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六日目。明日に女が死ぬだろう事を思うと、今日中にどこか死に場所の見当をつけなければならない事は分かっていた。分かっていたが、細い川の脇を歩いている男には、その場所を確定する事は出来ないで居たのだ。
水のある、死ぬ事の出来そうな所なんて沢山あるし、それを確定するのは不可能なように思える。そもそも女が死ぬというのは本当なのかと、いつもと同じ思考を辿っていく。
藻の生えた緑色の石の上を渡って、さっさと宿へ帰ろうか、と思った。どうせ女がここに居ない事は分かっているし、来るような気もしない。こんな所で時間を無駄にするよりは、見つかるか分からない女を捜して走り回る方がマシだった。
川の傍を離れて道に出て、昨夜泊まった宿へと向かう。
四年ほど前に女と泊まった宿で、広い畳の部屋から見える山脈と、少し高い所に設置された露天風呂が売りだ。ここにやって来た女もその風景を見て、嬉しそうに笑い、また来れたらいいねと言っていた事を覚えていたのだ。だから、来ているのかと思った。
宿の主人に名簿を見せてもらい、ここ一週間ほどの客の中に女が居ないかと探したのだが、残念な事にその名前は無かった。本当ならすぐに別の場所に行こうと思ったのだが、名簿だけ見て泊まらずに去っていくのも気が引けて、主人にはもう夜も遅いからと止められて、それじゃあいいかと自分を甘やかしてしまったのだ。そういう所に愛想尽かされたのかもしれない、と一瞬だけ思った。
宿について部屋に戻ろうとして、ふと、入り口近くの壁に映画の広告が貼ってあるのに気が付いた。見覚えのあるその広告に驚き近寄って、じっとそれを見る。昨夜は余り周囲を見ていなかったのだろう、目立つ所にあるにも関わらず、注意すら払わなかった。
日の沈みかけた海の脇に立ち、長い髪を風に靡かせながらそれをじっと見詰める女の絵。
女と見た、映画の広告だ。フラれた女が海で死のうとしていた時、男が追っかけて来て自殺を食い止めるという、夢もまた夢、こんな事有り得ないと呆れながら見ていた映画。
しかし、映画が終わった後に、女が突然、あの海に行きたいと言って来た。どうしてかと聞くと、何となくと答えられ、ダメかと聞きながら首を傾げる。その動作が女にしては珍しく少し甘える様で、だからなのか、あっさりと良いよと答えてしまった。それから海への行き方を調べて、すぐに車に乗って出掛けたのだ。
高い崖のような所から眺めたその海は、もう日が沈みきってしまっていた為に真っ黒で、月明かりに照らされた波が時折、ちらちらと輝いて見えた。それだけでも十分幻想的であったが、星を沈ませるその海を眺めながら、女はまた来よう、と言ったのだ。
「今度は、夕方に。日が沈むのを、見ようよ」
そう言ってゆったりと笑う女に大きく頷きながら、男は帰ろう、と女を促したのだった。
映画の広告から離れて、急ぎ自分の部屋に戻り荷物を纏めると、すぐその宿から出た。
間違いない。あの海だ。
しかし、全く正反対の方向に来てしまった。あの海に行くまでには時間が相当掛かるし、渋滞に引っかかれば夕方までに着くかも怪しい。体力だって丸一日運転するほどあるわけでもない。
それでも、やってみるだけの価値はあると思った。
夕方までにあの海に辿り着いて、女を止める。女が望むのは、本当に望んでいるのはその事だろうと、そう思うから。