Act.42
<Act.42 6/6(日) 9:45>
【二宮灰】
「とはいってもなあ……僕ここ土地勘ないしぃ……」
探索開始から十五分。早速僕は敷地内の一画で頭を抱えることになっていた。
弟・キオのために明石高校の中に起こっている異変を解決しよう――――そのために動き始めたまでは良かった。しかしやはり土地勘のなさは絶望的というか、卒業生でもない僕が知ってるわけもないというか、気合と根性ではどうにもならない壁もあるというか……。
いきなり詰みとは我ながら情けなさ満点だった。通りすがる保護者や生徒たちの視線が突き刺さるようでとても痛い。
仕事柄衆目を集めることには慣れているが、それはあくまで僕のことを好意的な目で見てくれるからだ。つまるところ僕はアウェーに弱いというわけで、それは生来の性格に起因するものであるからして直しようは最早なかった。アイドル的には致命的だと自分でも思う。
まあ、それは良い。マネージャーからも口酸っぱく言われていることではあるがそれは良い。ともかく、まずは生徒か職員のどちらか、この学校に詳しい人間で異変に気付いてる協力者を探さねばならない。
「(いや、そんなの本当にいるものか……? この街の裏側に関わっている人間と括れば多いが、しかしこんな真っ当な表側の場所にそんな人間がほいほいいるものだろうか……)」
まず普通はいない。学校と言えば表の世界の中でも一、二を争うほど「普通に」真っ当な場所だろうし、そうであるべきだろう。
僕だって死神であるとはいえ、そこまでこの街の暗部に詳しいわけではない。そもそも僕の死神としての主な活動場所は新宿に限られているわけではなく、それこそ「本家」からの要請があればどこへなりとも飛ばざるを得ない。ある程度は本業のことも考慮されるから大概は「表のロケ場所=裏の仕事場」という式が成り立つが、しかし今日はオフ日である。ロケでもないし、もちろん裏の仕事で来ているわけでもない。
あくまで僕は、「弟の体育祭を見に来たら会場でよくわからんことが起こっていた」だけであり、それを自主的に解決しようとしているだけなのだ。お膳立てがない以上、協力者の検討などつくわけがない。
つまり、進展なし。堂々巡りを繰り返して三巡目、時間だけが無駄に過ぎようとしていたところで、――――思わぬ転機が訪れた。
「体調でも悪いんスか?」
びくっと驚いて顔を上げれば、しゃがみこんでいた僕を心配そうに見やる一人の青年がいた。全身黒衣、首にかけたネームホルダーだけが白く太陽光を反射していて、こちらを見やる瞳は心配そうにじっと僕の方を見つめていた。
脳味噌を無駄に空転させていたから近付いて来る人の気配に気づけなくて、思いっきりびっくりしてしまった僕に対して青年は人懐っこい苦笑を零し、
「驚かせちゃったッスかね、さぁせん。……お兄さん、保護者の方ッスか? 体調悪いなら、救護室はこっちなんで」
休んでくといいッスよ。軽い口調ながらガラの悪さや嫌悪感を人に抱かせない笑顔で、彼はそう弓道場らしき建物のほうを指差した。
どうやらじっと動かない僕を体調が悪いゆえだと思ったらしい――――と思ってふと視線を下げると、偶然ネームホルダーに目が留まる。
『明石高校養護教諭 扶桑朧』。なるほど、と合点がいった。
「いや、ありがとう。気分が悪かったわけではないから、大丈夫だよ」
苦笑を零す。養護教諭――――つまり保健室の先生であれば、確かに蹲っている人間がいれば声の一つもかけるというものだろう。しかし僕は別に体調が悪かったわけではない、それなのにこれ以上彼の手を煩わせるわけにはいかなかった。
ゆっくりと立ち上がれば、彼もまた下ろしていた腰をすっくと上げた。僕の胸元のあたりに彼の目線が投げかけられ、ついで僕の視線を追うようにその首がもたげられる。ありがとうともう一度告げ、踵を返しかけ、そして次いで、
「いや、やっぱ行きましょう救護室」
「へ?」
がしっと、腕を掴まれた。それはもう、逃がすものかという目で。
