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幽冥婚姻譚〜契約夫婦の怪異録〜  作者:
第四話 疑心、暗鬼を生ず

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 ――ここはどこだろうか。


 轟々と吹雪いていた雪の音は既にない。しかし、蔵の暗闇のように無音ではなかった。ザク――ザク――と、雪を踏み締める音が耳心地良く鳴っている。

 椿はぼんやりと……今し方眠りから覚めたばかりだった。うっすらと開いた瞼の向こうは輝くような白。景色はぼやけて、自分がどこにいるのかは判らない。徐々に意識がはっきりとしてくると、体の至るところがじんわりと暖かいのだと気がついた。そして更に意識が覚醒していけば、自分が抱えられているのだと知る。

 足音に合わせて揺れる景色。誰かが自分を抱えたまま歩いているのだと理解して、椿の意識は覚醒した。

 白――あたり一面は雪景色だった。

 どこかの森か、それとも山か、周りは葉が落ちた木々ばかり。その木々それぞれに、細い枝の先にまで雪が降り積もって、景色の全てが白く染まっているのだ。そこへ、朝日が差し込んで、木々に被ったままの雪が輝く。

 時に小さな風に煽られて木々からさらさらと雪の粉が落ちれば、一つ一つの粉雪の粒が光の中へと吸い込まれていくようで、椿はうっとりと見惚れていた。


「……綺麗ね」


 自然と椿の口から落ちた言葉だった。

 同時に、歩いていた足音がピタリと止まる。揺れが消えて、椿の視線は自然と景色から自分を抱えている人物へ。赤い瞳を宿した男もまた、椿を見つめていた。


 ――こういう顔を精悍というのかしら?


 どの村人に比べても整っていると感じる顔立ち。ただ、赤い瞳だけは異質さを放ち、男――朧の妖しさを際立てている。


「やっと起きたな」


 朧の言葉で、椿は自分が抱えられているのだと思い出す。

 

「あの、ごめんなさい。自分で歩けるから」

「いい、今は適当に歩いているだけだから、そのままじっとしとけ」


 そう言って、朧はまた歩き出した。

 どうにも、椿は村を出た記憶がない。朧に連れられるまま歩いていたのだが、気を失ったとのことだった。


「どこか適当な村に行っても良かったんだがな、刀根田村(あそこ)の連中の様子じゃぁ、()()()()()()()()判らなくてな」


 だから、適当に歩いているのだとか。朧は淡々と語ったが、しかし椿から外れた赤い目は遠くを見ていた。村人の反応に思うところがあるのか。

 椿は朧に恐ろしさなど感じていない。ただ、気掛かりだったのは、朧が最後に村人に残した言葉だ。『御先祖を恨んで生きれば』まるで、村人を呪ったかのような――。


「……あの最後の言葉……村の人に何かしたの?」


 しかし、椿の不安をよそに朧はあっさりとしていた。

 

「いんや、何も。ただ、面倒なことが起こる予感がしたから言ってやっただけだ」

「……私、てっきり……」


 椿は最後まで言えなかった。だが、朧には伝わっただろう。

 朧は村人の誰一人にも手を出さなかった。朧が蔵に閉じ込められていた年月はおよそ三百年。恨みのまま朧が手を下してもおかしくなかったはずなのだ。


「……俺一人だったら、連中の顔見た瞬間に手を下してたかもな」


 朧は静かに言った。しかし、恨み言を口にするようなくらい声色ではなかった。


「ま、俺が何もしなくとも、もうあそこは何も作れないと思うがな」

「どうして?」

「あの蔵で何をしようとしてかは知らんが、大勢の人間が集められて放り込まれた。その時、みんな殺し合ってな――生き残ったのが俺だったが……あれは(まじな)いとかの類だったんだと思う」

「あの人たちは、あなたのことを八千矛神(やちほこのかみ)と呼んでいたわ」

「建前だろ。(まじな)いで化け物を作ったなんざ言えねぇ……あの時代はどこも天災による飢饉で苦しんでいた。何かにすがりたかったんだろうよ」


 そして、(なじな)いを解いた今、殺された者たちの怨念だけが残った土地となった。そう言って、朧は吹っ切れたように笑った。


「ま、俺自身の落としどころとして、貰うもんは貰ってきたがな」

「何をしたの?」


 朧は椿をゆっくりと地に下ろし、自身の右手を見せた。椿を抱き抱えていた時はなにもなかったが、ふつふつと朧の手に湧くように一文銭に始まり、小判や二分金など様々な貨幣が現れた。


「あそこにあっても土くれになるだけだったからな、少し貰っておいた」


 果たして本当に少しなのか。どこからともなく現れたそれが全てとは思えない。その少しとやらがどれくらいかは、椿は見当もつかなかった。


「それは……」


 盗んだ、と言うやつではないのだろうか。椿は言い返そうかと悩むも、朧の言っていることが本当なら、この世には存在しなかったものだ。


 ――手切れ金……とでも思えば良いのかしら。


 椿は飲み込むことにした。


「さて、椿を送ってやりたいが、この身体にもうちと慣れないと人前に出られない。まだ少し山を歩くぞ」


 朧は、すでに先の件などもうなかったかのように、椿を再び抱きかかえようとする。椿が遠慮しようと一歩下がろうとするも、「その足で歩くつもりか」とご丁寧に足下を指さされた。椿が履いているのはただの草履だ。そのまま雪の道を歩き続ければ、霜焼けでは済まないだろう。


「でも、朧も……」

「俺は寒さなんて感じない」


 そう言って、朧は強引に椿を抱き上げた。「暴れたら肩に担ぐからな」、と悪い笑みまでおまけにつけて。

 椿は諦め、大人しく朧に身を預けた。

 白い森は静かだ。しかし、耳を澄ませばかすかな物音が椿の耳へと届く。

 朧の体温は温かく、景色は美しい。

 村での出来事が嘘のように穏やかな時間が過ぎていった。

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