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帝國ロストヰデア  作者: 聖木霞
Ⅱ 狭雲月編
24/76

Act.22


<Act.22 5/5(木) 18:56>


【仄宮秋流】


「……ただいま」

「おかえり、遅かったな」

「体育祭の準備だとよ、面倒くせェ」

 五月の夕暮れ。遥の店でのバイトがあったわけでもなく日暮れ時に帰ってきた私を迎えたのは、邂逅から約半月が経とうとも何ら態度に変化のないベルンハルト――――ハルトだった。呼び名が短くなったのはいい加減六文字で呼ぶのが面倒くさくなったからで、そんなことよりむしろいつものロングコートよりエプロン姿が日に日に似合っていくのを何とかしたほうが良いとは日増しに思うようになっている。

 大して中身も入っていない鞄を適当に放り投げ、ソファに無造作に座り込む。スプリングがぎしりと音を立てたのにも構わずそのまま横になれば、私を出迎えるために覗かせていた顔をひっこめた彼が「面倒臭いというのならサボればよかったじゃないか」と何やら炒めながら言ってきた。それができたらどんなに良かったかと内心吐き捨てつつ、

「茅野に頼まれたんだよ……手伝ってくれってな。無碍にしてヘソ曲げられても困る、渋々だ」

 茅野夏目、先月から妙に私に構うようになった同級生。バイト先が同じ遥の店ということもあり、彼女が向けてくるその純粋な好意、友愛といったものを、いつものように突っぱねることができないというのが現状だった。大して関わりのないただの同級生なら別に良い。だが気まずくなってはバイトにも響く、仮に遥が現場を目撃しようものなら口を挟んでくるであろうことは想像に難くない。それは考えるだに煩わしかった。

「まあそれはそれで付き合いだ、友達の一人二人くらいは作っておいて損はないぞ。便利だからな」

「便利ね……」

 利用することが前提ときた。しかしそう割り切るにも彼女の好意というのはあまりにも純粋なように思え、どことなく気が引けるのだった。全くもって、やりにくい。

 深く深く嘆息を零したところで、不意に玄関のインターホンが「ぴんぽーん」と気の抜けるような音を放った。視線を玄関扉にやり、次いで台所の吸血鬼に転じれば、奴はすかさず「無理だ」とにべもなく答える。チッ。疲労の濃い身体を引きずり起こし、ぼさぼさな髪を手櫛で乱暴に掻きながら廊下を歩く。一応覗き窓から確認したところ、そこに立っていたのは巡さんだった。

「巡さん、一体何のよ……あん?」

 いつも通りにこにこと穏やかな笑顔を浮かべている巡さんに、特に何かを疑うこともなく扉を開け放てば、そこにいたのは彼女一人だけではなかった。

「急に訪ねてごめんなさいね。この女の子が、秋流さんたちの家を訪ねたいけどわからないっていうから」

 連れてきたの、という言葉に視線を下せば、そこには一人の幼女が彼女の着物の裾を握って佇んでいた。見上げた紅玉の瞳と、私の視線が交わる。紡ぎ糸のように流れる乳白色の髪に、それと対照を成す深い褐色の肌。この帝国の地においてはあまりに特異すぎる容姿の少女に、こんな時間に訪問される謂れなどあるはずがない。

 束の間に沈黙が流れる。返す言葉を見つけることができず視線をあげれば、巡さんは「あっ」と何か思い出したようにわたわたし始め、

「ごっ、ごめんなさい秋流さん! 急用を思いだしてしまって……と、とにかくその子のことは送ったから」

 ぱたぱたとエレベーターの中へと消えて行ってしまった。取り残されるのは私と、そして何を言うでもなくじっと私を見上げる異国の幼女。

「……、あんだよ」

 視線に居たたまれなくなりそう声をかければ、彼女は一つ小首をかしげる仕草を見せた。もしかして日本語が通じない、と思ったところで、



「あなたが、“せいはい”のしゅごしゃ?」



「――――ッ!」

 反射的に、叩きつけるように玄関扉を閉める。“せいはい”のしゅごしゃ――――“聖杯”の守護者、どうしてこんな幼女の口からそんなキーワードが出てくるのか思考が追いつかず、しかし状況は私の理解など差し置いて進むように進む。

