消えた所長
教会から戻ったのは、夕方だった。
長い一日だった。
研究所の防衛、レインの演説、推進派の勝利。
頭の中にいろいろなものが詰まったまま、研究所の跡に戻ってきた。
「ルカさん?」
返事がなかった。
おかしい。
ルカはいつも、誰かが来ると「遅いのだ」と言いながら出てくる。
部屋を確認した。
作業室。資料室。実験室。
どこにもいなかった。
ルカの作業机に近づいた。
資料が散乱していた。
いつもと違う乱れ方だった。
ルカが自分で散らかした時とは違う、何かがあった形跡。
「ルカさんがいません」
全員が固まった。
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――数時間前、研究所
研究所の外に人影があった
一つの部隊。
シャドウズでもなく、騎士団でもなかった。
装備が違った。
動きが違った。
もっと静かな、目立たない動き方をしていた。
その中の一人が「全員が出払ったことを確認した」と報告を入れる。
「入れるか」
「問題ない。入り方は把握している」
男たちが研究所に向かった。
隠蔽を解除する手順を知っていた。
場所だけでなく、入り方まで把握していた。
中に侵入すると、ルカが一人で作業していた。
「何者なのだ」
振り返った時、すでに四方を囲まれていた。
ルカが机の引き出しに手を伸ばした。
何かを取り出そうとした。
「抵抗は無駄ですよ」
男の一人が言った。
「ムーンヴェイル大司祭からのご招待です」
「断るのだ」
「残念ながら、あなたに選択肢はありません」
男の言う通り、この状況から逃れる方法はなかった。
ルカが男を睨み、言った。
「ソータが来るのだ。絶対に来るのだ」
男たちは何も答えなかった。
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――ムーンヴェイル邸宅。
広い部屋だった。
窓の外に王都の夜景が見えた。
ムーンヴェイルが椅子に座っていた。
穏やかな顔だった。
いつもの、何も読めない笑顔だった。
連れてこられたルカが、部屋の中央に立っていた。
「ようこそ、ルカさん」
「歓迎されたくないのだ」
「そうですか。でも、来てもらえてよかった」
「ルカを呼ぶなら正式に依頼するのだ。こういうやり方は好かないのだ」
「正式に依頼しても、断られますよね」
「断るのだ」
「だから、こういうやり方になりました」
ムーンヴェイルが立ち上がった。
机の上に、資料を広げた。
「あなたの研究を、もっと大きなスケールで進める機会を差し上げたいのです」
「ルカの研究はルカのものなのだ。お前のためにはやらないのだ」
「そうですか。では、これを見てください」
ムーンヴェイルが一枚の設計図を置いた。
古代技術の応用。
複数の神器の組み合わせ。
膨大なエネルギーを生み出す構造。
ルカが資料を見た。
少し間があって、目の色が変わった。
子供の顔ではなく、研究者の顔になっていた。
「……これは」
「わかりますか」
「わかるのだ」
ルカが資料を机に置いた。
「やらないのだ」
「なぜですか」
「これを作ったら、たくさんの人が死ぬのだ」
ムーンヴェイルが「そうかもしれません」と言った。
笑顔のままだった。
「でも、作られなければ別の誰かが作ります。早晩、古代システムの再起動が進めば、誰かがこの設計図に辿り着く。であれば、制御できる人間が先に作る方が安全ではないですか」
「詭弁なのだ」
「そうですか?でも、ルカさんならこれを制御できる。世界で唯一、安全に扱える人間かもしれない」
「やらないのだ」
ムーンヴェイルが変わらない笑顔で「時間はあります」と言った。
「ゆっくり考えてください」
「何年待っても同じなのだ」
「そうでしょうか」
ムーンヴェイルが笑った。
「ソータさんたちが来れば、考えが変わるかもしれませんよ」
「どういう意味なのだ」
「彼らを人質に取れば、ということです」
ルカが「……最低なのだ」と言った。
「そうかもしれませんね」
ムーンヴェイルが「お疲れでしょう。休んでください」と言って部屋を出た。
扉が閉まり、部屋にはルカ一人となった。
窓の外の夜景を見た。
「ソータ……早く来るのだ」
小さく言った。
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――ルカの研究所。
「誘拐されたということですか」とレインが言った。
「可能性が高いです」
「誰に」
少し間を置いた。
「わかりません」
でも頭の中には、一人の名前があった。
「ムーンヴェイル大司祭の私兵という話があります」とアリアが言った。
「把握していたんですか」
「把握していたわけではないですが……ロゴスでも、中立派については情報が薄くて」
「なぜですか」
「ずっと隠匿派の動きを追うことに集中していたので。中立派は監視対象外でした」
「つまり、ムーンヴェイル大司祭については情報がほとんどない」
「……はい」
手がかりがなかった。
全員で手分けして情報を集めた。
でも、ムーンヴェイルの私兵は痕跡を残さなかった。
シャドウズとは違う動き方だった。
静かで、丁寧で、何も残っていなかった。
「ルカさんは大丈夫でしょうか」とソフィアが言った。
「きっと大丈夫です」と答えた。
根拠はなかった。
でも、そう言わなければいけない気がした。
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――ソル・ギルバートの執務室
すっかり日が落ちた執務室で、ソルは一人資料を見ていた。
議会での騒動が問題になっていた。
レインへの暗殺命令、シャドウズの動員。
証拠が出てきた以上、失脚は時間の問題だった。
だが、今、ソルが考えていることはそれではなかった。
レインの演説を思い返していた。
神秘の研究を正当化する。
古代システムの再起動に対処する。
理屈としては正しかった。
そしてムーンヴェイルが賛同した。
賛同した理由が、ずっと引っかかっていた。
――ずっと中立だったムーンヴェイルが、なぜ突然推進派の味方をした?
