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「じゃあさっそく腕に乗せてみよう」
いやいや、だから展開早いんだって。私は例のグローブをつけた左手を振って抵抗する。頭をそっと撫でるとかじゃないのかよ。
「そんなに怖くないから平気だよ。もちろん爪とかは鋭いから注意は必要だけど。いじめたりしなかったら怒んないから」
そう言ってすぐに私の手にエサを握らせようとしてくる。
「なにこれ」
「上手にできたらご褒美あげないとかわいそうじゃん」
なるほど。……じゃなくて。
「私そういうのやったことないし」
「貴重だから自慢できるね」
よくわからん説得をされて、手にえさを握って私は固まる。なんか右手も左手も石みたいに重いんだけど。
「渡した笛を吹いて」
少し距離をあけてケンタロウが叫ぶ。
ふえ? ふえってなんだっけ。視界と思考がぐるぐる回って、やがてエサと一緒に渡されたものが目に入った。
誰かとの間接キスだとか気にしなかった。プルプル震える右手をなんとか口元に寄せる。
公園に、ピィーっと甲高い音が響いた。
「ひぃっっ」
ケンタロウの腕で羽を広げた! でかい、タカが! 羽を広げたら私の手より長い。
「あんまり刺激しないようにね。腕伸ばして、とめさせてあげて」
とにかく思いっきり腕を伸ばす。そして必死に動きを止める。てか足とか腕とかが動かせない! 大の字になったまま固まってる!
二、三回勢いをつけて、怪物がケンタロウから飛び立つ。そのまま、まっすぐ私の腕へ。
とっさに上げかけた悲鳴をなんとかこらえる。刺激するのはよくない。でも怖い。
「じっとしてればダイジョブだよ。エサ食べやすいように指先で持って」
左腕に衝撃。一瞬ズンと衝撃が腕に乗る。重さで下がりそうな腕を必死に水平に維持。すぐ横にいる怪物は思ったより落ち着いていて、少しだけ上下に首を揺らしている。
あっご褒美か。
握ったエサをなんとか指先でつまむと、鋭いくちばしがそれを捕らえた。
「あっうぇっえっ」
言葉になりそこなった音が漏れる。
食べてる、やっぱちょっと重い、でかい。
周囲に人がいなくて良かった。タカと奇人で絶対注目されてた。
「ねっ平気でしょ」
ケンタロウが平然と伸びなんかしてやがる。やがて彼が自分の笛を吹いて、ようやくわたしの左手が解放された。
「なんか体全体が自分のものじゃないみたい」
冷や汗かなにか知らないけどめっちゃ汗出るし心臓バクバクだし夏なのに指先冷たいし。立ってる感覚もないかも。
「今度はもうちょい離れて勢い付けさせるよー」
ケンタロウ、あんたの目にはタカしか入っとらんのかい。
***
四往復。行って帰ってを四回。ただそれだけ。それだけなのに。
「もう無理。ちょっと休もう」
わたしはペタンと地面に座り込んだ。
タカをケージみたいなのに入れたケンタロウもわたしの隣にドカッと座った。
「どうだった?」
目を輝かせてケンタロウが訊いてくる。
あーなんでこいつこんな楽しそうなんだよ。
「怖かった。大きかった。腕疲れた。目もすごい鋭かった。あと、ちょっと怖さ以外でもドキドキした」
わたしが並べる言葉をケンタロウはにこにこ聞いてる。
「そう。よかった」
興奮したせいか、自然と敬語が外れていた。
「かわいかったでしょ、タカ」
はあ? いきなり何言いだしてんのこいつ。
「なにやっても楽しくなかったんだけどさ、タカと触れ合うときだけはわくわくしてたんだ。親父が鷹匠で良かったぁって何回も思ったよ」
聞いてもない家の情報がどんどん出てくる。
「なんでそんなことわたしに言うの」
「好きなもののことってつい話したくならない?」
「ならないけど」
そうなんだー、とケンタロウの抑揚のない声。
「キミってさ……ああごめん、アキナちゃんってさ、世界のこと嫌いなの?」
いきなり見つめられて、わたしはさっと目線を落とす。こんなとき、前髪が短いのは非常に困る。
世界。そんな大きいもの考えたことない。でも。
