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帝國ロストヰデア  作者: 聖木霞
Ⅲ 鳴雷月編
47/76

Act.44

<Act.44 6/6(日) 10:30>


【仄宮秋流】


 相対するはおそらくのこの世ならざる異形のモノ。

 求め切り刻むは秒を裁断しての「須臾」。

 右手が掴む扇子は、即ち招来に応じて現る銀刃の走狗にして――――異形をあの世へと送り返す未来を幻視し、それを確固たるものにするための鍵。



 そして張り詰めた糸のような拮抗が、一瞬で弾け飛ぶ。



 リノリウムの床を蹴る。視線は違わず獣の眼光を真正面から見据えたまま。まるでそれ自体が抵抗を持つような粘性の空気の中を震脚で切り開き、括った髪がそれに煽られて靡くのにも構わず扇子を握る掌に力を込め、踏み込みと共に唱える。


飛燕ヒエン、」


 握る扇子が一瞬にして柄へと変貌する。目を引く金色の柄頭に、漆黒で塗り固められた柄――――目貫から覗くのは鮮やかに空を切る燕の姿。私が振り抜くと共に徐々に現れ出でる刀身は、熱帯夜のような纏わりつく空気の中でも冷やかな輝きを失うことはなく冴え冴えと冷め渡る。

 刃が空を裂き、視線が交わって直後――――



 斬



 刹那の間に交差して後、立っていたのは――――私の方だった。

 どちゃり、と犬モドキが落下する音が背後で聞こえる。確実に急所を貫き斬り捌いた。最早身動ぎする気配は一つもなく、魔力が霧散する際に生じるガスの抜けるような音のみを残し、魔物は呆気なく散っていった。

 振り抜いたままだった刀から血を払うために手癖で手首を返して翻したものの、その意味はなかった。犬モドキが消えた時点で血も諸共に消え失せており、詰めていた息を吐き出せば離れたところで突っ立っていた八榛が動く気配がした。

「……仄宮、」

 何かを口にしようとして、どう口にすれば良いのかわからない。私の苗字を呼んだっきり再び黙ってしまった彼は、視界の端に捉えたところそんな風情だった。

 刀を扇子へと戻し、改めて背後を振り返る。思った通り犬モドキの死体があったであろう箇所には、先ほどのアレは全くの幻であったかの如く何の痕跡も残ってはおらず、どこか焦げ臭いようなにおいがするのは魔力の残滓のせいだろう。それもあと数分もすればじきに風に流されて消えてしまうだろうし、ここで何が起きたのかは私と彼しか知らないことになる。

 ただまあ、その方が好都合だった。どこぞの拷問屋のように死体隠匿の術を持たない私は、仮にあの死体が残っていたとして「どうすれば他の一般人にばれないようにできるか」など思いつきやしない。欲を言えばせめてアレの正体を探るだけの時間くらいは欲しかったが、そこまで求めるのはわがままというものだろう。

 あとは、唯一見られてしまった――――目撃する運びとなってしまった一般人に、先ほどの光景をどう伝えるかだが。

「……さっきも言ったな。あの魔物のこと、私のこと。他言無用だ。生徒はもちろん、親兄弟、教師なんてもってのほか。まァもっとも、話したところで暑さで頭をやられたとしか思われねェだろうけどな」

 教師の二人の例外を私は知っている、知っているが――――彼が必ずその二人のどちらかを相談相手に選ぶという保証はない。ならば諸共に口封じをしてしまうのが最良の策に思えた。私のことについても同様。これで要らぬ噂を立てられても面倒くさいし、飛龍や扶桑からそのことで絡まれても鬱陶しいだけであるのは明白だった。

「仄宮は、……いつもあんなことをしてるのか」

 暫しの沈黙の後、八榛が尋ねてきたのはあの魔物の正体でもなんでもなく、私のことについてだった。てっきりあの魔物について聞かれると思って、はてどうはぐらかそうと考えを巡らせつつあったところだったから多少驚いた。

