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幽冥婚姻譚〜契約夫婦の怪異録〜  作者:
第二話 いびつな夫婦

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 喰った――朧の物言いは淡白だった。しかし、反対に残忍性は薄い。それを証明するようになのか、肩に触れていた朧の手がすうっと離れたかと思えば、今度は椿の身体がふわりと浮かんだ。いや、これは包まれるような感覚だろうか。おそらく朧に抱き上げられたのだ。

 そうして、そっと椿を抱き抱えそして、壁の方へと背を向けるように腰を下ろす。

 椿を横抱きに抱えたまま、悪意はないと証明するように何もしない。

 朧の体温が全身に感じて、背後から抱きしめられていた時とはまた違った気恥ずかしさが湧き起こる。それでも、朧の膝の上でじっとしているしかなかった。いや、抵抗など考えてもいないと言った方が良いか。


「お前が信じるかは判らないが、俺はこれまで殆ど意識はなかった。あったとしても、暗闇を彷徨うばかりで、本当に意識があったのかどうかも怪しいが」

「でも、あなたは初めから私に話しかけていた気がするけれど」

「こんなことは初めてだ。いつも、(うつろ)な感覚の中、意識がはっきりしたかと思えば、贄やら供物やらが置いてある。だが、それを目にするとどうしても腹が減って仕方がなかった。そしてそのまま――全部を喰らってきた」

「……そう」

「もう何度繰り返してきたかも覚えていない。話しかける余裕もなかったのに――何故か、今回は違った」


 それが、朧の意識の話につながるのだろう。こうやって話しているのも不可思議なくらいだ、と朧は終始真剣な声だった。


「何が違うのかしら」

「判らない。だが、これが最後の機会だと思っている。お前を逃せば、俺はここから出られない――そんな気がする」


 朧の声は力強くもあったが、少しばかり沈んだ声音のようにも聞こえた。しんみりとして、もう生きることも諦めたような。

 朧の手は、掴んだ機会を逃すまいとしてか、椿に触れる力が強くなった気がした。しかし、同時に不安も感じているのかもしれない。朧は椿を幻覚かどうかを確かめていると言った。


 ――もしかしたら今も、私を利用しようと考えながらも、自分の都合で作り出した幻覚……そんな風に考えているのかしら?


 朧はここを出るその時まで椿の存在を疑い続けるだろう。もう、数えようもない幾ばくの年月をここで過ごしたはず。どんな言葉をかけようと、幻覚かもしれないという疑念は拭きれない。


「だから、私に触れているの?」

「……俺は……自分が生きているのか……死んでいるのか……それすらわからない……」

「そう……だったら、話をしましょう? その方が建設的じゃないかしら」


 朧から反応はない。しかし、椿を支える手は変わらないまま、微動だにもしなかった。


「あなたはきっと、どれだけ私に触れたところで、記憶を探っているような心地なんじゃないかしら。だったら、成り行き上とはいえ、夫婦になったのだしお互いを知るぐらいは良いのではないかしら。それに、新しい記憶でも作るのも悪くはないと思うの」


 これも反応しないだろうか。そう思ったが、朧はぽそりとこぼした。


「……あまり得意じゃないな」

「あら奇遇ね、私もよ」


 両親が死んでしまってから、椿の話し相手は鈴だった。そう他者との会話に慣れているとは言い難い。しかもこんな状況だ。軽く言ってしまったが、自信はない。

 だが不意に、朧がふっと笑った気がした。そして、何気なく一つ椿へと問いかける言葉が届いた。


「……さっきは何を泣いていたんだ?」


 さっきは、起き抜けのことだろう。椿は薄らいではいない悲しみを吐き出すように、静かに言った。

 

「……幼馴染の夢を見たの。彼女との別れは辛くて……」


 今も、鈴のことを思い出すと、椿の胸が締め付けられる。椿の声が自然と沈んでいた。


「彼女――鈴はずっとそばにいて、私を支えてくれた子なの。でも、私は足手纏いだから」

「なんで」

「鈴は、生まれつき目が見えない私の話相手として拾われた子だった。両親が死んでしまって、生家が叔母夫婦に乗っ取られた後も、鈴はそばにいてくれた。でも、その所為で酷い目に合わせてしまった……」

「最初に死にたいと、話していただろう。それも関係しているのか?」

「……ええ、鈴は私がいなければ、もう自由。でも、私は……一人で生きるほどの度胸も経験もない。この刀根田村(とねだむら)に連れてこられたのは丁度良かったの」


 椿はつらつらと、そして静かに言った。込み上げる思いなどない。自分だけが、生と言う場所から置いて行かれているようでならないのだ。それが当然と思う自分もいる。だが、そんな椿とは裏腹に、朧の反応は思いもよらないものだった。


「生き方がわからないから、死にたい。そう言ってるみたいだな」


 朧の指摘に、椿は思わず固まった。端的に言ってしまえば、朧の言う通りだった。


「椿は言い訳ばかりだな。死ぬ言い訳に、その鈴ってやつを使ってるようにしか聞こえない」

「……そんな……こと……」

「そうだろ? やりもしないのに、無理だと言う。確かに目が見えない椿が外で生きるのは酷だろうな。だったら、問題は叔母夫婦じゃないのか? 何故、叔母夫婦に何も言わず縮こまってる。そいつらを追い出すぐらいの気概はないのか」

「だって、私一人では……」

「その鈴ってのがいたんだろ? 他に協力してくれる奴は」

「……いたかもしれないけど、ご迷惑が……」

「そうやって、悲劇に生きてるんだな。悲劇に生きて悲劇で死ぬ。俺から言わせたらお笑い種だ。そんな奴は、死んでも哀れな奴だったと思われて、いずれ忘れられる。そんで、お前が得るはずだったものを掴んだ奴らはお前のことなんざ忘れてのうのうと生き続ける――俺ならごめんだ」


 朧は鼻で笑うように言って吐き捨てた。しかし、椿は言い返せなかった。実際、椿は誰かに助けを求めることもせずに生きてきたのも事実だったのだ。

 去っていく使用人たちの背を追わなかったのは、自分は家から出ては生きていけないと考えていたから。幸福だった家を捨てられなかったから、鈴に辛い思いをさせ続けていたのだ。


「……あなたは、以前はどうだったの?」

「俺か? 碌な生き方はしてない」

「例えば?」

「なんでもやったさ。山賊まがいのことをしたりな。落武者なんかも狩ってた。飢饉もあってな、そうでもしないと食いっぱぐれちまう時代だった」


 朧の声音に揺るぎはなく、あっさりとしたものだった。恥も外聞もない。だからと言って、軽薄な物言いでもなかった。だが、次に続いた言葉は沈んでいた。


「……腹が減った時ほど、惨めに感じることもない」


 朧もまた、過去を思い出している。そこには確かに、人として生きた時間があるような――そんな気がした。

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