件の隠蔽”を目的とする彼らは、ゆえにそういった出来事が起きれば真っ先に動く組織でもある。そしてその本拠地こそがまさしくここ、この明石高校の地下に存在するというのだから驚きだ。
「直上で起きてる異変だ、当然本部の方も気付いてる。気付いてるが、だからといって動けるかはまた別だ。今日は特に体育祭、実動員である他のセンパイたちなんかにも、これから連絡はいくようだが教師としての仕事で手一杯で動くのはほぼ不可能。ゆえに」
「……動けるのは僕たちだけだ、と?」
「そういうこった」
あっさりと頷くものだった。僕から見ればそれはあまりにもあっさりとしすぎていて、いっそ軽々しいとさえ思えるほどだった。
しかしそれは彼らにとっては「普通」なのかもしれない。いや、「普通」なのだろう。明石機関の一員として正体不明の事象に乗り込み、危険を冒してまで原因を突き止め、それを解決せしめる――――言葉にすれば簡単だ。だがそこに潜む“未知”という危険など、決まりきった仕事しかしてきていない僕には想像もつかない。
そうまでしてその恐怖の中に飛び込む理由は――――とまで考えて、存外それは近いところにある気がした。
「(それはきっと、僕と同じ)」
きっと彼が戦う理由は、彼が溺愛する妹のためだ。僕が僕の弟のために鎌を取り死神としての力を振るうように、彼はきっと彼の妹のために武器を取るのだろう――――なんの根拠もない推測だが、同じ「兄」としてほぼほぼ間違いはないだろうと今の僕には思えた。
「――――お兄さん? お兄さんちょっと、大丈夫スか? 聞いてます?」
「あっ、す、すまない。大丈夫、聞いていたよ」
思考する僕の顔をひょいと下から覗き込んでくる彼――いちいち仕草が子供っぽいように思えるのは気のせいだろうか――に慌てて頷きを返せば、彼は急にその場でしゃがみこんだ。
蹲った――――わけではない。彼の視線はコンクリートで舗装された校舎裏の駐車場の隅、ちょうど木が一本寂しげに立っているその根をじいっと見つめていた。
ふっと言葉を切った彼につられて僕もしゃがみこみ、同じところを見やる。そうしていたら、気付いた。
「……これに気付いたんだな、君は」
「ッス」
僕らの視線の先、そこだけ土が剥き出しの地面――――正確にはその奥。感覚を傾けねば絶対に気付くこともなかっただろうあまりに小さすぎる違和感に、彼は目敏く気付いたのだ。
敷地内に薄く渦巻く魔力の流れ。本来調整も調節もされていない自然に滞留しているだけのそれに、ささやかに、されど確実に意図を及ぼすよう計算された転換節。それが、この奥にあった。
掘り返そう、そう僕が提案する前に彼はどこからか取り出した灰色の杭のようなもので地面を掘り始めた。駐車場の隅にあるため踏み荒らされることもなく、固まった土を掘り返すのに彼は多少手間取ったようだが、しかしそれも「ガツ、」という音がしたところで手を止めた。
何かにぶつかった音。だがそれにしては扶桑くんの表情は芳しくなく、杭を後ろに放り投げた彼は今度は素手で土をどけ始めた。僕もそれに倣い、少しずつ少しずつ土をのけていく。大の男二人が駐車場の隅っこで土いじりとは傍目からすれば滑稽だろう。僕も見たら笑う自信がある。それでも当人になってみれば笑えないもので、中に何が埋められているのかわからないままではそれも当然だった。
土を除ききる。そして土の中に埋められていたのは、ラミネート加工された複雑な円陣の記された紙一枚だった。その上から丁寧に土をどけてから、取り出すことなく一度扶桑くんと顔を見合わせる。
「これは……やはり、術式の一端か。何の術式か分かるか?」
「んや。でもやっぱ、魔術師が噛んでることは確実ッスね。魔術師の陣なんて人それぞれ、パターン分けなんてできねぇッスもん。ただまあ幸い、この形ならいったん機関に持ち帰って検証してもらうってこともできそうだし、ちゃっと回収しちまいますか」
やれやれと首を振った彼は、ぱっぱと手についた土を払い落として僕たちの足元の小さな穴へと手を伸ばす。
「!」
彼のその指が、カードにかかろうとした瞬間。
猛烈な悪寒が僕の身体を貫いて。
しかし上げかけた声が言葉になるには一瞬遅く。
――――一瞬で目の前を覆った魔力の波に成す術なく取り込まれてしまったことだけを、僕らは唯一知覚するのみだった。




