リスポーンの無い世界で 中編
翌日も、見た目だけならいつも通りだった。
大我たちと適当な話をして、笑って、
昨日のことなんて最初から無かったみたいに流れていく。
「昨日のあそこさ――」
大我が話し始めた、その時。
「……あの」
小さな声が、横から入る。
四人の会話が止まる。
振り向いた先にいたのは見覚えのある顔だった。
昨日、外で倒れていた生徒。
「……誰?」
大我が言う。
その問いに少しだけ言葉を詰まらせてから
「……左和、です」
小さく名乗った。
視線は下がったまま。
(昨日の奴か……)
「昨日の……その……」
言葉を選ぶみたいにゆっくり続ける。
「窓から……投げたの、見えてて」
教室の空気が少しだけ張る。
大我が横でわずかに息を止めるのが分かる。
「助けてくれて……ありがとう、ございました」
頭を下げる。
深くはないがちゃんとした礼。
その仕草だけで、昨日の出来事が現実だったと実感する。
「……別に」
優大は短く返す。
感情は、ほとんど乗っていない。
「助けたわけじゃないし」
「え……?」
左和が顔を上げる。
少しだけ困ったような、分からないという顔。
「当たると思ったから投げただけ」
「……」
一瞬、沈黙が落ちる。
大我たちも何も言えない。
左和だけがその言葉を受け止めていた。
「……でも」
少し間を置いて、
「それでも、助かりました」
今度はさっきよりはっきりした声だった。
「ありがとうございます」
もう一度軽く頭を下げる。
優大は少しだけ眉を動かす。
理解できないものを見るみたいに。
「……おう」
何か言おうとして、やめる。
代わりに机の上のペンを指で転がした。
カラ、と小さな音が鳴る。
左和はそれを見て、少しだけ笑った。
ほんの一瞬だけ。
すぐにその表情は消えたが確かにそこにあった。
「……じゃあ」
それだけ言って、静かにその場を離れる。
教室を出ていく背中はまだ少し小さく見えた。
「……お前さ」
小さく、大我が言う。
「今の言い方、どうなんだよ」
「何が」
優大は視線を動かさない。
「普通もっとあるだろ」
「別に嘘言ってねえよ」
即答。
その一言で、大我はまた言葉を失う。
「……はぁ」
軽く息を吐く音だけが残る。
優大は、まだ分かっていなかった。
助けたという意味も、感謝される理由も。
(馬鹿だな……友達とかに言えばいいのに)
ただ一つ優大の中で分かっているのは、
昨日の行動は間違っていなかったということ。
それだけだった。
⸻
「今日さ、帰ったら即ランクな」
大我がカバンを肩にかけながら言う。
「昨日の続きやるぞ、あと一勝で上がるし」
「いいね、それ」
「優大は?」
「……あとで入る」
短く返す。
「また遅刻すんなよ?」
「多分大丈夫」
軽い会話。
いつも通りの空気。
そのまま教室を出ようとした時だった。
視界の端に、動く影が入る。
廊下の奥。
――左和。
腕を掴まれている。
昨日の連中。
「……」
一瞬で、空気が変わる。
でも、大我たちはまだ気づいていない。
「どうした?」
「……いや」
優大は視線を外す。
「先帰ってて」
「は?」
「ちょっと用事」
「ゲームは?」
「あとで行くって」
それだけ言って、踵を返す。
「おい優大――」
呼び止める声は無視し、廊下を駆け抜けた。
距離を取りながら後を追う。
足音を消す。
視線を逸らさない。
まるで、ゲームの延長みたいに。
ターゲットを見失わないように。
曲がり角。
階段。
校舎の裏。
人通りが減っていく。
やがて、完全に人気のない場所に出る。
「ほら出せよ」
鈍い声。
左和が壁に押し付けられる。
「……ない、です」
「嘘つくなって」
腹に一発。
鈍い音。
体が折れる。
「昨日も言ったよな?“持ってこい”って」
「……ごめん、なさい」
もう一発。
笑い声。
昨日と同じ光景。
でも、今度は距離が近い。
はっきり見える。
はっきり聞こえる。
(馬鹿共……)
優大はポケットからスマホを取り出した。
迷いはなかった。
カメラを起動。
画面越しに状況を捉える。
フレームに収める。
ブレないように。
音も、表情も、全部。
「……」
録画ボタンを押す。
赤い点が点灯する。
――証拠。
それだけで、十分だと思った。
直接やる必要はない。
これは現実だ。
ルールがある。
処理するやつが、別にいる。
(……先生に言っといてやるか)
最適解を選んだだけ。
「もういいだろ」
誰かが言う。
「今日はこれくらいで」
「チッ…次ちゃんと持ってこいよ」
「……はい」
左和の声はかすれていた。
足音が離れていく。
笑い声も遠ざかる。
画面の中から、ノイズが減っていく。
録画を止める。
数秒だけ、その場に留まる。
左和がその場に崩れ落ちるのを確認してから、
ゆっくりとスマホをポケットにしまう。
「……」
やることは終わった。
あとはこれを教師に渡すだけ。
