Act.30
<Act.30 5/7(土) 23:34 満月>
【???】
――――――――月下。新宿は外れ、計画が途中で頓挫した打ちっぱなしのコンクリートビルの一室に、蠢く二つの影があった。
影はどちらも小さい。年端もいかぬ幼子だということは容易に知れるが、しかしまだ親元を離れるべき齢でもない彼らがこのような治安の悪い場所にいること自体が異様だった。
されどここを新宿での仮の拠点としている彼らを、ただの幼子だと思って襲えばどうなるか。
――――――――どさり
「おにいちゃん、おわったよ」
何かが倒れる音と共に響くあどけない声。それは剥き出しになった冷たいコンクリートの壁の中に反響し、「おにいちゃん」と呼ばれた少年はにっこりと笑った。
「うん、ありがとうトリファ。こっちへおいで」
「うん」
トリファと呼ばれた少女は、崩れ落ちた男――――だったものからは一切の興味が失せたといった風情で部屋を振り返り、とことこと少年に近寄った。少年は少女の頭を撫で、少女はそれに心地よさげに大きな瞳を細める。
――――兄・ウィア・エスカラーチェ、そして妹・トリファ・エスカラーチェ。雪花に蜜を垂らしたかのような滑らかな乳白色の髪と、対照的に染まった深い褐色の肌、そして無垢さを残したままの真紅の瞳を揃いで持つ異国の兄妹だった。彼らこそが白樺組の“飼い犬”であり、その命を受けて仄宮秋流とベルンハルト・レヒト・シャルラハロートを追い大阪から新宿へとやってきた二人である。
彼らは元々、帝国の生まれではない。異国の地で生まれ、しかし異国の地で育つことはなく、壮絶な貧困の地から買われてここに辿り着いた流れ者の異人たちである。その出自は尋常のものではなく、本をただせば月夜の晩に変化し荒ぶる狼と人の境、両の性質を持ち合わせその狭間で生きる人狼の家系。生まれ持つ呪術性は薄れ狼に変幻することはできなくなったものの、しかしそれでも異形の家系であることには変わりがなく、常人に比べればその身が宿す魔性は異常と形容して差し支えない。そしてその『適性』をこそ買われたのが彼らであり、その魔性と合致する魔術こそが彼らが持つ二対の双剣<禍之生太刀>と<禍津生太刀>だった。
彼らはその四振りを、それぞれ一振りずつ所持する。普段は目に見えず、重みも感じないが、確かに身に沁み込んだその魔術は必要に応じて引き抜かれるのだ。
まさしくそう、先ほどの男に対して、振るわれたように。
Prrrrrrrrrrrrr
ふとその時、おざなりに設えられたベッドの上に放られた携帯が小さく震えた。
肩口で切り揃えられた白髪を揺らし、少年――――ウィアは妹の頭から手を離し、着信相手をろくに確認することもなく携帯を開く。
Pi
『おう、ウィアやな? “聖杯”の持ち主には辿り着いたか』
機械越しに無愛想なダミ声が響いた。少年は特に表情を変えることもなく、柔和な顔のままで「はい」と答える。
「お父さん。“聖杯”の持ち主を探し出しました。奪取はまだですが」
『構へん。お前らは引き続き“聖杯”を狙え。こっちでもカモフラとして色々騒ぎを起こす予定はあるが、一応そっちでも色々仕込んでおけ』
「はい、わかってます。お父さんたちも、気を付けて」
ウィアの言葉を最後まで聞くことはなく、通話は一方的に切られた。
少年が「お父さん」と呼び慕う割に、その会話は淡白かつ一方的だった。それは少年が話していた相手――――白樺組組長にとって彼らは、使い捨ての駒にするためだけに違法ルートから身柄を買い付け乳母に育てさせた消耗品でしかない。表向きは実子として扱っておきながらも、しかしその実質はあからさまなほどに「捨て駒」だった。
そしてそれを、少年たちも薄々は感じ取っていた。自分たちが養父にとって消耗品でしかないこと、仮に喪われても『便利な道具がなくなった』くらいの認識であろうことくらいは。
しかしそれでも、彼らに白樺組を離れることはできないし、しなかった。
彼らはこうする以外に、生き方を知らない。
『人は与えられた生き方しかできない』。そう唱えたのは誰だったか、少年が知るはずもない。されど彼らはそれを言葉にするまでもなくよく知り、甘受するしかなかった。
――――二人の兄妹は眠りに就く。そうしか在れない己を顧みることもなく、ただただ停止の只中に身を揺蕩わせて。
***
<5/8(日) 11:23>
【仄宮秋流】
「……で、だ」
遅い朝食、というよりは時間帯的にほぼ昼飯代わりのような食事を終え、私は口を開いた。
「昨夜のことについて、話してもらおうか? ハルト」
昨夜――――そう、昨夜だ。正直言って、意識が朦朧としていてあまり正確は覚えていない。しかし耳の裏で脈打つかのような心臓の音、肌の上を絶えず滑る熱、――――突き立てられた牙と、流れ込み流れ出す何かの感覚。視界がろくに機能していない中で、沸騰しかけた五感が捉えたのはその感触だけだった。
だがそれだけだとしても、それが異常な事態だということは最低限理解できる。というわけで食事前にも一度問い詰めたのだが、
「とりあえずは食え。話はそれからだ」
