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帝國ロストヰデア  作者: 聖木霞
Ⅰ 花残月編
21/76

Act.19


<Act.19 4/22(木) 18:07 新月>


【仄宮秋流】


 蒼い雷と菫色の炎が薄暮の下で飛び交うさまは、傍目からすればさぞかし幻想的な風景であったかもしれない。だが実際はそんな洒落たものでは断じてなく、私たちが身を置くのはコンクリートを削り焼きつかせながら繰り広げられるデッドレースそのものだった。

「ッ、らァッ!!」

 刃を振り抜く。次から次へと襲い来る雷を順々に切り伏せ、しつこく纏わりつく電流を逆巻く炎に灼き払わせれば、束の間光った火花が逢魔ヶ刻に飛び散った。

 正直言って、これ以上は厳しかった。あの時やむなく放った虚色炎舞は、魔力の扱いが取り立てて上手いわけではない私にとっては非常に燃費の悪い技である。とにかく大喰らい、体力や魔力はもちろんのこと精神力に至るまでを片っ端から食い尽くしてようやくあの出力が実現する。既に今の私では一気呵成に踏み込み切り払うなどという芸当をこなすにはスタミナが足りず、つまりはベルンハルトの“影”を頼る以外に道はなかった。

 私は、常に孤独ひとりで戦ってきた。殺してきた。それを共有するべき人間などいなかったし、いないだろうと思っていたから。だがそれがどうしてこうなったのか。今でも隣では碧い瞳の異国人がその洋剣を振るい、どうしても動きの鈍くなる私のカバーまでして戦っている。頼んでもいないのにそんなことをされて、余計な世話だと怒鳴りつけたくなる反面、それを留める何かもやもやした気持ちが胸に蟠ってどうにも苦しい。

 その腹立たしさを刃に乗せて、残り少ない体力を振り絞る。

「日没はまだかよ……、ッ!」

 荒い息を吐いたその瞬間、がくんと膝から力が抜け落ちる。咄嗟に飛燕を地面に突き立てて完全に崩れ落ちることだけは防いだが、それでも大きな隙であることには変わりがない。

「ッ、クソが……ッ」

 迫る稲光。刀を振るうことも叶わず、やがて視界は覆い尽くされ――――


「待たせたな。王者の時間だ」


 ――――果たして、私が雷に呑まれることはなかった。

 ビルとビルの隙間から見える地平線に、太陽の最後の線が全て沈みきる。私の目の前には、夕日の残滓を浴びながらも一分一秒を追うごとに着実に濃くなりつつある影を背負うベルンハルトが、威風堂々といった佇まいで立ちはだかっていた。

「ハル、……」

 名前を口にしかけたそれをも自然に黙らせてしまうほどの何か。それが今の彼には備わっていた。

 夜の王者、遍く闇を統べるものどもの、その長。今宵ばかりはその姿を見せぬ青白き月の恩恵を受ける吸血鬼は、しかしそれが目に見えておらずとも明白な加護の下に凛然と相対する。私の前に飛び込んだその時には既に完成していた闇の大盾を打ち消し、君臨した暗黒の王がひらりとそのコートをはためかせた。

「待ちに待った日没だ。雷鳴も届くまい、稲光ももう用を成すまい。全ての光は絶対的な闇という存在に平伏す。城ケ崎満、もう既に貴様に勝利は無い。諦めた方が身のためだぞ」

 諦めるならば、予定通りの喪失で済まそう。そう歌うように続けたベルンハルトは、サーベル剣を城ケ崎に真っ直ぐに突き付けた。対する城ケ崎のほうはまるで目の前に切っ先を出されたようにびくんと震え、次いで見る間にその落ち窪んだ瞳を瞋恚に染め上げた。

「……るさいッ、うるさいうるさいうるさいッ!! お前たちに何が分かるッ!! 息をするように強い力を得たお前たちに、一体僕の何がッ!!」

「ガキみてェなこと言いやがって、わかんねェよ……こんなモン、好きで生まれついたわけねェだろうが」

 ようやくとばかりに立ち上がりながら答えれば、城ケ崎はまるで子供のように「うるさいッ!!」と右腕の女を乱暴に押し退けて私たちにその短杖を向けた。持ち主の意に呼応して、その周囲で火花がばちりと青白く煌く。

「弱いならば弱いなりに、使わず生きればよかっただろうが。一応市軍の所属なのだろう? 一般人としては上等な部類だ、そう思わないか」

 ベルンハルトが告げながら私に視線を寄越す。なるほど確かにその論理は的を射ているようで――――吸血鬼の王、傲慢な彼だからこそ言えた正論でもあった。

 力を持てば、それが強かろうが弱かろうが普通は使わずにはいられないものだ。だが半端に弱い力それだけでは、誰もが持つ生来のコンプレックスをかえって助長させることにしかならない。それをおそらくこの王は、理解していない――――する必要もなかったのだ。吸血鬼が御三家、その筆頭の長ともあろう男が、そのような弱者もたざるものの気持ちなどわかるはずもない。

 だからこそその彼のその言葉は、城ケ崎というちっぽけな人間の怒りに火をつけた。

「――――黙れェッ!!」

 今まで一際眩しい、稲光が炸裂する。さながら真昼間、太陽かと見紛うかのような光量が視界を灼き尽くして――――しまう前に、すかさず展開された影の幕が私とベルンハルトを覆い隠す。

