Act.43
<Act.43 6/6(日) 9:30>
【仄宮秋流】
「……で、どうすんだよ八榛。探すっつったって、心当たりなんざねェぞ」
歩き出したは良いが、しかしアテなど少なくとも私にはないのだった。歩く度に頭の後ろでぴょこぴょこと跳ねるポニーテールを鬱陶しく思いつつそう八榛を振り返れば、彼は顎に手を当て少し考え込んだのち、
「そうだね。実のところ、俺にもそこまでアテらしいアテはない。何せ一番いそうな場所にいなかったわけだからね」
そうだろ、と彼の茫洋とした目がこちらを向く。全くもってその通りだった。保健委員があの時間でいる可能性の一番高い場所といったら弓道場しかないし、八榛もそうでなかったからわざわざ弓道場を出て探しに行こうとしていたのだ。
となると――――彼女がいるかもしれない場所としたら、あとは。
「……教室、かな」
同じことを考えていたらしい八榛が呟く。我らが2年C組の教室――――確かにまあ、なくはない可能性だ。確か施錠されているはずの教室で何をしているのかという話もあるが、それはさておき。
「いってみるしかねェだろ」
「だね」
頷き、校舎の入口のほうへと歩き始める。脇を用具係などの生徒たちが頻繁に行き来しているものの、校舎の中に入っていく生徒は少ない。ゆえに不思議そうな目が集まってはいるが、それを意にも介さない私と八榛は真っ直ぐにロッカーで靴を履き替える。教科書などが乱雑に放り込まれた私のロッカーと違い、八榛のロッカーは割と綺麗に整頓されていたのはまあ性格の違いだろう。見た目からして几帳面そうだし。
しかしまあ、私たちの教室がある三階への道すがら、いかんせん会話がなかった。元々私自身喋らないというのもあるし、八榛も普段からあまり話すようなタイプではないように見受けられるから仕方ない話ではある。換気のためか開けっ放しにされたグラウンド側の窓から、遠くわあわあという歓声が廊下へと零れ落ちる。
考えてみれば、四月にベルンハルトが転がり込んでからこっち、私の周りは随分と騒がしくなったものだった。嫌というほど私に構ってくるベルンハルト、何かと世話を焼いて来る遥、それにくっついてきてやんややんやと手を引っ張ってくるエスカラーチェ兄妹、――――そして、気紛れと偶然でつながった糸が奇跡のように切れずにいる茅野。
最初私が彼女を認識したのは遥の店にバイトの話をしに行った時だったが、彼女はそれ以前からも私のことを認識していたかのような話を時折していた。今回の体育祭にしろ、「仄宮さんは体育得意だよね、100メートル走のタイムとかすごく速かったし」といつ計ったかさえ最早私の記憶では定かではない話を持ち出して来ていたし。私は自分のことを大して見ていない割に、彼女は彼女自身のこと以上に私のことを見ているような気さえしたことがある。まあ、気のせいなのだろうが。自分のこと以上に他人を見ている人間がいるはずもないし、いたとしてそれは恋人くらいのものだろう。もちろん私と茅野にそんな関係はない。そもそも女同士だ。
…………、……。
「チッ……」
彼女について考えれば考えるほど、苛立ちにも似た焦燥が募るばかりだった。これで教室にもいなければ、一体どこを探せば良い?
逸る私が歩速を上げたのに、彼もまた無言で半歩遅れて追従してきた。たった三学年しか収められていない狭く年季の入った校舎だ、ところどころ塗装の剥げた階段を上がり曲がって、色褪せた壁紙の前を通り過ぎ、ようやく辿り着いた2年C組の扉に手をかけ、――――引く。
ガッ
予想通り前扉を引いては見たものの、貴重品管理などの観点からしっかり施錠はされていた。後扉に回った八榛も同様だったらしく、視線がかちあえば彼は無言で首を振る。
ならばと教室の中を覗いてはみたが、当然ながらそれらしい姿はない。倒れていることもない。どころか身動ぎするものは一つとして教室の中にはなかった。
当たり前のことだが、その当たり前に私は落胆を隠せなかった。事情はともあれ、ここにいたのならまだどうにかなった。しかしここにもいないとすれば、後はどこに?
