第12話《守るということ》
アパートに戻る頃には、空はすっかり暗くなっていた。
途中で買ったフライドチキンの箱を、美悠がテーブルに広げる。
「はー、お腹すいた。よし、食べよ!」
紙袋から立ちのぼる油の匂い。
優希の鼻先がわずかに動く。
「高カロリー。エネルギー効率、良」
「そういうこと言わない!」
優希はキッチンへ行き、箸を持って戻ってくる。
チキンを慎重につまむ。
「ちょっと! それはこうやって食べるの!」
美悠は豪快に手で掴み、かぶりつく。
「うまー!」
蓮も頬張る。
「やっぱケンチッキーンは衣だよな」
優希は数秒観察し、それから真似る。
両手で掴み、かじる。
「……美味しい」
優希は指先を見下ろす。
「手と口が脂まみれ」
「いいの。食べたあと洗えばいいんだから」
優希はもう一口かじる。
「美味しい食べ物。共有。……もっと美味しい!」
声がわずかに弾む。
三人の笑い声が、狭い部屋に広がった。
さっきまで立っていた交差点のことは、今は遠い。
「美悠、明日から仕事だろ」
蓮がチキンの骨を紙に置く。
「優希、どうすんだよ。俺も仕事だし」
優希が顔を上げる。
「月曜日から、労働?」
「そうだよ」
美悠が一瞬だけ黙る。
「……休もうかな。体調悪いことにして」
優希の視線がまっすぐ刺さる。
「それは、優しい嘘? ダメな嘘?」
「そんな純粋な目で見るな!」
蓮が吹き出す。
「でも現実問題どうする。ずっと家に閉じ込めるわけにもいかねぇぞ」
優希は少し考える。
「私は、留守番可能。学習継続」
その声は、どこか大人びている。
美悠がソファにもたれ、ぼやく。
「そうよね……私みたいな貧乏人は働かなきゃ生きていけないし。この先、優希も守れない。あー世知辛い世の中」
「守る前に自分の家賃払えよ」
蓮が真顔で言う。
美悠がクッションを投げる。
「うるさい」
蓮の表情が変わる。
「……でもさ。本当に大丈夫か、優希」
優希が顔を上げる。
「私のことが、心配?」
「え……まぁ、そりゃ」
視線を逸らす蓮。
優希は数秒観察し、ぽつりと言う。
「蓮くんは、不器用」
「は?」
美悠が吹き出す。
「出たー、はいはい。どうぞご勝手に」
優希は真面目な顔のまま続ける。
「私は、美悠のほうが大事」
蓮が顔をしかめる。
「クッ……いちいち言うな!」
優希は首を傾げる。
「事実の共有」
三人の笑いが重なる。
だが美悠の視線は、ほんの一瞬だけ優希の横顔に止まる。
“守る”と口にした自分の言葉が、まだ胸に残っている。
――翌朝。
アラームが鳴る前に、美悠は目を覚ました。
隣の布団を見ると、優希は起きていた。
天井を見つめたまま、瞬きだけが規則的だ。
「寝た?」
「睡眠、四時間十二分。効率は良好」
「短いわよ」
「人間の平均値と比較すると、やや不足」
「比較しなくていい」
美悠はため息をつき、身支度を始める。
制服のシャツに袖を通しながら、何度も優希のほうを見る。
「今日は家にいて。外、出ないで。誰か来ても出ない」
「了解。施錠確認済み。学習継続予定」
優希の声は安定している。
昨日と同じ。
それでも、美悠の胸の奥は落ち着かなかった。
玄関で靴を履きながら振り返る。
優希は立ち上がり、こちらを見ている。
「行ってらっしゃい」
その言い方が、ほんの少し柔らかい。
美悠は一瞬、動きを止める。
「……すぐ帰るから」
ドアを閉める。
廊下に出た瞬間、静けさが急に重くなる。
階段を降りながら、胸の鼓動がやけに大きく聞こえた。
職場に着いても、落ち着かなかった。
マウスを握る手が、わずかに震える。
線が思うように引けない。
色の選択を何度もやり直す。
同じレイヤーを三回消して、三回戻す。
「大丈夫?」
背後から声をかけられ、笑ってごまかす。
「うん、ちょっと寝不足」
モニターの光がやけに白い。
画面の中の図形は整っているのに、胸の中だけが歪んでいる。
それが逆に、不安を煽った。
「留守番可能」と言っていた顔が、脳裏に浮かぶ。
あの子は、強いのか、弱いのか。
きっと大丈夫、と思いこむ。
それでも胸のざわつきは消えない。
――夕方。
予定より三十分早くタイムカードを押した。
「ちょっと急ぎで」
曖昧に言い訳して、外に出る。
足が勝手に速くなる。
信号が長い。
人が邪魔に感じる。
何も起きていないのに、心臓が落ち着かない。
アパートが見えた瞬間、ほっとするはずなのに、逆に息が浅くなる。
階段を駆け上がる。
鍵を差し込む手が、わずかに震えていた。




