Act.31
<Act.31 5/8(日) 20:28>
【仄宮秋流】
――――――――カチャリ、と食器が触れ合う僅かな音と、抑えられた品の良い談笑の声が響く高級レストランの一画。
なぜ場違いにもほどがあるこの時間、しかも男と二人向かい合ってではなく三人で高級料理をつつかなければならないのか。
「まあ、とりあえず食えよ。今日の飯代は俺の奢りだからな、遠慮しなくていい」
しかもなぜ向かい合っているその相手が、卸したてのような真っ新な白いスーツを着こなした自分の担任でなければならないのか。
いい加減に問いたいのは、私も、隣で黙したまま行儀よく食事を進めるハルトもきっと同じだった。しかしそれを問えないだけの、問うのを許さないだけの張りつめた空気が、今の担任――――飛龍伊織にはあった。
態度自体はいつも教壇の上に立つその姿のままだ。所作も、紫煙の匂いを微かに漂わせているそれもあまりにもいつも通り――――しかし、纏っている雰囲気がいつもとは微妙に違う気がした。
「……で、先公が日曜の夜、しかもこんなところに生徒を呼び出して一体何の用だよ」
小さな高い音ばかりが響く食事の席にいよいよ居心地が悪くなって、ようやく口火を切る。すると彼は普段の笑みを浮かべて「補導には場違いすぎるって? 言うまでもないだろ、そんなの」と嘯いた。
……底が読めない。狙いが読めない。飄々と笑うその顔の、思う心が、分からない。
「さて、本題に入るか」
あっさりと告げられた言葉。そう、補導にはあまりにもそぐわないこの状況を作った、彼の本当の目的について。
「依頼をしたい。請負人、仄宮秋流に」
電話口で聞いたのと全く同じセリフを、全く変わらない表情で吐き出した目の前のこの男は、きっと“先公”としてここにいるわけではいないのだろう。
それをわかっていて、しかしそれでもわかりたくないという気持ちがどこかにあって。表情が強張ったのを自覚したところで、隣のハルトが「内容は」と口を開く。
「……そういや改めて聞くが、お前は?」
「心外だな。この場にいること、そしてあの場にいたことからも自明だろう。そんなことは」
怪訝そうな飛龍の瞳がハルトを見据え、しかし奴もそれに怯むことなく泰然と返す。その言葉にある程度の察しはついたか、飛龍は「そうだな」とそれ以上詮索することはなく軽く頷いた。
「依頼は単純だ。お前らも襲撃を受けている、エスカラーチェ兄妹。あいつらを捕縛し、その身柄を渡してほしい」
「なんで、……お前がそのことを知ってんだよ」
「請負人なんて稼業してるんだ、お前だってうちの組がどれだけの規模かくらい知ってるだろ。本拠地である新宿の情報くらい、簡単に手に入るさ」
さらっと彼の口から出てきた「うちの組」という言葉に、……やはりどうも良い顔はできなかった。私がどんな顔をしようと事実は変わらない、変わらないがしかし、……それでも。
「報酬は……そうだな、そっちの提示する額でいい。正直、一刻も早くあの兄妹の身柄は押さえておきたくてな……そのためなら銭は惜しんでられねぇんだ」
「随分と気前のいい話だな。俺たちがふっかける可能性は考えないのか?」
「別に、ふっかけてきたところで依頼さえ遂行してもらえりゃ言うこたねえさ」
「……できなければ、言うことはある、とでも言いたげだな」
ハルトがそう告げれば、飛龍は何を当たり前なとでも言いたげな表情で、
「俺は依頼人で、お前らは請負人だ。安からぬ金を出す以上、全うするのは当然だろ」
――――――――嗚呼、彼にとっては既に私は「請負人」でしかないのだろう。
「仄宮、お前も『請負人』として来てるつもりがないなら、――――――――帰れ。呼んだのは俺だが、俺が呼んだのは、――――生徒としてのお前じゃない」
だからこういう言葉が出る。それは容易に予想ができたことで、そして寸分の狂いもなく正しいのはあちらで、――――ゆえにこそ、顔が歪む。
求められているのは『お前』じゃない。
おそらくは一番聞きたくなかったその彼の言葉に、動揺しきっている自分がいて。
しかしその一方で、ようやく割り切れたような気もした。
「……、私らがあの兄妹に何度か襲われてることを知ってるくらいだ。あの二人について、いくつか情報くらいは持ってンだろ。それくらいの提供はあってもいいんじゃねェの――――依頼人さんよ」
「秋流」
こちらを見るハルトに僅かに頷きかけ、下げがちだった視線をくっと押し上げる。こうなれば、制服など着てくるべきではなかったかもしれない。そのあたり、今までがあまりに無頓着すぎて、生徒としての私と請負人としての私を切り替えられていなかった。もともと切り替える必要がなかったものだが、しかしこのような状況となっては――――学校では教師であった者が夜にはクライアントとして私を“利用”してくる、そのような状況になったとあれば、考えざるを得ないとも思う。
