神器の牙
その日、ゼナはレリックの事務所の依頼棚を漁っていた。
「死にやすいよ~収入ゼロが続くと」
依頼がない期間が続いていた。
ゼナはお金が絡むと行動が早い。
棚の奥の方まで手を突っ込んでいた。
「あった! これ!」
ゼナが一枚の依頼書を引っ張り出した。
「見せてください」
僕は依頼書に目を通す。
山岳地帯の要塞跡の調査依頼。
神の怒りを地上に降らせる神器がある、という伝承があった要塞。
近づいた猟師が爆発に巻き込まれて怪我をした。
報酬は金貨十枚。
「金貨十枚だよ!?」
ゼナの目がドルマークになっていた。
「受けましょう」
「でしょ!?」
その時、受付から足音が聞こえた。
アリアが駆け込んできた。
珍しく、慌てた顔をしていた。
「あ、それ、保留にしてある依頼なんです!」
「なんで保留なの? 金貨十枚だよ?」
「危険度が高くて。近づいた人が爆発に巻き込まれているので、もう少し情報が揃うまで保留にしようと思って」
「情報が揃うまで待ってたら他のチームに取られちゃうじゃん」
「そういう問題じゃなくてですね」
「ウチたちなら大丈夫だよ。ヴェインもいるし、ソフィアもいるし、ソータもいるし」
「だから危険なんですって!」
「受けます」
ゼナが依頼書をひらひらさせた。
アリアが僕を見た。
止めてくれ、という目だった。
「……受けましょうか」
「ソータさんまで!?」
アリアが頭を抱えた。
「ほんとに大丈夫ですか……? せめて気をつけてください、本当に」
「大丈夫ですよ。なんとかなります」
「その根拠のない自信はどこから来るんですか!?」
根拠はある。
ここまでなんとかなってきたから。
とは言えなかった。
言っても納得されないだろうし。
アリアが渋い顔のまま、依頼書に受付印を押した。
「……行ってらっしゃいませ。無事に帰ってきてください」
いつもの元気がなかった。
本当に心配しているのだとわかった。
でもこの時は、それ以上考えなかった。
後に思い知ることになる。
自分の考えの甘さを――
要塞跡までの道は、山道だった。
石畳が続いていたが、途中から崩れていた。
足元が悪い。
ゼナが先頭を歩いていた。
いつもは罠の探知以外で先頭に立たない。
でも今日は自然に先頭にいた。
ソフィアが僕の隣に来た。
「ゼナさん、今日は先頭ですね」と小声で言った。
「そうですね」
「デュフフ、気づいてます? ソータさんの少し前に常にいること」
「……そうですね」
「気づいてないですよね、ゼナさん本人も」
前を歩くゼナを見た。
確かに、常に僕より少し前にいた。
追い越さない程度に、でも確実に前に。
「何も言わないでおきましょう」と僕が言った。
「デュフフ、そうですね」
要塞が見えてきたのは、昼過ぎだった。
石造りの古い建物だった。
壁の一部が崩れていた。
かつては大きな要塞だったのだろう、今でも存在感があった。
「どこかで見た感じがしますね」とソフィアが言った。
「ここも遺跡ですからね」
「デュフフ、でも他の遺跡と少し違う気がして。壁の厚さが」
「防御を意識した構造ですね。軍事施設だったかもしれない」
「軍事施設、デュフフ」
少し考えた。
爆発が起きる、神の怒りが降る、という伝承。
軍事施設。
なんとなく、察しがついてきた。
「近づく前に少し確認したいことがあります」
「なに?」とゼナが言った。
「猟師が爆発に巻き込まれた場所、依頼書に書いてありましたね」
「要塞の正門から三十メートルほどの場所、って書いてたね」
「三十メートル」
「それが何か」
「一定の距離で爆発が起きているとしたら、センサーに範囲があるかもしれません。近づく前に、何かを投げ込んで反応を確認した方がいいかもしれない」
ゼナが「死にやすいの、最初から?」と言った。
「可能性として」
「死にやすいじゃん」
「そうなんですが、確認せずに近づく方がもっと死にやすいかと」
「……それはそう」
ゼナが石を一つ拾った。
「投げてみる」
「お願いします」
ゼナが石を要塞の方向に投げた。
何も起きなかった。
「範囲内に入らないと反応しないかもしれませんね」
「どうする?」
「別の方法で確認します。ソフィアさん、遠くから観察できますか」
「試してみます、デュフフ」
ソフィアが目を細めた。
遠見の奇跡を使ったようだ。
「要塞の上に、何かあります。丸い、金属製の構造物が複数。等間隔で配置されていて」
「向きはどうですか」
「外側を向いています。全部」
観察していると、僕はピンときた。
「外側を向いている砲台みたいなものが、複数あります」
「砲台?」とゼナが言った。
「神の怒りを降らせる神器、は多分あれです」
「自動で攻撃してくる武器、ってこと?」
