第5話《人か物か》
「それより、今どうなってんの? 情報!」
美悠が再びテレビを点け、蓮はスマホをスクロールする。
【続報】
『通称BCHと呼ばれる個体が、飲食店にて子どもの食事を奪い、そのまま逃走したとみられています』
美悠の背筋が冷える。
『目撃者によると、外見は十代後半の少女。現在も行方をくらませています』
映像が流れ、ぼかしの入ったスマホ画像の中で、怒鳴る母親の背後を少女が人波を縫うように走り去る。
『当該個体は人に酷似しており、外見からの判別は極めて困難です』
蓮がゆっくり顔を上げる。
優希はテレビを見つめたまま、瞬きもしない。
『人に危害を加える可能性があるため、付近の住民の皆様は十分ご注意ください。また目撃情報を――』
美悠が振り返る。
「あんた……食いもん盗ったの?」
優希は頷く。
「ハンバーガー取得」
「言い方!」
「空腹。エネルギー摂取必要。拘束リスク上昇。回避行動。八十六メートル逃走後、美悠と衝突」
「わかった、わかった! もういい!」
説明の正確さが逆に怖く、蓮の喉が小さく動いた。
「……これ、ガチで全国ニュースだぞ」
スマホを見せる。
コメント欄はすでに炎上している。
蓮の顔色が変わる。
「美悠、これ匿ってるのバレたらオマエも終わるぞ。ニュース見ただろ。“人に危害を加える可能性”って言ってた。……警察に言った方がいいんじゃ」
「ダメ」
即答だった。
美悠の声が強くなる。
「戻したら何されるか分からない。人権ないって言ってたんだよ? 物扱いなんだよ?」
蓮は黙り、優希を見る。
その顔は完全に人間だ。
息をして、瞬きをして、そして卵焼きを食べた。
美悠は一歩前に出て、優希の前に立った。
「私は優希を守る。それ以上言うなら……蓮。あんたと別れる」
蓮の眉が歪む。
「は?」
「本気だよ」
数秒ののち、蓮が荒く息を吐く。
「……なんなんだよ、お前ら」
頭をかきむしる。
「九年前もそうだった。俺、いつも置いてけぼりだ。でもさ……俺、優希が“人にしか見えない”って思った時点で、もう逃げられねえよ。どうするか考えるのは三人だろ」
静かに、美悠を見る。
サイレンの音が一瞬近づいてまた遠ざかり、三人は同時にドアを見た。
優希の瞳孔がわずかに開く。
「捜索半径、拡大予測。拘束確率――」
「うるさい。数値、いらない」
美悠が小さく止める。
蓮が低く言う。
「まず状況整理だ。篠宮は拘束。研究所は押収。BCHは未登録個体。つまり――優希は、国から“物”扱いされてる」
優希は胸に触れる。
「物。……私は?」
その問いは、ニュースより重かった。
「……オレ、正直まだ整理できてない。でも……目の前にいる優希が“物”って言われても、納得はできねえ」
美悠の肩がわずかに落ちた。
「じゃあ、どうするの」
「どうするって……」
蓮は天井を仰ぎ、それから二人を見る。
「今日のところは帰る」
「は?」
美悠は一瞬だけ不安な顔をするが、すぐに飲み込む。
「……明日、来る?」
蓮は視線を逸らしたまま答える。
「来るよ。朝、何か買ってくればいいんだろ」
美悠はわずかに眉を上げる。
「え?」
「食うもん。どうせ冷蔵庫ほぼ空なんだろ」
図星で、美悠は視線を逸らす。
「……パンでいい。甘いのと、あと普通の」
優希が小さく反応する。
「甘いの、好き」
蓮は思わず吹き出しかけて、すぐに顔を戻す。
「菓子パンな。分かったよ」
蓮はドアノブに手をかけながら振り返り、優希を見る。
「明日もそこにいるなら、話はする」
優希は数秒見つめ返し、ゆっくり頷いた。
「了解」
「だからその口調やめろって」
蓮が苦笑し、扉を開ける。
廊下の足音が遠ざかると、美悠はその場に立ったまま息を吐いた。
強がっていた分、力が抜ける。
優希が近づく。
「蓮くん、明日来る?」
「……来るよ。たぶん」
「たぶん?」
「人間は、確定前に“たぶん”を使うの」
優希はその言葉を繰り返すように小さく呟く。
「たぶん」
美悠は優希の肩を軽く叩いた。
「ちょっと休憩。頭が疲れた……。どうせ外出られないし。明日のことは、明日考える」
優希は数秒考える。
「未来、未確定」
「そう。未確定」
部屋の空気はまだ重い。
それでも、完全な孤立ではなくなっていた。