人の嘘の善意が嫌い。合わせなきゃ異端扱いされるのが嫌い。恋愛で他人とぶつかるのが嫌い。集団の中にいて自分の存在が自分で分からなくなるのが嫌い。
気が付くと、わたしは嫌いなものをまくしたてていた。
夏の殺人光線が嫌い。誰のか分からない体液がまじりあってるプールが嫌い。滑って転ぶ雪が嫌い。道端で嫌なにおいのする銀杏が嫌い。なにか新しいことをしなくちゃって迫ってくるような桜が嫌い。
「大変なんだね」
わたしの色んな嫌いを聞いて、それでもケンタロウは笑っていた。
「ねえ、ちょっと来て」
立ち上がったケンタロウがわたしに手を伸ばす。無視していると、「いいから」と無理やりわたしの腕を掴んで立たせる。
「兄貴、ダニエルのこと見てて」
ダニエルってまさかタカの名前じゃないだろうな。どんなセンスだよ。
「来て」
お兄さんの頷く姿を見てケンタロウが走り出す。
「ちょっと、どこ行くの」
「どこも行かないよ。ただ走るだけ」
意味わかんないんだけどっ。
「疲れて無理。走れない」
「だいじょうぶだって。人間多少無理したってなんともないから」
あのさぁ、さっきから疑問なんだけどその自信はどっから来るのよ。
「離してよ」
「離してもついてくるならいいよ」
引っ張られて、それなりの速度でそこそこ大きい公園の外周を走る。引きこもりに急な運動はきつい。あと過度な要求も。
景色を楽しむ余裕なんてない。たぶんわたしに合わせてペースを落としてるんだろうけど、それでもけっこう速い。いつの間にか、わたしもケンタロウの手が離れないように握っていた。
「うぅ、吐きそう」
一周して戻ってきたわたしは今度こそ立ち上がれないくらい疲れていた。喉の奥の方で鉄みたいな味がする。吸ってる息がフィルターにでもかけられてるみたいに薄く感じる。
「かなりぬるくなってるけどこれあげるよ」
見上げると、タオルで汗を拭きながらのケンタロウがペットボトルを差し出している。
「ありがと」
ありがともなにも、こうなったのはアンタが引っ張って走ったせいなんだけどね。そう思いながらも、ペットボトルに口をつける。言葉通り、まったく冷たくない。むしろまずい。でもそんなの関係なく一気に半分ほど飲む。
「どう?」
「あんまおいしくない」
そう言いながらも、残った半分も飲み切る。
「違う違う。そっちじゃなくて」
一瞬思案するような顔をしてから、笑顔になってケンタロウが訊く。
「やっぱり世界のこと嫌い?」
当たり前じゃん、そう言おうとして、さらに嫌いなものを羅列しようとしたのに、なぜかわたしは口を開けたまま止まってしまう。
なにが嫌なんだっけ。
いっぱいあったはずなのに言葉が出てこない。なんで?
「えーっとね、なんか嫌なことあったり嫌なことを見つけちゃったりしたらさ、こうやって走ってみるといいよ」
あー疲れた、とケンタロウが座り込む。
「走ると気持ちよくない? 悩んでることとか不安なこととか、そういった暗ーい感情がどっちでもいいことに思えてこないかな」
分かる。なんとなーく分かる気がする。でも。でもくっやしいから頷きたくない。なんでそんなうれしそうなんだよコイツ。これがネットでよく見たどや顔ってやつか。
「ごめんね。うまく伝えられないけど、これだけは覚えといてほしいさ」
「なに?」
「うーんとね、世界はキミが思ってるほどキミのことなんか気にかけてないんだ。貶してるとかじゃないよ? 難しいな。自分の見えるものがどんな風になっているか決めるのは自分なんだ。優しい世界に見えるか嫌な世界に見えるかとかね」
「よくわかんないんだけど。つまりどういうこと?」
わたしが聞き返すと、ケンタロウはまた困ったような笑顔で頭を掻いた。
「だよねぇ。俺もなんて言いたいのかよくわかんない」
そこははっきりしろよ。
「つまりね、自分のいる場所とか自分の見えるものとかをキミ自身がちゃんと見て、突き放さないで受け止めてあげてほしいんだ。キミが勝手によくない方に捉えて避けちゃダメなんだよ」
やっぱりよく分からないのですが。
二人で苦笑いしていると、突然ケンタロウが立ち上がった。
「兄貴ィ、ルパートこっちに連れてきて」
ルパート?