「お兄さんやっぱあんま顔色良くないっすよ。元々色白なんしょうけど、それにしても。だからほら、休憩だと思って」
「いや、そこまで迷惑をかけるわけにはいかないよ。僕なんかより、ケガをした生徒を診るほうが大事だろう」
反駁すれば、彼は「心外だ」とでも言うように若干の幼さを残した瞳を吊り上げて「んなわけ」と答える。
「どっちが大事かとか俺にはないッスよ。保護者だろうと生徒だろうと、怪我人なら手当するし病人なら看護します。それに俺ら、病人を未然に防ぐことも仕事のうちなんで」
にかっと青年は笑う。なるほど、倒れてから運ぶのでは遅く、倒れる前に休んでもらうために呼び止めたわけか。門外漢ながら、医療に携わるものとしてそれはきっと理想的な姿勢に違いない。日頃の強行軍が祟って全開とはお世辞にもいえない状態であることは事実なので、いつもだったら僕もその言葉に甘えていたことだろう。
だが、今の僕に休んでいる時間はなかった。
「いや、……すまない。できれば休んでいきたいところなんだが、やることがある。申し出は有難いが……」
小さく頭を下げる。善意で言ってくれていることは分かるのだが、こちらにもやむにやまれぬ事情というものがある。解決すべき異変の正体すらまだ判然としない中で時間をロスするのはなるべく避けたかった。
そんな僕の姿を目を丸くして見やったあと、今度こそと思い踵を返しかけた僕にかけられた言葉は、
「――――お兄さん、観覧目的じゃねえな?」
「ッ、」
今度こそ、僕は足を止めざるを得なかった。
すう、と細められた瞳と低められた声音。大衆のざわめきの中を縫うように僕にだけ届くよう抑えられたその声は、今までの気の良い親切な青年とうってかわった剣呑さを持っていた。
今までどこか茶目っ気のある稚気を宿していた黒星は、その一切を切り落として僕を見据えていた。まるで別人と見紛うほどの変わりように思わずたじろげば、その狼狽をうしろめたさゆえととられたか、彼はなおも言葉を重ねる。
「体育祭の観覧目的なら、そこまで意固地になる必要もないハズ。『やること』なんて濁して強行する必要もない。違いますか?」
ぐ、と言葉に詰まる。確かに思考に余裕がなくてうまくはぐらかすことができなかったのは認める。しかし何より、この雰囲気の変わり様――――これが本当に、いち教員か?
どう答える二宮灰。どうはぐらかす僕。いやいや本当に、弟の体育祭を見に来ただけだよとゴリ押すべきか。いや、だが、この様子ではそれもきっと苦しい言い逃れにしか見えまい。
思考が煮詰まる。このままでは協力者を探すどころか不審者という扱いで学校から叩き出されかねない。それだけは避けなければならない――――ならないが、しかし、どうすれば?
空転に空転を続けた脳味噌はいよいよ、何も考えずに言葉を搾りだした。
「その……、なんとなく、……違和感が、あって」
ああー、言ってしまった……。
見れば彼もきょとんとした顔でこちらを見ている。きっと「違和感ってなんだよ」と思っているに違いない。僕だって思ってる。だが僕の貧弱な語彙力では、それ以外にあの時のあの感覚を形容する言葉が思いつかなかった。
たった一瞬覚えただけの感覚を的確に形容し得るのはきっと名だたる文豪だけだろう。この敷地内に入ってからというものの、あの時感じたものはあれ以来嘘のように消え失せ、ともすれば疲れていた僕の気のせいだったのかもしれないとすらすり替えられかねない始末だ。少しでもそのことを忘れ体育祭の方に現を抜かしてしまえば、もう元の危機感など取り戻せない気がしていたからこそ、早く手がかりの一つでもと急いていたのだが。
「お兄さん、……」
あ~~~~~ほら終わった。これは絶対終わった。体育祭の観覧どころかこれは絶対不審者として叩き出されるコースだ。悲しい。幸いパパラッチはいないことだろうから芸能生命に傷はつかないとして何よりキオの姿を少しでも見ることすら叶わなかったのが何より悲しい。めっちゃくちゃにつらい。この沈黙もつらい。居た堪れない。