ソルが手元の資料を見た。
長年かけて集めた、古代文明の記録だった。
古代文明が滅んだ原因。
何かを作り出そうとしたこと。
世界を焼き尽くすほどの力。
「……まさか」
ソルが立ち上がった。
神秘の研究を正当化させた。
表向きはレインの名前で研究を進める。
何かが起きた時、責任をレインと推進派に押し付ける。
そしてムーンヴェイルは手を汚さずに、それを手に入れる。
「そういうことか」
ソルが配下を呼んだ。
「シャドウズを動かせ」
「しかし、今は議会の件で」
「構わん。ムーンヴェイルの動きを探れ。特に、どこかに研究者を匿っていないか」
「研究者ですか」
「ああ。子供のような見た目の研究者だ。ルカという名前だ」
配下が「了解しました」と言って出ていった。
ソルが窓の外を見た。
「レイン……お前の演説は正しかった。だが、利用された」
呟いた。
「わたしが間違っていた部分もある。だが、あの男は最初から別のことを考えていた」
ソルが拳を机に置いた。
「この落とし前はつけてもらうぞ。ムーンヴェイル・ヴァーミリオン」
拳を握りしめながら、そう言った。
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――ルカの研究所
夜になっても手がかりが見つからなかった。
全員が研究所の跡に集まっていた。
ルカの机を見ていた。
資料が散乱していた。
ルカなら「どこに何があるかわかるのだ」と言うだろう。
「ゼナさん」
「なに?」
「手がかりがない状態で、どうやって人を探せばいいですか」
「難しいよ」
「相手が隠す気でいたら、なかなか見つからない」
「そうですよね」
「でも」
「でも?」
「完全に痕跡を消すのは難しい。何かを動かしたら、必ずどこかに残るものがある」
「残るものを探す」
「そういうこと」
「ウチに任せて」
「お願いします」
「特別手当、出るよね」
「出ます」
「よし」
手当でルカの行方がわかるなら安いものだ。
ソフィアが「デュフフ……ルカさん、今頃どうしているんでしょう」と言った。
「きっと文句を言っていますよ」
「何のですか」
「いろいろと。待遇とか、食事とか、研究環境とか」
「デュフフ、そうですね」
ヴェインが「……早く見つけよう」と言った。
「あの子は、一人では心細いはずだ」
ヴェインの目が、珍しく柔らかかった。
「根拠のないことは言わないタイプだと思ってたよ、ソータ」
ゼナが突然言った。
「そうですね。普段はあまり言いませんね」
らしくない、というのは自分でもわかっている。
きっと、無事で居てほしいという願望だけがある。
「取り返すって言うことに、根拠がなくてもいいと思う。今は」
「なぜですか」
「根拠があってもなくても、取り返すって言ってくれる方が、なんか安心するよ」
「そうですかね」
「そうだよ」
変わらず痕跡を探しながらゼナが言った。
「……絶対取り返そうね」
「一緒に探しましょう」
全員が頷いた。
一人になってから、ルカの机をもう一度見た。
ルカとのやり取りを思い出していた。
研究所に来てからのこと、スーツのこと、防衛戦のこと。
それから、小さく言った。
「…待っていてください」
今日は、なんとかならなかった。
でも。
――明日を、なんとかするために今できることをやる。
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