ゼナの秘密
その日も依頼はなかった。
事務所の食堂で朝食を食べていると、ソフィアが来た。
「ソータさん、少し話があります」
声が低かった。いつものデュフフがなかった。
「なんですか」
「二人で」
ソフィアが視線で食堂の外を示した。
ゼナとヴェインはまだ席にいた。
ゼナが「なんか内緒話?」と言った。
「仕事の話です」と僕が言った。
「毎回そう言う」
「火あぶりは嫌なので」
ソフィアと一緒に廊下に出た。
廊下の端まで歩いて、ソフィアが小声で言った。
「この前の石像装置のアクセスログを調べました」
「何かわかりましたか」
「外部からの発信源はわかっていましたが、もう少し詳しく調べたら、別のことがわかって」
「別のこと?」
「レリックの内部から、定期的に外部に情報が送られていた形跡があります」
嫌な予感がした。
「内部から、というのは」
「レリックのメンバーの誰かが、外部の組織に情報を流していた可能性があります」
「外部の組織というのは」
「おそらく、ロゴスだと思います」
ロゴス。
この世界の真実を知る人間が作ったという組織だったか――
そこのメンバーがレリックに入り込んで僕達を監視していた、ということか。
「誰なのか、特定できましたか」
ソフィアが少し間を置いた。
「状況証拠だけです。確証はありません。ただ」
「ただ」
「送信のタイミングと、行動パターンが一致する人がいます」
「誰ですか」
ソフィアが答える前に、後ろで音がした。
振り返った。
廊下の角に、ゼナが立っていた。
どのくらい聞こえていたのか、わからなかった。
でも表情を見れば、わかった。
全部、聞こえていた。
三人が黙った。
ゼナが先に口を開いた。
「ウチだよ」
静かな声だった。いつもの軽口ではなかった。
「ウチが流してた」
四人で食堂に戻った。
ヴェインが状況を把握するのに少し時間がかかった。ソフィアが簡潔に説明した。
ヴェインの手が、剣の柄に向かった。
「ヴェインさん、待ってください」
慌てて止めに入る。
こういう時も即断即決すぎる。
「しかし」
「待ってください」
ヴェインが手を止めた。
しかし、ゼナから目を離さなかった。
ゼナはそれを見て、少し目を逸らした。
「怒らないの?」
ゼナが僕に言った。
「怒る理由がよくわからないので」
「……怒ってよ」
「なぜですか」
ゼナは答えなかった。
唇がかすかに震えている。
「怒られた方が楽、ということですか」
ゼナはまた黙った。
それが答えだった。
ソフィアが「デュフフ……知っていました、薄々」と言った。
ゼナが「なんで」と言った。
「温泉で、知り合いに声をかけられたと言っていた時に。あんな場所で偶然知り合いに会うなんてことはなかなかないですから」
「……気づいてたんだ」
「気づいていましたが、ゼナさんが言うまで待っていました」
ゼナが少し黙った。
「待ってたの」
「はい、デュフフ」
「なんで待ってたの」
「自分から言える人だと思っていたので」
ゼナが天井を見た。
何かを堪えているような顔だった。
「最初はお金のためだったよ」
しばらくして、ゼナが言った。
「レリックの動向を報告するだけって言われて。大した情報じゃないし、ばれなきゃいいかって思って」
「いつから始めたんですか」
「レリックに入る前から、少し繋がりがあって。お金くれるって言うから」
「それで続けた」
「続けようとしたけど」
ゼナが手元を見た。
「だんだん、やだなって思い始めて」
「いつ頃からですか」
ゼナが答えなかった。
少し待った。
「温泉ですか」
ゼナが顔を上げた。
「……なんでわかるの」
「帰り際に知り合いと話していましたね。その時の目の色が違いました」
「見てたんだ」
「見ていました」
ゼナが視線を外した。
「ソータのことも報告してたよ」
自分から言った。
一番言いにくいことを、自分から。
「そうですか」
「……怒らないの?やっぱり」
「怒っても状況は変わらないので」
「でも報告されてたんだよ? ソータのこと。どこ行ったとか、何を調べてるとか、遺物で何がわかったとか」
「そうですね」
「なんで怒らないの」
「ゼナさんは今ここにいて、自分から言ってくれた」
ゼナが黙った。
「それでいいんじゃないですか?」
長い沈黙が落ちた。
食堂の窓から、朝の光が射し込んでいた。
ゼナが「……ウチ、どうすればいいの」と言った。
