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帝國ロストヰデア  作者: 聖木霞
Ⅱ 狭雲月編
36/76

Act.34

<Act.34 5/15(日) 21:32>


【仄宮秋流】


 ドッ

「ガッ、ごほッ……ッひ」

 黒服の男が、薄汚れたアスファルトの上を転がる。その顔にはもはや原型もわからぬほどに殴られた痕跡があり、ただごとではないと察するにはあまりある状況を作り出していた。潮風が吹き、しかし海は凪いでいるようでざざ、ざざ、と心地の良い潮騒が遠くに聞こえた。

 どうして私、そして言うまでもなくハルトがこんな場面に居合わせているかといえば、発端は五日ほど前に遡る。


『兄妹と戦ってる最中、白樺組に急襲された。あの二人は取り逃がした』

 至極簡単な報告。事実だけを私が述べれば、目の前の白スーツ――――飛龍伊織は一口コーヒーを啜り込んだ。


 場所としては前回彼からの依頼を請け負ったのと同じレストランで、席も偶然か彼が予約を取ったのか前と同じままの位置だった。相変わらず上品でささめくような話し声に食器の触れ合う音だけが響く室内で、私たちの顧客は一言『そうか』と相槌を返すのみだった。

『そうかってお前……他にないのかよ、依頼失敗も同然の報告なんだぞ』

『いったろ、別に期限は設けねぇって。チャレンジがたった一回に限られているわけでもない、せっかくの好機だったことは認めるが何もそれだけが唯一あの兄妹を抑えるタイミングということもない。進捗報告は有難いことだが、正直昨日の今日でこれは俺に飯をたかりたいだけに見えるぞ』

『実際それはある』

『黙ってろハルト』

『やっぱなー』

 間髪入れず頷くハルトの脇腹を小突く私、そしてくつくつと喉奥で笑う飛龍。その顔に焦りは見られず、しかしまさか私たちを改めて呼んだ理由が単なる進捗報告だけとも思えず、私は更に言葉を重ねた。

『だがな飛龍、私は本当なら電話で全部済ませるつもりだったんだ。それをまた呼び出したのはお前だぞ』

 追加なら、上乗せだ。

 そう付け加えれば、飛龍はわずかに眉を上げてにやっと笑み、『流石話が早ぇなぁ』とその長い指でテーブルクロスの上を叩いた。

『兄妹の確保も確かに急務だ。だが脅威度としては白樺組自体のほうがヤバくてな――――あいつらを叩く、その火種になってほしい』

 曰く。

 いよいよ本格的に関東へと侵攻し始めた白樺組、その先鋒によって飛龍組の組員が拉致されたらしい。しかもその組員も幹部級――――となると、その幹部に対して行われることは必然と限られてくる。

 そして今度の日曜、つまり十五日に件の彼への尋問が港湾倉庫で行われる、という情報を飛龍たちは入手したらしい。そこで“一般人”がその場に“偶然”居合わせ、口封じにと殺されかけたところを飛龍組が“治安維持”の名目で反撃、殲滅する――――というシナリオを、彼らは作りたいのだそうだ。しかし、そんなことに協力してくれる“一般人”など普通はいるはずもない。そこで私たちのようなフリーの請負人の出番というわけだ。

『お題目としては私らは不要なんじゃねェの? そんなの、幹部とやらの奪還だけで事足りるだろ』

『わかってねーなぁ。それだけだと少し足りねーんだ、これが。奪還は確かに本命だが、それだけってわけじゃない。関東の、新宿の本当の主が誰か――――アングラを牛耳ってんのは誰か、治安を守ってる飛龍組(ウチ)がどんだけヤバいとこかってのを、あの無法者(バカども)には骨の髄まで叩き込まなきゃならねえ。そのためには、それらしい筋書きが必要ってわけだ』


 というわけで、私たちはその尋問を“偶然”見かけ、襲われかける“一般人”の役をすることになったのだが。

「――――……ええ、わかりやした。尋問はつつがなく、そう、誰にも見られることなく終わった……そういうことで」

 どうやらリーダー格と思しき白樺組の黒服がこちらを見、通話を繋げていた携帯をふっと下ろす。ずっとこちらへと突き刺さるような視線を送ってきていた黒服たちが、その呟きと同時に一斉に銃口をこちらへと向けてきた。

「……流石にこれは聞いてない。なぁ秋流」

「聞いてねェ、聞いてねェが……あっちはあっちで、聞いてくれる様子はねェな」

 言葉を借りる限り、彼らの中で私たちは今夜この場にはいなかった扱いになったらしい。すぐにでも向けられた銃口から数多の弾丸が射出され、私たちを撃ち抜き、そして体は新宿湾の魚の餌となることだろう。本来ならきっと、それはもっと早くに訪れるだろう瞬間だった。しかしそれは年端もいかない幼子たちによって、偶然とはいえ妨げられたのだ。

