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神聖なる湯

 

 「温泉に行きたい」


 ゼナが言ったのは、依頼のない日が続いた朝だった。


 「温泉ですか」


 「そう。ここ二週間、依頼ゼロじゃん。死にやすいよ収入的に。気晴らしに行こうよ」


 「気晴らしに行く余裕があるなら働いた方がいいのでは」


 「依頼がないんだから仕方ないでしょ」


 「余計死にやすくなる気が。金銭的に」


 ソフィアが地図を広げた。


 「ここから半日ほどの場所に、有名な温泉地がありますよ。神聖なる湯、として知られていて、昔から効能が高いと言われています、デュフフ」


 「神聖なる湯」


 「はい。泉質が定期的に変わるらしくて、その日によって効能が違うという話で」


 「定期的に泉質が変わる温泉」


 少し引っかかった。

 自然の温泉で泉質が定期的に変わるというのは、普通ではない気がした。


 「経費で落ちる?」とゼナがソフィアに聞いた。


 「レリックの福利厚生という名目なら、デュフフ」


 「交渉してくる」


 ゼナが事務所の受付に走っていった。


 しばらくして戻ってきた。


 「落ちた」


 「どうやって交渉したんですか」


 「死にやすいよって言ったら通った」


 「意味が通じましたか」


 「精神的に死にやすいって言ったら通った」


 ヴェインが腕を組んだ。


 「……温泉か」


 「ヴェインさんも行きますか」


 「行く」


 即答だった。


 温泉地に着いたのは昼過ぎだった。


 山あいの小さな集落で、あちこちから湯気が上がっていた。

 硫黄の匂いがする。

 異世界でも温泉の匂いは同じという知見を得た。


 宿の主人が出迎えた。


 「ようこそ、神聖なる湯へ。本日は何の恵みの日かと言いますと」


 主人が空を見た。


 「今日は筋肉の疲れに効く日ですな」


 「日によって違うんですか」


 「はい。神のお導きで、日々泉質が変わります。今日は昨日より少し温度が上がっておりまして、それが筋肉の疲れに」


 「温度が上がっていると筋肉の疲れに効くんですか」


 「神の理ですから、詳しいことはわかりませんが」


 少し考えた。


 温度が上がると筋肉の疲れに効く。

 泉質が定期的に変わる。

 誰かが調整している?


 「ソフィアさん」と小声で言った。


 「わかってますよ、デュフフ。後で確認しましょう」


 「今日は休暇じゃないんですか」


 「休暇でも気になるものは気になります」


 「そうですか」


 ゼナが「また二人で内緒話してる!」と言った。


 「仕事のはな――いや、休暇中でしたね。すいません」


 興味が湧くとこうなってしまうのは本当に良くない。

 将来ワーカーホリックになってしまいそうだ。


 宿に荷物を置いて、大浴場に案内された。

 脱衣所の前で、案内の女性が言った。


 「こちらが大浴場です。当宿は神聖なる湯の伝統に従い、混浴となっております」


 「混浴」


 「はい。神の前では皆平等、という教えでございまして」


 「は?」思わず声が漏れた。


 「混浴、というのは」


 「男女一緒にお入りいただく形ですね」


 「……ですよね」


 ゼナが「何か問題あるの?」と言った。


 「問題というか」


 「ウチは全然平気だけど」


 「う~ん……」


 混浴、混浴かぁ。


 「ソータって意外と気にするんだね」


 「気にするというか、僕の世界では基本的に男女別なので」


 混浴嬉しい!よりも

 なんでこんなところに男が!しっしっ!みたいなのが先に浮かんでしまうのだ。

 現代日本はそういうのに厳しかったのを思い出していた。


 「へえ」


 「そういう文化で育ってきたので、少し慣れなくて」


 「……もう少し反応してよ」


 「え?」


 「なんでもない」


 ゼナが先に脱衣所に入っていった。


 ソフィアが「デュフフ、ソータさん大丈夫ですか」と言った。


 「大丈夫ですけど、その、心の準備が」


 「心の準備、デュフフ」


 笑わないでほしかった。


 大浴場は広かった。

 岩で囲まれた露天風呂で、湯気が濃かった。

 お湯は白みがかった青色だった。


 先にゼナとソフィアが入っていた。

 ゼナがこちらを見た。


 「早く入りなよ、気持ちいいよ」


 「……はい」


 お湯に入りながら、努めて前を向いた。

 でも視界の端に入ってくるものがあった。


 ゼナはスレンダーだった。

 細身だが、しなやかで健康的な体つきだった。

 小柄なのに、なぜかしっかりした存在感があった。


 ソフィアは――


 目を見張ってしまった。


 メガネがなかった。

 髪もまとめていた。

 当たり前だが白衣もなかった。

 普段のオタクスタイルの印象が全部消えていた。


 残ったのは、整った顔立ちと、どう考えても隠せないスタイルだった。

 しかも本人が全く気にしていない。

 普通にお湯に浸かりながら、何かをぶつぶつ呟いていた。


 「ソフィアさん」


 「なんですかデュフフ」


 「何をぶつぶつ言っているんですか」


 「泉質の成分を考えていました。硫黄の含有量がこのくらいなら、筋肉への作用は」


 「研究は上がってからにしてください」


 「気になるので」


 「休暇ですよ」


 「休暇でも研究は止まりません、デュフフ」


 ゼナが「ソフィアって温泉でも研究するんだね」と言った。


 「いつでもどこでもですよ」


 ゼナは「すごーい」とあんまり感情が乗っていない返事を返していた。


 二人の会話を聞きながら、努めて前を向き続けた。


 頭の片隅で、三ヶ月間一緒にいた人たちが、全員女性だったということを、今更のように実感していた。

 わかっていたはずだった。

 でも今日初めて、肌感としてわかった気がする。


 動じるな、ソータ

 今は死にやすい状況だ(社会的に)