「ここにもいない、か。予想はできてたけど……参ったな」
全然全く参ってなどいないような声色だった。あまりに薄すぎるリアクションに眉を寄せるが、しかしここで変に突っかかっている暇もない。
手がかりになりうるものが一つ候補から消えた。となると他には、総当たりで探す以外に方法はない。総当たり、総ざらいほど効率の悪い方法もなくできれば頼りたくはなかったが、それでもこのほぼゼロにも等しい手がかりの中できることはそれしかなかった。
「……五階から全部見て回ろうぜ。弓道場にもいない、教室にもいないとなった以上総当たりしかねェ。それとも、お前に他に行く当てがあるってンなら別だけどよ」
「いや、俺にもない。賛成だ。校内のどこかにはいると信じたい」
「言うまでもねェ」
新宿の只中にある学校というだけあって、我が校の敷地は正直あまり広くはない。その上半分がグラウンドに圧迫されているため、弓道場など外付けせざるを得ない施設以外のほとんどが校内に集約されている。逆に言えばその全域を回ってなおも姿が見えなければ、本当に手詰まりということになるわけで。
軽く頭を振って早計過ぎる思考を振り払う。そうだ、早計なのだ。まだ私たちはたった一つの教室を見て回っただけに過ぎない。この段階で「いない」と決めつけるのはあまりにも早計過ぎた。
そして、ほどなくして五階に辿り着く。明石高校校舎の五階は、普段授業を行う教室ではなく美術・技術・音楽といった特別な教科の授業を行うための特別教室のエリアとなっているほか、プールへの出入口ともなっている。部活やそういった授業でもなければ来る用事は基本的にないといって良い場所である。基本的には。
私たちは校舎東側の階段から上がってきたが、五階の配置は東からプール出入口、美術室、技術室、廊下の一番西側の突き当りに美術室とあり、それぞれ準備室が技術室は対面に、美術室・音楽室は隣に小さくあった。
八榛がプール出入口の方を確認している間、私はその隣の美術室の方を見て回る。引き戸に手をかけぐっと引くが、やはりこちらも施錠はきっちりとされているようで開くことはなかった。中の様子を覗き窓から窺ってみるも、薄くちらついている埃以外にはどちらの部屋にも動くものは見当たらなかった。
次いで八榛が技術室、私が音楽室。
案の定音楽室も閉まっており、その上窓が磨りガラスとなっていたため中を覗くことさえもできなかった。せめて音だけでもと思い軽く耳をそばだててみても、楽器の音が聞こえてきたりもしなかった。当然と言えば当然だ、音楽教師も今頃はグラウンドの職員待機場所のテントの下で優雅に競技を見ていることだろうし、鍵が閉まっているのに中からピアノの音でも聞こえた日にはそれこそ七不思議として語り継がれてしまう。
「どうだった?」
「どうも何も、当然開いてねェよ。そっちは」
「こっちも。プールも技術室も、きっちり施錠されていたよ」
「チッ……全く、防犯意識の高くて結構なこった」
毒づく。五階がないとすれば、次は四階――――一年生のフロアだ。一年前に私たちがいたフロアであり、正直言って二階の三年生のフロアと並んで、二年生である私たちにはあまり縁のないところではある。
西側の階段を降り、一応各教室を覗いて東側の階段へと戻ろうと思い廊下を進む。
意識を左手側、教室の方へとやっていたから、気付くのが一瞬遅れた。
『――――――――GARRRUUUUUッッ!!』
「ッ、」
狭い廊下から教室前の小広場に出る角、ちょうど死角になっていたところから何かが飛び出してきたのだ――――殺意を持った何かが。
牙が迫る。
それが反射的に上げた私の右腕に食い込まんとしたその時――――私の身体は、一瞬で入った戦闘本能のままに考えるよりも先にその何かを蹴り飛ばしていた。右足を軸に、左の膝をその腹にぶちこむように。
『GYAOAaッ!?』
「仄宮!?」
何かが呻き壁に叩きつけられる音と、事態を理解していない八榛の声が同時に響く。しかし私が八榛に返す前にその何かは大したダメージも入っていないかのようにすぐさま起き上がり、数歩下がった私に向け襲い掛かってきた。扇子はあるものの、それを抜き変換する時間がない――――ならば。
