Act.27
<Act.27 5/6(金) 0:51>
【飛龍伊織】
紫煙が夜闇に燻り、揺蕩っては海風に流されていく。
仄宮が去ってからも、俺はまだずっと港湾倉庫に残っていた。脳裏によぎるのは、アレの珍しくも動揺した黒い瞳の残光。
「……っはァ~~~~……マジかよ……」
脱力し、思わず嘆息しながらしゃがみこんでしまう。扶桑から話は聞いていたものの、まさか本当だとはやはり信じたくない自分がいたのも事実で。
飛龍伊織がこの場に現れたことに対し彼女が驚いたのと同じように、アレが――――仄宮秋流がこの場に現れたことに対し、俺はしばらくぶりの衝撃を受けていた。
確かに彼女は健全な一般学生とは言い難い側面がある。まず不良。授業はサボる。校外で喧嘩。更には深夜の繁華街での補導など、親のいない特殊な子だからという言葉だけでは済まされない部分は多い。後見人というのもまさかの花街が誇るあの胡蝶蘭と知ったときには流石に職員室でひっくり返りそうになった。
しかしそれでも、言ってしまえば『それだけ』なのだ。一年の頃から彼女を庇ってきているから、俺は知っている。彼女が自分から仕掛けた喧嘩は一度もないということ、その全てが他者から売られた喧嘩だったことを。だからこそ俺も堂々と主張し無罪を勝ち取ってこれているのだ。それでなくとも粗暴なように見える言動は実際は不器用なだけというのが観察していれば分かるし、俺たち教師への口調なんかも敬意などまるでないようで「……っす」とこれまた微妙に敬語を捨てきれない話し方をする。最近では茅野とよく一緒にいる姿が見られるが、それはそれで不器用さが見えて微笑ましく思っていたところだった。
高校に入ってからというものの、必要以上の人付き合いを避けていた彼女が、ようやく『友達』という存在を受け入れ始めたように思えて。意識的にか無意識的にかはともかく、それ自体は大きな成長だと俺は感じていた。
だから扶桑に「仄宮が”こちら側”の人間だ」と聞いた時も、何かの間違いであってほしいと漠然と考えていた。小憎たらしくも可愛い後輩の言を疑ったりするわけではない、それでも俺の『飛龍先生』としての感情が、理性とは別の部分で僅かな反発を覚えていたのだ。
しかしそれも、今夜無残に打ち砕かれた。昼の先生としての『飛龍伊織』ではなく、夜の飛龍組組長の『飛龍伊織』の前に現れた彼女は、いち学生の『仄宮秋流』ではなく、請負人としての『仄宮秋流』だった。
全く、妙な気紛れなど起こすものじゃない。いつも取引は下っ端たちに任せていたから、たまには俺がと思って出向いてみればそれがたまたま茨衆が代打を寄越す日に当たるとは。
「参ったモンだよなぁ……なぁ、哲弥」
「はい」
顔を上げ、傍に影の如く控えていた黒服と黒サングラスの男へとなんとなしに呼びかければ、短く一言が返ってきた。
鏑木哲弥。彼こそ俺の腹心であり、股肱の部下である。俺がまだこの組を――――関東一帯に縄張りを持つ極道一家・飛龍組の組長を継ぐ前、若頭であった頃からの臣であり、その意味においては一心同体とも言える男だった。
教師、そして明石機関としての俺の相棒はまさしく鈴谷抹巴、彼においては存在しないし、抹巴にとってもそれは同様だろう。しかしそれとは別の側面、極道者としての俺の相棒はただ一人、この鏑木哲弥という男だけだった。
「あの請負人については、調べてあるか」
「ええ、もちろん。仄宮秋流、新宿歌舞伎町を拠点とする請負人。基本的には殺ししか請け負わないものの、花街と懇意であるがために茨衆からは今回のような多種多様な依頼を受けているようですね。また、魔術師を狙って殺すことから『魔術師殺し』の異名を持つ、と」
十七歳にしては異色の経歴です、と彼は添えた。明石高校の生徒であるということに触れないのは、まあ彼なりの気遣いというのもあるだろうし――――この場には必要ないという判断もあってのことだろう。
確かにまあ、その通りだ。先ほどあの場に来た彼女は自らをこそ『請負人だ』とのたまった。ゆえにそれ以上でもないし、それ以下でもない。実際にこの目で見てしまったのだから、これ以上の感情からくる否定も疑問も無駄に脳のリソースを食うだけだった。
「傍にいたあの外人の男は」
「ベルンハルト、というそうですね。ここ最近――――そう、目撃され始めたのは四月頃。そのあたりからずっと彼女と一緒にいる姿が目撃されています。しかしそれ以上の情報はでてきませんでした。ファミリーネームすら」
思わず立ち上がる。俺とそう変わらない位置にある目線はサングラスに遮られてはいるものの、依然変わらぬ冷静を湛えていることは容易に窺い知れた。現れてからここに至るまでの期間がひと月もあって、国籍すらわからないというのはあまりに情報がなさすぎる。明石機関の情報網ほどとは言わないが、うちの情報網だってなかなかに捨てたものではない。そもそもが彼自体が保有する情報が少ない――――というのは考えられない。しかしそれならば、何故。
「――――誰かが、工作してる?」
「の、ようで」
それも凄腕の情報屋の仕業でしょう。そう付け足し、彼は一つ頷いた。
……まあ、それについてはおいおい調べていくことにしよう。そこまで綺麗さっぱりと情報という情報を消し去れるほどの腕で、しかも仄宮と知り合いであろう情報屋など知る限り一人しかいないが、まさかあの女ではあるまい。いつもにこにこと笑ってはいるものの、金にガメツくうさんくさい上に底の読めないあの女が、まさか「身内だから」などという理由だけでそこまで大がかりな情報抹殺を行うとは到底思えなかった。
「白樺組については」
「依然として一触即発状態。というか半分くらい火種が燃えている状態ですね。各地で散発的に襲撃を受けていて、傘下の組にもいくつか被害を訴えているところがありますし、新宿近辺の事務所も襲撃や放火を受けています。しかし問題は、その下手人があがらない、ということで」
「下手人があがらないィ? どういうこった、宣戦布告はこの間受けたろ」
「はい。確かに白樺組の者がやっているということはわかっています。ですがやり返そうにもアイツらは関東に事務所を持ちませんし――――肝心の下手人の目撃情報が、無い」
歯噛みする。確かに白樺組もそんなあからさまに怪しい者を尖兵として送り込みはしないだろうが、それでも襲撃をするならばある程度の人数は必要だし、証拠はなくとも見当というのは大概つくものだ。それさえもない、というのはあまりにも異常事態としか言いようがなかった。
「それについても、洗い出しだな……ったく頭が痛ぇなぁ、全くこの時期に」
肺一杯にまで煙を吸い込んで、月架へと吐き出す。組長としての座を継いでからそれなりに経つが、それにしても前代未聞の事態だった。
しかしまあ、それにしても情報不足。白樺組のことにしても――――仄宮のことにしても。ゆえにここでできることといえば、せいぜいがこうして煙草をふかす程度のことだけだった。
はあ。
「……、帰るかぁ」
「はい」
そこだけ異彩を放つ赤のネクタイを適当に緩め、煙草を咥えたままで歩き出す。月影と細波の中に紫煙が燻っては掻き消え、俺は続く黒服たちの姿が「海坊主みたいだな」とふと思うのだった。