そして九割確定コースの絶望未来を思い描いて内心で号泣していた僕に代わり、そんな沈黙を破ったのは思いがけず彼の方だった。
「……もしかして、わかる人ッスか?」
「へ?」
「その違和感、――――もしかしてこの学校の魔力のことじゃないスか?」
眼を見開く。まさか一般人に見えた彼の口から、『魔力』などという言葉が出てくるとは思っていなかった。
偶然の合致――――にしては、会話の辻褄が合わないにもほどがある。仮に僕が知っている『魔力』と彼の言う『魔力』が異なる概念なのだとしても、そんなファンタジーチックな名前は今この場にはあらゆる面から考えて相応しくない。であるならば。
「君、もそれを知って、」
「俺も、朝からなんかヘンだなとは思ってたんスよね。まさか外部の人がそれを察知するとはまるで思ってませんでしたけど」
がしがしと彼は乱暴に頭を掻く。続けて、
「飛龍センパイや鈴谷センパイは俺ほど敏感じゃねーし、俺一人でどうにかするしかねーと思ってたけど。……お兄さん、魔術師とかそういう類の人で、間違いないッスよね」
聞き慣れない名前に次いで、聞き慣れた言葉が飛び出る。混乱していた頭に飛び込んだ『魔術師』という言葉は、瞬く間に僕の中の混沌に整理をつけ、彼のラベルを『一般人』から『同じ側の人間』へと張り替える。
「……魔術師とは違うんだがね。常ならざる力を持っていることには変わりがない。君も、そういう認識でいいのかい」
「ええ。俺はただのしがない魔術師ですが――――同時に、ここの教員でもある。だから俺にはこの体育祭を守る義務がある」
生徒たちに危害を及ぼさせるわけにはいかない。例えそうでなかったとしても、この学校を掻き回すことは許さない。
真っ直ぐと僕を見据えるその黒瞳は、声高にそう彼の決意を物語っていた。
そして、僕も。
「僕も、弟がここに通っているんだ。だから――――だから僕は、弟の平和を守りたい。手伝って、くれないか」
「共同戦線ッスね。一人じゃどうもアテがなかったところですし、いいッスよ。どうにかしましょう」
「……よろしく頼む」
そうして僕は、思いがけず出会った青年と手を組むこととなった。
未だまるで解決のアテはない。しかし一人で悩むよりは二人で話し合った方が勝率が上がるのは明確で――――その思いが一致しているとなれば手を組まぬ道理は、僕らには見当たらなかった。
**
<6/6(日) 9:30>
【????】
明石高校校舎裏。行き交う人もなく、様々な用具の積まれるばかりの場所に、暗躍する影があった。
「――――……ええ、彼らは持ちだした偽“聖杯”で儀式を開始したようで……ハイ」
彼は陰に潜む。決して悟らせず、関与することもない。ただただ純粋に、今の主君から言い渡された使命として監視を続行するのみ。
殺せ、とは今のところ言われていない。ただ彼らがどういういった行動に出るかを逐一報告せよ、と申し渡されているだけであるが――――。
「……ハイ……ほな、任務のほうは続けさせて頂きますわ。進展があったらまた連絡しますさかい、御屋形様は待っとってくださいね」
その進展如何によっては殺害命令も下りかねないことを彼は十分に知っていたし、自分の腕ならばそれもまた十二分に可能であることも理解していた。
個人としては、彼らを殺すことは気が進まない。気が進まないから、できればそういったことにはなってほしくはないと願うものの――――いざ“御屋形様”からの命令が下れば、あっさりと覚悟を決められてしまうことは予想できた。
通話を切り、耳に押し当てていた携帯を懐にしまう。そして彼は顔を上げ、歓声の聞こえるグラウンドの方を見やるように仰ぎ――――されど、その視線はそこらで犇めく有象無象の小僧共ではなく、もっと違うものを探すかのように空を彷徨い。
「ほんまに、どこにおるんやろなぁ……お前さんは」
名前が虚空に零れ落ちる。それは音という形が取られることはないまま――――やがて彼は視線を彷徨わせるのを止め、ふっと姿を消した。
一瞬前まで彼がいた場所を、もう何も、温度すらも残らぬまま、一陣の風が通り抜けていった。




