越境
朝が来る前に、話し合いをした。
ロザリーが用意してくれた部屋は狭かったが、温かかった。
「聞いてもいいですか」と僕はロザリーに尋ねた。
「なんですか」
「なぜ敵国の僕達を匿ってくれたんですか?」
ロザリーが少し間を置いた。
「長い話になりますが」
「時間はあります」
ロザリーが話し始めた。
「ノルドラントの教義に、こういう言葉があります」
「神の御業は畏れをもって受け取るべし。その源を問うことは、与えた手を疑うことに等しい。疑いは力を曇らせ、曇りは恵みを遠ざける」
「知っています」
ロザリーが少し驚いた顔をした。
「アストリアでも知られているんですか」
「調べました。解釈が難しい言葉だと思っています」
「そうなんです」とロザリーが言った。
「本来の意味は、神秘を感謝して受け取りなさい、ということだと思っています。でも今は」
「解き明かすことへの恐怖として使われている」
「ええ。バルトスのような方は、それが本当だと思っている。神秘の源を問うことが、文字通り神への冒涜だと」
「ロザリーさんはどう読みますか」
「畏れをもって受け取ることと、理解しようとすることは、別のことだと思います」とロザリーが言った。
「探求は疑いではなく、敬意から生まれる行為のはずです」
ソフィアが「デュフフ」と言った。静かな、嬉しそうなデュフフだった。
「同じことを考えている人がアストリアにいます」
「どういう方ですか」
「推進派の大司祭です。神秘を広く届けることを目指している。長年、そのために動いてきた人です」
ロザリーが何かを考えている顔をした。
「あなたに隠し事をしても仕方ない気がして」
「なぜですか」
「……あなたが嘘をついていないから。わかるんです、人の感情や本音が」
「奇蹟の力ですか」
「そうです。人の心の動きが、何となく伝わってくる。正確ではありませんが」
「今も読んでいますか」
「はい。あなたは本当のことを言っている。ソフィアさんも。それだけはわかります」
ソフィアが「デュフフ、興味深い奇蹟ですね」と言った。
目がオタクになっていた。
ロザリーが「研究者の方ですか」と少し驚いた。
「そうですよ、デュフフ」
「アストリアには、奇蹟を研究している方がいるんですね」
「はい。奇蹟の源を解き明かそうとしています」
ロザリーが「それは」と言いかけて止まった。
「怖いですか」と僕は聞いた。
「……正直に言うと、最初はそう思いました。でも」
「でも」
「あなたたちと話して、そうではないかもしれないと思い始めています」
「アストリアに戻る必要があります」と僕はロザリーに言った。
「予備のケーブルがあるので、ソフィアさんが充電すれば十分間だけスーツが動きます。ただ、国境まで陸路で行く必要があります」
「道ならわかります。この辺りは子供の頃から歩いていた場所です」
「道案内をしてもらえますか」
「……それだけではなくて」
ロザリーが少し間を置いた。
「わたしも、一緒に行きます。アストリアまで」
「危険です。ノルドラント側からすれば裏切り行為になります」
「わかっています」
ロザリーは葛藤を振り払うように続けた。
「それでも」
「あなたが戦場で誰も殺さなかった理由が、わかった気がします」
「どういう意味ですか」
「殺すことよりも大事なことがあると思っているから。わたしも同じです」
僕は少し考えた。
「……わかりました。一緒に行きましょう」
「デュフフ、心強いですね」とソフィアが言った。
ロザリーが準備をすると言って席を外した。
ソフィアと二人きりになった。
「ソータさん、ありがとうございます」
「何がですか?」
「こっちに来てから、ずっとそばにいてくれて。デュフフ、わたし体力がないので、ソータさんがいないと正直きつくて」
「それは気づいていませんでした」
僕はやはり人に対して無頓着なのかもしれない。
ソフィアの体力がないのはわかっているのだからもっとしっかりフォローできたはずなのに。
「気づかなくていいんです。でも」
「でも?」
「……側にいてくれるだけで、安心できます」
デュフフとソフィアが笑った。
今日のデュフフは、柔らかかった。
準備を終えて、夜明け前に出発した。
ロザリーが先導し、山道を避け、見張りの少ないルートを選んでいく。
険しい道が続いた。
ロザリーはすいすい歩いていた。
僕も問題なかった。
でもソフィアが少しずつ遅れ始めた。
「デュフフ……すみません、少し」
「大丈夫ですか」
「足が……デュフフ、情けないですね」
「情けなくないですよ」
僕はソフィアの荷物を持った。
ソフィアが「あ」と言った。
「どうかしましたか?」
「いいえ、なにも……」
「なんですか」
「……なんでもないです、デュフフ」
ソフィアの顔が赤かった。
そのまま、僕等は険しい道を進んでいく。
「このあたりの道をよく知っているんですね」
「子供の頃、よく歩きました。ノルドラントは過酷な環境ですが、この辺りは比較的穏やかで」
「それでも大変な環境ですよね」
「そうですね。奇蹟がなければ、もっと大変だったと思います」
「奇蹟は生活に直結しているんですね」
「ええ。だから皆、奇蹟を失うことを恐れている。その恐れが、バルトスのような方の言葉に乗りやすくなる」
「バルトスはそれを利用しているということですか」
「利用しているつもりはないと思います」とロザリーが言った。
「バルトスは本気で信じている。それが伝わってしまう」
「……怖いですね、本気の信仰は」
「ええ。嘘なら、暴けます。でも本気の信仰は論理では崩せない」
