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帝國ロストヰデア  作者: 聖木霞
Ⅱ 狭雲月編
30/76

Act.28

<Act.28 5/7(土) 13:21 満月>


【仄宮秋流】


「――――というわけで、これで終学活は終わりだ。各自気を付けて帰るようにー」

 はーい、と教室中からまばらな声が上がる。号令に渋々立ち上がりおざなりな礼を済ますと、茅野に声をかけられないうちに私はそそくさと教室を出た。

 私は今日一日、それこそ朝起きてからここに至るまでずっと苛立ちっぱなしだった。何に対してか。そんなもの問わずともはっきりしている。――――昨夜見た、あの「飛龍伊織」の瞳。その色は、今さっきまで教壇で浮かべていた色と全く同じようでいて、纏った『立場』が決定的なまでに異なっていた。それなのにその笑顔が、浮かべる笑みが今も昨夜も全く同じであることが、どうしようもなく腑に落ちず――――その混乱が、とどのつまりは苛立ちの根源だった。

「……チッ」

 解決できることならばしている。だがこれは私がどうかしたところでどうにかなる問題ではなく、ゆえにこそよけいやり場がなかった。こんな状況で茅野の相手でもしていたら、むしゃくしゃしてつい当たってしまいかねない。あれの顔を曇らせるのが不快だったというのもある、だがまるで逃げるように教室を後にせざるを得なかった自分に、それこそ腹立ち紛れの感情を抱いているのも確かだった。

 そんなもやもやを抱きながらも、仕事は仕事。茅野に話しかけられないうちに教室を出たのはそれもあったからだった。昨夜受け取ったものを、今度は花街は茨衆に引き渡すのが午後の予定である。私は請負人だ。個人的感情に浸かるのとは別に、請け負ったものは最後までやり通してこそだった。

 校門を出、さて家で待っているであろうあの馬鹿に連絡をと携帯を取り出したところだった。

「秋流」

「……、……は?」

「迎えに来たぞ」

 にこりと微笑むのは件の馬鹿だった。正門前。しかも午前授業終了直後ということで明石高校の全校生徒が通りかかる時間である。

 はっきりいって、周りからの視線が痛い。それもそうだ。どう見たって生徒でも職員でもない謎のスーツケースを持ったドのつく美形が、学校一の不良に臆面もなく話しかけていれば誰だって注視の一つや二つはする。

 周りからの視線が、痛い。

「なんでテメェは……チッ、ったくとっとと離れるぞ」

「視線を集めるというのは良いものだね。己の美しさを再確認するようだ」

「お前自分が一応追われる身だってことわかってンだよな? なァおい?」

「ははは、これくらい構わんだろうさぐぇ」

 呑気なことをほざく馬鹿に一発蹴りを叩き入れ、そうしてなんやかんやと辿り着いたのは花街。まだ昼見世ということもあり通りは冷やかしの客がちらほらと通り過ぎるだけで、夜に比べればだいぶ閑散としていた。それもそうだ、歌舞伎町の華たちが本腰を入れるのは夜見世、十九時ほどからである。

 だがこの街の守護番、茨衆たちは絶賛活動中であろう。構わずそのまま蘭玉楼まで辿り着き、取次を頼む。するとしばらくして通されたのはついひと月ほど前に訪れた際に通された姐御の座敷ではなく、茨衆用に設えられた簡素な座敷だった。水蓮は既に正座で暢気に茶を飲んでおり、その姿がまた微妙に年寄りくさかった。

「年寄りくさいとか今思いましたぁ? 思いましたよねぇ?」

「心読むのやめろ。……それより、例の組から受け取ったブツだ」

 座る前にまずハルトからぶんどったスーツケースをずいっとつきつけ、そのまま卓袱台の上に静かに置く。水蓮はいつも通りの狐目を円弧の形に歪め、中身を改めることもなく「確かに」と頷いた。

「……中身は確かめなくていいのかよ」

「疑うだけの仲ならそもそも依頼しませんよぅ、そのあたりは信用ですぅ。報酬は口座に振り込んでおきますからぁ……と言っても、今日は珍しく、まだお引き取りを願う感じではありませんねぇ?」

