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帝國ロストヰデア  作者: 聖木霞
Ⅲ 鳴雷月編
42/76

Act.39

<Act.39 6/6(日) 7:30>


【茅野夏目】


「うん、行ってくるねお父さん……ああ、うん、ご飯は作っておいてあるから、それ食べて」

 転がるお酒の缶を拾い集めがてら酔い潰れている父に声をかけるも、当然の如く返事はなし。ふと時計を見やれば既にでなければいけない時間が近づいていて、私は慌てて鞄を掴んで家を出た。

 父の返事がないことはいつものことだから、特に気にすることもなく学校への道を急ぐ。服は制服ではなく体操着にジャージを羽織ったもので、その上いつもより三十分も早い時間になぜ登校しなければならないのかといえば――――それは、今日が体育祭だからだった。

 正直言って、体育祭自体にあまりモチベーションはない。他の教科はたいてい4か5なのに体育の成績だけはぎりぎりの3だし、徒競走だって三位より上をとれたこともない。ただそれでもどこか足取りが軽いのは、ただ純粋に仄宮さんと過ごせる初めての体育祭が楽しみだからだった。

「(仄宮さん、体育も得意だもんね……他の教科はたいてい寝てるかぼーっとしてるかみたいだけど)」

 面倒くさい、やる気出ない、などと文句を言いつつも学年女子の中でもトップクラスのタイムを出す仄宮さんは私の憧れだった。あれだけ軽やかに動ける仄宮さんは、重力などという厄介な枷のあるこの世界でもさぞ生きやすいに違いない。おそらく今日も会ったら会ったで彼女は「面倒くさい、なんでこんな行事あるんだ」などと小さくつぶやくことだろう。ただそうやってなんだかんだ言いながらも、結局彼女がやることはやる性分であることを私はこの約二ヶ月で知っていた。

 とはいえ会えるのはホームルームではなく開会式だろう。保健委員である私や、そのほか準備のある生徒は朝のホームルームには参加することができないが、開会式だけは全員が出席することになっている。なるべく早く行って、少しでも多くの仕事を終わらせて、早くクラスに合流して――――仄宮さんに会えるように、頑張ろう。

 そう思って少し歩く速度を速めた、そのときだった。

 向かい側から、綺麗な着物を着こなした女性が歩いてきた。遥さんがよく着るようなおとなしめの色合いではなく、華やかな桃色が朝陽の中に映え金糸の刺繍が煌めいた気がした。黒髪を簪で結い上げたその人とすれ違いざま、とん、と肩が触れ合った。

「――――ごめんなさい」

「あっいえ、こちらこそ……」

 いかんせん狭い路地だ。落ち着いた声が耳を打って、反射的に謝り返してそのまま行こうと思えば、


 とん、と掌が私の背中に触れた。

 燃えるような熱さをそれに感じて。


 ――――――――そして、そこで私の意識は途切れた。


 **


<6/6(日) 8:00>


【仄宮秋流】


「タオルは持ったか? 水筒は? 日焼け止めはきちんと塗ったな?」

「だぁああぁああうるせェなテメェはッ! 体育祭如きでガタガタ騒ぐんじゃねェお前は私の母親かよッ!」

「日焼け止めは!」

「塗った塗ったよ塗ったからいい加減にしろバーーーカッ!! ぶち殺すぞ!!」

 世間の皆さまが爆睡を決め込んでいるであろう日曜の朝っぱら、なぜこんなにも喧しくぎゃんぎゃんと喧嘩しなければならないハメになっているのかといえば。

 それは今日が、非常に忌々しくも体育祭の日だからである。

 一通りの荷物――スポドリの入った水筒、タオル、日程表、そして持たされた絆創膏に予備の日焼け止めなどなど――を脇におき、いつもは履かないスニーカーに足を突っ込んでいる後ろで母親の如くあれやこれやと世話を焼いてくるのはハルト。なぜかこの男、昨日妙にウキウキしていてその理由を(嫌々)尋ねたところ、