途中、ロザリーが立ち止まった。
「前に見張りがいます。左に回りましょう」
「見えるんですか?」
「感じます。人の気配というか、感情の動きというか」
「便利な能力ですね」
「戦うことには使えませんけれど」
「十分です」
見張りを二度避け、迂回しながら進んだ。
夜が明けて、国境が見えてきた。
ここからなら、スーツの跳躍で届くだろう。
「ここからはスーツで跳びます。三人一緒に」
「二人を抱えて、ですか」
「十分間あれば大丈夫です」
ソフィアの手によって充電済みのスーツを起動させた。
「準備はいいですか」
「はい」とロザリーが言った。
「ソフィアさん」
「デュフフ、いつでも」
僕はロザリーとソフィアを抱えて跳躍した。
その瞬間だった。
ロザリーが息を飲んだ。
空気が変わった。
地面が遠くなった。
山が下に見えた。
「……っ」
言葉が出なかった。
「……これは」とロザリーが小さく言った。
「大丈夫ですか」とソータが言った。
「大丈夫です、ただ」
「ただ?」
「……あなたの力は、奇蹟と呼んでいいのかもしれません」
「ただの鎧ですよ」
それを聞いてロザリーがふふっと笑った
その様子を見たソフィアが「デュフフ」と笑った。
こうして僕達は久しぶりにアストリア領内に降り立ったのだった。
ロザリーがアストリア領の地面を踏んだ。
「……着いた」
少し間があった。
「暖かいですね」と言った。
「ノルドラントとは違いますか?」
「全然違います」
ロザリーが空を見上げた。
「……これが、あなたたちが守ろうとしている世界ですか」
「そうです」
「きれいですね」
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――ルカの研究所
ゼナとヴェインが待っていた。
「遅いのだ」とルカがイライラしながら言った。
「もうすぐ戻ってくるよ」とゼナがなだめる。
「わかってるのだ」
「じゃあ何で言うの」
「……遅いから言ってるのだ」
ヴェインが「……ソータは戻る」と小さな声で言った。
「根拠は」とルカが言った。
「今まで、なんとかしてきた」
「それが根拠なのだ?」
「十分だ」
レインが「連絡は来ていますか」と聞いた。
「ソータが、アストリア側に接触できた人物と一緒に戻ってくると言っていました」とゼナが言った。
「そうですか」
「知り合いかもしれないって言ってた。名前は聞かなかったけど」
「……そうですか」
何かを考えている顔だったが、それ以上は何も言わなかった。
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――アストリア王の間
王がソルと向き合っていた。
「例のソータという者が行方不明だそうだな」
「ノルドラント領内に入ったという情報があります。詳細は不明です」
「あれほどの力を持つ者が消えた」
王が窓の外を見た。
王都の空が、曇っていた。
「この戦争、どう見る」
「難しい局面です」とソルが言った。
「降伏を考えた方がいいのではないか」
「陛下」
「これ以上、民が死ぬのを見ていられない」
王の声に、感情が滲んでいた。
権力者として暗愚な部分はある。
でも人の命を軽く見る人間ではなかった。
長年神輿にされてきた王が、今は臣民のことを考えていた。
「今しばらく待ってください。動いている者がいます」
「どのくらい待てばいい」
「もう少しだけ」
「急いでくれ」と王が言った。
「民の命が失われるのを、余は見たくない」
疲れきった声だった。
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――ルカの研究所
僕達はルカの研究所に到着した。
「遅いのだ」とルカが言った。
「すみません」と僕は平謝りした。
「ソフィア、無事か」
「デュフフ、無事ですよ」
「ならいいのだ。研究を再開するのだ」
「今すぐですか」
「今すぐなのだ」
ゼナが「おかえり!」と言った。
「それで、その人は」
レインが前に出た。
ロザリーを見た。
少し間があった。
「……ロザリー」
ロザリーが「レイン様」と言った。
全員が静まった。
「知り合いなんですか」とゼナが言った。
「……ええ。わたしが連絡を取ろうとしていたのは彼女です」
「え、そうなの?」
「ソータさんが連れてきてくれるとは思いませんでしたが」
「偶然です」と僕は言った。
「神の思し召しかもしれませんよ、デュフフ」
レインがロザリーに向き直った。
「来てくれてありがとうございます」
「わたしも、貴方と話しがしたかった」とロザリーが言った。
「今でもあの頃と変わっていませんね」
「レイン様も」
二人が笑った。
久しぶりの再会だったが、距離感が自然だった。
価値観が近い者同士の空気だった。
「ルカさん、報告があると言っていましたね」
僕はルカさんからその報告を聞くことになっていた。
「そうなのだ。ソフィアが戻ったから今夜話すのだ」
「どんな話ですか」
「この戦争の根拠が、根本からひっくり返るくらいに」
場が静まった。
ロザリーが「……根本から、ですか」と言った。
「そうなのだ」
「続きは今夜、全員で聞きましょう」と僕は皆に向けていった。
根本からひっくり返るようなこと――
一体何なのだろうか。
「なんとかなってきましたね」とソフィアが言った。
「はい。きっと、なんとかできるはずです」
今日も、なんとかなったことだし――
明日も、なんとかできるはずだ。
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