 しばらくして、ヴェインが来た。

 脱衣所から出てきたヴェインを見て、全員が少し固まった。


 兜をかぶっていたからだ。


 「……ヴェインさん」


 「なんだ」


 「さすがに兜をつけたままというのは、どうなんですか」


 「問題ない」


 「問題ありますよ。というか、入浴中に兜というのは」


 「私が素顔で人と風呂に入れると思うか」


 「思えないですけど、それでも兜は」


 「問題ない」


 ヴェインがお湯に入った。

 兜をかぶったまま。


 ゼナが「ヴェイン、それ普通に変だよ」と言った。


 「慣れろ」


 「慣れないよ!」


 「……」


 ヴェインが少しの間、黙っていた。


 それからゆっくりと、兜の留め具に手をかけた。


 全員が固唾を呑んだ。

 兜が外れた。


 ヴェインが兜を風呂の縁に置く。


 長い黒髪が湯気の中に広がった。

 整った顔が見えた。


「ひん……」


 か細い声が聞こえる。

 頬が赤かった。

 温泉のせいか、羞恥心のせいかはわからなかった。


 「……見ないで」

 

 手で顔を覆うヴェイン。 


 「見てません」と僕が言った。


 「見てるじゃん」とゼナが言った。


 「ミテマセン」


 「目が泳いでるよ」


 「オヨイデマセン」


 ヴェインの頬が、さらに赤くなった。


 「……ソフィア」


 「なんですかデュフフ」


 「あなたは何か言わないの」


 「何をですか」


 「その、私の顔を見て」


 「綺麗ですね、デュフフ」


 「……それだけ?」


 「それ以外に何かありますか」


 ヴェインが少し間を置いた。

 ていうか、兜を脱ぐと口調が変わるんだなこの人。


 「……ゼナは」


 「知ってたよ、なんとなく」


 「知っていたの?」


 「薄々ね」


 ヴェインがお湯の中で、きゅっと縮こまった。


 「ソータは」


 「さっきから前を向いています」


 「……見てもいいよ」


 「え」


 「いつまでも前を向いているのも、それはそれで失礼でしょ」


 少し振り返った。


 ヴェインと目が合った。


 「綺麗ですね」


 「……それだけ?」


 「それだけです」


 「ソフィアと同じことを言うのね」


 「みんなそう言うと思いますよ」


 ヴェインがお湯の中に沈んでいった。


 「……ぶべびい」


 水の中で声を出しているから聞き取れなかった。

 が、何を言ったかは確認しないほうがいいだろう。

 今は社会的に死にやすいのだ。

 火あぶりよりも危ない状態なのだ。


 しばらく全員でお湯に浸かっていた。


 ゼナが「気持ちいいね!」と言った。


 「いいですね」


 「温泉って初めて?」


 「この世界では初めてです」


 「ソータの世界にも温泉ってあるの?」


 「ありますよ。日本は温泉が多い国なので」


 「へえ。どんな感じなの?」


 「基本的には男女別で」


 「またそこに戻る?」


 「文化なので」


 ゼナが笑った。


 「ソータって真面目だよね、変なところで」


 「変なところで、というのは」


 「普段はなんでもなんとかなるって感じなのに、こういうことは気にするじゃん」


 「こういうことは気にしますよ、普通」


 「普通かな」


 「普通だと思います」


 ゼナがお湯の中で足を伸ばした。


 「ねえ、ソータ」


 「なんですか」


 「ウチのこと、女だって意識したことある?」


 固まってしまった。

 こういう時なんて答えるのが正解か、ガリ勉野郎は知らないのだ。


 「今日、初めてちゃんと意識しました」


 「今日、初めて?!」


 「三ヶ月、一緒に仕事をしてきたので、チームメンバーという認識が強くて」


 「三ヶ月!!」


 「まずかったですか」


 「まずくはないけど! なんか複雑!」


 「そうですか」


 「そうだよ!」


 「そうかぁ、女として見られてなかったんだぁ……」と言いながらゼナはお湯を跳ねる。ちゃぱちゃぱ。


 「デュフフ、ゼナさん、今日の泉質は筋肉の疲れに効くみたいなので、あまり動くと効果に影響が」


 「研究は上がってからにしてって言ったじゃん!!」


 上がってから、縁側で涼んでいると、ソフィアが源泉の方に歩いていった。


 「調べに行くんですか」


 「少しだけ、デュフフ」


 ついていこう。

 僕も仕組みが気になっていたのだ。


 源泉は大浴場の奥にあった。


 岩の割れ目からお湯が涌き出していた。

 周囲に柵が張ってあって、近づけないようになっていた。


 「神聖なる場所なので、立ち入り禁止とのことです」


 「なるほど、まずいですね」


 「でも下が気になりますね、デュフフ」


 「何かありそうですか」


 「泉質が定期的に変わる、温度が上がったり下がったりする、というのは自然では説明が難しいです。何かが調整しているとしか」


