姿見の神器 後編
今回は、説明が難しかった。
これを正確に説明しようとすると、禁忌の核心に触れる。
ソフィアに確認しないといけない。
「ソフィアさん、少し」
「わかってますよ、デュフフ」
ソフィアが先に動いた。
台座の側面に回り込んで、縁の模様を観察し始めた。
二人で台座の陰に隠れた。
「これ、わかりますか」と小声で言った。
「わかります。外見を投影する装置ですよね」
「そうです。触れた人間の外見データを読み取って、別のパターンに変換して投影する。だから別人の姿に見える」
「呪いじゃなくてコスチュームチェンジですね、デュフフ」
「笑えないですよ、これ」
「そうですか?」
ソフィアが縁の模様を指さした。
「この模様、データの入出力インターフェースだと思います。パターンの切り替えスイッチも縁のどこかにあるはずで」
「誤作動の原因は」
「経年劣化で制御が狂っている。接触しなくても発動するのは、センサーの感度が上がりすぎているからだと思います。調整できれば止められるはずです」
一番気になっていたことを聞く。
「これは禁忌に触れますか」
ソフィアが少し考えた。
「外見を変える、という部分は奇跡の一種として説明できます。ただ仕組みの話は絶対に外では言えないですね。これは特に」
「特に、というのは」
「これが実現できるということは、物体の表面に任意の映像を投影する技術があったということです。それは禁忌の中でも特に深い部分に触れます」
「わかりました。説明は最小限にします」
「はい。あと」
ソフィアが少し間を置いた。
「この技術、ソータさんの世界にはありますか」
「……ないです」
「え?」
「僕のいた世界では、まだ完全には実現できていない技術です」
「ソータさんの世界より上の技術、ということですか」
「そうなりますね。プログラム上のアバターなら似たようなことができますが、現実の人間の外見をこういう形で変換するのは、まだ研究段階で」
ソフィアが動きを止めた。
オタク喋りが消えていた。
「……本当ですか」
「本当です」
「この世界の古代技術が、ソータさんの世界より進んでいる」
「少なくともこの分野では」
ソフィアが鏡を見た。その目が、いつもと違った。好奇心だけではなかった。何か別のものが混ざっていた。
「……調べたいですね」
「調べましょう。でも今は制御を止めるのが先です」
「そうですね、デュフフ」
オタク喋りが戻ってきた。
問題はその後だった。
縁のスイッチを探していたゼナが、誤って鏡に近づきすぎた。
光が強くなった。
「あ」
次の瞬間、ゼナの姿が変わった。
小柄な体が、二メートル近くまで膨れ上がった。
全身が灰色の、岩のような外皮に覆われた。
腕が太くなって、牙が生えた。
蔵の中にいきなりモンスターが現れた……ように見えた。
ヴェインが即座に剣を抜く。
「待って待って! ウチだよ!!」
ゼナの声だった。
モンスターの口から、明らかにゼナの声がする。
ヴェインの剣が止まった。
「……ゼナか?」
「ウチだよ! 切らないで!!」
止めに入った。
「ヴェインさん、待ってください」
「わかっている。しかし」
「しかし」
「反射的に動いてしまった」
「それはわかりますけど」
モンスターの姿のゼナが胸に手を当てた。
「今の死にやすかったよ!!」
「怪我はしていないですか」
「してないけど! 精神的に!」
「それはよかったです」
「よくない!!」
ソフィアが鏡を見ていた。目が輝いていた。
「デュフフ……外見の変換パターンが複数あるみたいです。人間のデータだけじゃなくて、他の生物のデータも入ってる」
「そういう問題じゃないですよ今は」
「でも面白いですよね、デュフフ」
「面白いですけど今は直すのが先です」
「そうですね」
ソフィアが縁のスイッチを探し始めた。
しかしここで問題が起きた。
スイッチを探しているうちに、ソフィアが鏡に触れてしまった。
光が一気に広がった。
「あ」
次の瞬間、蔵の中の状況が一変した。
ゼナのモンスター姿が消えた。
代わりに蔵の中にいる全員の外見が、それぞれ別の誰かのものになっていた。
鏡の前に立っていたソフィアが、僕の外見になっていた。