「そうだと思います」
「死にやすいじゃん!!」
「そうなんです」
「そうなんです、じゃないよ!!」
慎重に要塞に近づいた。
ゼナが前に出た。
一歩ずつ、足元を確認しながら歩いた。
「今のところ大丈夫」
「センサーの範囲外ということですね」
「たぶん。ただ」
ゼナが足を止めた。
「死にやすいよ、ここ」
いつもと声が違った。
軽口ではなかった。
「どのくらいですか」
「今まで一番」
全員が止まった。
その瞬間、要塞の上で何かが動く音がした。
金属が回転する音だった。
「全員伏せて!!」
ゼナが叫んだ。
全員、地面に伏せた。
爆発が起きた。
空気が揺れ、地面が震えた。
爆発は、僕たちのいた場所より少し前だった。
ゼナの声がなければ、直撃していた。
危なかった。
煙が晴れた。
全員が顔を上げた。
ヴェインだけが、立っていた。
いや、立っていなかった。
片膝をついていた。
鎧の右肩の部分が砕けていた。下から血が滲んでいた。
「ヴェインさん」
「……少し、待て」
いつもの彼女なら「問題ない」と言うところだ。
つまり。
問題があった。
ソフィアが駆け寄った。回復の奇跡を使い始めた。
「深くはないですが、鎧の破片が」
「抜けるか」
「やってみます」
ゼナが来た。ヴェインの傍に膝をついた。
「ウチが、もっと早く指示できていれば」
「ゼナさんの声で全員止まれたんですよ」と僕が言った。
「ヴェインさんが動けたのも、ゼナさんが叫んだからです」
「でも」
「でもじゃないです。ゼナさんが叫ばなければ、全員が直撃していた」
ゼナが黙った。
「ウチのセンサーが、もっと早く反応してれば」
「十分早かったです」
「……そうかな」
「そうですよ」
ヴェインが「ゼナ」と言った。
「なに」
「お前の声でこの程度で済んだ。感謝している」
ゼナが俯いた。
「……うん」
砲台がまた動く音がした。
ソフィアが「まずいですね、デュフフ」と言った。
デュフフが出る余裕があるのか、と思ったが、今はそれどころではなかった。
「ヴェインさんは動けますか」
「……少し待ってくれれば」
「時間がないです」
砲台が向きを変えていた。
センサーが全員を捉えていた。
逃げ場はない。
岩陰に隠れようとしたが、距離が遠い。
ヴェインを抱えて走れる距離ではなかった。
ソフィアが奇跡を使い続けていた。
だが。
砲台は待ってくれない。
「これは死にやすいよ」とゼナが言った。
言い方にいつもの余裕がない。
冗談ではなかった。
本当に、死ぬかもしれない。
こちらの世界に来て――いや、元の世界も含め、人生で最も「死」に近づいている予感があった。
「なんとかなるか」と言いかけた。
「今回ばかりはなんとかならないかもしれないよ」とゼナが言った。
言葉が続けられなかった。
「そうかもしれないです」
初めて認めた。
ゼナが「……嫌だよ」と呟いた。
「何がですか」
「こんなところで終わるの、嫌だよ」
「そうですね」
「ソータが死ぬの、嫌だよ」
小さな声だった。
「僕もそう思いますよ」と言った。
「死にたくないよ」
ゼナの声は震えていた。
僕の声もきっと震えていたのだろうが、自分ではわからなかった。
思えば、調査を軽く考えていたのか。
アリアさんは何度も止めた。
危険な依頼なのがわかっていたからだ。
僕は楽観的過ぎたのかもしれない。
今までなんとかなってきた。
自分の持つ知識があれば大体のことはなんとかなると。
慢心。
そして今更ながら身を以て知った。
古代のシステムの科学技術のレベルは僕のいた世界のレベルを上回っている。
そして――その技術には、おそらく危険なものも多数含まれている。
それこそ、この世界のすべてを危険に晒すようなものが。
「死なないようにしましょう」
「どうやって!!」
その時、要塞の上から光が走った。
砲台が止まった。
静寂が落ちた。
煙の中、要塞の上に人影があった。
白と金の服が見えた。
金髪が、風に揺れていた。
レインだった。
「間に合いましたか」
静かな声だった。
「……なんとか」と僕が言った。
全員が要塞の外に出た。
ヴェインの傷はソフィアが塞いだ。
動けるようになっていたが、右腕の動きが少し鈍かった。
レインが降りてきた。
隣に、見慣れない人物がいた。ロゴスの構成員だろうか。
「この装置については、把握していました」とレインが言った。
「経年劣化で制御が狂い、危険な状態になっていると。あなたたちが向かったと聞いて、急ぎました」
「ご存知だったんですね」
レインが少し間を置いた。
「アリアさんから話を聞いてすぐに準備をして駆けつけた次第です」
「……ありがとうございました。もう少しで死ぬところでした」