「明日はお前が活躍する日だろう? なら見に行かないわけにもいくまい。絶対行くからな」

 と相変わらず腹立つほど爽やかな笑顔を向けてきたから、私としては昨夜からゲンナリし通りだった。

「来なくていいっつの……どうせガキのお遊びだぞ」

「子供の遊戯だろうとなんだろうと、お前が出るなら見に行く理由としては十分さ。それが伴侶というものだ」

「誰が伴侶だ誰が。はったおすぞ」

「ああそうだ秋流、弁当は作って持っていくからな。昼頃になって自由に行動できるようになったら連絡しろ、合流して食べよう。確か体育館が解放されているんだったな?」

「……、そうだよ。第二が使えるはずだ」

 嘆息しつつもそう答えれば、彼はしゃがみこんでスニーカーの紐を縛っている私の頭を不意に軽く撫で、

「期待してろ。お前の好きなものを詰め込んで持って行ってやる、だから頑張るんだぞ」

 紐が解けないようにきっちりと縛り、そして後ろの金髪を軽く振り返る。

 悔しいことに、コイツの料理の腕は折り紙付きだ。期待の一つや二つくらいなら、……まあしてやらんでもない。

「……わァッてるよ。行ってくる」

「行ってらっしゃい、ケガにだけは気をつけろよマイハニー」

「だァれがハニーだハニー」

 荷物をひっつかみ、そのまま家を出て後ろ手にドアを閉める。その隙間に一瞬だけ見えたアイツの笑顔に、少しだけなら頑張ってやろうかという気もした。

 さて、まあ体育祭とはいえ係持ちの連中とは違って私は特段忙しいわけでもない。委員会無所属かつ帰宅部の私のような人間は、ただただ淡々と適当に競技を流していればいいだけなのだから気楽なものだ。ただハルトのあの様子を鑑みるに、あまり適当に流しすぎて二位や三位といった順位ばかりとっていては「手を抜いたろう」とちくちく刺されるであろうことは目に見えている。

 大体、斬った張ったと命のやり取りで生計を立てているといっても過言ではない私が、ガキのお遊び程度で本気を出しては不用意に目立つことはアイツも理解しているだろうに。仮にも請負人である、本気を出して一般人との徒競走で負ける道理はない。だがあまりにもぶっちぎってもそれはそれで面倒くさそうという部分があり、あまりそういうことはしたくないのだが……まあ、八割くらいの力で一位を一度くらいとっておけばアイツも納得するだろう。

「(なんで私がこんな妙なとこで気ィ遣わなきゃならねェんだ……ったく)」

 嘆息。

 さて、我が明石高校の体育祭であるが、これは毎年自校のグラウンドで行われる。新宿という雑多ものがごった返したコンクリートの中でそこだけ土が剥き出しになっているのは、高所から一望するとひたすらに目立つ。よくもまあこの街であれだけの敷地を確保できたなとは思うのだが、まあそれはさておき。

 基本的に競技はグラウンドだが、昼飯はそこで摂るわけではない。各自教室で食べるもよし、(憎たらしいことに)ハルトのように弁当を持ってくる保護者なり兄弟なりがいた場合は一緒に食べれるようにと体育館が解放される手はずとなっている。校内に二つある体育館のうち、昼食に利用できるのは一階、下駄箱兼用のロッカーを通ってすぐそこにある第二体育館の方。学生・教員以外は基本的にそれより二階以上には入ることができない。不審者対策らしいが、正直一階に入ることを許している時点で対策も何もないと思う。

 適当にてくてく歩いていても着く時は着くものだ。正門には「明石高校体育祭」の字が躍り、視界の端を係らしい生徒が数人慌ただしく横切っていく。教室に向かおうと校門を踏み越えた、その時だった。



 ――――。



「(……?)」

 一瞬だけ、そうたった一瞬だけ。グラウンドの方から聞こえる準備の物音も、脇を駆けていく生徒の足音も、全てが聞こえない一瞬が存在した。

 そう、まるでその一瞬だけ、私が気を失っていたかのように。遠のいたかに思えた意識も、しかし次の一瞬には全てが元通りになっていた。正門を踏み越えたところで固まる私に、行き交う数人の生徒たちが不審そうな視線を送ってくる。

「……なんだったんだ、今の」

 異変――――にしては、ささやかすぎる。もともとこの明石高校自体が“いろんなもの”の集まりであり、魔力が常に撹拌されている特殊な土地であるから、多少の違和感を覚えることはあまり多くないにしてもそこまで珍しいというほどでもない。だが、それにしても、しかし。

 ……疑問はある、あるがそれにしてもずっとここに突っ立っているわけにもいかなかった。気のせいだということも十分あり得るのだ、何も起きていないのに要らぬ心配をするのは無駄というものである。

 そう割り切り、視線を振り切って視線を上げ、さっさと下駄箱に向かう私はまだこの時知らなかった――――この時の違和感は、これから起こることの些細な予兆に過ぎなかったのだ、と。

お待たせしました六月編です!

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