「秋流」

 くらくらするような明るさから一転して真っ暗闇になったことで一時的に使い物にならなくなった視覚を閉じ、耳朶に響いた声の方へと顔だけ向ける。それを察したか、外で雷光が着弾する凄まじい音の中彼は次いで「あの短杖を壊すぞ」と続ける。

「あれが指揮棒だろう。お前の刀と同じように、あれを媒介にすることで雷を、魔術を操っているんだ。おそらくあれさえ壊せば制御は利かなくなる」

「確証は」

「あれを振るわず魔術を使っていたところを見たことがないから、という程度でしかないな」

「そンだけかよ……」

 嘆息。根拠というには薄いそれを、しかし認めないわけには埒が明かなかった。それほどまでにあの雷は強力で、かつ鬱陶しい。

「……私が潰す。だからお前はそこまでの道を切り開け。この雨ン中一人で突っ走ってぶちかませんのは体力的にもあと一発だけだ、シクったらまた逃がすハメになるか――――悪いとこ二人揃って丸焼きになるぜ」

「どちらもありえないな。俺はお前のために道を作るし、お前はそれを爆走してあいつを叩き斬る。どこに失敗する要素が?」

「……めでたい脳味噌してンなマジで」

 全幅の信頼とでも言うのだろうか。それは流石に冗談としても、まるきり嘘ではないということはその口ぶりから容易に窺えた。

 目を閉じたままで前を――――城ケ崎の方向を向く。決めるべきは一発。この上なく正確無比で情状酌量の余地のない一撃を、あの短杖という小さな目標にぶち当てねばならない。そしてその上機会は数秒を一度きり。逃せば必然、あの出力だけはバカ高い雷撃で黒焦げになる未来しかない。

 どう考えても勝算に自信があるとは言い難い。だがそれをやらねばならないのは、仕事ということからくる義務感と、私の中にある「魔術師を殺さなければならない」という思いと――――それとはまた別のところにある、なんだかよくわからない、それでも不快でないことは確かな感情があったからだった。

「行くぞ」

 短い言葉と共に、私たちを半球状に覆っていた幕が一気に開かれる。一瞬で飛び込んできた痛いくらいの光量を我慢しつつ目を細めれば、幕は帯となって彼が前に突き出した掌に収束し、間を置かず空を裂いて虚空を疾走した。帯は彼の手を離れたそばからすぐさま膨張し、さながらトンネルのような空間を作り出す。

 脚に力を込め、コンクリートを蹴っ飛ばして加速する。肌に触れる大気は一歩ごとに熱を帯びていく体とは相反して温度を下げ、それを割って進むように私は刀を振るう。白銀が照り返し、雷槍にも負けぬ眩さを放ちながら虚空に散り遊ぶ火花を切り裂いた。

 トンネルを疾走する。その外で雷鳴が間断なく響き渡るが、そちらに構っている暇も余裕もない。目指すのはあの男、城ケ崎の持つ短杖のみ。

 ――――見えた。トンネルの先、黒いビロードのような紗幕で覆われた先に城ケ崎の姿があった。

「<蘭帝>ッ、」

 息を吸う。残り少ない魔力が呼吸と共に体内を巡り、腕、手、指を伝って飛燕へと伝い落ちる。それは更に竜胆の色を鮮やかに描き出し、薫るようなけざやかさでもって焔となりゆく。

 ばちりッ、と火花が嘶いた。それを皮切りとして紫炎は更に激しく唸り、猛烈な勢いで周囲の酸素を食らい尽くす。

「しまッ、」

 城ケ崎が声をあげる。トンネルも終端。今までかろうじて雷撃を阻んでいた紗幕も最早持つまい。それが壊されてしまえば私の末路は単なる焼死体だ。

 だがそれは実現しない。


「――――<我龍、走破>ァッ!!」


 轟ッ!!


 龍が猛り立つ。ついに引き裂かれた紗を内側から食い破り、更にはただその場凌ぎのためだけに撃ち出された半端な雷鳴さえ振り払って、炎龍がそのあぎとでもって短杖に喰らいつく。

「な――――あ゛ぁぁあ゛ぁあアぁあァァアッ!!!!」

 咢はその短杖を力の限り握り締める左手をも巻き込んで、圧倒的な火力でもってそれを食い千切った。肉の焼ける不快な臭いが広がる中、龍は短杖を噛み砕いて用は済んだとばかりに静かに虚空へ融け消える。

 絶え間なく続けられていた雷の砲撃も当然ぱたりと止み、トンネルの形をかろうじて維持していた闇も地面へと吸い込まれるように形を崩していった。後に残るのは、黒焦げた左手を抱えて蹲る男、そして疲れ切った私とベルンハルトだけ。

 静寂が満ちる。あの体たらくでは城ケ崎はもう再起不能、今更抵抗などできまい。先ほどまでずっと喧しい音が鳴り響いていたせいで、唐突な静けさが耳に痛かった。

「秋流」

 呼ぶ声に、ゆっくりと振り返る。私の疲労感に鈍った動作を気にする風もなく、彼は手にしたサーベル剣を足元の闇に融け込ませ微笑んだ。私はそれにふん、と小さく頷き返す。

 ――――空に月は架かっていない。真っ暗な夜の闇の中で、僅かな星の光だけが輝いていた。

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