 バンバンバンと、鉄製の扉が叩かれる音がする。その音と背から伝わる振動はせいぜいが齢十の少女が可能とするものではなく、ゆえにこの扉の先にいるものはただの招かれざる訪問者というだけではないと考えるのが自然であり。

 バンッバンッバンッと、鉄製の扉がさもなくば砕かれんという音がする。その騒音はキッチンのハルトにも聞こえていたらしく、「おいハルト!」と声を投げかけて返事の代わりに飛んできたのは、リビングに置きっぱなしにしていた私の扇子だった。

「客人だろう、適当にもてなして来い。俺は今手が離せん」

「……夕飯までに戻れってか?」

「言ったろう、適当にもてなせと」

 まるで動揺していないかのような飄々とした言。その意はつまり、『食事の邪魔だからとっとと追い払え』ということに他ならないわけで。

「チッ、っとに面倒くせェのが多いな今日はッ……!」

 舌打ち一つ。不満をごちるのはそれで終わり。勢い衰える様子もなく依然として鳴り響く強打の音を背中で感じつつ、嘆息。腹を括って扉を振り返り、左手をノブにかけ、あとは呼吸を合わせるだけ――――音の間隙に、勢い良く開け放つ。

「らァッ!」

「っ、!」

 顔面から思い切り扉を食らった幼女がよろめき、そこに畳みかけるように一歩踏み込んで蹴りを放てば、それはいっそ折れそうなほど華奢な体に吸い込まれるようにして直撃した。ドッ、ガンッ!! という盛大な音を立ててその体躯がマンションの手すりにぶつかる。

 廊下のこの狭さでは長得物は邪魔にしかならない。飛燕を出すことはせず、苦痛に喘ぐ幼女の腹を容赦なく踏み抜こうと更に一歩。

 ドガンッ!!

「はぁ……っ!」

「っ、ち……ッ」

 踏み込んだ足は、幼女がぎりぎりで横に転がって避けたせいで勢いよくコンクリートを殴るだけに留まった。跳ね返ってくる衝撃に顔を顰めつつも、ついた足を軸にして左足を降り抜きその頭の位置を狙う。

 入った。間髪入れず放たれた蹴撃は間違いなく入った。だがその衝撃が彼女の小さな頭を貫くことはなく――――構えられた両腕によって、完膚なきまでに防ぎ切られた。

「なッ……」

 言葉を失う。体格差に加え、今の彼女は蹴倒されたままの非常に不安定な体制だ。そんな体制で私の蹴りをきっちり受け止め、あまつさえ悲鳴の一つも上げないなど、大の大人でも相当の覚悟がなければできない芸当だ。ましてやそんな荒事に慣れるほどの年月を生きていない幼女に、耐えきれるはずがない。

 ゆえに私は、より警戒せねばならなかった。驚愕に一瞬の遅延ラグを許し、攻撃の手を緩めてしまったがために――――跳ね起きた彼女の動きを、止めることができなかった。

「ッ!! おいッ、ちょまッ……!」

「ばいばい」

 舌ったらずな声をあどけなく残し、幼女はぴょん、と驚異的な跳躍力で後ろ向きに跳ね起き、背の手すりを跳躍一つで軽々と飛び越え、その向こうの空へと躍り出る。反射的に手を伸ばしかけた私がしかし彼女を掴むことはできず、さぞや悲惨な音が響くだろうとの予想は、されど裏切られることとなった。

 手すり越しに暮れなずむ紅、その残滓の中に赤光を反射させて遠吠えを絶叫させる大型バイクが、私の目の前、即ち重力に捕らわれんとする間際の幼女の身体を受け止めていた。

 運転席には彼女にそっくりな面立ちの、しかし性別を反転させた少年。男と女の差異こそあれ、そのような大型車を運転するには年齢も身体も足りないだろうに自由自在に操る彼は、私と一瞬目があった瞬間に、


 また会いましょう。


 そう口の動きだけで告げ、爆音を残しながら向こうのビルの屋上に着地、あっという間に走り去っていった。

「……、」

 思考が追いつかない。風が下から巻き起こり、私の髪をぶわりと大きく広がらせる。

 一応とばかりに持ち合わせていた常識からことごとく外れた光景が一瞬で走りすぎ、それはまるで、これから始まる波乱で怒涛の五月を予言するようだった。

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