ということは、僕が――
鏡を見た。
鏡の中に、見慣れない顔が映っていた。
長い黒髪、整った顔立ち。
メガネはなかった。
髪もボサボサではなかった。
白衣ではなく、スッキリとした――
ソフィアの本来の姿だった。
隣でヴェインが固まっていた。
ヴェインの姿ではなかった。
ショートヘアで、小柄で――ゼナの外見になっていた。
鎧がなかった。
当然だ。
ゼナの外見になっているのだから、鎧も消えていた。
ヴェインが自分の手を見た。
「……鎧が」
「消えましたね」
「顔が」
「ゼナさんの顔ですね」
「ひん」
そう言うとヴェインが両手で顔を覆った。
ゼナになっている顔を、自分の手で隠していた。
自分の顔でなくても見られたくないのか……。
ゼナはというと、ヴェインの外見になっていた。
完全武装の鎧姿だった。
「え」とゼナが言った。
「なにこれ、重い!!」
「ヴェインさんの外見ですね」
「こんな重いの毎日着てるの!?」
「毎日だ」とヴェインが手で顔を覆ったまま言った。
「信じられない!!どんな筋力してんの!?」
一方、ソフィアは――
僕の外見になったソフィアが、自分の手を見ていた。
それから体全体を確認するように視線を動かした。
次の瞬間、股間に手が向かった。
「待ってください」
慌てて止めた。
「え、なんで止めるんですか」
「なんでと言われても」
「研究ですよ、研究。男性と女性の身体構造の違いを確認するのは学術的に」
「学術的であっても止めます」
「なぜですか」
「なぜって」
言葉に詰まった。
「……なんとなく」
いや、普通に恥ずかしいし。
「あらかわいい♡デュフフ」なんて言われたら生きていけない。
「デュフフ、ソータさん照れてるんですか」
「照れているというより」
「照れてますよね、デュフフ」
「どちらかというと尊厳の問題です」
ゼナが鎧姿のまま「ウチがモンスターになった時は反応しなかったのに」と言った。
「あんまり興味ないんでしょう」
「あんまりだよ!」
「それより、今は――」
「今は?」
「元に戻す方法を考えないといけないです」
ヴェインが顔を覆ったまま「早くして……」とか細い声で言った。
声だけはヴェインのものだったが、ゼナの顔を自分の手で隠していた。
スイッチを探すのはゼナの仕事になった。
ヴェインの外見で動き回るゼナが、縁の模様を丁寧に確認していった。
「これかな」
ゼナが縁の一部を押した。
光が変化した。
全員の外見が、少しずつ元に戻っていった。
僕の外見になっていたソフィアが、ソフィアの外見に戻った。
ゼナの外見になっていたヴェインが、鎧姿に戻った。
ヴェインが即座に兜を被り直した。
鎧姿になっていたゼナが、いつものゼナに戻った。
全員が一度沈黙した。
「戻りましたね」
「戻ったね」とゼナが言った。
「ヴェイン、毎日あんな重い鎧着てるの?」
「もう慣れた」
「慣れるまでに潰れない!?」
「慣れる」
「すご……」
ヴェインが少し間を置いた。
「……鎧がないのは落ち着かなかった」
「そうだろうね。ウチは逆に鎧が重すぎて」
「慣れる」
「慣れたくない!」
珍しく会話が多かった。
ヴェインとゼナがこんなに喋っているのを初めて見た気がする。
スイッチの調整でソフィアが誤作動を止めた。
制御を正常範囲に戻して、近づいても発動しないようにした。
蔵から出て依頼の報告に行く。
「完全には直せないですが、誤作動は止められました。依頼の範囲ではこれで十分だと思います」
「ありがとうございました」と屋敷の主人が言った。
「呪いが弱まった気がします」
「呪いではないのですが……」とソフィアが言いかけた。
「神の遺産が、適切な状態に落ち着いたということです」と僕がフォローした。
「なるほど……それは、ありがたいことですな」
屋敷の主人が手を合わせた。
ゼナが「追加報酬の交渉してもいい?」と小声で言った。
「依頼の範囲内です」と小声で返した。
「誤作動まで直したんだよ」
「含まれていたと解釈されます」
「死にやすい交渉術」
「物理的には死にません」
「金銭的にだよ~」
本当にお金に関してはちゃっかりしている。
屋敷を出たところで、ゼナが言った。
