100 地獄のクリスマス・邂逅
厳冬と呼ぶに相応しい昼夜問わず&遠慮知らずの寒さが続き、気づけば冬休みに突入していた。
後期に入ってから色々ありすぎた。まさに怒涛の日々。
けれどあと一週間で今年が終わる。これまでのような出来事はもう起きないだろうし、冬休みはのんびりと過ごせそうだ。
「とは、いかないんだよなぁ」
僕はローテーブルに頬を押しつけて突っ伏し、壁のカレンダーに目をやる。
今日の日付は、十二月二十四日。
「世間にとっては特別な日。僕にとっては……地獄だ」
クリスマスは地獄だ。あぁ間違いなく地獄だね。
高校生の頃、クラスのイケてるグループがカラオケに行く姿を指くわえて眺め、街中では抱き合うカップルを横目に予定ゼロの僕は直帰する。とても嫌な高校時代の記憶だ。
「それが今や生温いと思えるようになるとはね」
高校時代よりも大学時代のクリスマスの方が遥かに辛い。
もうね、本当ヤバイですよ。
まず、外に出られない。出た途端、どこを見てもカップルがイチャついているのだ。彼らはイルミネーションをバックに散々イチャイチャした後、部屋に帰ってラブラブするのだろう。
独り身には耐えられない。死にたくなる。
「よって食料の買い溜めは前もって済ませ、今日と明日は部屋に引きこもる。非リア大学生にはそれしか生きる道が残されていない!」
外出した途端に死にたくなるぞ。いや死ぬぞ。幸せオーラを目の当たりにしたら絶命するぞー!
しかし、部屋にこもっても完全に安全とは断言出来ない。寧ろ危険かもしれない。
もし両隣どちらかの部屋でパーティーが始まったら防ぎようのない和気藹々ムードと声が壁を貫通して僕に襲いかかる。そうなっては逃げ場がない。容赦もない。
両サイドの住人よ、どうか頼む。パーティーをしないでおくれ。僕は静かにクリスマスをやり過ごしたいんだ。
「……掃除機の音が聞こえるんだが?」
微かに聞こえてくる音が嫌な予感を増幅させていく。お、おいおい待ってくれよ。
「ま、まさかねー」
僕は頬を押しつける先をテーブルから壁へと変えて耳を澄ませる。
すると、隣の部屋から掃除機をかける音がハッキリと聞こえた。
あ、これ、今から人を招くから部屋を掃除してい、あああぁ!?
「……終わった」
僕は夜通しリア充が盛り上がる活気を聞かされるハメになる。イヤホンをつけて最大音量にしても、隙間を縫うように奴らの声は聞こえるんだ。少しでも聞こえたらアウト。死にたくなる。
というかお隣がパーティーをするという事実が発覚した現時点で死へのカウントダウンが始まった。
「こうなったら不知火の部屋かネカフェに避難するしかない」
自宅にいると死が訪れるのが分かった今、直ちに行動を起こすべき。
幸いにもまだ夕方。目隠しと耳栓をして危険の少ない地に避難し、ヘル・クリスマスが終わるのを待つんだ!
「はぁ、なんて惨めな聖夜だろう」
細く吐いたため息が白い。は、はは、室内なのに息が白いや。この部屋寒いのかな。寒いのは予定ゼロの非リアな僕だっつーのー。
「あ、耳栓とアイマスクあった。僕の備蓄すごいな」
一夜を耐える為の物資と資金を鞄に詰め込む。
視界と聴覚を遮断して外を移動するのは極めて危険だろうね。
危険? 五感フル稼働でヘル・クリスマスの外を歩く方が危ないよ。キツイよ? 死ぬよ!?
最悪の事態に備えてお金は多めに持っている。やるじゃん僕。タクシーで向かおう。
「それでは地獄の外界にレッツゴおぉぉ!」
「来たわよ」
アイマスクを装着。一歩進むと、前方から聞き慣れた声とドアが開く音が聞こえた。
この声は金束さんだ。
「こ、こんにちは」
「アンタ何してるのよ」
金束さんの疑問は当然と言える。ドアを開けたら家主がアイマスクを着けて立っていたのだから。
……僕は素直に白状することにした。
「今日はクリスマスなので、どこか外に避難しようと思いまして」
「なんで目を隠しているのよ」
「リア充を見たら死にたくなるから」
「アンタ気持ち悪いわね」
全くもっておっしゃる通りですが人に言われると虚しさ倍増だね。
「気持ち悪い。発想がキモイ。根暗。陰気」
怒涛の罵声が降り注がれる。ひぃ。
メンタルをズタボロに引き裂かれ、僕は力の入らない弱々しい手でアイマスクを外す。
煌びやかな髪。整った美しい顔。そして呆れと軽蔑を混ぜた冷ややかな目が僕に突き刺さった。あひぃ!
