Act.37
<Act.37 5/16(月) 0:00>
【仄宮秋流】
――――月下、潮風香る中での最後の大一番は、兄妹がその手に持つ打刀を一振りずつ投げ交わす音によって、静かに幕を開けた。
それぞれ、ウィアが漆に覆われたかのような黒檀の色を呈す双剣を、トリファが血に染め上げたかのように鮮烈な紅緋の双剣を両手に揃える。真っ直ぐにこちらを見据える真紅の二対はざわめくでもさざめくでもなくただただ凪ぎ、それはまるで今宵地平線へと見え続ける海の黒青のように深かった。
今までに何度か戦ってきたその時は、色など揃っていなかったはずだ。飛龍曰くの『二対の双剣』、それはそれぞれ漆黒と紅緋の対であると勝手に思い込んでいたが、これは。
「――――落地降り、」
そして、いつぞやのように祝詞が始まる。
「禍津祝い、――――」
それは、冥府に座す大いなる災いの獣を降ろすための詔。
「――――罪穢を奏して、」
本来ならば人の身にはあまりにも余る“厄”を、人ならざるものの血を縁として引きずり降ろし器に留めんとする儀式。
「聞し召すと白す――――」
――――――――――――恐ッ
前はきっと『不完全』だった。そう、心から思わせるような凄絶なる“気配”が、兄妹から放たれた。
四つの真紅の瞳は、依然としてこちらを見つめている。しかしそこに宿っているのは人の叡知でもなくされど野獣の暴性というわけでもなく――――いうなれば、理性ある獣、意志の下に統率され厳然と振る舞う百獣の王であるかのような。
「……オイオイ、前より段違いじゃねェか、コレ?」
「あの時の方がまだよほどマシだったな……」
かといって、今更棄権するようなみっともない真似もできないし、させてはくれないだろう。
あの瞳は、そうだ。百獣の王、獅子の中の獅子、その力強い四肢で荒野を疾駆し外敵を食い殺す君臨者のものだ。決して、以前のような荒れ狂うだけが能の無法者ではない。さながら病に侵され熱に浮かされたかのように、唸り猛り私たちを引き裂くことだけが目的だった以前とは異なり、今の彼らには、『私たちの首を獲る』という確固たる目的と意志がある。
それらを胸に真っ直ぐに迫らんとする彼らは、きっと以前よりも何倍も、何百倍も手強い。
「新月にはまだ遠い、遠いが――――しかし、まあ足りなくはない。お前たちが獣であるというなら獣を、人であるというのなら人が、直接ぶつかろう」
それを望んでいたんだろう、とハルトは手を振りやる。兄妹はそれに威嚇するでも頷くでもなく、ただただ淡々と私たちを見据えていた。
「ただ生憎、俺たちは獣にはなれなくてね。その相手は、こいつにやらせよう」
そして彼は「パチンッ」と一つ指を鳴らした。
途端、足元に広がる影からむくりと体をもたげるのは、影でできた獅子の形。塗り潰された鬣に、輪郭だけでも十分にわかる勇猛なるその姿は、紛うことなき百獣の王そのもの。それを二体呼び出すと、奴は雌雄の片割れ、雄の方をこちらに寄越した。
「一匹は秋流、お前に従う。好きに使え」
「猛獣使いになった気分だ。――――来るぞ」
構える。トリファがハルトに、ウィアが私に――――地を蹴りコンクリートを砕いて一途こちらへと向かってくるその初動は確認できた。
ッキィンッ!!