あちらが私をビジネスとして捉える以上――――否、依頼と金というビジネスを間に置いて話をする以上、私もアイツも、この場においてはただただ対等だった。
そんな私の目を真っ直ぐに見つめ、ふ、と一つ笑みを零した彼は、されどそれをすぐ引き締めて足下の黒鞄から何枚かの書類を引き出し、店員が皿を下げていったことで空いたスペースに静かに置いた。
「これが、俺たちが持っているあの兄妹についての情報の一切だ」
手に取る。そして手早く目を通すこと、以下。
兄、ウィア・エスカラーチェ。そして妹、トリファ・エスカラーチェ。
その二人は見た目からも分かる通り、もともとこの国の生まれではない。ではどこで生まれたかといえば、出自は南米。しかも脈々とその血に『狼』を受け継ぐ呪術的な家系で、平たく言えば彼らは『人狼』だった。とはいえその血自体は人間との混血が進んだことでその力のほとんどが喪われ、僅かに残すのみとなっているらしい。
しかしそれでも――――例え彼ら本来の姿に変身することすらできずとも、彼らを利用すべく帝国へ引き寄せた者たちにとってはそれで十分だった。
「奴らが持つ四振りの――――否、二対の双子剣。それはその身に人外を宿していて初めて使いこなすことのできる魔性の剣だ。白樺組は、長らく行方不明だったそれらをどこからか手にし、活用するためあの兄妹に与えたんだよ。人身売買を使って非合法ルートであの兄妹を帝国に買い付け、手駒として育て上げてな」
だからか、彼らが自らのオヤのことを「お父さん」と呼んでいたのは。合点がいくと同時、彼はいつもの癖か背広の内側から煙草の箱を取り出しかけ、レストランが禁煙であることに気付き軽く舌打ちしてそれを元に戻した。表情を歪めたまま、彼は「悪趣味にもほどがある」と吐き捨てる。
「あの二人を引き取ったのは、まだ二人がほんの赤子の頃だったらしい。だから彼らは本当の親の顔を知らないし、彼らにとって親は白樺組の組長だ。それを捨て駒にするやり方は――――俺は嫌いだ」
なんとも飛龍らしい言い草だった。だがその感情とは別のところで、しっかりと理性に支えられた部分が彼の顔に現れる。
「それでも、それとこれとは別だ。あいつらがうちの組にしたことについて、俺はそういった事情を鑑みるつもりは一切ない。ゆえに、お前らに依頼をしたい。引き受けてくれるか?」
……なるほど、飛龍はそういう人間なのだろう。合点がいった。『飛龍伊織』という一個の人間の中には、「明石高校の教師」という『枠』と、「飛龍組組長」という『枠』と、そして様々他にもある『枠』が共存し合っているのだろう。ベースとなる彼の人格・思考は一つでも、彼は場面場面によって「何を基準にして思考するか」を切り替える。感情の部分でエスカラーチェ兄妹に対する憐憫があるとしても、しかし組長としてケジメをつけるためならそれも完封できる冷徹さが彼にはあった。
そして、請負人として頼まれたからには、引き受けない理由がなかった。
「――――引き受けよう。それが請負人で、お前の求めてるモノだろ」
答えれば、彼はいつも通りに「にっ」と笑った。
***
「……服も、なんかもうちょい考えるか」
「なんだ、ようやくお洒落にでも目覚めたか」
「思春期の子供を見守る親みたいなセリフやめろよテメェ……違ェよ、仕事の時の話だ。今までは特に考えず制服のまんまで来てたが……扶桑のこともある、あの高校にそれなりにああいった手合いとすれば、制服のままでうろつくのは色々と差し障りがでかねねェ」
「今回のように?」
「……ああ」
どうやら、この隣の面だけ無駄に整った男には私の内心の焦燥も動揺も、大体筒抜けだったらしい。しかし「ふむ」と頷くその相貌には、それでも失望も落胆も覗くことはなく、いつもとさして変わらないままだった。
帰り路。歓楽街を逸れ、適当な道を辿っている途中だった。そうして何気ない会話をしながらほぼ真ん丸に近い月の下歩く私たちの前に――――まるで予定調和の如く、彼らは現れた。
「――――――――こんばんは、お二人とも」
「――――――――“せいはい”、とりにきたよ」
月下に佇む二つの小さな影。その手が握るのは二対の双剣。都合三回目となるこの邂逅は、しかし今までの偶発的で飲み込まれかけだった二回目までとは違う。
「獲物があちらから飛び込んできてくれたな。なあ秋流」
「あァ。……そろそろ、くる頃合いだろうなとは思ってたわけだしな」
辺りに人気はない。バッグを放り捨て扇子だけを提げる私と、影から自身のサーベルを引き抜くハルトが、狼の血を引き摺った兄妹と、改めて対峙する。
――――――――夜闇、迷いを振り切った先に、再び闘争が幕を開ける。