それで解決する。
そう思った。
だから――
そのまま、踵を返す。
背後で、かすかな音がする。
「……っ」
呼ぶような、声にならない音。
でも優大は振り返らなかった。
必要ないと思ったから。
否、見たくなかったから。
⸻
歩きながら、さっきの映像を思い出す。
ブレてない。
音も入ってる。
顔も分かる。
問題ない。
「……これで終わる」
誰に言うでもなく、そう呟く。
それが“正解”だと、信じていた。
次の日。
優大は職員室の前に立っていた。
ノックをして、中に入る。
「失礼します」
担任が顔を上げる。
「どうした?」
優大は、何も言わずにスマホを差し出した。
「これ」
「ん?」
動画を再生する。
数秒で表情が変わる。
「……これは」
「昨日のやつです」
短く、それだけ。
「……分かった。ありがとう」
担任はそう言って、スマホを返す。
「こっちで対応するから」
優大は軽く頷いた。
それで終わりだった。
教室に戻る。
大我たちがいつものように話している。
「遅くね?」
「ちょっとな」
「またなんかやってた?」
「別に」
席に座り、机に肘をつく。
問題は処理された。
証拠は渡した。
あとは大人がやる。
それで解決する。
(柄でもない事やっちまったな……まあいいか)
でもなぜか少しだけ引っかかるものがあった。
理由は分からない。
何かをやり残しているような、
でも何をすればいいのか分からないような、
そんな感覚。
「……」
気にするほどじゃない。
そう思って、流した。
⸻
数日が過ぎる。
違和感も徐々に薄れていく。
いつも通りゲームをして、笑って、
また次の日を迎える。
何も変わっていない。
そう思っていた。
放課後。
帰る準備をしていると、
ふと、視界の端に見覚えのある動きが入る。
廊下の奥。
数人の影。
引きずられるように歩く一人。
「……」
見間違いじゃない。
――左和。
「おい、行くぞ?」
「優大!早く来いって!」
大我達の声が聞こえる。
でも優大は動かなかった。
ただ、遠くからその光景を見ていた。
「……なんで」
小さく呟く。
頭の中で、何かが噛み合わない。
左和の背中がまた遠ざかっていく。
前と同じ。
何も変わっていない。
「……なんでだよ」
優大は立ち止まったまま、動けなかった。
教師に渡した。
証拠もあった。
終わるはずだった。
それなのに、現実はそのまま続いている。
――何もしてないのか?
頭に浮かぶ。
教師たちの顔。
あの時の対応するから、という言葉。
理解できない。
(なんで何もしないんだよ)
でも、それだけじゃない。
視線の先でいじめっ子たちが左和を連れていく。
笑いながら。
何も考えていないみたいに。
(……なんであんなことすんだよ)
意味が分からない。
得るものもない。
ただ、殴って、奪って。
そんな無駄なことを繰り返している。
理解できない。
(……なんで、言わないんだよ)
左和の顔。
昨日、今日、同じようにやられているのに、
助けを求めない。
叫ばない。
逃げない。
誰かに頼らない。
ただ、受け入れている。
(……なんでだよ)
“分からない”が、重なる。
教師。
いじめっ子。
左和。
全部、理解できない。
その中でふと、もう一つの考えが浮かぶ。
――じゃあ、お前は?
一瞬、思考が止まる。
自分。
今の自分。
「……」
優大はその場に立ったまま、自分の足元を見る。
動いていない。
追いかけてもいない。
止めにも行っていない。
「……なんで」
小さく呟く。
でもその問いはさっきまでとは違う。
外じゃない。
内側に向いている。
(……帰りたい)
ぽつりと、頭の中に浮かぶ。
ただ自然に。
大我達と、いつも通り帰って、
ゲームして、笑って何もなかったみたいに終わる。
その方がいい。
その方が楽だ。
「……」
その瞬間理解してしまう。
――ああ、そうか。
自分は無視したいんだ。
あいつらに関わりたくない。
面倒なことに巻き込まれたくない。
危ないことをしたくない。
「……」
心の奥にあったものがゆっくりと浮かび上がる。
ペンを投げた時。
なんで、名乗り出なかった?
助けたなら、言えばよかった。
でも、言わなかった。
隠れた。
現場を押さえた時。
なんで飛び出さなかった?
止められたかもしれない。
でも、やらなかった。
撮って、離れた。
「……」
全部、同じだ。
正義感じゃない。
正義じゃない。
ただ、安全な場所から指を指しているだけ。
「……っ」
小さく歯を食いしばる。
胸の奥が、ざわつく。
モヤモヤの正体がようやく分かる。
助けたつもりで何も変えていない。
「……ふざけんなよ」
低く、漏れる。
誰に向けた言葉か分からない。
教師か、いじめっ子か、左和か、
それとも自分か。
遠くでまた音がする。
鈍い音。
笑い声。
優大は、ゆっくりと顔を上げた。