「ねえ、さっきソフィアの本来の外見が見えたんだけど」
全員が少し空気を読んだ。
ソフィアが「そうですね、デュフフ」と笑っていた。
笑い方がいつもと少し違った。
「なんというか」とゼナが言った。
「すごかった」
「すごかった、とは」
「見た目が。ボサボサメガネ取ったら滅茶苦茶美人じゃん。スタイルもいいし」
「デュフフ、そうですか?」
「自覚ないの?」
「あまり気にしたことないですよ」
「信じられないんだけど」
「研究してる時は関係ないので」
ゼナが僕を見た。
「ソータはどう思ったの?」
「綺麗な外見でしたね」
「それだけ?」
「それだけです」
「……あっそう」
ゼナが前を向いた。
ソフィアが「デュフフ」と笑った。
今日何度目かのデュフフだったが、この一回だけ、少し音が違った気がした。
帰り道、ソフィアと並んで歩く場面があった。
ゼナとヴェインが少し前を歩いていた。
ゼナが「あの鎧、本当に重かった」と言って、ヴェインが「慣れる」と言っていた。
しつこく言う辺り、本当に重いのだろう。
「ソフィアさん」
「なんですか」
「一つ聞いてもいいですか」
「なんですか、デュフフ」
「なぜいつもオタク喋りをしているんですか」
ソフィアが少し間を置いた。
デュフフとは言わなかった。
「目立たない方が、都合がいいので」
「都合がいい、というのは」
「目立つと、いろいろと」
そこで止まった。
「左遷されてきたんですね、レリックに」
ソフィアが少し驚いた顔をした。
「なぜわかったんですか」
「なんとなく。中央にいた方が研究しやすいのに、辺境の遺跡調査にいる理由が他に思いつかなくて」
ソフィアはしばらく黙っていた。
「……以前、少し目立ちすぎたことがあって」
「教会でですか」
「……そうです」
「それ以上は聞きません」
「いいんですか」
「ソフィアさんが話したくなった時に聞きます」
ソフィアが空を見た。
「ソータさんは、変な人ですね」
「そうですか?」
「オタク喋りでも素でも、同じように話しかけてくるじゃないですか」
「どっちでも同じですよ、僕には」
「どっちでも」
「ソフィアさんはソフィアさんなので」
ソフィアが間を置いた。
長い間だった。
それから、笑った。
デュフフではなかった。
もっと静かな、小さな笑いだった。
夜、宿の食堂で四人で食事をした。
ゼナが「今日一番死にやすかったのはモンスターになった時」と言った。
「怪我はなかったですから」
「精神的にだよ!」
「精神的には死んでましたね」
「ヴェインに切られそうになったもん」
「反射的に動いていた」とヴェインが言った。
「反射で斬ろうとするの怖すぎるよ」
「鍛錬の成果だ」
「胸を張るな!褒めてない!」
ソフィアが「デュフフ、ゼナさんのモンスター姿、記録しておけばよかったですね」と言った。
「絶対嫌だよ!!」
「研究になりましたよ」
「ウチを研究材料にしないで!!」
ヴェインが「……モンスターの外見も、なかなか悪くなかった」と言った。
「フォローになってないよ!!」
みんなで笑い合う。
ゼナが「そういえば」と言った。
「なんですか」
「ソフィアさんの本来の外見、思ってたより全然違ったんだけど」
「そうですか、デュフフ」
「なんで隠してるの、もったいないじゃん」
「研究の時に外見は関係ないので」
「関係あるよ、いろいろ」
「いろいろって何ですか」
「いろいろだよ」
ゼナが僕を見た。
「ソータ的には?」
「綺麗な外見でしたね」
「それだけ?」
「それだけです」
「……エロガッパ」
何やら失礼なことを言われた気がしたが聞かなかったことにする。
大体ガリ勉野郎は女性に言い寄られることなどないのだから、そういう考えに至らないのだ。
そういう目で女性を見たら社会的に死にやすい世界で生きてきたのだ。
処世術なのだ。
ソフィアが「デュフフ」と笑った。
ヴェインが「……今日もご飯が美味しい」とぽつんと呟いた。
この、いつも通りの食事風景を、僕は結構気に入っている。
今日も、なんとかなったことだし――
明日も、なんとかなるだろう
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