「馬鹿ね。ホント惨め」
「はいぃ」
「ふん。……そこどきなさい。中に入れないじゃない」
金束さんは僕を押し退けてリビングへと進む。
着ていた厚手のコートを脱ぎ、慣れた手つきでクローゼットからハンガーを取り出す。上着をかけて、いつも通りに座布団の上に座った。
で、僕を見る。ツンと口を尖らせて。
「いつまで突っ立っているのよ。お茶を出しなさい」
「た、直ちに」
僕は冷蔵庫からお茶を取り出してグラスに注ぐ。僕が金束さんにプレゼントしたグラスだ。
お菓子も用意してテーブルに置き、部屋の隅に避難。体育座りで息を潜める。
「こっち来なさいよ」
「いえ、ここで大丈」
「来なさい」
「はぁい直ちに!」
移動を命じられた僕は金束さんの前に座る。
テーブルを挟み、鋭く大きな瞳がまっすぐに見つめてきた。
「ふん」
「あ、あはは」
少しだけ落ち着いてきた。恥ずかしい姿を見られたことに対する動揺は収まり、入れ替わり、疑問が浮かんだ。
「あのー」
「今はお茶でいいわ。ちゃんとビールは冷やしてあるんでしょうね。今夜は飲むわよ」
「あのーあのー、そのそのぉ、その前に、どうして僕の家に来たの?」
「……私が来るのはいつものことでしょ」
確かに。金束さんが美味しいビールのシチュを求めて僕の家に来るのは今や当たり前。アポなしで来たからといって不思議ではない。
ただし今日でなければ。今日だけは例外だ。なぜなら今日は、
「クリスマスだよ?」
「別にいいじゃない」
「良くはない気が……だ、だって」
「だって?」
「クリスマスは特別な日と言いますか、恋人同士で集まる日ですから……」
外を歩いてきたよね? 嫌でも目に入ってきたでしょ? 街はクリスマスムードで一色。特別な日なんです。
「クリスマスを僕なんかと過ごすのは駄目だよ。僕なんかじゃ……」
「何言ってんのよ。別にクリスマスだからって必ず恋人と会わなくちゃいけない義務はないわ」
ツンと尖らせた口のまま、金束さんがテーブルを叩く。あぁ僕のテーブルが……。
「アンタはクリスマスを意識しすぎなのよ」
「は、はあ」
「大学生が浮かれているのは不快だけど。ふん!」
「僕に怒りをぶつけないでぇ」
「とにかく私からすれば平日と何ら変わりないわ。分かったら美味しいシチュエーションを教えなさい!」
「ひえぇ」
言われた直後は戸惑ったが、金束さんの言うことは尤もなのかもしれない。僕はクリスマスを恐れすぎていた。
その必要はなかった? こうやって金束さんと普段通り過ごせばいい?
「ふんっ」
「わ、分かったよ。僕としてもその方が精神的にありがたい」
「分かればいいの。根暗。気弱。考えすぎ」
「う、うん。……金束さん」
「何?」
「来てくれてありがとう。まだ意識しているみたいで女々しいけど、おかげで惨めな思いをせずに今日を過ごせるよ」
金束さんは平常であっても、僕はどうしてもクリスマスを意識してしまう。情けないよ。
でもおかげで虚しさは消えた。友達と過ごせることが嬉しい。
「今日は楽しく過ごそうね」
「別に。私はいつも通りにするだけよ。クリスマスなんてどうでもいいわ。アンタだけ浮かれていなさい」
「はいぃ……」
浮かれすぎは良くないらしい。女子とクリスマスを過ごせるぜウホホイ、な気持ちは心の片隅にひっそり閉まっておこう。
「お茶お代わり」
「はい」
空いたグラスを受け取り、リビングを出る。
金束さんには感謝だな。惨めなクリスマスを回避出来た! 陰険根暗野郎でも今日を生き抜けるよ!