「ックソ、早すぎて視認しきれねェッ……!」
こちらへと迫る、かと思えばその時には既に反射的に振り上げた飛燕から甲高い金属音が鳴り響き、衝撃が私の身体を貫いていた。歯噛みして耐えんとすればそれはすぐさま退き、次撃に備えればコンマと置かず斬撃の嵐が繰り出される。
なんとかギリギリ目で追える、といったレベルだった。彼らの速さは当然ながら人のものではない。祝詞によって“スイッチ”を入れ、獣の神霊を降ろしそれを人の身で無理矢理扱っているのだからそれもそうだ。
普通の人間ならばそんな現象には耐えられない。神霊という名の膨大な量の魔力を人間が取り込み、扱おうと思えば、普通は人格が食い潰され廃人確定、その上体は一瞬で形を保てなくなるに決まっている。だがそれを唯一可能とし得るのが彼ら、エスカラーチェ兄妹の人狼の血、というわけだろう。
素体が人ならざる者であるなら、人の基準などそもそもあてはまらない。ゆえに彼らはその力を十全に扱いこなし、ハルトならばともかく私には到底追い切れないような速度を現出してみせる。
――――しかし果たして、人間が人外に追いつく必要など、そもそもあるのか?
「見せてやるよ、私の力――――ハルトッ!」
「心得た」
少し離れたところでトリファを相手にしていた吸血鬼を呼びやれば、彼はすぐさま私の意を汲みサーベルを構えた。二匹の獅子もそれぞれが勝手に動くのではなく、今度はハルトの統率された意志の下に港湾倉庫を駆け回る。
跳ね回り飛び回り、コンテナを自由自在に足場とし、様々な角度から襲ってくるエスカラーチェ兄妹の斬撃は、その威力もさることながら手数・速度こそが最も問題だった。
私が一撃を入れる間に、向こうは二撃三撃を叩き込むことができる。それは攻防の転換にも適用され、斬撃が防がれたと思えばすぐさま攻勢に出てくるだけの立て直しの速さも彼らの特徴だった。ゆえに私やハルトは防戦一方になる。人間相手ならば隙にもならないような一瞬が、彼らにとっては絶好の須臾となるからだ。
ならばどうするか。定番だ、単体攻撃が入らないのなら範囲攻撃を入れれば良い。彼らとて全くもって隙がないというわけではない、その隙をこちらが衝く前に立て直されてしまっているだけであって、それより早く“仕込み”を終え、その一瞬に合わせて発動させればいいだけの話。
これ以上なく難関で、しかしこれ以上の策はないのだから仕方ない。ハルトもこれが賭けであることを認識したうえで、即座に守りに入った。
全くもって、アイツも物好きだと思う。しかし、こんな危ない案にたった一瞬の思案すらもなく即決でオールインベットできる大馬鹿のことは、私としてもさして嫌いではなかった。
ハルトが手を振り、二体の獅子へと指示を出す。獅子たちは速度こそ兄妹に劣るが、手数を補うという部分で大きな役割を果たしている上、もとの構成要素が単なる影であるために多少斬られたくらいでは消えてはなくならない。主に彼らを追い、組み付き、その動きを邪魔、あるいは誘導するために動き回っていた。
そして隣の吸血鬼はといえば、私の騎士よろしく隣に立ち、サーベルを振るって私と自身に伸びんとしている刃を片っ端から叩き落している。獅子たちのサポートがあるとはいえ飛んでくる元の量が前回の二倍近いのだ、それでもなお私に掠り傷一つすらつけない腕前と能力、相変わらず彼は彼でぶっ飛んでいる。
まあそれも、人外だからこそ成し得ることと言われればそれまでだ。ならば私は、人間にしかできないことをするまで。
飛燕を扇子に戻し、パンッと音を立てて開く。藍から白までをグラデーションとして染め上げたそれは、まるで夜明けの太陽にだんだんと輝き始める海を克明に写し取ったかのようだった。
「――――<蘭帝>、」
描くのは閃光。飛龍伊織が呼び降ろしたあの「飛龍」にも負けぬほど鮮烈で、一瞬を超えて須臾さえ掴み得る疾駆の一条。
私の中を魔力が渦巻く。新宿のともすれば噎せ返りそうなほど濃密なそれらを、胸にある“聖杯”を介して取り込み、捉え、凝縮し、溜め込む。