死。
はじめて実感した感覚だった。
元の世界では、感じることがなかったもの。
死の予感。
「間に合ってよかった。こういった装置が各地にまだあります。古代システムが再起動すれば、制御を失ったものが動き出す可能性がある」
全員が黙った。
「ヴェインさん」とレインが呼びかけた。
「なんだ」
「怪我をさせてしまいました」
「私の判断だ」
「それでも」
ヴェインが「気にするな」と言った。
短かったが、許している、ということだった。
しばらく、全員で座っていた。
山の空気が冷たかった。
「こういうものが、各地にあるんですか」とソータが聞いた。
「あります」とレインが言った。
「私たちが把握しているだけでも、いくつか」
こんな危険なものが、野放しになっているという事実があった。
教会が科学技術を隠匿している理由も理解できた。
誰も彼もが危険性もわからずに、制御の出来ない技術を使っていれば簡単に事故が起きる。
制御できないのならば、隠してしまったほうが早い。
「把握していても、処理できないんですか」
「人手が足りません。それに、こういった装置を止めるには、仕組みを理解している者が必要です」
レインがソータを見た。
「あなた方のような」
僕は全員を見た。
ヴェインが頷いた。
右腕を庇いながら、しかし迷いなく頷いた。
ソフィアが「デュフフ……やります。こういうものを放置しておくのは研究者として許容できないので」と言った。
全員がゼナを見た。
「ますます死にやすくなりそうだね」
「そうですね」
「でも」
ゼナがソータを見た。
「なんとかなるんでしょ?」
「――なんとかしますよ」
「根拠は?」
「今日まで、なんとかなってきたので」
レインが静かに見ていた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」と僕は答えた。
帰り道、山道を四人で下った。
レインたちとは要塞で別れた。
次の連絡方法を決めて、それぞれの道に戻った。
ゼナがソータの隣に来た。
「ねえ、ソータ」
「なんですか」
「さっき、なんとかならないかもって言ったよね」
「言いましたね」
「初めてだよね、そんなこと言ったの」
「そうですね」
「怖かった?」
少し考えた。
「……怖かったです。とても」
「……そっか」
ゼナが前を向いた。
「ウチも怖かった」
「そうですか」
「死にやすかった、今回は本当に」
「物理的にも、精神的にも」
「精神的にも?」
少し間があった。
「ソータが死んじゃうかもって思ったら」
ゼナが止まった。
「……なんでもない」
「なんですか」
「なんでもないよ」
「そうですか」
「鈍いよ」
「そうですか」
「そうだよ!!」
何が鈍いのか、よくわからなかった。
ヴェインが前を向いたまま「……ソータは鈍い」と言った。
ソフィアが「デュフフ、全員一致ですね」と言った。
僕は「何がですか」と聞いたが、返事はなかった。
山道を、四人で下り続けた。
宿に着いたのは夜だった。
ヴェインの腕をソフィアがもう一度確認した。
「明日には動くと思います」
「そうか」
「無理しないでください」
「わかった」
珍しく素直だった。
普段なら平静を装っていつも通りに鍛錬に励むタイプなのだが。
今日は、ヴェインも少し疲れているのかもしれなかった。
全員が部屋に戻ろうとした時、ゼナがソータを呼んだ。
「ちょっと待って」
「なんですか」
廊下に二人が残った。
ゼナが少し黙って、絞り出すように言った。
「ありがと」
「何がですか」
「ロゴスの話。全部話した時、怒らなかったじゃん」
「怒る理由がなかったので」
「それだけじゃなくて」
ゼナが廊下の壁を見た。ソータではなく、壁を見た。
「一緒に考えようって言ってくれたじゃん」
「言いましたね」
「あれ、助かったよ」
「そうですか」
「そうだよ」
少し間があった。
「今日も」
「今日も?」
「今日も、なんとかなるって言ってくれたじゃん。なんとかならないかもって言った後に」
「言いましたね」
「あれも、助かった」
「そうですか」
「そうだよ」
ゼナが僕から視線を外した。
「じゃあね」
「おやすみなさい」
「うん」
ゼナが自分の部屋に戻っていった。
扉が閉まった。
廊下が静まり返った。
ありがとう、という言葉が、頭の中に残った。
特に何をしたという実感はなかったが、感謝されるのは悪い気はしない。
今日もなんとかなったけど――
明日からは、僕自身がなんとかしなくてはいけないのではないか――
そんな思いが僕の中に広がっていた。
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