 コイツは私と同じで、さして周りに興味を持たないタイプだと思っていたのだが、どうも違ったらしい。だがまあさして否定するような事柄でもなかったので。

「そうだよ。昼間は不良、夜は斬った張ったの大立ち回りさ。それが生業で、つまりはそういう人間だ。だから口を滑らしたどこかの馬鹿を始末することなんざ楽勝ってわけだ」

 言葉の裏に意味を込める。『漏らせば斬る』と。仮に私のことを一般人にバラした場合、バラされるのはお前であると。

 ここまで脅しておけば一般人ならば大丈夫だろう。それがハッタリではないということは、あの時迷いなく犬モドキを叩き斬った私の太刀筋を見れば明らかにわかることだ。

「これは、茅野も知らないのか?」

 返答に間ができる。……まさか、ここでその名前が出るとは思っていなかった。つくづくこいつには意表を突かれると内心嘆息しつつ、

「知るわけがねェだろ。アレだって一般人だぜ?」

 お前と一緒で。そう付け足せば、彼は「……それもそうだね」と無理矢理に小さな笑みを浮かべた。

 きっと常人にはついていけないであろうことを目撃した割に、気丈なことだった。それとも実感がわかないだけで、彼としては夢でも見ている心地なのかもしれない。と適当に思考を巡らせていれば、彼は「それで、これからどうしよう」と続けた。

「どうするも何も、茅野を探さなきゃいけねェのは変わらねェし、あんなのがまだ校内にいるとしたら半端なくまずい。騒ぎになられちゃこれから動きづらくなる」

 あんな類が真昼間の学校にたまたま迷い込んだ、たまたま現れ生じた、などと考えるのはあまりにも無茶が過ぎる。であるならば、ただでさえ尋常ならざることが起こりつつあるこの学校の中で、尋常ならざる手段を以て生み出されたと考えるのが普通だ。

 それを捨て置けば何も知らない一般人や教員が襲われるなんてことになりかねないし、もしそうなれば体育祭など即座に中止だ。大騒動になることは想像に難くないし、そうなれば茅野の捜索どころではなくなる。

 何より――――どこにいるかもわからないその茅野に、あれが襲い掛かるリスクがある。というだけで、殲滅を試みるだけの理由には十分なり得た。

「茅野を探す。探しつつ、同じようなのがいれば全て殺す。そんでもってアレの操り手を見つけ出してしばく。つまるところやることは変わらねェ、まずはこの校舎内をくまなく見て回るだけだ。ただ一つ、危険度だけがやたらと跳ね上がったわけだが……」

 お前は、それでも行くのかと。視線に込めて八榛を真っ直ぐに見据える。

 正直に言って、動きやすさで言えば私一人の方が段違いだった。目の前のこの男が襲われようとさしたる感慨はないが、それでも知り合いの臓物を好んで見たいとは思わないし、足手まといがいた上で完全に奇襲に対応しきれる自信は私にはない。

 一方で、行方不明の人物を探すという点において一人より二人の方が圧倒的に有利に働くということは理解していた。私とて茅野の多くを知っているわけではない、情報に乏しい今の状況でそれを持ち得る人間は多いに越したことはなかったし、自分の頭の悪さには自覚がある方だ。私一人で全ての可能性を模索できるかと問われれば否としか答えようがなかった。

 ゆえにこそ、選択を委ねる。彼が怖気づき、これ以上は無理だというのならばそれまでだ。強制する権利は私にはないし、そのつもりもない。どう転がったとしても私がやることは同じだ。

 彼は視線を彷徨わせ、少しして再び口を開いた。

「――――行く、行くよ。茅野のことは、俺も放ってはおけない。あの化物のことは俺にはどうにもできないし、仄宮の足手まといにしかならないけど」

「構わねェよ。ただまァ、私だって戦えはしても万能じゃない。後ろから襲われれば対応できないこともある。そうなった時の責任は、私にはとれねェ」

「うん、それでいい」

 こくりと頷くその目には、彼なりの決意のようなものが見えた気がした。リスクを理解しているのなら、それで良い。

 「そうか」と返し、私は再び歩き始めた。次の目的地は四階東側最奥にある化学室である。そこだけ隔離されているかのように多少離れたところにあるそれは、うちの化学担当兼お隣・二年B組の担任を務める鈴谷抹巴がよくいる場所の一つでもある。余談だが彼の化学は非常に丁寧な解説で分かりやすいと評判で、数学の飛龍と合わせて理系は完璧な布陣と囁かれているほど……なのだが、いかんせん私にはどれも等しく念仏のようにしか聞こえないのだった。