「あぁ、やったぁ……!」
「や、やった。水瀬と一緒にクリスマス過ごせる……!」
お茶を注いでリビングに戻る。
と、金束さんがビクッと肩を揺らした。そして僕から顔を背ける。
「お待たせ。はいお茶」
「ふ、ふん」
……? 顔は見えない。伺えたのは、長く艶やかなベージュ色の髪に隠れた耳が微かに赤らんでいることぐらい。
「暖房下げようか?」
「そ、そうね」
「うーっす」
ピピッと音が鳴ってリモコンを置く。
あ、美味しいシチュエーションを考えなくちゃ。
「ごめん、美味しいシチュエーションはまだ思いついていない。今から考えるから時間をください」
「ふん」
「えーとぉ……うーん……」
「……何も考えなくていいわよ馬鹿。今日を一緒に過ごせるだけで嬉しいんだから」
「うーんと、うぬぬ……!」
「水瀬と過ごせる……っ、え、えへ」
「むぐぐ……!?」
ケーキを食べながら飲むとか? やー、でもケーキとビールはあまり合わない。ソースは去年の僕。
でもクリスマスにはケーキを食べたいよね。よしっ、まずはケーキを買おう。
「ねえ金束さん」
「どうしよう……お、お泊まりになるのかな……」
「あのー?」
そういやさっきから何か呟いているよね。僕がうんうんと考えている間、金束さんはブツブツ呟いていた。
「お泊まりしたい……っ、また一緒に手を繋いで寝たい……」
「あのーあのー、何かご不満でも?」
「にゅへへぇ」
「金束さん!?」
「っ!? な、なな、何よ!?」
いやあなたの方が何よ!? 今ゆるっゆるのだらしのない笑みを浮かべていた。にゅへへぇ、とか発していましたぜ!?
「か、勘違いしないで! わ、私が別にアンタとごにょごにょ、で、ごにょごにょ!」
「ごにょごにょ言われても翻訳は出来ません! な、何かご不満が?」
「ごにょごにょ!」
「えぇー……? えっと、ケーキを買いに行かない?」
「ケーキ?」
「金束さん的にはどうでもいいだろうけど、クリスマスだしケーキはあってもいいでしょ?」
「え、ええ、そうね。私はクリスマスなんて全く意識していないけどアンタがどうしてもと言うなら付き合ってあげるわ」
ブツブツごにょごにょしていた理由は迷宮入りするも、とりあえずケーキを買って良さそうだ。
僕もつい笑顔が綻んでしまう。立ち上がって、自分でもビックリするくらい笑顔になれた。
「ありがとうっ」
「っ、っ~……!?」
「じゃあ行ってくるね。外は寒いから金束さんは待ってて」
「わ、私も行くわよっ。早くしなさい!」
「僕は準備オッケーです」
「ふ、ふん」
金束さんも立ち上がってコートを着ている。僕は途中で見るのをやめて先に玄関へと向かう。
「何よあの笑顔……っ、水瀬のくせに生意気よ……」
「金束さんまだー?」
「今行くわよ! 早くしなさい!」
「えぇー……?」
捲し立てる怒号の後、金束さんが再びコート姿になってリビングから出てきた。
僕は「うん」と言って靴を履く。もうアイマスクや耳栓は必要なさそうだ。
「ケーキ屋さんは予約いっぱいで買えないだろうからコンビニに運良く残っていることに期待しよう」
「ふ、ふん、どいつもこいつもクリスマスに浮かれすぎよ」
「あ、あはは。じゃあ行こうか」
扉に手をかける。
「アンタも哀れね。私以外に一緒にいてくれる人がいないんでしょ。可哀想だから私が一緒に過ごしてあげるわ。水瀬には私しかいないものね」
嬉しそうに僕を罵倒する金束さんの声を聞き流しながらドアが開けて、それにつれて冷たい外気が玄関に入ってきて、
そして、元気の良い声とぽわぽわした暖かな空気も入り込んできた。
「こんにちは水瀬君っ」
サラサラとした黒髪が風に吹かれ、口元をマフラーにうずめ、息で大きな眼鏡が曇る。
ドアを開けた先、僕の前に立っていたのは月紫さん。
「あ、永湖さん」
「遊びに来ましたっ。良かったら今夜は一緒に…………あ……」
「だ……誰よアンタ……?」
楽しげに綻んでいた月紫さんの笑顔が固まる。
月紫さんの視線は、僕を通り越して奥の人物を見つめていた。
僕は振り返る。後ろで、金束さんも固まっていた。月紫さんを見つめて唖然としていた。
「「……!」」
……?
二人揃って顔色が曇った。固まって、動かなくなって、風も空気も何もかもが停止する。
訝しげな表情を浮か……
「「……」」
訝しげな表情。金束さんも月紫さんも、顔が怖い。
「アンタ、水瀬の何よ」
「そちらこそ、気安く水瀬君に近づかないでください」
「はぁ?」
「何か?」
……あ……あれ……?
今、空間に亀裂が入ったような……!?