初めて聞く声だった。軽口でも、損得計算でも、強がりでもない声だった。
「どうしたいですか」
「ロゴスとの関係、続けたくない」
「じゃあやめればいい」
「そんな簡単に言うけど」
「難しいですか」
「向こうが簡単に解放してくれるかどうか。お金ももらってるし、今更やめると言ったら」
「脅されますか」
「……可能性はある」
「一緒に考えましょう」
ゼナが僕を見た。
「一緒に、って」
「四人で考えればいいですよ。僕一人では難しいですけど、四人なら」
「なんとかなる、とか言う気でしょ」
「なんとかなる」
「……呆れる」
「これまで、なんとかなってきましたから」
ゼナがため息をついた。長いため息だった。三ヶ月分くらいのため息だった。
ヴェインがずっと黙っていた。
全員がヴェインを見た。
ヴェインが口を開いた。
「……次は言え」
それだけだった。
ゼナが「え」と反応した。
「次に何かあれば、先に言え。一人で抱えるな」
「……怒らないの、ヴェインも」
「怒っている」
「怒ってるんじゃん」
「怒っているが」
ヴェインが少し間を置いた。
「お前は自分から全部話した。それで終わりだ」
「……なにそれ」
「そういうものだ」
「騎士道精神ってやつ?」
「そうかもしれない」
ゼナが少し俯いた。
「……ありがとう」
「礼はいい」
ソフィアが「デュフフ」と笑った。
「なんで笑うの」とゼナが言った。
「ゼナさんが自分から言ってくれてよかったです。ずっと言えなかったんですよね」
「うるさいな」
「でも言えました」
「うるさいって言ってるじゃん」
「よかったです」
「……うるさい」
ゼナの声が少し変わった。
うるさい、と言いながら、怒っていなかった。
「ゼナさん」
「なに」
「泣きそうですか」
「泣いてないよ!!」
「泣きそうに見えますが」
「見えないよ!!」
「そうですか」
「そうだよ!! あーもう!!」
ゼナが立ち上がって、窓の方を向いた。
背中を向けたまま、少し肩が震えていた。
泣いているのかどうか、背中からは見えないので、見なかったことにした。
ヴェインも、ソフィアも、同じように見てないことにしていた。
しばらく、食堂が静かだった。
朝の光が、窓から差し込んでいた。
少しして、ゼナが戻ってきた。
目が少し赤かった。
「泣いてないから」
「泣いてません」
「わかってるなら言うな」
「言いません」
ゼナが「もう」と言って座った。
いつもの席に、いつもの姿勢で座った。
「で、どうするの。ロゴスのこと」
「ゼナさんが知っている情報を教えてもらえますか。連絡員のこと、どういう方法で情報を渡していたか」
「それ知ったら、みんなも死にやすくなるんじゃない?」
「なりますね。でも今はゼナさんの話を聞く方が先です」
「巻き込んじゃうよ?」
「それが仲間というものでしょう」
仲間、という言葉が自然に出た。
いつの間にか、僕はみんなのことを仲間だと思っていたのだと、その時自覚した。
ゼナが少し間を置いた。
「……変な人だよ、ソータって」
「よく言われます」
「でも」
ゼナが窓の外を見た。
「そういうところが、いいと思う」
小さな声だった。
聞こえたが、聞こえなかったことにした。
その方がいい気がした。
ソフィアが「デュフフ」と笑った。
ヴェインが「……始めよう」と言った。
「そうですね」と僕が言った。
「ゼナさん、教えてもらえますか」
「……わかった」
ゼナが話し始めた。
連絡員のこと。
情報の渡し方。
どんな内容を報告していたか。
全部、話してくれた。
全部話しながら、ゼナはいつもの声に少しずつ戻っていった。
最後の方には、「死にやすいよ、ロゴスの組織体制」と言っていた。
「物理的にですか」と僕が言った。
「精神的にもだよ」とゼナが返した。
みんなにふっと笑いが起きた。
夜、一人で屋上に出た。
王都の夜景が見えた。
ゼナが全部話してくれた。
連絡員の名前、集合場所、情報の渡し方。
ソフィアがそれを記録して、対策を考え始めていた。
ゼナが「そういうところがいい」と言っていた。
どういう意味なのかは、よくわからなかった。
チームへの気持ちか、僕への気持ちか、あるいは両方か。
考えてもよくわからなかったので、考えるのをやめた。
まぁ。
今日も、なんとかなったことだし――
明日も、なんとかなるだろう。
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