徒手のまま、挑む。飛びかかってきたのを手の甲でいなしながら半身になり、目視して捉えたカタチの上で首元と思しき部分に向けて思い切り右足でキックを放つ。爪先が存外に柔らかい感想を得つつもしっかりと首元を抉り、命中したと悟った瞬間にはその体は廊下の先の方へとすっ飛んでいった。
「ふう……ッ」
「仄宮、今のは……ッ、」
寄ってきた八榛を見もせず腕で制す。視線を背後の彼にやる余裕は、今の私にはなかった。
思いっきり力を込めて蹴飛ばしたおかげで幸い距離が出来たし、二度に渡る反撃によって奴の方もこちらの出方を窺っている――――膠着に持ち込むことができたところで、改めて彼我のことを考える。
まずは彼。物陰から気配を悟らせず襲ってきたのは、奇奇怪怪極まる異形のモノ――――即ち、背中に大鷲のような翼を生やした大型犬。見た目としてはドーベルマン、体長はそこまででもなく脚は痩せ衰えて骨ばっており、背中に歪な形で接続されている体長を覆うほどの大翼の分の重量を支え切るには、到底強度が足りないようにも思えた。しかしそれでも先ほど見せた挙動と、世界の大百科には乗っていないようなある種滑稽ささえ感じさせる姿は、既存の物理法則とはまた別の法則をその身に持っているように見えた。その証拠に、彼の異形の全身からは濃く禍々しい魔力が漂っていて、現世のものではないことを否応なくこちらに理解させてくる。
そして、我。アレに拮抗し得るのは私のみだが、まだ愛刀<飛燕>を変換することができていない。徒手空拳ではアレを始末しきることはできないだろう。後ろの八榛はただの一介のクラスメイトで、戦闘能力など期待するべくもない。つまりは足手まとい。そして目の前の脅威を見逃すという選択肢――――それは、ない。ここがまだ人気のない校舎内だったからまだよかったものの、これが大量の人で溢れている校舎外に出ればどうなるか。一瞬で阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌することは確定的で、そして職員の待機場所でのんべんだらりと競技を見物しているであろう飛龍伊織も無論アテにすることはできない。
別に体育祭を守らなければ――――なんてご大層な思考は持ってはいない。私はこの学校を守るべき職員でもましてや正義の味方でもない。ただ自分に降りかかる火の粉を振り払わんとしているだけだった。
腹を括る。対処を決める。されば、実行あるのみ。
「――――八榛、下がってろ。それからここで見たことを、絶対に他の誰にも話すなよ」
「仄宮、君は一体何を、」
問う言葉には答えない。依然歯を剥き出しにして今にもこちらに飛びかかってきかねない様子の犬モドキ相手に、これ以上の隙は見せられない。
一応と手癖で持ってきておいた扇子が、ここにきて役に立つとは思わなかった。まさか誰も思うまい、慣れ親しんだ校舎内でこれを扇子としてではなく刀として使う日がくるなどと。
左のポケットに突っ込んでいた扇子を右手で掴み――――そのまま。変換には「一瞬」が必要で、しかしその一瞬すら許してくれないだけの圧迫があの犬モドキには在った。
気を抜けば、そのうちに食い殺される。そして私の臓物を加えた口で、更には背後の八榛の首までも食い千切ることだろう。そうなれば後は無残な死体が二つ転がるだけ――――そんな未来は誰も望んではいない。仮に私が避けたとて、今度は順序が変わるか、死体が二つから一つになるか、たったそれだけの違いにしかならない。
別にクラスメイトが死のうが知ったこっちゃないが――――茅野を探すという目的がある以上、その手駒となる彼を喪うのはどうにも面倒くさい。
となれば必要なのは変換の「一瞬」と即殺の「一撃」。寸暇と置かずそれらを叩き込むだけの「技量」。長引かせればそれだけ面倒になる、なればこそ、勝負は秒を切り刻んでの「須臾」であるべきだった。
太陽の熱に灼かれる外とは対照的に、じりじりと凍えるように凍てつく緊張。――――次の「一瞬」には、その明暗が分かたれる。