力とは即ち想像に他ならないし、それは転じて創造に至る。『術理』などとさも明確な規則があるような言い方をするが、しかしもともとが魔力などという形のないものを扱う力に、物理法則のような明確でいてかつ揺らがない法則などあるわけがない。『術理』の枠は私たちのような一般人ではない者たち全体を含むのではなく、あくまでかかるのは個人個人の限界のみだ。
ゆえにこそ、超える。元々私はさほど多種多様な技を持っているわけではない。それは必要となった時にその都度生まれるもので、生み出すものだからだ――――ちょうど、今のように。
ばち、ばち、と周囲に紫色の火花が散り始める。魔力の流れが私を中心として渦巻き、集中していることに兄妹も気付いたのだろう。今まではハルトと私、両を均等に狙っていたのが、その刃が私へと集中し始めた。
「ッ、……!」
「秋流ッ……!」
痛みが集中を乱す。さしものハルトも流石にこの化物二匹を相手に防戦を張るのはしんどいのか、徐々に捌ききれなくなってきたようだった。
滑らかな流れの中に突如ノイズが走るように、掠めた一刃が体のあちこちを切り裂く。致命は受けていない、受けていないが――――このままではわからない。
しかしそれはハルトとて同じ。彼も未だ致命は受けていないことは気配で分かる、しかし時々噛み締めた唇の間から漏れ聞こえる声が既に無傷ではないということを如実に物語っていた。
馬鹿野郎、私みたいなののためなんかに無茶しやがって。そう馬鹿にする私も、馬鹿にできないのは重々承知していた。ゆえにこそ、その信頼じみたものには同じようにして返そう。
びり、びり、と帯びる火花が少しずつ数を増やしていく。私の中に満ちる魔力もだんだんと満杯へと近づいていき、――――そして。
「<紫閃一迅>――――爆ぜ散れ」
パチンッ
扇子を閉じれば、重なった二人を一条の閃光が貫いた。
――――――――轟ッ!
音が遅れて響く中、閃光は二人の背後にあるコンテナまでも一瞬で燃えカスへと変えて消滅した。
「う、ぁ……ッ!」
「ぅ、おに、ちゃ、ッ」
正確には、貫いてなどいない。ただ単に扇子を差し向けた方へと火花を収束させ、一瞬で展開して一瞬で起爆しただけである。その射線上に兄妹がいたのは偶然などではなく、防戦しながらも獅子を操り誘導せしめたハルトの手柄に他ならない。
回避行動をとれない空中にいる彼らが私から見て一直線上にいる時に、光の速さを超えて狙撃する。獣を降ろしたエスカラーチェ兄妹を打ち負かすには、それしか方法がなかった。
我ながら馬鹿にもほどがあると、力の抜けそうな体と思考で思う。だがまあ上手くいったのなら結果オーライか。
エスカラーチェ兄妹はあの一撃を受け、今まで360度を跳ね回りこちらを翻弄していたのが嘘かのように地面に伸びている。しかしそれでも体は僅かに上下していて、生きていることは窺えるからやはり驚くべき強度である。並の人間なら余裕で消し炭になっているレベルの出力だったのだが……だがまあそれでも、上手いこと「殺さず、生け捕り」ができたわけだから加減下手の私にしては上々の出来だと思う。
「よくできたよなァ、こんな真似……ぅぁ」
力が完全に抜けかけ、無様に尻餅つきかけたところをまたも掬いあげたのは、自身も疲労困憊であろうことが容易に見て取れるハルトだった。彼は私を受け止め、そして静かに地面へと降ろしたのち自分もそのすぐ隣に腰を落とす。
「馬鹿な真似だとは思うが、まるきりできないとは思わなかったさ。だがまあ、こんな博打はこれきりにしたいものだな。流石に継戦はもう無理だ」
「同感だよ、もうカラッケツだ。……それに、馬鹿はお前も大概だよ。馬ァー鹿」
表情筋からも力が抜けたのか、思わず口の端が歪む。それを見たハルトも雑に髪を掻き上げ、「馬鹿同士だ」と小さく呟いた。
へたりこむ私たちの元に、下がって始終を見ていた飛龍と遥がやってくる足音がする。しかしそれに応じるだけの気力はもうなく、残るのは疲労感と勝利に対する満足感だけだった。
五月の最後の大一番。潮騒と月影の中で繰り広げられた決着は――――私とハルトの勝ちで幕を閉じた。