「ダニエルおいで」
わたしがポカンとしてる間にダニエルをケージから出してあげるケンタロウ。そしてお兄さんからもう一匹のタカも預かる。ルパートもタカの名前かい。
「ちょっと待っててね」
右手と左手にそっくりな二羽のタカを乗せたケンタロウが、勢いよく両手を振った。一気に飛び立つ二羽。ぐるぐると旋回してから、またケンタロウの腕に戻ってくる。
「はい問題です。どっちがダニエルでしょうか」
えぇ。
「どっちがどっちかなんて判断つかないけど」
「そんなことないのにな。な、ダニエル」
右手のタカに話しかけるケンタロウ。
「ほら、よく見てあげて」
言われて、わたしもじっと二羽を見つめる。右手のタカはわたしを見つめ返して、左手のタカは落ち着きなく周囲を見回している。
「くちばしの色が若干違う?」
どっちも黄色と黒の配色なんだけど、ダニエルの方が僅かに薄い。
「あと羽のとこが少し形が違う」
「ちゃんと見てあげられるじゃん」
そう言って左手からタカを飛び立たせる。ルパートは山なりにお兄さんの方へ飛んで行った。
「ね? ちゃんと見れば世界の見え方って変わってくるんだよ」
残ったダニエルを撫でようとしたら、ダニエルがまた左右に揺れる。
「おやつほしいんじゃない?」
わたしがひとかけら口元にもっていくと、ダニエルは器用に咥えた。
「見方、変わってきてるよ」
「あっ」
そう言われて、確かにさっきまではタカの気持ちなんて想像してなかったことを思い出した。なんとなくだけど、タカの気持ちが分かってきた気がする。これがちゃんと世界を見てるってこと?
改めてケンタロウの腕のタカを見てみる。凛々しい顔をしてるけど、最初ほど怖くはない。
タカの背中を撫でるケンタロウはいっそう優しそうだった。
「ねえ、そいつそんなにかわいいの?」
そう訊くわたしに、ケンタロウがグローブを渡してくる。
「かわいいっていうか自分が自然でいられるんだ。気取らなくていいし」
ケンタロウからわたしにダニエルが飛んでくる。
「けっきょくかわいいのかな。愛着はあるし」
愛、という言葉が不自然に脳を刺激した。でもそれは一瞬で、すぐに泡みたいに消えてしまう。
わたしの腕の上で、ダニエルが羽をついばんだ。
そっと手を伸ばしてみる。うん、もう怖くない。そっと撫でると、ダニエルが嬉しそうに少し体を揺らす。
「たしかに、ちょっとかわいいかも」
「だよね!」
今日一番の笑顔だった。
「雌だったら名前はエマ?」
ふと思った疑問を口にする。
「えっ、すご。なんでわかったの。今日連れてきてないのに」
そりゃまあ、わたしもその映画好きですから。
***
帰りの電車に乗ると、アカリはすぐに寝てしまった。そうとうはしゃいでいたし無理もない。満足そうな寝顔を見ていると、今度おいしいアイスでも買ってきてあげようかなって気分になる。今日のお礼もあるし。
アカリを撫でようと手を伸ばす。でも不意に胸の奥がざわついて、全身に電気が走ったみたいに動けなくなる。アカリが握っている名刺を見たときだった。別れ際に彼らがくれたもの。
「なんで」
浮かんだのは、ケンタロウの無邪気そうな笑顔だった。まさか……。いやいやいやいや。ないない。
わたしたちを含めても四人しかいない車両の隅で必死に頭を振る。
そりゃあまあ今日はお世話になったし。色々話を聞いてもらったり聞かせてもらったし。わたしより背が高くて、そのくせ説明下手ですぐ困ってるし。でも伝えようと必死で。なんだかんだタカはカッコよくて、でもタカもアイツもちょっとかわいいとこあって……。ってうぇぁぇぇ? なんか途中からおかしいし。
「違う、これは断じて違う」
車窓に映る自分に言い聞かせる。
漫画じゃないんだから。ちょっと優しくされたからって、ねぇ。そもそも連絡先とかも交換してないから知らないし。あっ名刺に書いてあるのか。
もらった名刺のふちを撫でる。アイツが言ってた色んな言葉が頭の中でよみがえる。
愛着はあるし、と言ったときの優しそうな顔。
現実に引き戻されたのは、聞き慣れた地名のアナウンスのおかげ。
「大概バカだな、わたしも」
一回会っただけでなにを。向こうだっていきなり連絡されてもきっと……。
急に膨らんだ感情は、同じように急にしぼんでいった。
「ほらアカリ起きて。駅着いたよ」
「……ん」
目を擦るアカリを見て、こういうのが愛おしいってことなのかなって思う。そんな気持ちは、帰宅して部屋のベッドに倒れこむのを見覚えのないおもちゃ箱に邪魔されるまで続いた。




