召喚の記録 前編
その日は依頼がなかった。
受付嬢のアリアは暇そうに机に突っ伏していた。
珍しいことだった。
前回の事件の後、レリックの事務所に戻ってから、依頼が入らない日が続いていた。
ゼナが「死にやすいよ、収入的に」とぼやいていた。
ヴェインは「鍛錬の時間にあてる」と言って訓練場に行ってしまった。
ソフィアが「ソータさん、少しいいですか」と言ってきたのは、昼過ぎのことだ。
「なんですか」
「召喚装置の再調査をしたいんですよ、デュフフ。ずっと気になっていて」
「召喚装置、ですか」
「はい。三ヶ月前に使ったものです。あれからずっと、気になっていることがあって」
「気になること」
「手伝ってもらえますか」
断る理由はない。
「わかりました」
ソフィアの研究室は、事務所の地下にあった。
地下に研究室があること自体、普通ではなかった。
外から見えない、物音が漏れない、という理由で地下を選んだらしい。
禁忌の研究をするには都合がいい場所だった。
扉を開けると、本と資料と謎の装置が所狭しと並んでいた。
足の踏み場もない。
「片付けないんですか」
「どこに何があるかわかってるので」
「本当に?」
「本当です、デュフ」
信じがたいことに、ソフィアは迷いなく棚の奥から召喚装置を引っ張り出してきた。
三ヶ月前に見た装置だった。
床に描かれた光る紋様と、その中心にある金属製の台座。
あの日、ここから今の生活が始まった。
「懐かしいですね」
「そうですね」
ソフィアが装置の前に座った。
真剣な顔だった。
オタク喋りが消えていた。
「三ヶ月間、ずっと疑問に思っていたことがあります」
「なんですか」
「私の改造では、召喚の対象を指定できないはずなんです」
「どういう意味ですか」
「この装置を改造して起動した時、異世界から人間を呼ぶことは意図していました。でも誰を呼ぶかを指定する機能は、私には作れなかった。それなのに、なぜソータさんが来たのか」
少し考えた。
「ランダムだったんじゃないですか」
「私もそう思っていました。でも装置の記録を見たら、おかしなものが残っていて」
ソフィアが装置の側面を開いた。内部に小さな記録媒体のようなものが入っていた。
「起動した時のログが残っています。見てもらえますか」
記録を読み解くのに一時間かかった。
ソフィアが古代語を訳しながら、僕が仕組みを解析する。
二人で少しずつ、記録の内容を明らかにしていった。
「これが起動時のシーケンスで」
「このパターンはソフィアさんの改造部分ですね」
「そうです。ここまでは想定通りなんですが」
「このセクションが違いますね」
「そうなんです」
記録の一部に、ソフィアの改造とは明らかに異なるコードが混ざっていた。
別のレイヤーで、何かが装置に信号を送っていた。
「外部からの入力ですか」
「そうみたいです。しかも」
ソフィアが記録を指さした。
「タイミングが起動の直前です。私が装置を動かした瞬間、外部から何かが割り込んできた」
「つまり」
思考が、ある可能性に至る。
「ソフィアさんが装置を動かしたことを、誰かが事前に知っていた?」
「あるいは、装置が起動した瞬間を感知して、即座に反応できる仕組みがあった」
「どちらにしても」
「誰かが、召喚の対象を指定した可能性があります」
沈黙。
頭の中で、いくつかのことが繋がった。
「ということは、僕は間違って召喚されたんじゃなくて」
「誰かが意図的にソータさんを呼んだ、という可能性が出てきます」
ソフィアが申し訳なさそうな顔をした。オタク喋りも、デュフフも出なかった。
「私のせいだと思っていました。ずっと。私の実験が失敗して、あなたをここに連れてきてしまったと」
「そうですね」
「でも違ったとしても、私の装置が使われたことには変わりない。あなたをこの世界に巻き込んでしまったことには、変わりないんです」
「謝らなくていいですよ」
「でも」
「この世界、悪くないので」
ソフィアが目を丸くした。
「それだけですか」
「それだけです。まあ、帰れるなら帰りたいですけど、帰れなくてもそれはそれで」
「どっちでもいいんですか」
「どっちでもいいとは言わないですけど、どっちでも悪くはないかなと」
ソフィアが少し間を置いた。
「……変な人ですね、やっぱり」
「よく言われます」
しかし、ここに来て新たな謎が生まれてしまった。
間違いで召喚されたと思っていた。
でも、そうではない可能性が出てきた。
誰が――何のために?
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