 見透かされていたらしい。答えずに水蓮の対面、あらかじめ二つ用意されていた座布団に座り込み、意を決して口を開く。

「――――飛龍組と茨衆、お前ら一体どんな関係なんだ」

「なんだか恋人の不貞を糺してるみたいな言い草ですねぇ」

「茶化してんじゃねェ、さっさと説明しろ」

 冗談ですよぅ、とくすくす笑う水蓮に一つ舌打ちをすれば、彼女は「こほん」と咳払いをして説明を始めた。

「飛龍組がこの関東一帯のシマを一手に引き受ける総元締めである、ということくらいは知ってますよねぇ、ベルンハルトさんも。当然それは、ぼくら茨衆の自治範囲とモロに被るんですよねぇ――――明石機関と同じように」

 束の間、その糸目の奥の金色が光った気がした。しかしそれも気付いた時には過ぎ去っていて、私の気のせいであったかのように彼女は言を続ける。

「しかも花街はといえばぶっちゃけアンダーグラウンド、ふつうの人ならまず御縁がないようなものだって平気で流通しますぅ。そしてそれらの元締めの大半はたいてい極道。よけいぼくらと対立する雰囲気満点ですよねぇ」

 そこで、長年に渡るこの因縁に決着を――――というより「妥協点」を付けたのが当代の歌舞伎町最高権力者・九重狐呑と、当代の飛龍組組長・飛龍伊織という話だった。

 彼らは正式な会談を設け、そこでこう取り決めた。「ヤクの“合法”流通ルートは飛龍組に限り、それ以外の“非合法”ルートは茨衆が取り締まる。流通量に関しても適宜話し合いを設けるほか、質に関してもサンプルの提出を義務付ける」。

 飛龍組にとってはかなり自由度の低くなる取り決めだ。しかし彼らにとって最大の利益は「国内最大の花街である歌舞伎町の裏ルートを独占できること」であり、それは多少の不自由を負ってもあまりあるものだということは想像に難くない。

 人間、真面目にばかり生きてなどいられない。必ず華やかな裏には影が落ちるし、その影というのは華が盛れば盛るほど濃くなるのが道理。そこから絞り出される金というのもまたむべなるかな、それを合法的に独り占めできるというのは飛龍組にとっても破格の条件だったに違いない。

 一方茨衆はといえば、彼女たちの目的は唯一「歌舞伎町の治安と秩序の維持」である。街の性質上アウトサイドを容認せずには成り立たないのを理解の上で、ならばそれをも正式に管理下に置いてしまえば良いという思考に至るのも自然だ。利益については花代で事足りる、わざわざ他勢力と縄張り争いをしてまでヤクに手を出す理由は彼女たちにはない。

 結果として飛龍組は莫大な資金源を得ることに成功し、茨衆はより一層の歌舞伎町の安定化を図れた。どちらにとっても得しかないこの取り決め、――――しかしそれがきちんと守られるという保障は?

「向こうがそれを反故にするってことは考えなかったのかよ」

「する理由がありませんよぉ秋流。だってこちらは治外法権、持ち合わせている権力は市軍風情には比べようがないっていうのを、貴女もよく知っているでしょう?」

「だからこそそれをまるごと手に入れたい――――考えるのは、自然だと思うがな」

 ベルンハルトが告げる。その言葉は、まま私の考えを汲んだものだった。

 戦後再編された軍のうちの一つ、市軍。市井の秩序と安寧を保つ警察組織であるが、その権力は唯一歌舞伎町にだけは届くことはない。市軍でさえも介入ができない不可侵領域・歌舞伎町――――それを手にさえできればと願う権力者は、この大日本帝国中掃いて捨てるほどいるだろう。そのうちの一つに飛龍組がいたとしても、何らおかしいことはない。

 と、思ったのだが。

「いいえ、彼らに限ってそれはありませんよぉ」

 との断言に、私もベルンハルトも顔を見合わせて眉を顰めた。次いで見やった水蓮は変わらない笑顔のままで、


「飛龍組の他の人間は知りませんけどぉ――――飛龍伊織が頭である限り、それはありえません」


 変わらない笑顔に、珍しい断言。避けようがない名前に、私の中の苛立ちがまた僅かに疼いた。

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