 「見てもいいですか、少し」


 「禁止ですが」


 「禁止ですね」


 二人で顔を見合わせた。


 「死にやすいんじゃない?それ」


 ゼナがいつの間にか後ろにいた。


 「ゼナさん、来てたんですか」


 「気になったから。何があるの、源泉に」


 「調べたいんですが、立入禁止で」


 ゼナが柵を見た。


 「これくらいなら越えられるけど」


 「越えていいんですか」


 「ウチは越えられるって言っただけで、越えていいとは言ってない」


 「そうですか」


 三人で源泉を眺めた。


 「お湯が澄んでいますね」とソフィアが言った。「底が見えそうです」


 確かに、底まで透き通っていた。

そして底に、何かがあった。


 金属製の、円形の装置だった。

 表面に細かい模様が刻まれていた。

 中心部が発光していて、定期的に、光のパターンが変わっていた。


 「あれですね」と僕が言った。


 「あれです」とソフィアが言った。


 「あれって何?」とゼナが言った。


 「あれが泉質を調整している装置だと思います」


 「調整って、どうやって」


 「詳しくはソフィアさんが」


 「禁忌に触れる説明になりますので、デュフフ」


 「じゃあ外では言えないやつだね」


 「そうです」


 「外で言えない話が多いよね、うちのチーム」


 「そういう仕事なんです」


 夕方、宿の主人に状況を説明した。


 「源泉の底に、古代の遺産があります。それが泉質と温度を自動で調整しています」


 主人が目を丸くした。


 「古代の遺産が、この湯を守っていたということですか」


 「そういうことになりますね。効能が日によって変わるのは、その装置が体に必要なものを自動的に判断して調整しているためだと思います」


 「では、神のお導きで泉質が変わる、というのは」


 「正確には違いますが」


 少し間を置いた。


 「先人が遺してくれた知恵が、今もこの湯を守っている。そういうことだと思います」


 主人が深く頭を下げた。


 「何百年も、先祖の遺産が守ってくれていたとは……」


 目が潤んでいた。


 ゼナが「装置が調整してただけですけどね」と言いかけた。


 「言わなくていいです」と小声で止めた。


 「毎回止めるよね」


 「火あぶりは嫌なので」


 夕食は宿で食べた。


 地元の料理が並んだ。

温泉で蒸した野菜、魚の塩焼き、山菜の和え物。


 「うまいですね」


 「温泉地の飯って美味しいね」とゼナが言った。

 

 「経費で来てよかったよ」


 「福利厚生ですからね」


 「生き返ったよ、今日は」


 「珍しいですね。死にやすくないのは」


 「たまにはそういう日もあるよ」


 ヴェインが静かに食事をしていた。兜は被っていなかった。

 宿の個室で、外部の人間がいないからだろうか。

 チームの前では、今日から兜を外すことにしたのかもしれなかった。


 特に聞いたわけではなかったが、そういうことにしておいた。


 「ヴェインさん」


 「はひ」


 やはり少し口調がおかしく、顔は少し赤い。

 別に平気になったわけではないらしい。


 「兜、外したんですね」


 「……ここなら、いいかなって」


 「いいですね」


 「……うん」


 それだけのやり取りだった。

 でも、普段よりヴェインの肩の力が抜けていた気がした。


 食事が終わって、ゼナが「少し外の空気吸ってくる」と言って出ていった。

 縁側に出たゼナが、宿の入口の方で立ち止まった。


 何かが聞こえた。


 人の声だった。

 ゼナが誰かと話していた。

 僕の知らない人物だ。


 聞こえたのは数秒だけだった。

 相手は、すぐに去っていき、ゼナはすぐに戻ってきた。


 「誰ですか?」


 「知り合い。ばったり会ったんだよね」とゼナが言った。


 「そうですか」


 「うん」


 何かが引っかかった。

 でも追求はしなかった。


 ゼナの目が、一瞬だけ、いつもと違う色をしていた気がした。

 気のせいかもしれないが。


 「明日も一日いるんですよね」とソフィアが言った。


 「そうですね」


 「源泉の装置、もう少し調べたいです、デュフフ」


 「休暇ですよ」


 「研究も休暇ですよ」


 「それは死にやすいですよ。過労で」


 「デュフフ」


 ゼナが「死にやすいよね、ソフィアの研究魂」と言った。


 みんなで笑いあった。

 湯気が夜空に溶けていった。


 今日もなんとかなったことだし――


 明日も、なんとかなるだろう。



ここまでお読み頂きありがとうございます!


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作者のモチベーションにつながります。


次回も見て頂けると嬉しいです!


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