 成績も推して知るべしな私のことはさておき、閑話休題。ほどなくして化学室前に到着する。

 案の定化学室に人気はなかった。むしろある方がおかしい、鈴谷だって今頃は飛龍や半ば公認の恋人である熊野と仲良く競技を眺めていることだろうし、予定調和も良いところだった。

「準備室の方も人はいねェ、鍵もかかってるな……八榛?」

 化学室と化学準備室、両方の扉を確認して小さく嘆息すると、彼がぼうっと何もない壁を見上げている姿が目に入った。不審に思い声をかければ、八榛はふと、

「……仄宮は、兄弟はいるかい」

 そんな素っ頓狂なことをたずねてきた。意図が掴めず眉を顰めて視線をやれば、しかし彼は私のことなど眼中にも思考にもないようにぽつぽつと話し始める。

 それは話すというより、零すというほうが正しいような口ぶりで。

「兄貴がいるんだ。義理の。両親の再婚で、俺はあの人の弟になった」

 どこかよそよそしい――――というより、どちらかといえば言い方を考えあぐねている、例え方を探し惑っている、といった言い方だった。

 彼はきっと私の相槌は求めてはいまい。きっとただ話したいだけ――――先のような非現実的な現実を目前にしてしまえば、一般人ならば感傷にも浸りたくなるのだろう。私には、分からないが。

「本当は臆病なんだ。見てたら分かる。でもどうしようもなく優しくて、不器用なりに精一杯愛情を向けてくれてるのが透けて見えるんだ。それは理解してる」

 けど、と彼は一度言葉を切る。宙空を見つめていた視線が下がり、その壁を、更には化学室を透過してその先に件の兄の姿でも探すかのように彼は感情の見えない黒瞳を凝らす。

「どう受け止めればいいのか、……未だにわからないんだ。俺が元々、あんまり人付き合いの得意なほうじゃないってのは、多分仄宮も見てれば分かるだろ。俺だって兄貴が嫌いなわけじゃない。だけどどう返せばあの人が喜んでくれるのか、九年前からわからないままなんだ。茅野を見てると、そんな兄貴と被って――――どうしても、放っておけなかった」

 彼が茅野を探すことにそれでもなお拘るのは、単なる青臭い恋心ゆえでも聖人じみた親切心ゆえでもなく、ただただ「兄とその姿が被るから」だという。

 なんとも変わった理由だった。私としてはてっきり、彼が茅野に気があるからか、それか仮にも女子である私を前に後に退けなくなったからのどちらかだろうと思っていたから意外だったし、彼の彼女に対するそんな評価に頷けてしまう私自身にも意外だった。

 茅野夏目。そして八榛キオの兄。一般人らしく臆病で、しかしだからこそ優しくて、どう接すれば良いのかわからないながらに精一杯愛情を形にして差し出してくる――――その愛情が「家族愛」であるか「友愛」であるかの差こそあれ、それはきっと等しく尊いものであるように私には思えた。

「(それは、私にはないものだから)」

 私の中に「愛情」という類のものはない。それはベルンハルトと最初会った時に放った言葉通りで、だから自身にないものを他者から向けられることに慣れていないのだった。

「なんでこんな話しだしたかって言えば、……そうだね。俺と仄宮が、似てるように思えたからかな。仄宮に声をかけたのは、それも理由の一つ」

 あんまり深い意味はないよ。気にしないでくれ。

 そう続け、彼は相変わらず何を考えているか読めない瞳を私に向けて、「三階に行こう」と身を階段の方へと翻した。

 ――――確かに似ているのだろう。だが類似はしていても、決して同一ではない。それは彼が一般人である以上その愛情の総量は決して「零」ではないはずで、ゆえにこそ尋常から外れた側の私とは「零」か「一」かの絶対的な隔たりがあるのだった。

 そうまさしく、今下り階段の前で佇む私と、踊り場に足をついた彼のように。

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