と、一蹴されたのが少し前のこと。そしてようやく今食べ終わり、ジト目で目の前の金髪を見やってるところだった。
「ふむ、そうだな。心配したがしっかり完食したし、大丈夫そうだな。約束だ、話そう」
契約の、更新について。そう彼は続けた。
私が頬杖をついて聞く限り、彼が話したのはこのような内容だ。
私とハルトは、この世にただ一つしか存在し得ない“聖杯”を二人で共有することで命を保っている。半分が私の心臓に、半分が彼の心臓に、と魔力の源流であるそれは双方に魔力という生命力を分け与えているが、しかしもともとの所有者自体はハルトである。私たちの関係性はどうあれ、形としては「所有者であるハルトが私に“聖杯”を分け与えた」という風になる。つまり私は彼が契約を結んでくれなければ生きることができない側であり、今回私の身に起こった異変はそれが原因だという。
要するに、契約の更新。「仄宮秋流とベルンハルト・レヒト・シャルラハロートは“聖杯”を共有する」という契約を、一ヶ月に一度再び結び直さなければならないということだった。
その手段こそがあの時行われた吸血であり、体液の交換である。彼ら吸血鬼の力は強く、血液だけに生存を依存しない。そのかわりに吸血は『契約』という神聖な行為のための手段となり、それを介して私とハルトは魂単位での再契約を昨夜行った――――という、ことらしい。
「昨日お前がああなったのは、お前のその『器』、体の方が限界を迎えていたからだ。元々“聖杯”を宿して生まれてきた俺は、そのために体が作られているから問題はない。だがお前は違う、“聖杯”などという馬鹿げた魔力炉を宿すために、途中で半ば無理矢理に作り替えたようなものだ。ゆえに、それを維持できるのは一ヶ月やそこらが限度で、それを延長するために再契約をするのさ」
ようは、細胞の新陳代謝を体全体で一度に行っているようなものだろう。古い器と新しい器を一気に交換することで、“聖杯”を護るための器の維持をする。なるほどそれは理解できた、しかし私が言いたいことは別にもあって。
「……なんで『そういうことがある』と事前に言わなかった」
半目で睨めば、彼は降参とばかりに無言で両手を上げ、
「すまん、すっかり忘れていた。俺としても初めてのことだしな……実際、昼までは全然いつも通りの調子だったろう、お前も。だから特に異変はないかと思ったら……まさかそれが、お前が風呂に行っている間に起きるとは思っていなくてな。すまなかった」
いつものふてぶてしい様子からは思いつかないような、随分と潔い謝罪の言葉だった。表情からもその心情は容易に窺え、だからかさっきの昼飯が妙に豪華だったのはと妙に納得した気持ちになる。
まあ、それで良いとしよう。あの時意識が落ちて、そして目覚めてからというものの、体が嘘のように軽い。ここ最近の疲労が溜まっていたというのもあるかもしれないが、それが一気に抜けた気分だし、彼が説明を忘れていたということ以外はなかなか悪くはなかった。
とりあえず晩飯は晩飯で奮発させよう、と口を開きかけたところで。
Prrrrrrrrrrrrr
部屋に放置しっぱなしだった、私の携帯の着信音だった。
「……お前の携帯か?」
ああ、と頷いて部屋に戻る。束の間の静寂に、まるで見計らったかのように珍しく鳴り響いた音に、訝しげに首を傾げながらもそれを手に取った。
見たことのない番号だ。しかし請負人の仕事をしているからには「自分の知らない相手が自分の電話番号を知っている」ということもなくはないため、その時はさして気にしてはいなかった。
だから気軽に、実に何も考えることなく、「応答」を押してしまったのだ。
『――――――――仄宮か』
耳に響いた声に、ぞわりと総毛が立った。
学校でしか聞かない声。学校でしか聞きたくはなかった声。できうるならば、これ以上アンダーグラウンドの住人として話したくは、なかった声。
『依頼をしたい。請負人、仄宮秋流に』
嗚呼、『もう金輪際、請負人としての自分と組長としての彼は交わることがないだろう』などという、甘いにもほどがある見立てをした自分を、無性に殴りたかった。
握り締めた扇子が、みしりと嫌な音を立てる。
『飛龍組組長――――――――飛龍伊織として』
その声は、紛うことなき私の担任の声だった。
一周年です。
初投稿となる「帝國ロストヰデア」のAct.0を投下したのは、一年前のこの日でした。
その日から追い続けてくれている方。
途中から読み始めてくださった方。
度々休載を挟んでしまったりしてごめんなさい。それでも、今ここまでこの世界を愛してくれている方々がいたからこそ一周年を迎えることが出来ました。そのことに最大の感謝を捧げたいと思います。
まだまだ物語全体としては序盤もいいところです。それでも、今後もどうか秋流とハルト、もちろんそれ以外にも出てくる登場人物たちの行く末を、気長に見守っていただければ幸いです。
今後も頑張って更新していきます…が、一言でも感想を頂けたら嬉しいですし、そうでなくともそこの評価ボタンを、心の行くままにぽちっとして頂ければ大変励みになります。
というわけで、今後もよろしくお願いします。
聖木澄子