 今度こそは、確実に息の根を。そう思うのは誰だって同じだ――――しかしそれを、向けられる側としてはたまったものではない。

 流石に銃に対して防御する術を私は持っていない。ハルトは別だろうが、今は下手に動くことができない。引き金が引かれてから、弾が体を貫くまで――――その隙に、彼が壁を展開できるかどうか。

 潮騒が遠い。黒服たちの指に徐々と力が込められ、そしてついに引き金が、


「――――――――てェッ!!」

 パシュ、と微かな風切り音が響いた直後、――――爆発の轟く音が全てを掻き消した。

 爆風が体を叩く。私を庇うように抱き寄せたハルト越しにまるで蛍のような光が空を滑り、途切れ途切れに男たちの悲鳴が聞こえた。


 ……そして、少しして音が鎮まる。

 ハルトが静かに私を離す。すると目の前には、倒れ伏す黒服たちが広がっていた。

「なん、だよこれ……」

「おう、間に合ったみてーだな」

「!!」

 零した瞬間、私たちの背後のコンテナ――――その上から、飛龍の声が響いた。二人でばっと振り仰げば、そこには彼の背丈ほどもある巨大な弓を構えた飛龍伊織その人が佇んでいた。

 欠け気味の半月を背負った長身痩躯。一本にまとめたぼさぼさの茶髪が潮風になびき、黒い瞳がきらりと煌いて私たちを真っ直ぐに見つめた。

「とりあえず下がってろ。お前らの役目は目撃者役をやってくれたところで終わりだからな、これ以上は……まあ、働きたきゃ働いてもいいが、巻き添え喰らっても俺は知らねーぞ」

 いつもの笑みを描いたまま、彼はいつの間にか手にしていた薄い橙色の光り輝く矢を番え――――そして、放った。

 風切り音が再び鳴る。それは夜闇の中奔る閃光のように冷ややかな海風の中をひた走り、硬直している黒服たちを爆風を撒き散らしながら次々と射抜いていく。

「な、なんだアレは……ッ!」

 矢を避け、爆風をコンテナで凌いだらしい黒服たちの声が聞こえる。呻きまろぶ彼らは、コンテナの背後から一目散にこの場を逃れようとする。

 しかし、彼はそれを容認するような人間ではなかった。

 一つの影が空を飛んだ。それは白いスーツのポケットに手を突っ込んだまま、軽やかに宙を飛んで黒服たちが隠れているコンテナの前に着地した。そして片足を上げ、


 ガンッ!!


 耳の中で反響するほど凄まじい音がした。無造作に繰り出された喧嘩キックがコンテナに炸裂し、四角いそれがまるでただの箱であるかのように軽々と浮き。

「あ、あ、あ、やめ、」

「そんな馬鹿なことッ、」

 ドシャンッ

 悲鳴が、コンテナの下へと消えていった。黒服たちは宙に浮き、傾いたコンテナのその下に圧し潰されたのだ――――と分かったその時、確かに背筋が凍った。


 おそらく一トンほどは確実にあるだろうコンテナが、まるでゴミ箱を蹴飛ばすかのように蹴られたことで傾いたのだ。

 ただの人間が、コンテナを蹴飛ばす。しかもとうの本人はまるで堪えていないかのような表情で、それこそ路傍の石ころでも蹴ったかのような風情でいる。

「逃がすわけねーだろ、バーカ」

 いつも学校で見ている笑顔が、この時ばかりは――――無性に、無性に怖かった。


「本当に、あいつは人間なのか……?」

 ハルトが呻く。そんなわけがない、彼が、飛龍伊織が化物(じんがい)であるはずがない。いやだがしかし、彼のこれはいくらなんでも――――。

「おう、大丈夫かお前ら?」

「ッ、」

 コンテナをあっさりと視界から外した飛龍は、今度は私たちをその黒瞳に映しこちらへと近づいてきた。その声に一瞬反射的にびくりと肩を跳ねさせてしまってから、私は不意に気付いた。

 その目は、本当にいつも通りだった。彼の瞳は何をする時も変わらない。生徒相手の時も、請負人相手の時も、敵が相手の時も。

「あー、そう怯えるなよ……まあ、こう、これには色々仕組みとかこう色々がだな。とにかく、俺としてはお前らは協力者だ。手を出す必要も謂れもないだろ」

「分かってッけどよ……一体お前、何したんだよ」

 あんなん、と転がったコンテナのほうに視線をやれば、彼はああ、と頷いて、


「空母を人間で再現しただけだよ」


 ……私とハルトの理解が及ばなかったのは、言うまでもない。

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